2020.8.6

世界や日本の平和について積極的に考え合おう [Ⅱ-235]

◆8月6日、6年生の子どもたちと〈戦争と平和〉について学んでいます。小中学生が「人間が人間として大切にされる生活や社会を一所懸命に考えて綴った作品」(「戦争展」「忘れたころに…」「戦争に行ったおじいちゃん」「戦争反対」「平和という幸せ」など)を読み合い、感想を交流します。

平和という幸せ   青森6年 佐々木裕佳

欲張りな私/服がほしい/くつがほしい/その他にも/文ぼう具、CD、マンガなど

あげくのはてに/グランドピアノや部屋の広さ、/視力まで/次から次へと出てくる欲

だけど、ある日/テレビの映像に目を疑った

戦争で家を焼かれた人々の群/砂ばくのテントの中で/とほうにくれている姿

病院で泣いている子供たちの/悲しげにゆがんでいる口/不安そうな目

もし私が/この人たちだったらどうだろう

ほしいものはきっと一つ/「平和」

この生活から抜け出したい/幸せになりたい/それだけだと思う

そう考えた時/私のほしいものは/なんてちっぽけなんだろう

この平和な日本に住んでいられることが/最高の幸せなのに(出典『子どもたちの日本国憲法』村山士郎編、新読書社)

戦争や平和について、自分の考えをしっかり持てるようにしていきたいです。

ここからは、7月31日発行の『初等部通信』に書いた内容です。

◆しぜんひろばに植えた《被爆アオギリ》を見たことはありますか? 時々しぜんひろば委員会の人たちと《被爆アオギリ》の周りの草むしりをして、少しずつ大きく育っているのを見ています。

しぜんひろば委員の人が作った看板には、「広島に原子爆弾が投下され、爆心地から約1.3㎞はなれたところにアオギリの木がありました。幹の半分は焼けてしまったけれど、芽を出しました。そのアオギリの子どもです。」と紹介されています。(「広島逓信局の中庭にあったアオギリは、熱線に焼かれ、爆風に幹の半分をえぐられました。ところがその傷を自ら包み込むかのように新しい樹皮を張り、1973年に今ある場所に移植されました。実生の若木も隣ですくすく育っています。」「三登さんを語り部へ導いた沼田鈴子さんは、22歳の時に職場だった逓信局で被爆しました。崩れた建物の下敷きになり、左脚を失った上に婚約者の戦死の報に触れ、一時は自殺を考えました。/そんな時、職場の中庭のアオギリが、傷ついた幹から懸命に細い枝を伸ばして新しい芽を吹く姿を目に留めて、生きる勇気を取り戻すことができました。」(この部分は東京新聞社説2020年8月6日より)

2019年、広島修学旅行で被爆アオギリをいただいてきました。平和を願ってアオギリを大きく育てたいです。一人ひとりが平和を希求し、平和のつくり手として社会に参加できるような根っこを育ててほしいです。

◆『さがしています』(童心社)

アーサー・ビナードさんが作ったこの本(8月6日、6年生「図書の時間」に紹介)には、8と3を指したままの時計、破れた軍手、曲がったお弁当箱、形の変わったビー玉などの写真(岡倉禎志撮影)出てきます。その一つひとつの「もの」がカタリベとなり、言葉を発しています。

 広島修学旅行では、広島平和公園のレストハウスの見学を。右の社説に、平和公園碑めぐりでお世話になった三登さんのことが書かれていました。

◆遊んでいた小・中学生らに被害

2004年、中国で小・中学生が裸になってどろんこ遊びをしていました。中学生の周君が土手に鉄の固まりが刺さっているのを見つけ、引き抜いてみました。中から黒い液体が飛び出し足にかかりました。黒い液体がついた皮膚は腫れあがり大きな水ぶくれが出来ました。痛くて痛くて仕方がありません。

後に、遊んでいる時に毒ガス(黒い液体)に触れたことがわかりました。その毒ガスは、日本が戦争の終わった時(1945年)に秘密にして捨てたものでした。戦後60年たっても、子どもを苦しめます。(戦争における「加害」について、2学期に学びます)

◆日本の子どもたちの声から

かわいそうな ぞう   熊本県小学1年 いしい たく

三とうのぞうが ころされた。/えさを たべさせなかった。/どんなに おなかがすいただろう

はなで はたをもって/ばんざいした。/えさをくださいと/ちからいっぱいした。

たおれそうに きつかっただろう。

ころしたくなかったけど ころした。/からだのなかに 水がなかった。

かわいそうな ぞう/せんそうを しなかったらよかった。(1984年)

 

せんそう   神奈川県小学2年 岸 奈津子

ゆみちゃんはすごいな。/せんそうがきらいだからって/せんそうの詩を書いちゃうんだ。

わたしは、/せんそうがきらいだから、/せんそうのことは/かんがえないようにしているのに。

「また、せんそうがおこるかな。」/と、思うだけで/ぞっとする。(1989年)

どちらも、前出『子どもたちの日本国憲法」より引用 以下の写真は、7月末の幼小の様子から

◆現在、世界には核兵器がたくさんあります。

日本にはありませんが、兵器があります。

核兵器廃絶国際キャンペーンが、「核兵器国における核兵器と医療ニーズを比較」したものを発表しています。それによると、フランスが核兵器にあてた費用では、集中治療室のベッド10万床、人工呼吸器1万台、看護師2万人、医師1万人の給与を賄えます。イギリスは、ベッド10万床、人工呼吸器3万台、看護師5万人、医師4万人の給与を賄えます。アメリカは、ベッド30万床、人工呼吸器3・5万台、看護師15万人、医師7・5万人。

日本の防衛費のうち、戦闘機、武器などの費用では、集中治療室のベッド1・5万床、人工呼吸器2万台、看護師7万人、医師1万人の給与を賄うことができるそうです。

新型コロナ禍で感染がひろがる中、社会を守りつくっている人たちを大切にして、「武器から人へ」ということが求められていると思いますが、皆さんはどう考えますか。

◆現在の日本国憲法

「こんどの憲法では、日本の国が、けっして二度と戦争をしないように、二つのことをきめました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戦力の放棄といいます。『放棄』とは、『すててしまう』ということです。しかしみなさんは、けっして心ぼそくありません。日本は正しいことを、ほかの国よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。

もう一つは、よその国と争いごとがおこったとき、けっして戦争によって、相手をまかして、じぶんのいいぶんをとおそうとしないということをきめたのです。おだやかにそうだんをして、きまりをつけようというのです。なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、じぶんの国をほろぼすようなはめになるからです。(後略)」(文部省『あたらしい憲法のはなし』1947年作成)

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