『あのね 親と子の会話集』を読んで楽しくなりました [Ⅱ‐316]
『あのね 親と子の会話集』~今年度、どんな「あのね」が生まれているのか、楽しみです~
毎年、幼稚園の全家庭に書いていただく「あのね」。
夏休み前、『あのね』担当の保護者の方から、「子どものことば」「親と子のかかわり」などについて何か書いてほしいと言われました。(このことは、また別の機会に)
書く前、3冊の「あのね」を読みました。1986年度版は、私が小学校で担任した子どもたちのもので、たいへんなつかしく思い出しました。子どもと親、きょうだい、祖父母らとのかかわりから生まれる子どもの気持ちや行動、保護者の受けとめを、いいなあ、おもしろいなあと思いました。2つ紹介させていただきます。
〇月×日/冷ややっこの花かつおを指して
子「これおどるよ。」/母「え~~っ、ほんと!」
醤油をかけて/子「ほらっ、おどった。おどった。」
母「〇〇君は、大きくなったらだれと結婚するのかしら。」/子「ぼくは、Aちゃん、Bちゃん、Cちゃん」
母「だけどその中の一人なのよ。」/子「じゃー、Aちゃん」
母「あーそー、〇〇君が結婚したら、ママ達と別れて暮らす様になるわね。」
子 びっくりした顔をして/「いやだよ。じゃー結婚しないよ。いつまでもパパとママと一緒に暮らすよ」
私にしがみついてきました。
いつまでこの様な事を言ってくれるでしょうか?
続いて、3冊の『あのね』に、大場牧夫先生(初等部誕生時の専任教員)が書かれていたことです。「子どものことばに耳を傾ける」、「ことばとして言えるかどうかの問題ではなく親と子・先生と子の間にそんなことが言える気持の結びつきがあるということが大切」、「まず「生きたことば」を大切にしたい」など、大事なことに改めて気づかされました。
1986年度版 「あのね うんとね きょうね …」なかなかスムーズに次のことばがでてこなくて 聞いているほうがもどかしくなるようなことば/ちゃんと聞いてもらえるまで ひつこくつきまとって いい続けることば/ことばではいってないけれど 顔や動きで「あのね…」といっている それもことば
でも なかなか通じにくいものです 子どもは伝えたいのに おとなが受けとめないことが多いからです/親も教師も 子どものことばに耳を傾ける必要があるのです ほんとうに子どもを理解するためにも」
1987年度版 「小学校一年生の作文に「せんせいあのね…」と書き出すことを大事にする時があります。自分の感じたこと思ったことを文章で表現する始まりの時です。
この「あのね…」は話すことばとしては幼稚園時代に大事なことです。それはただことばとして言えるかどうかの問題ですなく親と子・先生と子の間にそんなことが言える気持の結びつきがあるという大切な事です。
家庭生活での子どものことばや会話の記録はその意味で宝物のように感じます。この子どもたちが青年期に入りはじめる時にあるいは親子の会話がぎくしゃくすることがあるかもしれません。その時になってあわてないために心の結びつきのことばを大事にしていきたいものです。」
1989年年版 「「ことば」も正確な表現よりも まず「生きたことば」を大切にしたい。それは気持ちの「表わし」であり、イメージの「表わし」であり、子どもなり、その人なりの「表わし」として大事なのだ。「あのね…」は家庭生活での親と子の「生きていることの表わし」だと思う。それが「手書き」によって楽しく伝えられている。」
話は変わって、最近、中村桂子さんの『科学はこのままでいいのか』(筑摩書房)を読みました。「科学を自分の生き方や社会のありようと関連させながら考え」、「科学が明らかにする事実を生き方につなげていける」ことを書いた本でした。そして、人間とは何だろう、どのように生きていったらよいのだろうか考えさせられました。学んだことの中から、2つを引用させていただきます。
「人間、つまり生きものにとって大事なのは過程(プロセス)なのです。生きるということは時間を紡ぐことであり、その過程の一つ一つに意味があるのであって、先を急いでは本当に生きていることにはなりません。」
「生きものとは手のかかるものなのです。」「手をかける/かけられることから生まれる豊かな関係が、生きものにとってはとても大事なことなのです。そこではたらくのがこころであり、愛情です。この関係がうまくいかず、憎しみが生まれることもあるのが難しいところであり、生きることの大変さですが、そこを乗り越えて生きていくところに生き甲斐が生まれます。」
『あのね』には、「過程」が書かれ、「愛情」が伝わってきます。