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6年生は秋になると広島へ修学旅行に出かけます。先のアジア太平洋戦争の被害と加害の実態を学ぶ旅は20数年続けられています。 子どもたちは出かける前に学習の目標を話し合っていきます。 〈つらくても目をそらさずにちゃんと見よう。そして‶広島“を伝えられる人になろう。〉 現地では、ご高齢の被爆者の方々から、その体験を聞きます。 「全身真っ黒になって寝かされていた人は、その声でようやく父であることがわかった。海べに穴を掘って父を火葬した。兄と交替で火の番をしていたら、夕暮れに青い玉がたくさん見えた。それは生きたくても生きられなかった人たちの魂だと思った。その人たちの悔しさを伝えていくのが自分の役目だと思っている」。 子どもたちは、想像を絶する体験の一言一句を聞きもらすまいと真剣にメモを取ります。 平和記念公園内の碑めぐりでは、あらかじめどんな記念碑があるのかを調べ、グループを組みスケッチをしました。原爆の子の像、平和の灯、原爆死没者慰霊碑、被爆アオギリ…。白い画用紙に鉛筆を走らせながら、心の中で自分と対話します。 〈その碑に込められた願い、犠牲になった人々の無念さ。これからを生きる私たちは何をすべきなのか。〉 旅の後半は、太平洋戦争当時、秘密裏に毒ガス兵器を製造していた大久野島へ渡り、旧日本軍の加害の実態を学びます。たくさんの兎が跳ねまわるのどかな島に、6000トンもの毒ガスを製造した工場があったこと、その毒ガス兵器は中国戦線に使用されたことなどを、今も残される貯蔵庫などの遺跡を巡りながら学び、考えます。 〈作ってはいけないものをどうして作ってしまったのか。そこで働いた人たちどんな気持ちだったのか。〉 今年も報告会の季節がやってきました。展示ポスターや映像をいくつかの教室に準備して、‶修学旅行報告ガイドツアー“を企画しました。緊張した面持ちの5年生を前に、ガイド役の6年生は自分の学びの軌跡と、平和な社会の創り手となる決意を語ります。 〈被爆者の方が話してくれたことを想像すると怖くなり、悲しくなり、不安になった。想像できないことも山ほどある。だからこそ学び続けたい。〉 〈地球は全人類が住んでいる「一つの国」だ。その隅っこで小さな国同士が争っていることがどんなに愚かなことか。それをみんなが知って、話し合いですべて解決したらいいなと僕は思う。〉平和学習平和な社会のつくり手、担い手となる―広島への修学旅行20

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