初等部、学園の礎を築いたМ先生 [Ⅱ‐428]
先日、初等部創設メンバーのお一人、М先生のお別れ会を開催しました。1981年卒業22期の有志の皆さんが呼びかけ、М先生と関わられた2期~24期の皆さん、先生のご家族、ともに過ごした先生が大勢参加されました。
М先生との思い出。「自分の頭で考えなさい。」「自由を大切に。」「誠実であれ。」などのことば。その大切さに気づかされ、現在まで大切にしてきたこと。「綴方」、「書くこと」、「(綴方などを掲載した)通信」をずっと続けてこられ、考えること、伝えることなどが身についていること。「常に教室にいて、先生の膝が大人気でした。」「受け入れてくれる安心、信頼」「本物を使うことの徹底」など、一人ひとりの心にいろいろな思い出が残っています。
先生へのお花を分けていただきました。ありがとうございます。学校のいろいろな場所に飾りました。
私からは、М先生が子どもをとても大切にされて関わっていらしたこと、初等部や学園づくりをすすめられ、今日につながることを少し話をさせていただきました。以下、その一部を掲載します。
先生は、学生時代に、児童文化に関心をもって活動をされていました。それはPTA機関紙『わかぎり』にも書かれています。「子どもがむしょうにすきで、小学校の教師になりたい」との願いを先生はおもちでした。
その思いを胸に、桐朋小学校での教育活動をすすめていきます。2015年創立60年記念誌に先生は、「教育の大切な一面を、自分でも見付けていったと思う。子どもたちの教室は教師の仕事場でもあるから、教室には子どもたちより先に行って、子どもたちが帰るまで常駐しよう。教室の一角の教師用机のまわりは広く空けて、子どもたちがいつでも集まれるようにしよう。子どもと話すときは目の高さを子どもと同じにしよう。その机で漢字の書き取りの採点、テストの採点など、また学級通信のガリ切りも、集まった子どもの見ている中でやって行こう。教室の掃除は当番の子どもたちと一緒にしよう。教員室の朝の打ち合わせなどは無視して、教室で子どもたちと話をしよう、などなど。」と書いています。先生らしいなと受けとりました。
卒業生のエピソードでも、朝先生が教室にいらし声をかけられたこと、話したこと、放課後遅くまで残ってかかわられていたこと、先生の机のまわりでの様子などが語れました。
先生の「自分の頭で考えなさい。」「自由を大切に。」などのことば、「綴方」「書くこと」「通信」の思い出も話されていました。そのことを私が先生からいただいた手製本『子ども『詩』集 みんなの目 私の目』の中にある「詩」からみます。
景色 Tさん
まだ、おこっているから、/あとにしようかな。
このまま、だまっているのが、
一番いいかな。
ここは三階だから/向こうの方までよく見える。
富士山、/よみうりランド、/向ヶ丘遊園。
みんなで/いろんなところへ/行きたいなあ。
М先生より。(Tさんは)遊びの名人であり、優れた遊びの組織者である。男の子が教室でとぐろを巻いていると、「ウジウジしてないで出て来いよ」と運動場に引っ張り出していく。「みんなで」というのは、もちろん「クラスみんなで」である。
いいかげん Iさん
あの『ひぐるま』(通信名ー中村)を読んだ日から、
お母さんは、
「ものをちらかしっぱなしが/いいかげんにつながるんです!」
「だらしない態度が/いいかげんにつながるの!」
と、またたくまに、
《いいかげんおばさん》に/変化してしまった。
そこまではいいけど、
「テレビも制限時間、決めるから!」
と、言われてしまった。
ここまでくると、
《いいかげんおばさん》が/変化して、
ただの鬼に見えた。
М先生より。 「いいかげん」については、Iのお母さんがずいぶん気にしていたというから、あえて、「お母さんがいいかげんだといったのではありませんよ。Iがいいかげんだといったのですよ」と申し述べた。余計なことだったかも知れない。
この手製本には、「綴り方や『詩』の指導は、とくに小学校段階では、文章の音読指導とともに欠くことのできない重要な教育であると、私は思っている。子どもに正しい事実的な認識と豊かな感性を育てたいと願う時はなおさらである。」「改めてこの子たちの『詩』を読み返して、その生き生きとした心の動きにふれて、正直なところ、懐かしく、嬉しさを覚えた。そういえば二年生のМ君が教室に飛び込んで来て、息をはずませて言った。「先生! きょう、さくぶん、ある? ぼく、書きたいことあるんだ!」/子どもたちの生き生きとした心の動きは、今、どうなっているだろうか。」と、先生はお書きになっています。
私は、先生から、子どもの心は弾んでいますか? 弾む生活、学びをつくっていますか? 弾んだ心を表現したい気持ちを育んでいますか? と、問われていると受けとめています。
『私の戦中記 子どもに語る母の歴史』1971年、『私の教育体験記 子どもに語る母の歴史』1972年
初等部PTAで「体験記」を刊行しました。『私の戦中記』は、□学童疎開 □戦いの日々 □戦いのなかの学校教育 □空襲 □祖国への道 □体験を未来へ □あとがき 『私の教育体験記』は、□幼い心に刻まれたこと □学校とは? 教師とは? □私の教育体験 □あとがき「断章・日本の教育」
「体験記」をもとに、親から子へ、子から親への対話が期待されました。この2冊は、保護者とМ先生らの共同でつくられました。そして、この2冊を現在も読み継いでいます。昨年は『桐朋教育56』特集にも紹介されました。М先生は、PTA機関紙『わかぎり』の執筆も多数あり、保護者とのつながりを大切にされています。
『私の戦中記』のはじめに、「未来に生きる子どもたちに、平和の夢を託するならば、戦争体験を子どもたちに伝えていくことは、戦火をくぐって、苦しくも生きてきた人間の務めてあろう」‥「1971年3月10日 26年前、10万人の人々の命が消えたその日に」と書かれています。М先生があとがきに、「だいじなことは、小学生、女学生として体験してきた自分のことを、今、自分の子どもである小学生、中学生に、生きた歴史として伝えようとしていることなのです。」と意味づけています。この冊子を読み、あらためて現在、語り合いたいと思います。
『私の教育体験記』のはじめに、「私にとって学校教育は何だったのか、するどく問いなおさなかったならば、母親の立場で、これからの子どもの教育を考えることなどできないのではないか」とあります。あとがきは、М先生が「断章・日本の教育」を書いています。私たちの受けてきた教育とは、天皇制、教育勅語思想の教育、軍国教材などを示されました。
二度とこうした教育は、してはなりません。
6月、東京大空襲の体験をされた3人の方(『私の戦中記』を執筆された方も)より、6年生と一緒にお話を聞きます。
国語研究
桐朋小学校の教育 「国語―読み方の教育1」1985年、「国語―読み方の教育2」1987年より
「桐朋幼稚園の教育」「桐朋小学校の教育」シリーズ編成。1955年~1985年の30年間で行った教育研究の集積。
М先生は、国語2冊の中に、11本の論文を掲載されています。創立70年を迎え、あらためてМ先生らに学ぶことを課題とします。
1)『国語―読み方の教育1』 掲載論文
・分析と批判「めじろとせいかじいさん」1968年 ・文学作品の読みの指導過程について1972年
・文学作品の内容とその読みの授業の原則1978年 ・読み方教育の理論1979年
・読み方教育・指導過程を中心に1980年
2)『国語―読み方の教育2』 掲載論文
・授業分析 たどり読みをめぐって1985年 ・授業分析 単語指導の問題を中心にして1985年
・授業分析 子どもの読みの能力の可能性1986年 ・授業分析 表現の読みをめぐって1986年
・授業分析 主体的な読みの育ちを願って1986年 ・「国語―読み方の教育1」と授業1986年
現代は、大学入試、学習指導要領などから、実用的な文章の重視、複数の資料の利用―図表、グラフ、写真などー、架空の対話形式の文章の学びなどが増加しています。全国学力実態調査(4月実施。新聞など問題を掲載)では、文学からの出題はありません。М先生らが残してくださったものから、あらためて文学を読む意味、学ぶことの意味を考えたいと思います。
学園のために。そして未来に向けて
学園の歴史をふり返れば、М先生が学園理事をされていた時期に、新八ヶ岳高原寮の建設、従来の併任校長制を廃し、一学長二校長制へ(1992年)かえ、幼稚園から短期大学までの五校の統一を図るために、「女子部門運営審議会構想」を提案されたことなどがあります。
また、組織の機能および組織的な学校運営のため、規則規程の整備が必要となり、先生が中心につくられた規程集があります。このような変革は、どれも大切なことで、現在につながっています。
М先生ら将来構想検討委員会(当時)の皆さんが女子部門の教職員を対象にアンケート調査を行い、まとめられた「桐朋らしさ」を最後に掲載します。私たちが引継ぎ、実践と研究より発展させていきたいと思います。
1、一人一人を大切にする教育ーこれは教育の意図であり、根幹となる教育の姿勢である。2、自主性、自律性を育てる教育 3、心の健康、身体の健康 4、学ぶ力を育てる教育ーこの3つは、学生・生徒・児童への働きかけである。略 5、新しい教育の創造 6、自ら学ぶ姿勢を常に保つーこの二つは、教育にかかわる教職員の特質であり、課題である。 7、外に向けて開かれた学校ー学校と社会の関係、学校の社会に対する在り方を示している。 8、教育を第一とする学校経営 9、公正、堅実な学校運営ーこの二点は、学校経営、学校運営の基本姿勢である。 10、自由で民主的な学園風土ー一項から九項までを創り出した背景、つまり学校の教育と運営を支え、方向づける精神基盤がこれである。
先生より、林竹二著作集もいただきました。林氏は、「生命への畏敬の欠けたところに教育はない」と述べています。
「教育の対象である子どもは、すべてかけがえのない貴重な鉱脈を持っているのです。それを探り堀り起こすことが教師の仕事」、「変化した子どもの中にある生命というものに、絶えず自分を成長させたり自分をつくりかえたりする力がある」ことを先生は私に考えさせようとされたのではないかと学びました。