奈良教育大学の戦争遺構[Ⅱー398]
8月9日~12日、奈良教育大学、奈良教育大学附属小学校での研究会に参加しました。
12日、奈良教育大学戦争遺構保存会(以下、戦争遺構保存会)の学生さん、先生方が学内の戦争遺構を案内をしてくれました。たくさんの学び、発見がありました。戦争遺構保存会の皆さん、ありがとうございました。
戦争遺構保存会の方のスライドより
【弾薬庫】 下の写真。現在、弓道場の横に、イギリス式レンガの積み方をした「弾薬庫」だった建物が残っていました。
【周辺土堤】 弾薬庫のまわりの土堤は、カラタチの木が多くあったそうです。カラタチの鋭い棘が出入りを阻止したり、射撃場の弾が外にはねたりしないように植えられていたそうです。
【営庭】 奈良教育大学正門付近にあった営庭(下の写真)。この場所にも、鹿がたくさんいました。奈良教育大学附属小学校には、泉水庭園が残っています。
【吉備塚古墳】 吉備真備の墓と伝えられています。クヌギの大木に覆われていました。当時、多くの軍人がここで自殺を図ったそうです。
【糧秣倉庫】 当時、軍人や馬用の食糧の貯蔵に使用され、現在は、教育資料館になっています。
【北門】 当時は、生活資材搬入のために使用されたそうです。下の写真
【野仏集場】 野仏は、駐屯地になる前の田畑から集められたものだそうです。「厳しい訓練に耐えかねて、幾人もの若い軍人が首を吊り、命を絶ったため、作られた地蔵が置かれている場所である。遺族が訪れて、敷地の隅に集積された野仏に手を合わせる姿が見られたと言われている。」(パンフレットより)
奈良教育大学の敷地が、かつて陸軍の兵営で、明治から終戦まで、延べ7万人もの将兵が駐屯していたそうです。「奈良教育大学 昔ここには軍隊がいた!! 奈良聯隊(れんたい)」(戦争遺構保存会作成)のパンフレットには、「1909年に、陸軍歩兵53聯隊が新設され、現在の奈良教育大学の敷地に駐屯した。当時は徴兵検査に合格しても、大阪や京都の聯隊に入隊せねばならず、『奈良に聯隊を』の声が高まっていた。しかし、1925年には政府主体の軍備縮小計画に伴い、53聯隊は廃止されるが、まもなく奈良県出身者が多く入隊していた陸軍歩兵38聯隊が京都から移駐し、日中戦争発生後は中国に進駐する。同聯隊は、南京にも関与した。戦争後は米軍の駐屯地として接収されるが、1958年に奈良教育大学の前身にあたる奈良学芸大学が敷地をもらい受け、現在に至る。」と書かれていました。
遺品などが教育資料館にありました。(かつては【糧秣倉庫】として使用)この日は、小学校の教室に展示してくださり、手にとってみることができました。
パンフレットには、「奈良県出身者が多く入隊していた陸軍歩兵38聯隊が京都から移駐し、日中戦争発生後は中国に進駐する。同聯隊は、南京にも関与」と書かれています。学生さんの報告には、「1937年11月 『大和旭新聞』の報道 助川部隊は約7000の捕虜を擁しており、処理に悩まされた」「助川部隊の『戦闘詳報』によれば、捕虜が7200人とあるのにほぼ一致」「捕虜に悩まされた結果⇒放火 戦死者の中に、女学生や中学生、一般市民が含まれていた?」「1938年9月 歩兵38聯隊の補充隊などで編成された歩兵第51聯隊が武漢作戦<日本軍による毒ガスの本格的使用>に参加。後に南京付近の守備にあたる」「南京事件に関わった歩兵第38聯隊がいて、その後、グアム島で玉砕、4000人いた兵士で生き残ったのは数名だった」などが語られました。
私が研究会で行った奈良教育大学と奈良教育大学附属小学校、奈良教育大学にある戦跡、その戦跡を保存し、学び続け、地域にも伝えようとする学生や先生たち、戦跡にかかわる歴史への学び、そして加害の歴史など、私の中でつながっていき、さらに学びたい気持ちになりました。
戦争遺構保存会の学生さんは、「学長ともかけあって、遺跡の看板の設置を申し入れたが、予算の関係で実現できなかった。そこで、戦争遺構の地図とパンフレットを作製」したそうです。
「学生有志の集まりとして『奈良教育大学戦争遺構保存会』を立ち上げ、この度、『奈良教育大学戦争遺構パンフレット』を作成しました。/このパンフレットを作成するに当って、奈良県立図書情報館や奈良教育大学図書館での資料集めや、大学内の戦争遺構をめぐるフィールドワークなどを行い、歴史に思いを馳せ、今後の生活をどのようにしていくのかということを考える場として残していくための方法や文章を考えました。ただ単に戦争に反対するだけでなく、なぜ戦争が起こるのか、なぜ戦力を持たなければならなくなったのか、どのようにすれば戦いのない世の中を作ることができるのかということを考えることが平和学習としてできることなのではないでしょうか。少なくとも私たちはそのような願いや想いを込めてパンフレットづくりに励みました。(後略)」(『授業と課外活動の連携による平和学習の開発ー教員養成における取り組みを事例としてー』向井夫佐代、板橋孝幸、奈良教育大学 ESD・SDGsセンター研究紀要より引用)