2023.1.25

6年生と「いじめ」について考え合う [Ⅱー328]

文科省の調査「いじめの状況及び文部科学省の取組について」によれば、いじめ認知件数が2014年度以降増加しています。小学校では、2014年度およそ12万2千件が、2021年度およそ50万件になりました。子どもたちは、実際は認知できなくてもっと多いのではないか、上の学年に進むと認知しずらいと思う、などと想像していました。

教材として、『いじめと向き合う』(教育科学研究会編、旬報社)に書かれた中学1年生のクラスであった「いじめ」を取り上げ、「もし自分がこのクラスにいたら」「どんなふうに向きあうか」を想像して、感想、意見を出し合いました。6年生の感想、意見から一部を紹介します。

〇私はもし、イジメというものをみても、注意はできないと思う(複数の人)。被害者と話はできるけど、事件場面をみて止めることはできない。先生に訴えても、効果がないと私は思う。じゃあ、どうしたら、いじめを止めればいいんですか、と私は人に問いたい。

〇ずっと耐えて、標的が変わるのを待っているのでは? もっと大人が気づいて、向こうから話しかけてくれても、その後にどうなるかを想像してしまって「何もない」と言ってしまいそう。

〇もし私がいじめている人を反論した場合、自分が攻撃されてしまったら、嫌な気持ちになります。そして、いじめを自分も相手にやって、のがれる? ような行動はしたくないけど、やってしまったり、そんな学校に行けなくなってしまうかもしれません(複数の人)。もし、いじめられたら、お母さんに相談したいです。いじめられてる同士で、家などに集まり、遊んでもいいかも。

〇僕はいじめを注意してもいじめられるので、先にいじめをしていない人達と友達になってから、いじめられている子と友達となる。そうすれば少し気が楽になると思う。

〇クラスに私がいて、イジメに気づいていたら注意したり、されている人に声をかけたり、教師に話したり、もし自分がされたら無視したり、言い返す。あまりにも酷かったら教師に話したり、スマホや録音機を使ってこっそり録音して教師に提出する。

〇いじめと言うのは、すごくむずかしいと思った。理由は、もしいじめられている人をかばったら、次は自分が狙われる可能性があるから、すごく怖いです。中一のいじめの数が少なかったのは、多分いじめのことを先生が気づいていないからだと思います。

〇ぼくだったら、いじめている人がいたら、それを止めようとしたい(複数の人)。もしそれでも止めてくれなかったら、先生に相談して止められるようにしたい。けど、自分が止めたら自分がやられるとやはり怖くなってしまうかもしれない。

〇今まで、いろいろないじめを見てきて、何だかのこと言ってやめさせてきたけど、中学校のいじめはもっと苦しいと思います。先生が気づかないケースは、B、Dなどの悪口などは対処ができないので、僕だったら、すぐに母に言って〇〇(具体的な場所)とかに逃げて新しい生活をうみ出します。でも逃げるには、前に、なぜいじめられたのか? とか考えて、学校に行ったらいいと思いました。

〇私がいじめにあっている子をみたら、積極的にその子をかばってあげたいです。少しでもストレスをなくしてあげて、学校に行くことが苦しいと言わないで楽しんでいけるようにしてあげたい。もし私がいじめられたら、他の人に迷惑がかからないよう自分一人で対応します。

〇肩に触れただけで「痛い痛い、暴力暴力」と言ってくる男子はこのクラスにもいます。何も言っていないのに、いきなり悪口を言ってきたりするのは違うと思います。注意した生徒が標的になってしまうと、声もあげづらくなってしまい、反撃もしづらくなってしまわないような、誰でも怖がらずに発言できるクラスをつくりたいです。

〇私がもし友子さん側だったら、不登校になって、自分の家(部屋)に引きこもると思います。

〇いじめている子にはあんまり関わりたくなくなると思う。無視すればいい?(複数の人) いじめはよくない。何も言いたくなくなると思う。

〇僕が思ったのは、中学生活が始まった瞬間にいじめられるのは、とても辛いなと思いました(複数の人)。僕だったら、いじめられてる子がいたら、絶対に相談にのってあげる。

〇対策は、授業の時間を使ったり、家に行って話したりする。親といる時がいい? 親に話したり、それが無理だったら、チャイルドラインなどそうゆう所で、いじめを受けていると言う。場合にもよるが、先生に言うのはあまり意味がないと思う。

〇私は、いじめられるのをわかりながら、注意をできるような人ではないから、直接はいじめの人たちに注意できないけれど、そう思っている人全員で、先生と協力して、先生だけに任せて叱ってもらうのではなく、相談し、一緒に解決できるようにしたいな(複数の人)、と思いました。それと、話し合いを重ねることも大事かな、と思いました。


25日朝、しぜんひろばの池は氷で覆われていました。たくさんの幼稚園、小学生の人たちが、ひろばに集まりました

意見を聞き合った後で、本に書かれていた中学生の意見を読み合いました。「クラスで起きているいじめの実態と意味を明らかにしたうえで、これまでクラスで起きていたことをどう感じているか、これからクラスがどうなっていくことを願っているか、自分自身はどうしようと思っているかについて意見を書いてもらい、「みんなの意見集」をつくって一緒に読みあ」った取り組みです。「意見集」から一部引用させていただきます。

□クラスのいじめのつらさ‥、私も経験があるのでよくわかります。やっている人や、自分は関係ないと思っている人がいたとしたら、この気持ちは絶対に分からないでしょう‥。自分がそうなったらどうなるかと、一度考えてほしいものです。受けたいじめはその人の深い心の傷となります。私も時間が経ったいまでも、何かのきっかけでそのつらさがフラッシュバックしてしまうことがあります。それほどつらいことなのです。あのときのつらさは経験者にしかわかりません。そんなとき支えてくれたのは友だちでした。いじめはもうやめてください。

□一方でだれかがいじめをすると一緒にそれを楽しむ人もいる。だれかが標的になれば自分に危害が及ばないから、または自分のストレスのはけ口にしているのだと思う。いじめをすることで、自分は人よりも優位な立場にいると勘違いしている。一人ひとりと接するとみんなそれぞれに良いところがあって、みんなそれなりにいじめられている人を助けたり、止めるためにできることをしている。いじめられている子がいるとそっとめだたないように助けている人、こっそり先生に知らせてひどくならないようにしている人。みていると、やられている人が思いあまって強い言葉で言い返したり、にらみ返したりすることもある。でも、それは決して好き好んでしているのではなく、ある程度言い返さないと「こいつはいじめやすい」となめられてしまい、それが次のいじめにつながると考えるからだと思う。このクラスは、ある限られた人たちによって荒れている。そして、本当の気持ちを言えずに苦しい思いをしている人たちもいる。

□いじめをしている人たちには、自分では解決できない何かがあるのだと思う。他人には言えない、分からない大きな問題なのかもしれない。そのことを追究することはできないが、その問題でクラスが荒れてしまうのならば、少しでも良くなる方向にいくように考える必要があると思う。

⇒この意見にある「自分では解決できない何か」「他人には言えない、分からない大きな問題」って何かを子どもたちは想像しました。家族間で、親が子に何かをしているのではないか。「虐待」「ネグレクト」があるのではないか、など意見が出ました。

一人ひとりが声をあげ、聞き合ってお互いの思いを共有する、発せられた声が学級や学校の雰囲気をかえていくことの大切さを感じてほしいと思いました。

この間、石井光太さんの『ルポ 誰が国語力を殺すのか』を読みました。既読した先輩教員からは、序章に書かれた「『ごんぎつね』の読めない小学生たち」をどう捉えますかと聞かれ、子どもたちの生活経験、物語を想像することについて改めて考えさせられました。

石井さんは、序章で、子どもたちの育ちの課題を「一つの物事の前に立ってじっくりと向き合い、そこから何かを感じ取ったり背景を想像したりして、自分の思考を磨きあげていく力」とし、「クラスメイトに対する暴言に関しても同じだ。今の子供は好ましくないことが起これば、二言目には「死ね」と吐き捨てる傾向にある。言われた側が、その言葉をどう受け止めるかを考えていない。だから相手が深く傷ついて学校にこられなくなっても、自分が原因だと考えられない」などの子どもの実態をとりあげます。そして「国語力」を育てることの大切を述べます。その「国語力」とは、「人間が生きていく上であらゆることの基礎となる力」「見知らぬ世界を我がこととして想像し、他者の心のひだまでを感じ取り、自分の考えを整理し、相手につたわるように適切な言葉で発信していく。それは人間が広い社会の中で独り立ちして生きていくために必要な全人的な能力」などと言います。

「いじめ」を他者に対する想像力、感情の育ちなどとつなげて考えると、学校において、人と人とのかかわり、実物や本物に触れること、「感じる」「想像する」「表現する」ことをもっと大切にじっくりと育てる必要があると思います。

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