桐朋小だより

2021.12.15

6年生

東京で、広島で、平和を学ぶ

桐朋小学校の修学旅行は、平和を学ぶ旅です。

間もなく広島を訪れる6年生は、事前学習に勤しんでいます。

先日は被爆2世の山岡さんをお迎えし、原爆についての科学的な理解を深め、平和記念資料館を訪れる際の「視点」をたくさんいただきました。

そして、昨日は大久野島の毒ガス製造について長年研究されている山内先生に、Zoomを通じてご講演いただきました。

6年生からたくさんの質問が出されました。いくつか紹介します。

・どうして、毒ガスについて伝えようと思ったのですか?

恐ろしさを知らないと、また再び使われてしまう。みなで声を出さねばいけないと思っているから。

・毒ガス製造の秘密は、どのように分かったのですか?

公になっていないだけで、アメリカ軍はじめ、いろいろな国が日本軍がここで製造していることは知っていたようだ。

・終戦後にみつかった毒ガスの被害者はどのくらいいますか?

中国では3千人以上。日本でも隠されたり、捨てられたりした毒ガスで7~800人の方が被害にあわれている。

・毒ガスで汚染された空気につつまれた島は、いつ、きれいになったのですか?

製造を終えて76年たっているから、自然はほぼ戻っている。生き物や草花、海藻などの影響はみられない。毒ガス製造の時の土が地下に残っているから、そこを通る水は汚染があるかもしれない。だから、今も島で使う水は別のところから運んでいる。

・なぜ大久野島に毒ガス工場ができたのですか?

1923年ごろは、新宿に陸軍の工場があった。大きな工場が必要になり、震災などもあったことから別の場所をさがした。35か所の応募がある中、周囲4キロの島だから秘密が守りやすい事、周りに住宅地がない海であることから大久野島が選ばれた。

・大久野島はもともとはどんな島でしたか?

昔は無人島。室町時代ごろ、海賊の見張り役の人が住み着くようになった。明治に要塞が作られて22門の大砲が置かれ、限られた人が農業をしていた時期もあった。

・毒ガスの防空壕というのは、どういうものですか?

人間ではなく、毒ガスの保管を目的にあちこちに防空壕を作った。50か所くらいあったようだ。女学生、中学生なども働いていたが、避難の際は山のすそ野に1,5メートルくらいの穴を各自で掘って、その中に隠れるという指示があったようだ。

 

修学旅行最終日、この島を訪れる子どもたちに、こんな言葉をいただきました。

「現地資料館のそばに幹部用防空壕があります。そこの説明文をよくみてください。幹部用のコンクリート造りのもと、女学生たちが避難する穴の粗末さ比べても、戦争というものは決して国民のためのものではない、ということがわかるはずです。」

延期された修学旅行は例年よりもタイトな行程ですが、こうした事前学習によって現地での気づきが深まることを期待します。

一覧に戻る