2024.8.7

8月6日[Ⅱー397]

8月6日、広島へ原爆が投下され、今年で79年になりました。朝テレビに、本校に来てくださっている山岡美知子さん(平和記念資料館や平和公園をガイドし、被爆体験伝承者1期生として国内外の人たちに被爆の実相を伝えて続けている)が出ていました。続けて、平和記念公園での平和記念式典を見て、投下時刻8時15分に、平和を祈りました。

式典では、広島松井市長が、「皆さん、自国の安全保障のためには核戦力の強化が必要だという考え方をどう思われますか。また、他国より優位に立ち続けるために繰り広げられている軍備拡大競争についてどう思いますか。」と平和宣言を語りはじめました。

松井市長は、宣言のなかで、1989年、民主化に向けた市民運動の高まり、東西冷戦の象徴だったベルリンの壁の崩壊、「われわれには平和が必要であり、軍備競争を停止し、核の恐怖を止め、核兵器を根絶し、地域紛争の政治的解決を執拗に追求する」とゴルバチョフ元大統領の決意、レーガン元大統領との対話で戦略核兵器削減条約の締結の実現などを述べていました。そして、「皆さん、混迷を極めている世界情勢をただ悲観するのではなく、こうした先人たちと同様に決意し、希望を胸に心を一つにして行動を起こしましょう。そうすれば、核抑止力に依存する為政者に政策転換を促すことができるはずです。必ずできます。」と呼びかけられ、心に響きました。

 しぜんひろばで育つ被爆アオギリ2世

続いて、岸田総理大臣は「首相あいさつ」で、「核軍縮を巡る国際社会の分断の深まりやロシアによる核の威嚇等により、核軍縮を巡る情勢は一層厳しさを増しています。しかし、『核兵器のない世界』への道のりがいかに厳しいものであったとしても、我々はその歩みを止める訳にはいきません。」と述べていました。そのことばを聞いていて、総理大臣は、7月に、「『核の傘』を含む米国の戦力で日本への攻撃を思いとどまらせる拡大抑止をめぐる日米閣僚級会合」で話をしていたことを思い出しました。

翌7日の朝日新聞に、岸田首相は「6日の平和記念式典で決意を改めて語った」が、「約10日前に日米閣僚級会合」で「日本が米国の「核の傘」で守られていることを国内外に誇示したばかり」と述べ、「矛盾」を指摘していました。

私たちは、核兵器廃絶をめざすのか、核抑止力に守られることをめざすのか、核禁止に取り組むのか、これからどうしていくかを考え、行動していかなくてはなりません。

 8月7日、しぜんひろば

7日の朝日新聞には、元NHK杉浦アナの記事も出ていました。杉浦さんは、13歳で被爆したお父さんの体験を「家族伝承者」と語っていることや「父は戦争や核兵器は絶対によくないと考える一方、現状を容認する核抑止論者です。娘としては歯がゆいですよね。あれだけの体験をしながらなぜ、って。核抑止の考え方が危ういということをメディアももっと伝えていくべき」などと述べていました。それから、「暴力を絶対的に否定するには、暴力を憎しみを持って否定するぐらいの強さがないと、安易に武力に頼りたくなる。それを自覚するためにも、原爆を含めた被害だけでなく、日本の加害の歴史を見つめることが必要です。『自分たちが正義である』という戦争はない、と知らなければいけない」と述べていました。なぜ加害の歴史を見つめるのかを考えさせられました。

8月、いろいろな機会に、平和について考えていきます。

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