学園で戦争と平和、人権を学び、考え合う時間をつくりたい➀[Ⅱー321]
ミャンマーでの軍による人道危機、シリアはじめ世界各地での悲惨な状況、そして2022年2月にはじまったロシアのウクライナへの侵略。プーチン大統領は核兵器を脅しに使う。私たちは侵略、紛争、戦争、核戦争をリアルに感じる現実を生きている。それに対して、私は「無力」を感じながら、この状況を受けとめて教育実践をつくりたい。地球市民として平和への声をあげていきたい。
5、6年生が、桐朋学園大学のホールでオーケストラの演奏を聴かせてもらいました。学生さん、先生方、ありがとうございました。
桐朋学園において、小学校高学年くらいから大学生まで、戦争と平和、人権について学び、考え合う時間をつくりたい。たとえば、戦争の悲惨さを伝えること。戦争になるとどういうことが起こるのかを知ること。
小学校では、1996年から広島修学旅行に取り組んできた。被爆者の久保浦寛人さん(当時19歳。爆心地から2.1㎞の広島駅で被爆。広島平和記念資料館被爆者証言ビデオを見てほしい)、幸元省二郎さん(当時7歳。爆心地から1.5㎞の稲荷町で被爆。被爆者の声〝被爆を語る〟を見てほしい)たち被爆者、大久野島で毒ガスの製造をした村上初一さん(毒ガス資料館初代館長)などたくさんの方から体験を聞かせていただいた。今年は、平和ガイドの方と平和公園碑めぐり、笠岡貞江さん(90歳)より被爆証言を聞く、平和資料館見学をするなど、現地で被害の実態を知り、感じ、考えた。また、加害の実態を大久野島で学び、大久野島から平和と環境を考える会の山内正之さんの講話を聞いて平和への思いを強くもった。6年生は学んだことをまとめ、5年生や保護者らに語り伝えていくことを通して自分(たち)の平和をつくる取り組みをすすめる。
6年生平和学習の取り組みとして、夏休みに祖父母や親戚から戦争体験を聞き、まとめ、クラスで学び合った。東京大空襲の体験をMさん(本校元保護者、桐朋短大卒業生)たちから保護者と一緒に聞いて話し合った。広島より被爆証言の会、被爆体験伝承者で被爆2世の山岡美知子さんに来校(国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 被爆体験伝承者等派遣事業)していただき、原爆の実相、お母さんの被爆体験などを聞いた。
私たちは戦争の悲惨さを学ぶことを大切にし、「東南アジアにおける重要戦略資源の軍事力による獲得」(吉田裕『アジア・太平洋戦争』岩波新書)の国家意思のもとでの加害の実態も大切に学ぶ。日本の戦争責任は、アメリカを中心にした主要参戦国が対日賠償の請求権を放棄し、極東国際軍事裁判の戦争責任問題に関する直接的言及はないなど、加害の歴史を見えなくさせられてきた。
戦争が起きると、自分たちや相手の生活、人生がどうなってしまうのかを知ることが大切である。修学旅行で行った大久野島では、毒ガスが製造され、その毒ガスを中国で「少なくとも2000回使用し、8万人以上の人たちを毒ガスで殺傷」(山内正之『大久野島の歴史 三度も戦争に利用され 地図から消された島 毒ガス被害・加害の歴史』大久野島から平和と環境を考える会発行)した。毒ガスは国際条約で使用禁止のため、秘密に使われ、敗戦後、国際条約違反の毒ガス使用を隠すため証拠隠滅が行われた。2000年代に入り、中国では道路工事、建物建設工事、下水道工事などで、土地を掘ったりしている時に、日本軍が証拠隠滅のため中国に遺棄した毒ガスが出てきた。当時、それが毒ガスとは知らず、亡くなった人、健康を害し、高い医療費負担、働くことができなくなって生活が困窮するなどが起きた。毒ガスのついた土とは知らず遊んでいた劉浩さん(9歳)、馮佳縁さん(10歳)、高明さん(12歳)、蓋尊旭さん(12歳)、周桐さん(13歳)ら子どもたちが被害にあった。その後、被害を受けた人たちが、毒ガス事件の様子や被害者の気持ちを訴えるために訪日した。「少し歩いただけでも呼吸が苦しくなって、疲れてしまいます。…大好きな歌も、すぐにのどが痛くなって歌えなくなりました。…大きな水ぶくれが気持ち悪いといって、友だちが遊んでくれなくなりました。…」と、馮さん(当時13歳)は語った(化学兵器CAREみらい基金編著『ぼくは毒ガスの村で生まれた。あなたが戦争の落とし物に出あったら』合同出版参照)。次号に続く。
6年生が、地球環境危機について学び、考え合う。