6年生との授業「トピックス」 [Ⅱ‐436]
宮原先生、武藤先生がされていた、6年生と授業「トピックス」を引き継いでいます。私自身の学びの時間で、いろいろなことを教えてもらっています。
9月2日の授業では、「防災の日(9月1日)」関連を取り上げました。1923年関東大震災について当時の写真を見て考えました。南海トラフ沿い巨大地震の歴史を調べて、1605年慶長地震マグニチュード(以下、Мとします)7.9、1707年宝永地震М8.6、1854年安政南海地震М8.4、安政東海地震М8.4、1944年昭和東南地震М7.9、1946年昭和南海地震М8.0とあり、М8クラスの巨大地震が90~150年おきという周期性を捉えました。
どうしてこんなに日本は地震が多いのでしょうか。科学の成果、「プレートテクトニクス」についても学びました。そして、地震の備えについてみんなで考え、話し合いました。
2011年、東日本大震災については、私が宮城県の大川小学校に行って見たことを伝えました。それから、2025年9月1日の写真(朝日小学生新聞9月2日掲載「関東大震災から102年 東京などで追悼式典」記事)も見てもらいました。碑に書かれていることばをもとに忘れてはいけないこととは何かを考えました。朝日小学生新聞を読んでいる人もいて、この記事のことを話してくれた人がいました。
写真は、9月8日、スリランカよりいらした飯塚淳子さん
9月7日、今後に取り組む「自分史」について、先輩の書いたものを紹介しました。
「…僕がお腹にいる間、お母さんはずっとお腹がすいていて、いつも何かを食べていました。仕事場で、/「そんなに食べるんですか?!」/と驚かれたり、それまではご飯党だったのに、急にパンばかり食べるようにもなり、生まれてきた僕がパンが大好きだったので、(お腹のなかの赤ちゃんがパンを食べたがっていたのかな)と思ったそうです。
お母さんはお腹の赤ちゃんのことばかり考えていて、よくおっちょこちょいをしました。病院の健診に財布を持たずに出かけたり、銀行でおろしたお金をそのまま置いてきたり。電車にもよく乗り遅れたそうです。…」
「…ぼくは生まれてからすぐ救急車で大病院に行きました。理由は……。生まれて生後十日入院してしまいました。両親は初めてのことで、大病院に行くのをとても心配してくれたそうです。それに救急車で搬送中、古い救急車しかなく、古い救急車は道の段差を越えるたび飛ぶため、救急車の中のケースの中にいる僕がはねるため、二人がかりでケースを押さえていました。父は、生まれたばかりの子がこんなことになってよいのかと思ったそうです。…」
記憶にない生まれる前のことを聞いてみる、生まれて間もない頃のことを聞いてみる、心にずっと残っていることを聞いてみるなど、取り組んでほしいと思います。
飯塚さん、サリーを着て、バナナを見せて話してくださりありがとうございました。
「自分史」とつなげて、命のことも考えました。教材は、小学生が書いた詩や作文です。『子どもたちの日本国憲法3 「人間らしく生きる」』(日本作文の会編、新読書社)を学んで、6年生に紹介しました。そのうちの一つを掲載します。
赤ちゃんが生まれる
高知県 小学四年 浅野 ゆうき
「ゆう、早よう、手つだって。」
テレビを見ているとお母さんがあわてて、よびました。
「なに。」
とふしぎに思いながら行きました。
台所の近くで、犬のスーザンが赤ちゃんを産みかけていました。スーザンは、足のとっても短くて、どうの長い、ダックスフンドです。だから、おなかの大きいスーザンは、足がおなかに、めりこんだように見えます。
スーザンは、血をぽたぽた落としていました。わたしは、赤ちゃんは、頭から出てくると思っていたから、足から出てきたので、びっくりしました。さか子で、おしりから先に出てきました。お母さんが、どうを持ってひっぱるので、(そんなにがいに*ひっぱって、だいじょうぶやろか。)と不安に思いました。何回かひっぱって、やっとすうっと出てきました。(よかったぁ。)とほっとしました。 *そんなにがいに=そんなに強く
タオルでくるんで、へそのおを、糸でくくって、はさみでのこった先を切りました。タオルでこすって、あたためました。
「クウ、クウ。」
と赤ちゃんが、お母さんをさがしながら、泣いています。目は、閉じたままです。心配に思ったスーザンは、赤ちゃんをなめに行きました。
次に三十分ほどたって、また、赤ちゃんが生れそうです。
次の赤ちゃんもさか子でした。スーザンは、少し力を入れるけど、なかなか赤ちゃんは、出ません。とうとうりきむのを、止めてしまいました。ぐっと力を入れて、ひっぱるけど、出てきません。頭がひっかかったままです。体をひっぱるので、(頭がのく*。)と思って、こわかったです。スーザンは、ぐったりして、ふうっと、力をぬいていて、ぜんぜんりきまないのでこまりました。(どうしよう。)と思いました。 *頭がのく=頭がぬける
「お母さん、だいじょうぶでねえ*。」 *だいじょうぶでねえ=だいじょうぶかな
と泣きそうな声で聞きました。
「わからん。ぜんぜんりきもうとせんき。」
と、こまった声で言いました。わたしは、
「スーザン、りきんで、お願い、りきんで。」
と何度も言いました。ときどき、クーとりきむけど、すぐに、止めてしまいます。
ずっとひっぱりました。
やっとすうっと出た時は、
「やったあ。」
(スーザンよかったねえ。長い時間、ずっとがまんしたねえ。)とうれしく思って喜びました。お母さんも、
「がんばったねえ。がんばったねえ。」
とうれしそうに言っていました。
でも様子がおかしいです。ふつう、だかれると、小さな声で、クウクウ泣くけど、ぜんぜん泣きません。それに、ぐたあとしています。それは、長い間おなかの中にいたからです。お母さんが、
「ゆう、タオルであたためて。」
と、あわてて、おこったように言いました。かた手で、だいて、かた手で、タオルを持ってあたためます。それでもだめでした。
「いやあ、死なんとってえ。」
と泣きそうな声で言いました。すると、お母さんが、子犬の鼻に口をあてて、つまっている水を、
「ズーズー。」
とすい出しました。
(うわあ。犬の鼻に口をつけて、病気にならないのかなあ。気持ち悪い。)と思いましたが、お母さんが必死なので、(すごい、がんばれ!!)と心の中でさけんでいました。
一分ほどすい出すと、子犬が、
「クックッ。」
と声を出しました。箱に入れると、さっきのがうそみたいにバタバタしていました。わたしは、子犬をここまで元気にしたお母さんのことを(犬のお医者さんみたいだなあ)と思いました。お母さんは、とってもうれしそうに、にっこりしていました。
それからまた、赤ちゃんが生まれそうです。もうだいたいなれたのか、あまり思いっきりひっぱらなくても、出てくるようになりました。
全部で四ひき生まれました。赤ちゃんは、元気で、よくスーザンのおっぱいをちゅばちゅばすっています。
二、三日たつと、子犬は、一回り大きくなりました。みんなとちがって、体の小さな子犬は、犬用のほにゅうびんで、だいて飲ませました。ほにゅうびんのちくびのところを、自分の力ですわせます。こつのわかってきた子犬は、それをくり返し飲みました。
ねる時は、みんな重なって、ぎゅうぎゅうづめで、ねていました。そんなところを見ると、本当に、みんな死なないでよかったと思いました。あの、死にかかっていた子犬も、他の子犬と同じぐらいの大きさに、育ちました。歩く時は、ばたばたと、おもいっきり、足をうごかして、今は、どの子犬だったかも、わからないほど大きくなりました。
(『子どもたちの日本国憲法3 「人間らしく生きる」』日本作文の会編、新読書社より)
お母さんの強さに感動したと、文章をさして言った人など感想を交流しました。