「Where there’s a will, there’s a way!!」[Ⅱ-147]
卒業生でトライアスリート 高橋侑子さんの競技報告会に参加をしました。大きな会場に、たくさんの協力者やサポーターの方がいました。侑子さんが競技や練習に懸命に取り組む様子を見ました。「2017年、5、8、9位と3回トップ10入りし、世界シリーズランキングは34位から14位にジャンプアップ」したこと、第67回日本スポーツ賞(読売新聞社)を受賞されたことなど、すばらしい報告でした。しかも、それに満足せずに「これから先が改めて楽しみになるスタート」という頼もしいものでした。
侑子さんには、ぜひ「桐朋で培ってきたこと」についての原稿を書いていただくようにお願いました。そして、今回のワールドカップ初戦をむかえる直前に送ってくださいました。ありがとうございました。
原稿のタイトルは、「Where there’s a will, there’s a way!!」。侑子さんがモットーとしている言葉でした。横書きならば、「志あるところに道あり」だそうです。侑子さんらしいことばです。
小学校時代の侑子さんは、長距離走や水泳の得意で、授業、活動に対してまじめに取り組んでいました。侑子さんによれば、「休み時間も放課後も思いっきり外で遊んでいた記憶がある」とのこと。当時、お父さんが宮古島のトライアスロン大会に出るなど、ご家族で競技を楽しんでいました。6年生では、お父さんに競技用自転車を持ってきてもらい、競技の話をしていただきました。侑子さんは「家族で全国各地のマラソン大会へ出掛けるのが慣例で、ミニマラソンや家族リレーなどに参加し、小学2年生の時に初めてトライアスロンにも挑戦した。正直、当時のことはあまり良く覚えていないが、遊びの延長で楽しんでやっていたと聞いた。そこが私の原点である」と書いていました。
その後、桐朋女子中、高に進学し、活躍されます。今回の原稿では、「筋力不足からくる故障等で成績が伸び悩み、初めて壁にぶつかった」ことなども書かれていました。高校生では「U19の部1年目にして念願であったアジア選手権・世界選手権の出場権を得て、初の日本代表になった。チャレンジ精神で新たな道を切り拓き、アジアや世界の国際舞台に立てるようになると、格段に視野が広がった。厳しい練習も自分を変えられるワクワク感で楽しみながら取り組んで行った。徐々に今までぼんやりとしていた目標が「オリンピックで戦いたい」という明確なものになった」と書かれていました。
その後も、新しい道を切り拓いていきます。「自分を試すために、短期だがオーストラリアのチームで単身修行をさせて貰う機会」を持ったり、「2016年、ひとつの目標としていたリオオリンピックは、納得のいかない選考結果により、残念ながら補欠というかたちに終わった。深い喪失感と虚無感。でも自分を鼓舞させ、到底納得は出来ないが、前に進むしかないと気持ちを切替え、同夏にスイスで行われた世界学生選手権で日本人初優勝を勝ち取った。そこで心の片隅で潰れかけていた自分を取返せた気がする。」などでした。また、「2016年世界シリーズ最終戦にて、レース前に一人でプールに行った際、ちょうど以前から興味を持っていたチームのコーチを見かけ、声を掛けようとした。しかし、散々迷ったものの、言葉の不安もあって行動に移せず、チャンスを逃してしまった。一歩踏み出せなかった自分に少し嫌気がさし、このままでは変われないと猛省しながらプールから滞在先に戻る途中、偶然にも再びそのコーチが1人で歩いているところに遭遇した。このチャンスを逃すわけにはいかない、と思い切って話し掛けた。つたない英語であったが、とても親切に話を聞いてくれ、帰国後メールでのやり取りを始めた」など、迷いや辛かったことなども書かれていました。
侑子さんは、うまくいかないことにも向き合って成長に結びつけています。授かった命を活き活きと輝かせようとする侑子さんにたいへん励まされました。
2018年3月、アラブ首長国連邦のアブダビで、ITU世界トライアスロンシリーズが開催〈スイム750m、バイク20.6㎞、ラン5.1㎞〉されました。高橋選手は12位。これからも侑子さんを応援していきます。