ヒロシマ平和学習1[Ⅱー367]
6年生広島修学旅行へ行ってきました。たくさんの出あい、触れあい、学びがあり、いろいろな方にたいへんお世話になりました。ありがとうございました。
〔平和公園での碑めぐり〕 6名のガイドの方に案内をしていただきました。爆心地すぐ近くのお寺へ行き、お墓のまわりを囲んでいる石を触わらせていただきました。ツルツルしたところと、高熱で一瞬で溶けそれが固まってザラザラしたところを触りました。爆風でひびやかけていたものを見ました。墓石に刻まれた命日が、昭和20年8月6日と書かれているものがたくさんありました。碑めぐりの後、じっくり向き合いたい場所でスケッチをしました。
〇世界の子どもの平和像(左上写真) 事前学習で行きたい場所を話し合い、ガイドの方にご相談して連れていっていただきました。世界の子どもの平和像も、その一つ。像には、核兵器のない世界のために/この像はヒロシマの子どもたちの/愛と平和のメッセージです/2001年8月6日建立 と書かれていました。
〇爆心地(左上写真) 当時の様子が写真と文からも伝わります。写真は、爆心地から見た北方の惨状の様子でした。写真下に、「原子爆弾は、この上空約600mで炸裂しました。爆心直下となったこの一帯は、約3000~4000度の熱線と爆風や放射線を受け、ほとんどの人びとが瞬時にその生命を奪われました。時に1945年8月6日午前8時15分のことでした。」と書かれています。
〔本川小学校平和資料館、平和記念資料館〕 開館前に並び、じっくり見学をしました。遺品や写真などから、「熱いよ」「水ちょうだい」「苦しい」などのうめき声が伝わってきます。「助けてあげられなくてごめんね」命を救えなかった悲しみや辛さ、苦しみも聞こえてきます。遺品や写真、絵、ガイドの方の話、文字などから、命の尊さを思いました。子どもたちの感想も聞いてあらためてまとめます。
資料館には、熱線をあびた瓦やびんに触ることのできる場所があります。熱線をあびた瓦は表面がつぶつぶの突起がありました。熱線をあびたびんは、曲がって固まっていました。実際に触ることによって、その強さ、衝撃を感じ、からだに残ります。
〔被爆証言〕 笠岡貞江さん(写真下)が話してくださいました。笠岡さんは、当時12歳中1の時に、爆心地から3.5㎞で被爆しました。右下の絵が当時の様子だそうです。お話では、お父さんのこと、お母さんのこと、ご家族のことなど、いろいろなことを話してくださいました。お話の中で、お母さんのことについてあまり触れられなかったので、終わった後でそのことを聞くと、怪我をしたお母さんが、自分たち子どもたちのことを大切におもう気持ちでいたのを思い出すと、話ができなくなってしまうと思って、ほとんど語ることができなかったとおっしゃっていました。
証言の最後に、2度と戦争をしてはいけない、と話をされていました。
〔宮島、厳島神社〕
〔大久野島〕瀬戸内海、島内めぐり、アクティビティ、毒ガス資料館
加害の歴史について話をしてくださった山内正之さん(下の写真)。お話のまとめで、「戦争は世界中の人間を不幸にする」、「歴史から学び、二度と戦争を起こさないようにしましょう」と言われていました。あらためてまとめます。
〇島内めぐり 長浦毒ガス貯蔵庫跡を見学しました。貯蔵庫跡前に設置された看板には、「旧陸軍は、1929年から終戦まで、この島でひそかにこの島で毒ガスの製造を行っていました。主な製品はイペリットとルイサイトで、いずれもびらん性ガスと呼ばれ、皮膚をただれさせる性質を持ち、年間生産量は多いときは1500㌧におよび、製造期15年の総生産量は6619㌧と言われています。」などと書かれています。今後、二度と戦争を起こさないために、加害の歴史も学んでいきます。
現在、わたしたちの世界では、戦争が起こり、続いています。戦争をやめること、平和を実現させていくことが課題です。ヒロシマでの学びをふり返り、まとめ、まわりの人に伝えるなど、課題に向き合います。