桐朋幼稚園の礎を築いた保育者・T先生 [Ⅱー427]
1961年より桐朋幼稚園に勤務されたT先生。退職後、大学教員として子どもと保育に関わり、桐朋幼稚園にも時々いらして、遊び、生活で使う牛乳パックや紙袋、箱などをたくさん持って来てくださいました。その際に、商店街にあった藤屋さんの美味しい大福をいつもお土産に持って来て、教職員の話を聞いて励ましてくださいました。
私は、T先生の「少し鼻にかかった溌溂とした声」と人間をまるごと見つめる眼差しに、背筋がピンとなることが多くあり、保育者として子どもとしっかり向き合っていますか?と、問われました。先生のお話から、保育、教育者としての矜持を感じることもありました。例えば、ご自身の高校時代の英語の経験から「人が学習内容を理解するし方それぞれであって、この子を認めないでみんな同じように解るようになるものだという考えは絶対に持ってはならないと思います。このような先生が普通だとするなら、私は先生らしくない先生になろうと思った」など、忘れられません。
ここから先は、保護者、教職員向け『桐の朋 2024年秋 追悼特別号』(桐朋幼稚園保育者編集)より、T先生と関わってきた皆さんの声をもとに書きます。
◆子どもたちへ
卒業生から、「T先生のハンカチねずみは生きてるみたいだった、本物かと思ってびっくりしたというのが一番の思い出」と聞きました。園児や小学生とともに、T先生の手から「ハンカチねずみ」が飛び出すのを見て、驚き、たのしませてもらいました。
先生は、子どもたちに不思議さやたのしさをたくさん伝えてくれました。卒業生から、
「『ふしぎなポケット』歌いながらおいしそうなビスケットをポケットから出してくるT先生がとっても不思議でした。でもその後美味しくいただいたものです。今でもそれは思い出の中で美味しさが残っております。」
「先生の読み聞かせがとても楽しく、『おんちょろちょろ』『花さき山』など、様々な本の世界に引き込まれていきました。当時ピーターラビットの日本語翻訳版が刊行され始め、これもT先生からご紹介いただきました。新しく届くお話をわくわくしながら待っていたのも懐かしい思い出です。紙でできたケースに美しい装丁の本が3冊収められており、文字を読むのも絵を眺めるのも、私にとって非常に幸せな時間でした。」
など、たくさんの思い出を伺いました。さまざまなエピソードから、先生の子ども一人ひとりへの愛の深さが感じられ、子ども時代にたのしさ、不思議さをたくさん育み、生きる喜びを味わうことを願っていらしたのだと思いました。
◆保護者に寄り添って
保護者の方からは、「子育てで悩んだ時に、先生からお聞きしてきたお話がいつも支えになっていました。『生まれつきの性質は変わらない、それがその子なんだから。親は、変えようなんて思わずに、この子にはこんなところがあるなあって思っていることが大事』これはずっと私の心に置いていることです。実際は、なかなか難しいことだらけの親業ですが、自立して家を出て行った子どもたちを見ていると、親として何とか頑張って来られたかなと思います。子どもと共に親も育てていただきました。」など、在園中にT先生に励まされたこと、卒園後も先生のことばに支えられてきたことをお聞きしました。他にいくかをあげてみれば、
「声として発せられた言葉だけが言葉ではない。心の中から発せられる心の声に耳を傾けよ。」
「やらされてじょうずに出来るがアレルギーを感じている。じょうずにできなくてもみずからやりたくてやっている、そういう心の自由を。」
「自分が自分がと人を踏み付ける世知辛い浮世にあって、人の為に、人の話に耳を傾け、人の痛みがわかる人間らしい人間、このことは人として生きていく上で当たり前のこと。」
などです。T先生のことばを心に刻み、現在を生きる保護者がたくさんいます。
◆保育者への励まし
先生は、「普段はやさしくおだやかな語りかけで関わっておられ、子どもたちが何か『やらかし』ても、その理由や経緯を詳しく聞き取ろうという姿勢でいらっしゃいました。でも、これは違う、おかしい、立ち止まるべきと瞬間に判断された時には、ビシっと制されていました。短く、強く、きっぱりと。」
「楽しい幼稚園の生活を工夫する一方で、厳しく叱ることもなければなりません。叱っても反応しない子どもたちが目立つ今から考えると、やはり叱るにも相手の子ども達と気持ちの通じ合う間柄という前提が必要のようです。叱るということは自覚を促すことなのですから。」
など、実践を通して保育者へたくさんのことを伝えてくれました。しかし、大切なことだとわかっていても、なかなかできることではありません。これからも心に留め、葛藤し、試行錯誤して取り組んでいきます。
これまでT先生や皆さんが話し合われた園の記録も振り返りました。例えば、「一般的に幼稚園における『指導案』『保育計画案』などには、『教師』という言葉を用います。しかし、桐朋幼稚園では、これまでもそして現在も、『教師』の表記ではなく『保育者』を用います。資格としては『幼稚園教諭』であるので、一般的な書類としては『教師』が正しいのですが、そこには、こだわりが息づいていて、今も『保育者』と書きます。これまでも、この表記については、度々議論をしてきました。そのたびに着地するところは、子どもと育ちあう関係にある、傍らにいる大人として、『教師』『教員』ではなく、そこはやはり『保育者』としての自覚が強いことを確認する機会になるのです。細かなことではありますが、やはり桐朋幼稚園は、子どもも大人も共に生活し、考え合い育ちあう仲間であり、保育者は子どもたちの育ちを援助する人であり続けているのだと思います。」などを受け取り、これからも大切にしたいと考えます。
写真はすべて6月の園庭から
2025年、桐朋幼稚園は創立70年を迎えました。桐朋幼稚園でT先生や皆さんがこれまで大切にしてされてきた思想、保育実践に学び、現在と未来を創っていきたいと思います。先生、これまでありがとうございます。これからも見守っていてください。