卒業生から 40期生 中嶋涼子さん なかじま・りょうこ 9歳の時に原因不明で下半身不随になり車イスでの生活へ。突然の障がい受傷により希望を見出せずにいた時に、映画「タイタニック」に心を動かされる。以来、映画を通して世界中の文化や価値観に触れる中で、自分でも映画を作って人々の心を動かせるようになりたいと夢を抱き、単身渡米。南カリフォルニア大学映画学部を卒業後は日本へ帰国し、映像エディターとして働く。2018年に車椅子インフルエンサーに転身し、Youtubeやテレビ出演、講演活動等を通し、様々な分野で日本(人)をバリアフリー化するための活動に取り組む。 車椅子の今を全力で楽しむ 自分の性格のルーツが桐朋小学校で形成された事は間違いない。ちょっと変わっていて、勉強も遊びも、常に必死になって集中する人が多いこの学校。幼稚園では人見知りだった私が、この雰囲気が合っていたのか入学後性格が豹変、明るくなった。1年生の担任「なかせん」こと中村先生は恩師の一人。人として生きる上で大切な事を沢山教わった。25年がたった今、校長先生となった なかせんから「6年生に講演を」と頼まれた。私が小6の頃はみな生意気で特に男子がうるさかった事を思い出し、オファーの嬉しさと同時に、はたして小学生の集中力が続くのか怖さもあった。 ドキドキ、モヤモヤしながら迎えた本番の日。「できないことを数えるより、できることを見つけて、そこに全力を注ぐことが大事」「一歩踏み出して、お手伝いしましょうか?と声をかけてくれるとすっごく嬉しい」「見た目はちょっと違っても、考えている事や思っている事はみんなと同じ。普通と変わらないんだ」「障害者は意外とできることもあるし、 楽しいことだってできるんだよ」「私は車椅子になった今も確実に人生を楽しんでいます。桐朋で教わった、どんな時も楽しむ集中力のおかげで。」6年生は、真剣に話を聞いて、質問までしてくれた。桐朋小学校の伝統「けん玉」をしたり、車椅子に実際に乗ったり押したり。気づけば小学生と普通に校庭で遊んでいた。壁のない子どもたちとの触れ合いはすごく心地よく、不安だった事が嘘のように思えた。 後日届いた感想文。子どもたちの言葉は率直だ。 「障害者はかわいそうだと思っていたけどそうじゃなかった」「街で声をかけてみようと思う」「苦手な事がどうしても出来ず悩んでいたけれど、できることをもっと頑張ろうと思った」 こんな風に何かを感じてくれた彼らよって、障害者や車椅子への壁が薄くなり、日本も社会の心のバリアフリーがもっと広がる世界になっていく。そう確信した。未来を変える子ども達ともっと接する活動をしていきたい、と改めて感じた一日。素敵な機会をくれた母校と先生方に感謝します。 桐朋小学校での講演会から
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