卒業生へのインタビュー [Ⅱ-265]
先月、卒業生の内藤智文さん(スキージャンプ選手、小学校46期)にインタビューをさせていただきました。夢に向かって歩んでいる姿が素敵でした。
内藤さんより
小学生の時は、走るのが遅く、体育が好きではありませんでした。運動神経は良い方ではありませんでしたが、いっぱい遊びました。グランドも広く、体育館やしぜんひろばもありました。授業では、キューピーに工場見学に行ったり、広島修学旅行に行ったり、目で見て実物に触れる経験をしたことはとてもためになりました。自分の目で見て、自分で考えることは、ジャンプ競技にも役立っています。
ジャンプ競技との出あいは幼稚園生の時に長野オリンピックを見に行ったことでした。それに触発されてジャンプを始めました。桐朋幼稚園の誕生会で、スキージャンプの選手になりたいという夢を話したことを覚えています。(内藤さんは、「夢への道のりを描く」ことや「好きなことをいくつも持つ」ことを大切にしてきたと話していました。)
小学生、中学生の時、毎年スキージャンプの大会に出ました。毎冬、北海道の下川町に合宿に行っていた縁で、高校からは下川の高校に通いました。人口は三千人ですが、葛西紀明さんなど多くの選手を生んだ町です。高校、大学と北海道でジャンプ競技に打ち込みました。でもオリンピックは遠い世界でした。
大学卒業の時に、茨城県で四年後の国民体育大会(国体)に向けてジャンプの選手を探していると知り、大学院に進むのではなく、働きながら社会人選手の道を選びました。国体で結果を出すことを目標に練習を重ねました。社会人三年目になって結果が少しずつ出て、ワールドカップに出場したり、韓国の平昌オリンピックにテストジャンパーとして加わったりしました。日本のトップ選手に並んだのです。自分でも驚きでした。幼稚園の頃からの夢が実現したのです。(100~142.5m、4~5秒間空中にいるそうです。「思ったよりも短い時間」だそうです。気持ちいいジャンプだった時には、からだが後ろから持ち上がり、「うお~、いったあ」と、心の叫びがあるそうです。)
社会人になって大きかったことは、練習の計画や方法などをすべて自分で立てなければならないということです。また、自分だけでなく、多くの人の期待を背負って取り組んだことも大きかったです。フルタイムで仕事を持ち、時間の制約の中で競技を続ける。何を大切にするか、どうすれば無駄を省けるか、真剣に考えました。それが自分を高めることにつながったのでしょう。
今は北京オリンピックをめざしています。十月の大会で出場権が得られるかどうかです。あと数か月でどうすれば競技力を上げられるか、毎日それを考えています。ただ、オリンピックだけでなく、もう一つ大きな夢があります。それは世界で一番大きなジャンプ台で飛ぶことです。ワールドカップでは250mのジャンプ台もあり、そこで飛ぶことが小学生の時からの夢です。
ありがとうございました。内藤智文さんを応援する卒業生、卒業生のお母さん方のお話も伺えてたいへんうれしかったです。
この間、卒業生から話を聴く機会が増えました。どんな人生を歩まれているのか、桐朋での生活ではどのようなことを大切にしていたのかなど、教えていただいたことをコラムに掲載していきます。