2024.1.10

2024年は、子どもの権利条約を批准して30年の年 [Ⅱ-377]

子どもの権利条約は、1989年、国連総会で採択され、日本では1994年に国会で批准し、世界で158番目の締約国となりました。その内容を簡単にまとめます。

【子ども】は、あせらずゆっくりたっぷり自分(たち)らしく子ども時代を過ごそう。

【権利】とは、人間として誰もが持っていて当たり前のことです。たとえば、「安心」、「自由」、「自信」などです。「安心」とは「心が安らか」で「いのちの危険や病気になっても治療が受けられるなどの不安がな」いこと。「自由」は、「自分の考えが大切にされ、行動できる」こと。「自信」は、「自分のことを価値ある存在として自分自身を認められること」です。

【条約】は、国家間で取り交わした約束事のことで、重い意味を持っています。

 日本では批准後、残念ながら「国連子どもの権利委員会」より、「「子ども期」、子どもの意見表明権、「子どもの保護」において、国家の責任と義務を再構築すべき」などと、政府に改善を求められてきました。「子ども期」を大切にしているかを、批准後30年の本年に再考する必要があります。

 

元園長・校長の宮原洋一さんは、『もうひとつの学校』(写真・文 宮原洋一、新評論。白黒写真は宮原さんの本から引用)において、日本の「子どもの自由が奪われてきたのではないか」と述べています。宮原さんはこの本で、子どもの命の輝き、「子どもたちのあそびのパワー」を存分に伝えられていました。

しかし、そのパワーが喪失されてしまったと捉え、「このパワーこそが人間としての根っこをたくましく育んでいたとするなら、この喪失は子どもの発達にとって大きな問題であり、『子ども史』のなかではかつてないことでした。」と課題を示します。

そして、「子どものあそびのコミュニティーがないところでの学校教育は、脆弱な基礎の上に家を建てるようなものです。逆に言えば、このベースを欠いたところでは学校教育はうまく機能しないのではないでしょうか。あそびが子どもの発達にとって不可欠なものだとすれば、その素地ないに初等教育は成り立ち得ないからです。」と述べています。

この現実と課題に対して、宮原さんは「ひとつの解決策として、『もうひとつの学校』(写真と文で示した子どもの姿―中村)が子どもたちの発達のなかで果たしていた役割を再評価し、それを子どもたちの発達にとって不可欠のものとして位置づけることです。」と提案します。それから、「この一つの試みとして、東京都調布市にある私立桐朋小学校には子どもたちが『しぜんひろば』と名付けたあそび場があります。1999年の秋、草が茂り、木登りができ、小さな池と人工の小川がある広場が校地の一角に誕生しました。/子どもたちは、放課後にこの『しぜんひろば』でモミジの大木に登ったり、基地をつくったり、穴を掘ったりと、本書で尋ねた『もうひとつの学校』の子どもたちと同じようなあそびをはじめました。」と、桐朋小学校の試みを伝えられました。(下の写真は、2005年に宮原さんがしぜんひろばで撮影)

まとめとして、「このように、校庭のいろいろな場所に子どもが自由にあそびを展開できるような「場」をつくることがまずは必要ではないでしょうか。学校の塀を逆利用して子どもたちの解放区をつくり、かつてのような空き地を主体としたあそび場を校内につくるのです。どの小学校にも、地域の環境を生かして、こうした『もうひとつの学校』を実現させることは可能なはずです。」、「何と言っても、子どもたちがこうしたところで[あそびきる]ことが重要です。中途半端にではなく、子どもが心ゆくまであそびきることで、将来、自らの力で人生を生きていくための根っこが育まれていくはずです。」と述べていました。

宮原さんが撮った子どもの活き活きとした姿、様子を受けとめ、子どもの「時間」「空間」「かかわり」づくりをどのようにつくっていくのか、ひろげていくのか大きな課題として受けとめています。

*ユニセフは、「生きる権利」「育つ権利」「守られる権利」「参加する権利」の4つに分けて説明。

*子どもの権利条約とは、18歳未満のすべての人の安心、自信、自由という人権を守ること、生きる、育つ、守られる、参加する、という子どもの権利について世界中のぐ国々で交わされた約束事であり、約束した国はその国の法律を変えてまでそれを尊重しなければならないもの(宮下聡に学ぶ)。

1月、能登の地震に際して、「家を壊された子は、カバンも学習道具もなくしてしまい、悲しんでいるのではないか」、「地震や津波の恐怖。おびえ心を閉ざしている子はいないだろうか」、「親を亡くしてしまった子はどうしているだろう。避難した場所で寒さに震えていないだろうか」などと考えて過ごしています。東日本大震災では、福島県渡利にあるさくら保育園とつながって、子どもたちに必要なものをできる限り送ることをするなど、私たちができることに取り組みました。能登地方の子どもにかかわる場所に連絡をとっています。

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