2019.10.15

広島修学旅行 [Ⅱ-206]

 台風の被害にあわれた方、亡くなられた方がたくさんいます。子どもたちとかかわりがある方にも被害にあわれた方がいるかもしれません。そうした方のことを心にとめて、6年生との授業「トピックス」をはじめました。 

 もうすぐ広島修学旅行に行きます。平和記念資料館、原爆ドーム、被爆証言、平和記念公園碑めぐり、本川小学校、宮島、大久野島など、現地で人よりモノより学びます。

本書は、アーサー・ビナード 作、岡倉禎志 写真、童心社。「もの」がカタリベとなり、読者にはっきりきこえる言葉を発する

 

 子どもたちと学び合っていきたい、考え合っていきたい。そのような気持ちで、10月、子どもたちとの「トピックス」授業では、3日目、4日目に過ごす大久野島にかかわる歴史を学び合っています。はじめに、2003年、2004年に起きた中国での毒ガス事件を取り上げました。テキストは、『ぼくは毒ガスの村で生まれた。あなたが戦争の落とし物に出あったら』(化学兵器CAREみらい基金編著、合同出版)を使用しました。ここでも少し取り上げます。

 戦争が終わって60年近くたってからも、自分たちと同じくらいの年齢の子たちが毒ガスによる被害にあった事実を学びました。その毒ガスが大久野島でつくられたのです。戦後も毒ガスが使用されています。世界中からこのような兵器を失くしていかなくてはならないと考えます。

 2003年、2004年、中国での毒ガス事件。夏休み、周桐君(当時13歳)、劉浩君(当時9歳)が小川で水遊びをしていました。裸でどろんこ遊びをしていた周君が、土手に鉄の固まりがささっているのを見つけました。それを引き抜くと、ずいぶん錆びて、腐って薄くなったところは、穴が空いていました。小枝で表面についた泥をこそげ落とし、穴に詰まっていた泥を掻きだしました。中から黒い液体が飛び出し、そばにいた劉君の足にかかりました。夕方、家に帰った2人ははげしい痛みに襲われました。黒い液体が着いた皮膚は腫れあがり、大きな水ぶくれができました。その水ぶくれが破れると、そのあとは真っ黒になっていきました。

 毒ガス液で汚染された湿った土は、さまざまな場所に運ばれていきました。中学校では、校庭の整地のために土が運び入れられ、校庭にはたくさんの山が出来ていました。この山には、ツンと鼻をつくような臭いがする黒っぽい土が含まれていました。その校庭では、朝から蓋尊旭ちゃん(当時12歳)が友だちと遊んでいました。午後からもまた校庭で、馮佳縁ちゃん(当時10歳)も一緒でした。二人は家に帰ってから、手足に痛みを感じました。痛みは次第に酷くなり、やがて大きな水ぶくれができてきました。

 土の山で遊んでいた高明ちゃん(当時12歳)は、左足に水泡がたくさんでき、数カ月もの間歩けなくなってしまいました。当時、高明ちゃんの両親は失業中で、借金をしないと高明ちゃんを入院させることもできませんでした。果物さえ買ってあげることができなくて泣いているお母さんに高明ちゃんは、「もしわたしがおてんばでなければ、土で遊んだりしなかったし、お母さんを悲しませることもなかったのに」と自分を責めています。

 馮佳縁ちゃんは、「少し歩いただけでも呼吸が苦しくなって、疲れてしまいます。3年たった今も、足の痛みはなくなりません。大好きな歌も、すぐにのどが痛くなって歌えなくなりました。声も変わってしまったみたいです。それに、大きな水ぶくれが気持ち悪いといって、友だちが遊んでくれなくなりました。伝染なんかしないのに、大人の人も近づいてきません。とてもさみしい…。長距離選手になりたかったのに…」と言いました。

 こうした事実を知った子どもたちは、自分の年齢に近い子たちが、また日常のあそびの中で被害があったことに、心を震わせます。

 「高明ちゃん(当時12歳)が『もしわたしがおてんばでなければ、土で遊んだりしなかったし、お母さんを悲しませることもなかったのに』と、自分を責めていると最後書いて終わってましたが、決して、高明ちゃんのせいじゃないのに、自分を責めるようなことに毒ガスのせいでなるのはひどい。」

 「僕たちと同じくらいの年の子たちが何らかの形で(この時には、日本が条約違反の発覚を恐れ、遺棄したことは学んでいません)残った毒ガス(マスタードガス)のせいで、体に大きな傷を負って、本当に悲しいことだと思うし、残念だと思う。それに12歳の女の子が、自分がおてんばだったからという理由で、一生悔やんでも悔やみきれない気持ちになるなんて事はあってもならないと思う。」など。

 被害のあった毒ガスは、日本の大久野島で製造されたものです。子どもたちは、その後、高明ちゃんたちはどうしたのか。中国で捨てられた毒ガスは、まだ中国にあるのではないか。日本で毒ガス製造にたずさわった人たちに被害が出ていることなどを知りたい。日本でも毒ガス事件があったという事実をもっと知りたいなど、今後も課題をもって学んでいます。ぼく自身、もっと学んでいきたいと思っています。

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