2024.3.5

PTA講演会で話したことから [Ⅱー382]

PTA講演会の資料に入りきらず、話をさせていただいたことから2点について書いてみます。

(1)自己肯定感とたくさんの命とのつながり

自己肯定感を自分(たち)という視点から大切にするのと同時に、自分とつながるいろいろな命、その命に生かされているという視点も大切に持ちたい。たとえば、私たちのからだは、自分以外のたくさんの命によってつくられていることをお米で考えてみる。お米はイネ(植物)がつくる。イネは、日光、水、空気(二酸化炭素)、土(の養分)などからつくられる。そのお米を食べているのだから、たくさんの命とつながり、たくさんの命によって生かされている。イネからお米、お米からご飯とかわるには、人、道具、技術、文化、科学、歴史なども加わる。そこには、「時間的普遍性」「空間的普遍性」の積み重ねがあり、そのことによっても私たちは生きることができる。私たちは生かされていると言える。そうしたことを実感する、学ぼうという提案。[経験、実感をもとう。学びをすすめよう]

    左 園庭に桐とモミジを植栽。子どもたちと大きく育てていきたいです

(2)情報化社会のなかでの課題 ~「読む」を取り上げて

保護者の方からは、事前に、「生まれた時から当たり前のようにある、スマホなど今や避けられないものとの付き合い方」を話してほしいと言われた。このことに関して、私の問題意識、「付き合い方」とは別の課題を設定し、考えを率直に述べた。

「情報化社会」が効率性や利便性、即効性を求めているのではないか、私たちは執拗に「一瞬で新しくなる情報」から成る「現在を追いかけ」ていないか。そして「私たちの注意はどんどん短い間隔に切り刻まれており、それはおそらく物事を深く考えるにはよくないこと」などを、立ち止まって考え合いたいと話した。

子どもたちへの影響も伝えた。「目はますます落ち着きがなくなり、…次から次へと刺激を求め、その「注意の質」はいつのまにか悪化しつつあり…」、「どんな年齢にも、目に見えない代償があります。Digital刺激がひっきりなしに続けば続くほど、ごく幼い子どもでさえ、機器を取り上げられたときに退屈と倦怠感を訴えます」、「機械は、人間のように疲れないし、感情がない。だから、こちらが止めるまでそれこそ永遠につきあってくれるし、ケンカしてゲームを投げ出すということもない。『疲れたから休もう』とか『君は弱いからいや』などという相手がいないから、コミュニケーションのわずらわしさを調整する能力は育たない」(現在は、コミュニケーションのわずらわしさを調整する能力も育つゲームがあるかも)などの危険性を捉えたいと話した。

効率性や利便性、即効性をもとめる社会のなかで、私たちは「読む」ことの意味と実践を疎かにしていないか。子どもの思考を深める大切さを、今回は「読む」を切り口に考え合いたいと話した。

「読む」ことは、私たちに、〇他者視点の取得 〇世界についての知識を増やす 〇「もっと人間的になることができます」…『ビラヴド』 魂を吸い取るようなひどい奴隷の境遇と、それを強いられる人々の絶望を経験 〇意識を変える側面…希望をなくしてやけになったり、秘めた感情に恍惚と身を焦がしたりすることが、何を意味するのか感じられるようになる 〇感情の理解 〇目の前の現実から内面的な場所へと移す能力…その場所では、年齢に関係なくほとんどの人間のありようを象徴する避けられない重荷、すなわち恐怖、不安、孤独、病、愛情の不確かさ、喪失と拒否、ときに死そのものまで、共有することができる 〇没頭…本の世界でしっかり表現された他者の思考に入り込むことで可能になるものとは、没頭の質。自分とまったく異なる人の考えや気持ちに出会う、理解するようになる 〇共感…他者を掘りさげて理解すること、異なる文化どうしのつながりが強まっている世界では欠かせないスキル などをもたらす。あらためてその大事さを捉えてみたいと話した。「情報化社会」のなかで「読む」こと、思考を深めることはどのようになっているのかを考え合いたい。

「共感」についても触れる。山極寿一は『人類は何を失いつつあるのか』で、「共感とは経験に根ざしたものです。共感という感覚を会得するには、生身の体験と時間が不可欠になってくる。それなのに、いまの効率重視、経済重視の社会は、その機会をどんどん切り捨てていく。体験や時間がかかることを排除していきます。」「効率性を重視した社会に、いまの日本の子どもたちは暮らしている。そうしたなかで、体験に根ざした実感や、共感を抱く機会は著しく減ってしまった。」と言う。

 

(3)皆さんと平和をつくること、地球環境危機を防ぐことを(略)

1~6年生の皆さん、心に残る6年生を送る会をありがとう!

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