2026.3.10

「車椅子インフルエンサー」中嶋さん [Ⅱ‐456] 

1、3月、「車椅子インフルエンサー」の中嶋涼子さん(卒業生)に6年生の授業をしていただきました。

 毎年、中嶋さんに授業をお願いしています。私たちは中嶋さんと出あい、いろいろなことを感じ、学ばせてもらっています。

 中嶋さんは、小学校3年生の時に、原因不明で下半身が動かなくなり、車椅子の生活を送ることになりました。1年以上の入院を経て桐朋小に戻ってきた際、友だちはこれまでと変わらずに接してくれたと話しました。しかし、車椅子での生活、周囲の目、自身の障がい者観などから、学校以外では「ひきこもる」ようになったそうです。それを変えたのが、映画「タイタニック」との出あいでした。映画の内容、主演のデカプリオ氏に憧れ、計11回もこの映画を観たそうです。

 その後、高校を卒業し、アメリカに留学をしました。Can I help you? などと声をかけてくれるたくさんの人、仲間や教員らのさまざまな年齢、人種、多様な人たちとの出あい、日本と異なる施設や環境などから、心と社会のバリアフリーを感じられたそうです。帰国し、念願の映画会社に就職。ところが、日本での生きづらさを感じます。そして、会社をやめ、「日本も心と社会のバリアフリーがもっと広がるように」願い、車椅子インフルエンサーとして活動をすすめています。

2、中嶋さんの話を聞いた6年生の感想を少し紹介させていただきます。

 「アメリカに留学した時のお話が一番心に残りました。日本はスロープやだれでもトイレ、車椅子用のスペースがあるので、かなりバリアフリーが進んでいると思っていました。けれど、車椅子じゃない人用の施設の方がずっと多いし、車椅子じゃない人用の施設を基準で考えると、かなり少ないことを気づかされ、車椅子スーザーの人からの視点で考えることが私に不足していたと思うと情けないです。日本に比べアメリカはお話を聞いた後、『一人ひとりが違うのが当たり前』という考えが強いのだと思いました。」

 「僕は、車椅子とは、あんまりできることが少ないのかなと思っていたけれど、今回のお話を聞いて、それは間違っていることを知りました。日本よりアメリカの方が障害をもっている人は生活しやすいのかなと思いました。車椅子でもできることが多く、そのことをみんなに発信していてすごいなと思います。このことは中嶋さんにしかできないことだと思います。そして、中嶋さんのおかげで、勇気づけられた方はいっぱいいると思います! 僕も大人になったらそういうことを全国・全世界に伝えられたらなと思います。」

 「自分の中の『当たり前』が変わった気がします。様々な困難をへて、車椅子インフルエンサーとして活動している中嶋さんは、とても輝いて見えました! 『タイタニック』によって励まされたこと、ハワイ旅行で『当たり前』に暮らすことができて勇気づけられ、心のバリアフリーに気付いたこと、それでも日本では不便が多かったことは、全て中嶋さんにしか感じられない事なんだと思います。私もいつか、中嶋さんのように、障害をかかえて引きこもっている人や、不安をかかえている人に希望をあたえる人になりたいです。」

 中嶋さんとの出あいから、自分のこと、周りのこと、社会のことに目を向け、考えたという感想がたくさんありました。6年生の人たちの感度の良さ、心の柔らかさなど、羨ましく思いました。

3、中嶋さんとともに過ごした仲間の声を紹介させていただきます。

 (前略)「バリアフルレストラン」という取り組みのスタッフ役で参加していた一人に、小中高校の同級生がいました。彼女の存在は、あるいは彼女とともに教育を受けた環境は、その後の私のものの見方に大きく影響してきました。

 彼女は私たちが小学3年生だった1月、突然歩けなくなり、以来、車いすを利用しています。同級生といっても、小学校の6年間は一度も同じクラスになったことがなく、お互い顔を知っている程度。当時の私は、彼女の仲良しの友人たちが慣れた様子で車椅子を押したりじゃれたりしているのを、遠目で見ていただけでした。

 それでも、同級生が突然、原因不明で歩けなくなったという出来事は、もしかしたら大人が思う以上に、当時子どもだった私にとって、決して人ごとではありませんでした。自分にも起こることかもしれない、という思いがどこかにずっとあるように思います。

 それから少しずつ、私の通っていった学校には変化が起きました。昇降口にスロープができ、階段に昇降機がつき、多目的トイレができました。昇降機がない階段は、周りの大人たちが軽々と運ぶのが日常でした。5、6年生の教室は3階にありましたが、私たちの学年は卒業まで2階の教室を使い、中学校にはエレベーターができました。誰も特別なことだとは思っていなかったように思います。やればできるということを、今から思えば周りの環境のおかげで、私たちは当たり前に学びました。

 いまでこそ「インクルーシブ教育」といわれますが、当時は前例のなかったことだらけだったのだろうと推測します。決して美談ではなく、一同級生にすぎなかった私には見えなかった、様々な困難や問題もあったのだとも思います。

 (中略)親御さんや先生たちをはじめ、周りの大人たちが手探りで、彼女の当たり前の権利を守ったのだと、そして、彼女の同級生――特に親しかったわけでもない、いち隣のクラスの同級生を含めて――にも大きな影響を与えたのだと、いま改めて思います。

4、中嶋さんとともに、授業に参加をされた方の感想を紹介させていただきます。

 「母校での講演を拝見し、中嶋さんという人物がどのような環境の中で育まれてきたのか、その人格の輪郭となる大切な背景を垣間見させていただいたように感じました。」

 「特に印象的だったのは、車いすであることを特別視するのではなく、自然な形で受け入れ、子どもたちが小さな頃から触れ合える環境を大切にされている点でした。/また、学校の中で課題が生じた際に、先生方が迅速に工夫しながら環境を整えていかれたお話にも大変感銘を受けました。」

 「講演の後、中嶋さんが階段の昇降機や入口のスロープ、理科室の机を車いす仕様にしていただいたことや、車いす用のトイレを作っていただいたことなど、 嬉しかった大切な思い出として、ひとつひとつ紹介してくれたことがとても心に残りました。/そのような姿勢が、今の中嶋さんの考え方や行動にもつながっているのだと感じました。」

 

 中嶋さん、中嶋さんとつながる皆さん、たくさんのことを教えてくださり、たいへんありがとうございました。これからもたくさん学びたいと思いますので、よろしくお願いします。

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