8月6日、8月9日 [Ⅱー354]
現在も1万発以上の核弾頭が世界には存在し、ロシアのウクライナ侵略が続き、核使用も心配される日々です。
写真はすべて桐朋小広島修学旅行で撮影したもの
8月6日、広島平和記念式典では、子ども代表2名が「平和の誓い」を宣言しました。子ども代表勝岡さんの曽祖父は仲間を失い、「なぜ、自分は生き残ったのか」と、自分を責めました。「原子爆弾は、生き延びた人々にも心に深い傷を負わせ、生きていくことへの苦しみを与え続けたのです」。
報道によれば、勝岡さんの曽祖父は、「旧陸軍被服支廠」で被爆後、川から死体を引き揚げて火葬する作業に当たります。遺体は1日で二百体ほどの時もあったと知り、衝撃を受けた。/「曽祖父は「なぜ自分は生き残ったのか」と苦悩した。「ひいおじいちゃんが死んでいたら、お母さんも私も生まれていなかった」と、勝岡さんは語ります。宣言では、曽祖父の体験を一人でも多くの人に知ってもらいたいと述べていました。
8月9日、長崎平和宣言では、「「七十八年前に原子雲の下で人間に何が起こったのか」という原点に立ち返り「今、核戦争が始まったら、地球に、人類にどんなことが起きるのか」という根源的な問いに向き合うべき」とあります。
長崎「平和への誓い」では、工藤さんが被爆時(当時、7歳)のことを語りました。そして、「被爆から十年余りたち、次第に体調崩していった父は肝臓がんと診断され、三ヶ月程の闘病の末、亡くなりました。」、「その後、母と姉、弟、そして被爆時、母の胎内にいた妹までもが、相次いでがんで亡くなりました。私自身も三年前、肺がんの手術を受けました。たった一発の原爆で、長崎ではおよそ七万四千人、広島では十四万人が亡くなり、生き残った人々の多くも、今なお、さまざまな後遺症に苦しんでいます。」と述べています。
工藤さんは、「平和の誓い」のなかで、「今、わが国には、被爆者の願いをしっかりと受け止め、核兵器廃絶と平和な世界の実現に向けて活動を続けている高校生がいます。高校生平和大使、高校生一万人署名活動をしている若者たちです。さらに私の住む熊本県では高校生が「ヒロシマ・ナガサキピースメッセンジャープロジェクト」と題して、同世代や下の世代に向けた平和学習の出前授業も行っています。/その若者たちの姿に勇気づけられ、私は未来への希望の光を感じています。」と、「希望」を語りました。
世界に目を向けると、核兵器のない地域、地帯が築かれてきた歴史があります。中南米の国は、「地域では核兵器を作ることや持つこと、実験することを禁止する」(ラテンアメリカおよびカリブ核兵器禁止条約)に参加しています。核兵器をもっている国(アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国)も「中南米の国々に対しては使わない」としました。
他に、中央アジア非核兵器地帯条約、東南アジア非核兵器地帯条約、アフリカ非核兵器地帯条約、南太平洋非核地帯条約も築かれました。しかしそれらの条約では、核兵器をもっている国の批准が課題です。
この夏、「核兵器と戦争のない世界をめざして学び交流するサークル 高校生平和ゼミナール」の活動ドキュメンタリーDVD『声をあげる高校生たち~核兵器禁止条約に署名・批准を~』を観ました。高校生らが「核兵器と戦争のない世界」を求め、街頭や学校で署名を集めています。
各地の平和ゼミの活動は、「被爆者や戦争体験者のお話を聞いたり、戦争遺跡のフィールドワークを行ったり」、「核兵器や環境問題、憲法をめぐる問題などについて学び交流」しています。「2021年7月から日本政府に核兵器禁止条約の署名・批准を求める『声をあげよう!高校生署名』に取り組」み、「2022年8月に13642筆の署名を外務省に提出し、渋谷でアピールウォークを行」うなども知りました。
8月6日、8月9日、声をあげることで世界をかえていきたい、地球上から核兵器をなくしていきたいと思います。