「小学生が伝える戦争~今後の平和教育のあり方を考える~」 [Ⅱー401]
W大学のEさんらより、「小学生が伝える戦争~今後の平和教育のあり方を考える~」というインタビューの依頼がありました。
企画意図には、「2025年には、戦後80年が経過することになる。日本国憲法施行以来行われてきた平和教育の重要性はいまだ認められると思われるが、戦争を経験した世代の高齢化や、学力重視の風潮から、そのインパクトが徐々に薄れつつある現状がある。
そんな中、広島市ではある小学生がボランティアガイドを行っている。小学5年生のSくんは、3年前から多いときで月4回ほど、平和記念公園で活動している。彼の活動に興味を持ってもう1人、男の子がボランティアガイドを始めた。
広島の小学生によるボランティアガイドを見て、このテーマを設定するに至ったのは、彼らの活動が今後の平和教育に新たな視点を提供していると感じたからである。単なる授業の一環として平和の尊さを説かれるのではなく戦争の実体験を語ることができる人が少なくなっている中で、次世代にどのように平和の大切さを伝えていくべきか、その方法を模索することが本企画の目的である。特に、戦争を経験した語り部ではなく、小学生の活動に注目することで、新たな視点から平和教育のあり方を考察する。小学生たちは、未来の社会を担う存在であり、彼らがどのように平和を理解し、伝えていくのかが、今後の平和教育の成否を左右する。ボランティアガイドの方には、活動をする中で新たに感じたこと、広島以外の小学生に伝えたいこと、大人にしてほしいこと、平和教育に対して思うことなどを取材したいと考えている。
広島で行われているボランティアガイドの活動をきっかけにして、私たちは様々な視点から平和教育の今後について考える必要があると感じている。そこで今回、S君へのインタビューを踏まえ、学校現場の視点からは桐朋小学校校長の中村博さんに、平和教育の潮流や教育課程における立場などを、学問的視点からT大学准教授のTさんに伺ったうえで、新たな取り組みについて、教材開発者の視点から平和教育映像制作会社代表のTさんにお話を伺うことを企画している。」と書かれていました。*太字、下線は中村
私は、これまでたくさんの人にお世話になってきました。こうした呼びかけにはできる限りこたえたいと思います。学ばせていただきたいと考えて、引き受けました。当日、Eさんよりいろいろなことを教えていただきました。
2学期の子どもたち
Sさん(小学5年生、広島在住)
Eさんが8月に広島へ行き、Sさんに聞いたことを教えていただきました。一部紹介します。
Sさんは、英語を話せるようにと育てられたそうです。ある時、原爆ドームを見て、「壊さないの?」と疑問を持ち、資料館見学、ガイドの方に聞いたそうです。ひいおばあさん(当時12歳)が、爆心地から1.5㎞の場所で被爆。その後ガンを発症し亡くなったことを知ったそうです。
現在、月に3~4回、土日に、外国人向け英語でガイドを行っているそうです。はじめは、「ガイドを聞いてもらえませんか?」と英語で話して、10分と言ってはじめたら、「もっと聞かせて!」と、嬉しい返事がかえってきたそうです。
写真などの資料をバインダーにまとめ、より伝わるようにしているそうです。/聞いてくれたお礼に、コースターを渡していたのを現在は鶴を渡すことにしています。
未来のことを考えてほしいと、活動を続けています。/Sさんのことを知り、福山の小学生がガイドになったそうです。
将来はお医者さんになりたい。コロナの時に医師の祖父の姿を見て。またこの活動で命の大切さを感じて。命を救う仕事をしたい。たくさんの興味深い話を聞くことができました。Sさんのことをもっと知って、桐朋小の6年生へ紹介したいと考えています。
酷暑が続いています。自由に外やテラスで遊ぶことができない時間もあり、地球環境危機の進行をくいとめたいです。
Sさんのお話を聞いて、思い出したのは、長野松代修学旅行*1への取り組みで、篠ノ井旭高校郷土班の生徒*2と出会ったことでした。郷土班には、不登校の生徒、「できない子」と決めつけられてしまった生徒などがいました。その生徒が松代大本営*3地下壕を案内して説明をすると、自分の話を聞いてくれた、「ありがとう」と言ってもらえたなど、喜びを感じ、自分も大切なんだと思った経験などを話してくれました。また、活動を通して少しずつ自信を持ち、人とつながる良さも感じていることも聞きました。
そうした生徒を桐朋小の人たちに出あわせたい、そして見学を通して、高校生のことを知り、平和へ願いなどを感じとってほしいと思いました。
「…いろいろな調査の中で、特に松代大本営の調査はとても悲惨だった戦争を教えてくれました。朝鮮から強制連行され、苦労した朝鮮の人々の苦しまぎれのハングル文字が書いてあったり、当時使っていたドリルがささっていたり、ハッパの後などがあり、犠牲者を慰霊しなくてはならないと思います。私ももし、この壕に入らなかったら、今でもただ口先だけで、『戦争反対』と言っていたと思います。…」当時高2 中島さん
*1 長野松代修学旅行 この修学旅行で大切にしたのは、松代大本営の見学からアジア・太平洋戦争の被害、加害を知ること、松代大本営地下壕の保存をすすめている私立篠ノ井旭高校郷土班の生徒と顧問 土屋光男先生と出会ってほしいと考えました。
*2 私立篠ノ井旭高校郷土班の生徒、土屋光男先生 篠ノ井旭高校の沖縄修学旅行。事後に、「そういえば家の近くに地下壕があった」。実際に地下壕を探検、巨大さ、これを遺跡としてきちんと保存し、沖縄のような平和祈念館も建てたいと願う。署名集め、陳情、保存運動へ。様々な活動を通して、生徒が変化していくことが伝わります。
*3 松代大本営 日本の軍部がアジア・太平洋戦争末期、本土決戦にそなえて天皇御座所をはじめ、戦争の再考式軍団の参謀本部、政府諸機関、NHKなど、日本の中枢部分すべてを避難させようとした。「国体護持」。
洞窟の最先端を掘る労働を強制させられたのが、7~8千人に及ぶ朝鮮人労働者。「自主渡航」した人、日本の植民地につれていた朝鮮から「徴用」という名の「強制連行」により連れて来られた人たち(「平穏な日常生活を営んでいたところが突然、奴隷狩りのように無理やりトラックなどに載せられて連れてこられた人たち」和田登)。崔小岩さんや姜永漢さんの証言などに学んだ。