うきっかけとなるのです︒ 本校は︑1996年から広島修学旅行に取り組んできました︒被爆者の久保浦寛人さん︵当時 19 歳︶︑幸元省二郎さん︵当時7 歳︶︑大久野島で毒ガスの製造をした村上初一さん︵毒ガス資料館初代館長︶などからたくさんの体験を聞かせていただきました※4︒ 2022年は平和ガイドの方と平和公園の碑をめぐり︑笠岡貞江さん︵ 90 歳︶から被爆証言を聞き︑平和資料館見学をするなど︑ 現地で被害の実態を知り︑感じ︑考えました︒ また︑戦時中その名を瀬戸内海の地図から 消されていた大久野島に渡り︑少年工らにも大きな健康被害をもたらした毒ガス兵器についても学びました︒ 私たちは戦争の悲惨さと共に︑日本が侵略した現地での加害の実態も学びます︒例えば︑国際条約で禁止されていたはずの毒ガスが秘密裏に大久野島で製造され︑少なくとも中国で2000回使用︑8万人以上の人達がそれにより殺傷されました︒日本が与えた加害の実態を︑山内正之さん︵大 久野島から平和と環境を考える会︶は伝えてくれました※5︒日本軍が土中に遺棄した毒しむ子どもたちがいる事実に︑子どもたち は大きな衝撃を受けました︒ 教育を通して繋ぐ願い ひとたび戦争が起きると︑自分たちや相手の生活︑人生がどうなってしまうのか︒﹁もし私だったら﹂︒その想像力が倫理の根幹です︒修学旅行やあらゆる学びを通して︑ 子どもたち一人ひとりがそれに直面し︑考え︑ 自分なりに受け止める姿があります︒学んだことを話し合い︑まとめ︑5年生や保護者に報告する会も行いました︒一つの学びはさらに次の問いを生み︑点での学びが少しずつ広がり︑つながっていきます︒ 広島への修学旅行後に制作された平和ポスターの 展示スペースで校長と子どもたち ど、常に良識ある学者や文化人の中心に なり、最前列に立ち論陣を張り平和運動 に取り組みました。写真:安曇野市文書館蔵 〈※3〉『務台理作著作集第7巻 倫理と 教育』こぶし書房参照 〈※4〉お二人の証言は、「広 島平和資料記念館平和デー タベース」でご覧いただけ ます。 〈※5〉山内正之著『大久野島の歴史:三 度も戦争に利用され地図から消された 島 毒ガス被害・加害の歴史』(大久野島 から平和と環境を考える会)、化学兵器 CAREみらい基金編著『ぼくは毒ガス の村で生まれた。あなたが戦争の落とし 物に出あったら』(合同出版)参照 広島での体験から平和ポスターを制作 ガスに汚染された土と知らずにそこで遊び︑ 2000年代に入ってもなお健康被害に苦3 ─ 桐朋の平和教育 ─ 知れば知るほど問いが生まれる。
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