2018.7.2

新しい風 [Ⅱ-160]

 子どもたちから、異年齢のまじわりが自己教育力を伸ばすことを学んでいます。ブランコを立ち乗りできる、アスレチックの棒を滑りおりることができる、雲梯の棒の上にのぼることができる、木にのぼることができる、速く走ることができる、缶ぽっくりにのって歩くことができる、そうした子の姿をみて、自分もやりたい(願い、欲求、自発性、自主性)、やりたいけれどうまくできない、でもやりたい(失敗や試行錯誤、工夫や手立て、粘り強さなど)、できた瞬間の喜びなど、命を活き活きと輝かす瞬間に出あわせてくれます。

 雲梯では、5歳の子たちが2段とばしや逆さまになってぶら下がる、足をひっかけて手をはなす、横にすすむなど、どんどん技を編み出しています。それを4歳、3歳の子が見ています。4歳の子が挑戦したものの、2歩目で落ちてしまうことがありました。そのまましゃがんで手に砂をつけました。その様子をみていた3歳の子が、しゃがんで手に砂をつけたのです。自分もやりたい、4歳、5歳の子のようになりたいと、願いや憧れを育てているのだと思いました。

 最近読んだ本に『遊びが学びに欠かせないわけ』(ピーター・グレイ著、築地書館)があります。異年齢のかかわりが、「子どもが主体的に自分を教育するのに欠かせない鍵」と書かれていました。それは「人類の歴史の99%の期間で異年齢混合の遊び方をしていた」歴史や、「直接的にやりとりをしていなくても、年少者は年長者がしていることを見たり、話していることを聴いたりすることで学びます。年長者がしている活動を観察することで、年少者は、その活動がどのように行われるのかの感触を得ることができ、それを試してみたくなります。年長者のより洗練された言葉や考えを聞くことで、年少者は自分の語彙を増やし、自分の考えを向上させることができます」という実践や記録から述べていました。このことは、ぼくが学んでいる子どもの姿に重なりました。  

「子どもが新しいスキルや理解をもてるようになるのは、自分の「誰かの助けでできるようになる領域」で他者の協力を得ることが多いこと」(レフ・ヴィゴツキー)という提起もあり、今後の保育、教育の課題と受けとめました。また、年長者にとっての異年齢のかかわりの意味や幼小で異年齢のかかわりの実践とその意味についても考えてみたいです。

 子どもたちは大事なものに気づかせてくれて、未来をこんなふうにしていきたいという希望をもたらせてくれます。

 掲載した写真は、異年齢のまじわりに出あった瞬間です。その子がどのような気持ちでいたのかをいろいろいと想像しています。(PTA機関誌『わかぎり1号』7月2日発行より)

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