その子その子が、いまを生きる [Ⅱ‐274]
幼稚園の園庭に、ビワの木がある。セットバック工事の際、園庭の端っこにあったビワを伐採しなくてはならないか移植するかで悩んだ。それまで子どもたちは木登りに使い、葉や実をいただいてきた。
木登りの木について、後悔したことがある。ビワの木に向かって斜めに生えた木があり、そこを登っていくとビワの木に移れて、挑戦する子がたくさんいた。ところが斜めに生えた木が倒れてしまう危険がわかり、安全のために切られてしまった。事前に、子どもたちに伝えられず、子どもたちは突然なくなってしまい悲しんだ。子どもたちに申し訳ないことをしてしまった。謝った。
やはり、根づくかどうかわからないと言われても、移植することを選んだ。夏の間、毎日水をたっぷりあげた。子どもたちは登らないでいた。ビワの葉が大きく育ち、実をつけてくれた。
実を採りたい子どもたちは、ビールケースを逆さに積み上げ、先生、友だちに支えてもらい、順番を守りながら、登って実を採ろうと試みる。登る勇気のある子に、憧れを抱く子がいた。採ろうと試みる過程に豊かさがある。
年中の子が、高いところまで登り、実を採った! 周りにいた保育者が持って降りるのを危険と考え、実をあずかると声をかけたが、その子はへたを取り外し、投げてよこした。実はしっかり持って放さなかった。その様子から、自分の実、自分が採った実、自分が高いところまで登って採った実という強い気持ちを感じた。
今年のレモン、ムクロジも育っています
暑い時期、子どもたちはペットボトルに水を入れて遊ぶ。ペットボトルに土を入れて遊んだりもする。土を入れるとなかなか取れない。水遊びで使いたくなっても、土が取れなくて困った子から、とってほしいと言われた。取ろうとして思い切り振ってみたり、木の棒でほじくり出そうとする。その様子がたのしそうと感じたのか、その土入りペットボトルをどうしてもほしくなった子がいた。その子はペットボトルを持っていってしまう。返してほしいと何回か言うが、返してもらえない。そうしたやりとりをしているうちに、その子がいなくなった。その機会に土入りペットボトルを取り戻そうとした。
その子は部屋のロッカーから、自分のペットボトルを持ってきた。その子にとって、土がつまったボトルは魅力的だ。だけど、それは自分のではない。土を取って水鉄砲として遊びたい子の気持ちも考えた。そして、自分のペットボトルを持ってきて渡すことにしたと思う。
わたしのかぞくがいるんだ
保育をしていて、心がふるえる瞬間がたくさんある。忘れず記録しておきたい。
22日、しぜんひろばの手製ブランコのロープを新しくしました。3年生の人たちが座るところを直してくれました。3年生の人たちは、3歳(たんぽぽ)さんの乗りたいという気持ちを聞いて、新しいブランコに乗せてあげました。