平和記念公園 これから行くヒロシマには、いろいろな 戦争の歴史がつまっているんだ。 「碑めぐり」で被爆の実相を知る 子どもたちのレポートから - ▼ガイドさんとの碑めぐで一 番印象に残ったことは森重昭さんの事︒家族も被害を受け︑ とてもアメリカを恨んでいるのに︑アメリカ兵のお墓もつくった︒ 僕にはとてもできそうにない︒すごいと思う︒▼印象に残 ったのは原爆供養塔︒あの場所に7万人ものお骨が入って いるんだ︒そして驚いたのは︑原爆ドームの昔の写真と今の 姿の違い︒▼平和の鐘に掘られている世界地図には︑国境 がない︒追悼平和祈念館の壁画のタイルの数︵140,000 個︶は︑死者︵1945年の末までの︶と一致していると知って鳥 肌が立った︒▼原爆ドームをスケッチした︒川にドームが写 っていて︑とてもキレイだった︒▼追悼平和祈念館のすご く長いスロープは︑時計の針と反対の方向へ降りていくと 1945年8月6日 に戻ることができると いう気持ちが込めら れていると知って驚い た︒▼生き残った人に は︑﹁見殺しにしてしま った﹂人への罪悪感も あるのだと知った︒ 平和記念資料館 世界では7万発の核がつくられたという、 その核は今どうなっているんだろう? 笠岡貞江さんに聞く被爆体験 子どもたちのレポートから - ▼被爆体験者の笠岡さんは︑ とても 90 歳とは思えない声でびっくりしました︒心に残っ た言葉があります︒それは﹁助けてあげられなくてごめん なさい﹂です︒▼特に︑心に残った台詞は﹁ただいまを言え なかった︒﹂です︒今なにげなく言っている﹁ただいま﹂が言 えなくなるなんて︑戦争はやってはいけないし︑もう二度と 繰り返してはいけないもの︒私も︑戦争をやらないよう呼 びかけられたらいいなと思いました︒▼一番心に残ったのは︑ ﹁町は焼け︑人も焼け︑みんなの幸せを奪うのが原爆だ︒﹂ という言葉や︑﹁一人では出来ないこともみんななら出来る︒﹂ ﹁相手の心を想いあえるのが平和︒認め合える心︑分かり 合える心︑わかちあえる心があるのが幸せ︑ということなん だ︒﹂という言葉︒本当にそうだと思うし︑私も︑そういう心 をもっていたい︑協力し合える人でありたいと︑心の底から 感じました︒ 大久野島の毒ガス製造 日本にも加害の歴史があるの? 山内正之さんの講話 子どもたちのレポートから - ▼山内正之さんの講話は︑と ってもわかりやすかった︒他国では︑毒ガスを使っていない のに︑日本だけ使って相手に被害を与えるなんてひきょう だと思った︒島全体が秘密の工場で︑関係者以外は島に入 ることを禁じられていたなんてミステリアス︒▼国際条約 桐朋小学校の 修学旅行ヒロシマへ。 平和のつくり手として社会に参加する根っこ を育てること。それが私たちの「平和教育」です。 1996年以来、桐朋小学校の修学旅行は、広 島を訪れます。小学6年生という柔かい心にヒ ロシマはどう映るのか。平和を考えるきっかけ となることを願いながら、日程やコースが組ま れています。また、この旅がより深い体験とな 行きの列車内で「原爆の子の像」に捧げる ための折り鶴を繋ぐ 4
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