桐朋小だより

2020.4.21

全学年

ゆっくりとした時間

東京で生まれ、九州で育ち、大学進学を機に東京に戻りました。

子どものころから鉄道が好きで、自宅から最寄り駅までの道すがらに捨てられている『切符』を拾い集めていた時期もありました。教室で子どもたちに話すと、「何それ~」「汚い~」などと言われてしまいますが…。

九州に帰省する時、寝台特急「富士」号を利用していました。飛行機を利用すれば4時間くらいの時間で済む移動を、わざわざ14~15時間かけていました。ガタンゴトンと車輪が刻む音と揺れに身を任せながら過ごす時間。駅弁を頬張り、好きな本をのんびりと読む時間。こんな移動の仕方を選択する私を、友人や家族は「なぜ寝台車?」と怪訝そうに見つめます。1分でも早くという世の流れに逆行するような時間の使い方は、時代と共に淘汰されていきます。

目的や目的地(行き先)は変わりません。違うのは移動手段であり、時間の使い方(かけ方)です。早さ(速さ)を大事にするために、なくしてきたものがあまりにも多いような気がしてなりません。

1月に手術を受け、主治医からたくさん歩くように促されました。歩くことが嫌いではなく、目的がない歩きは出来るだけ避けてきました。でも、歩き始めると意外にも発見が多く、というか、やはり「車」という早い(速い)乗り物に乗って移動するがために、見えなかったもの、見てこなかったものがあまりにも多すぎたのだと感じました。

早さ(速さ)を否定するつもりはありません。ゆっくりとした時間の使い方・過ごし方『も』、ぜひ大事にしたいなぁと思っています。

目に見えないウイルスとの闘いで、日々緊張し、疲弊し、そしてお子さんの今後を心配される保護者の方がたくさんいらっしゃることと思います。いつもと違う時間を長く過ごす子どもたちも、戸惑っていることと思います。

人間は欲張りな生き物なので、ない物の方を求めがちです。学校生活がある時は、下校時間まで目いっぱい遊びながら、何とかして塾や習い事の時間を工面して、取り組むことができていた日常がありました。今は、場所の制限がありながら、時間はたくさんあります。この『時間』をどう使うのかを考える力こそが、日常に戻った時の力となって発揮されるのだろうと思っています。見失ってきたものを見つめ直し、新しいものを発見する時間にすることが出来れば、どんなにか頼もしい力になるのではないかと思います。

教室に、校庭に、子どもたちの声がないのはとても寂しいですが、学校生活が始められる日に、満面の笑顔の子どもたちに会えるのを楽しみにしたいと思います。

1枚目の写真は、寝台特急「サンライズ」号の車内。2枚目は、散歩の途中に見つけた遊歩道の柵の飾り。3枚目は、卒業生に紹介してもらいはまっている小説。去年の半ばから読み始めて、12冊目になりました。

 

  

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