2021.7.19

自分の意思と力で自己形成をすすめる主体として生きる [Ⅱ‐269]

初等部で育った人が、どんな人生を歩んでいるのか? 卒業生の様子を知りたい、卒業生の声を聴きたいという願いが届きます。今回、内藤智文さんの歩みから学んでみたいと考えました。(コラム[Ⅱ―265]に加筆修正)

…ジャンプ競技との出あいは幼稚園生の時に長野オリンピックを見に行ったことでした。それに触発されてジャンプを始めました。桐朋幼稚園の誕生会で、スキージャンプの選手になりたいという夢を話したことを覚えています。(内藤さんは、「好きなことをいくつも持つ」こと、「夢への道のりを描く」ことを大切にしてきたと話されていました。)

小、中学生の時、毎年スキージャンプの大会に出ました。毎冬、北海道の下川町に合宿に行っていた縁で、高校からは下川の高校に通いました。人口は三千人ですが、葛西紀明さんなど多くの選手を生んだ町です。高校、大学と北海道でジャンプ競技に打ち込みました。でもオリンピックは遠い世界でした。

大学卒業の時に、茨城県で四年後の国民体育大会(国体)に向けてジャンプの選手を探していると知り、大学院に進むのではなく、働きながら社会人選手の道を選びました。国体で結果を出すことを目標に練習を重ねました。社会人三年目になって結果が少しずつ出て、ワールドカップに出場したり、韓国の平昌オリンピックにテストジャンパーとして加わったりしました。日本のトップ選手に並んだのです。

自分でも驚きでした。幼稚園の頃からの夢が実現したのです。(100~142.5m、4~5秒間空中にいるそうです。「思ったよりも短い時間」で、気持ちいいジャンプになった時、からだが後ろから持ち上がり、「うお~、いったあ」と心の叫びがあるそうです。)

社会人になって大きかったことは、練習の計画や方法などをすべて自分で立てなければならないということです。また、自分だけでなく、多くの人の期待を背負って取り組んだことも大きかったです。フルタイムで仕事を持ち、時間の制約の中で競技を続ける。何を大切にするか、どうすれば無駄を省けるか、真剣に考えました。それが自分を高めることにつながったのでしょう。

今は、北京オリンピックをめざしています。十月の大会で出場権が得られるかどうかです。あと数か月で、どうすれば競技力を上げられるか、毎日それを考えています。ただ、オリンピックだけでなく、もう一つ大きな夢があります。それは世界で一番大きなジャンプ台で飛ぶことです。ワールドカップでは250mのジャンプ台もあり、そこで飛ぶことが小学生の時からの夢です(5月オンラインでのインタビュー)

内藤さんは、自分の意思で、自分らしく活動することを選んでいます。自分の意思で練習を重ね、自分の力を試し、力をつけていきます。周りの支えや期待も受けとめています。自分の意思と力で自己形成をはかる主体となり、かけがえのない人生を歩んでいます。

内藤さんの歩みから考えてみました。人間は、誕生時から好奇心旺盛で、いろいろと(やってみたい)(試してみたい)願いを持って行動し、変化、成長します。好奇心を大切に行動できる人は、「親和的承認」(=親密で信頼できる人に認められること。山竹伸二氏からの学び)が満たされていると思います。子ども時代、やったことのない行動は、スリルやどうなるかわからない怖さがあり、叱られるかもしれない不安もありますが、根底に「親和的承認」があれば、安心感を持ち、未知なる世界へ飛び出していくことができると思います。

「したい」ことに没頭する経験は、子どもが自分のやりたいことを拡げ、主体的な意思をもった人間になるうえで、とても大切です。大人になった時、自分のやりたいことを楽しみ、集中して取り組める人間になれる、夢や理想を抱き、それを実現しようと取り組む人間になれる可能性が拡がります。

内藤さんの歩みと桐朋教育をつなげて考えてみました。出発点は、一人ひとりが自分について「自分は自分でいいんだ」「今、ここにいていいんだ」「失敗してもがんばればいいのだ」という自己肯定感、自尊心をしっかりと実感できることです。そのためには、周りの人から「あなたはあなたでいいんだよ」「失敗してもまたがんばればいいんだよ」と言ってもらえ、自分でも「そうか自分は自分でいいんだ」「失敗しても、また挑戦しよう」と思うことができ、自分も周りの人のように認め、励ましていけることです。

また、「我が人生、いかに生くべきか」「何をもっとも得意とするか」について、さまざまなものに取り組み、経験し、深く学ぶなかで、他者と切磋琢磨し、刺激しあいながら、その答えを模索していく、そして、そのことを可能とする力をつけていくことを大事にしている学園です。

一覧に戻る