その子その子の「意味」を大切に [Ⅱ‐293]
私たちの園、学校では、「子どもを原点にした保育、教育」の実現をめざしています。それは、「一人ひとりが独自に持っている好奇心や感性によって、周囲の世界や他者に対して価値づけをしていくことで見出される」(汐見稔幸さん『教えから学びへ』河出新書)その子その子の「意味」を大切にすることです。
園庭、畑より
桐朋幼稚園の園庭にあるアスレチックの棒と子どもを例に考えてみましょう。この棒は、その子その子にとっていろいろな「意味」をもちます。
〔いまは滑り降りることはできないけれども、いつか降りたい〕とおもう人、〔友だちの降りるのをみていて、やりたいと思ったけれども、棒を握るのにも怖さがあってなかなかできない〕人、〔何度もやっているうちに、足をからませないで手だけで滑り降りることができた〕人などいます。
〔誰もいないとき、下からのぼる人がいました。はじめはできませんでした。だけど、裸足になってやってみたり、足に砂をつけてみたり、足の使い方を曲げて挟んでやってみたらのぼれるようになりました。とってもうれしかった!〕
実は、この人ができるまでには、もっとたくさんのことがありました。〔棒を使っておもしろそうなあそびはあるかなと、いろいろな人がやることをみていました。たくさんのあそびがあり、下からのぼっていくのが特におもしろそうと感じました。ところがやってみると、なかなかできません。他の人のをみて、裸足でやる、足に白砂をつけると少しのぼれた、足の巻きつけ方が大事などとわかり、だんだんのぼれるようになった…。「面白そう」「やってみたい」「できてとてもうれしい!」「みてみて(と感動を共有する。そして「すごいねって先生に言われた」)」など心をはたらかせ、達成感や満足感を味わいました。〕
私たちは、子どもの育ちで、このようなその子その子の「意味」を大切にしていきたいです。そこには、その子の生活経験(失敗や試行錯誤も)や感情、感覚、思考などが込められています。
園、学校案内の「考査について」では、「幼児期において、自分の興味関心にたっぷりと浸れる時間が保障され、心ゆくまで遊ぶ経験はとても大切です。」と書きました。そのなかで、その子その子の「意味」の世界が豊かに育まれることを願っています。
同窓会のみなさんからいただいたシダレザクラがとてもきれいに咲いています。同窓会のみなさん、ありがとうございます。
参考 ことばには、「語義」と「意味」の2つがあります。ヴィゴツキーの発達論によれば、「語義」とは「歴史的に形づくられた客観的意義を持」つものです。「意味」とは「意義の客観的結合体系から抽り出された語の個人的な意味」です(ヴィゴツキー『思考と言語』新読書社、中村和夫『ヴィゴツキーの発達論』東京大学出版会を参照)。学校では「意義」=客観的意義を持つ=正しいというようにとらえがちです。