2025.11.17

桐朋学園 初等部同窓会 40周年記念大会 [Ⅱ‐443]

 同窓会40周年記念大会に参加して、たくさんの方たちと会えました。幹事、スタッフ、同窓生の皆さん、ありがとうございました。後日、600人を超える参加者だったと伺い、驚きました。

 会では、『生粋の桐朋っ子』・ピアニスト 矢島愛子さんのピアノコンサートを味わいました。ステキな時間でした。皆さんと、「桐朋数え歌」「おもちつきのうた/桐朋もちつき音頭」「初等部の歌」を歌い、たのしい時間を過ごしました。グランドでは、エイサー、桐朋みかぐらをたのしみました。美ら桐朋、園田青年会(沖縄)の皆さん、ありがとうございました。

 同窓会が発足して40年。桐朋小学校卒業生は2024年度末で6625名、新旧教職員が346名です。たくさんの方が初等部と関わり、初等部をつくってこられたことに感謝いたします。ありがとうございました。

 同窓会結成の際、生江先生は設立趣旨を書かれたことを知り、あらためて趣旨に込められたおもい、考えを大切にしたいと思いました。

 

 桐朋学園初等部同窓会 設立趣旨

 昭和30年4月、産声をあげた初等部も、三十歳の壮年期を迎えることとなった。

 30歳の星霜は、戦後の日本の教育について、数多くの課題を与えてきたが、その間にゆって、桐朋学園は「心の健康」「身体の健康」を目標として、一貫教育、国際教育を軸とし、「ひとりひとりの子どものもつ可能性」をまさぐりつつ、今日に至っている。

 この30年の教育効果として、なによりもまず挙げたいことは、卒業生の名が、それぞれ社会にあって活躍している、ということである。

 この度、30周年を記念して「初等部同窓会」が発足した。遅くに失するという声もあるが、私はそうは思わない。つまり、第一回生の年齢が38歳ということは、社会人としての基礎が固まり、指導性をもつ秋を迎えたことに他ならない。しかも、なかには、初等部に子弟、女子を学ばせておるものも少なくないこともあって、いまや、父母としての初等部への視点も培われているのである。

 私が、新生の「初等部同窓会」には、単なる回想趣味的な集いではく、自他ともに、明日を拓く気概と、母校に対しての鞭撻、指導を惜しまないことであろう。

 この同窓会が、今後の発展を持続することは、即、学園初等部の進展につながるのである。

 ここに「同窓会」発足にあたり、会員それぞれの隆昌を心から期待してやまない。

  桐朋小学校 校長 生江義男

 集った同窓生より、お話を聞きました。相手に働きかけることが苦手だったという人が、現在、子どもに働きかける仕事をしていると伺いました。その人から、「変わったでしょう」と話してくれたことに、心を動かされました。変化の過程をもっと聞いてみたくなりました。

 わざわざ当時の日記帳を持ってこられ、当時の私の拙い返事を見せてくれたり、当時発行した学級通信を大事にしてくださって、それを持ってこられて話してくれた人もいました。私は、当時は一生懸命に取り組んだものの、その内容に恥ずかしい気持ちがして、これから先、自分のしていることはこれで良いのかと問いながら、子どもに向き合い、誠実に実践をしていこうという気持ちを持ちました。ありがとうございました。

 幼稚園や小学校低学年の頃に描いた作品に対して、まわりの友達から「変な色してる~」みたいなことを言われたけれども、先生は「面白いね~! キレイだね~」と褒めてくれ、そうした環境だったから、自分が感じたことを素直に表現していいんだと思うようになり、今も好きなことを続けておられることも聞きました。その人が活き活きと命を輝かせて生きていることを感じ、とても嬉しくなりました。

 好きなことを続けている、自分は現在を大切に生きている。話した同窓生は、そうしたことを感じさせてくれ、たいへん元気になりました。ありがとうございました。

 [桐朋幼稚園を修了した方の声]も紹介します。

〇僕のマークは「カブトムシ」でした。そのマークはかわいかったけれど、実物は怖かったです。ドロケイで遊んだりして、あの頃はとても楽しかったです。できることなら、また幼稚園に戻りたいです。

〇幼稚園で楽しかったのは、毎日園庭で遊んだことです。泥団子を作ったり、ドロケイをやったり、ダンゴムシやモグラの死骸を見つけてみんなでお墓を作ったことも。あと、コマ回しができるようになって、上手く回せるようになったのが、とてもうれしかったです。

 決められたことをするというよりも、やりたいことを自分で見つけて満足するまでそれをやれたことで、自分で選ぶこと、コツコツ積み重ねてできた時の喜びを知ったことは、今の自分にも生きているのかなと思っています!

〇印象に残っているのは、モルモットや烏骨鶏、ウサギを飼育したことです。毎日掃除や餌やりをみんなで分担してかわいがっていました。烏骨鶏が卵を産んだ時はみんな大喜びでした。また、野菜を育てて成長する様子を観察するのも楽しかったです。

 充実した園施設と豊かな自然のなかでの、さまざまな体験を通じて、チャレンジすることや何かに没頭することの楽しさを知れたことは、今につながっていると思います。

〇「型にはめないこと」を、先生方は徹底してくださっていたと思います。幼稚園の劇では女子なのに王子様役をやらせてもらい、小学校では最高学年ではないのに自治で委員長をやらせてもらったりしました。

 正解はひとつじゃないし、「みんな違って、みんないい」。だから、私たちも一般常識にとらわれたり、大人があらかじめ決めた予定やルールありきとは考えない人に育った気がします。まずは自分で考えてみる。いいと思えば自発的に何か始めたり、選ぶ、そんな癖がついたかもしれません。

 多様性、不確実性が高まっているといわれる世のなかでも、「なんとかなる」という自信が自分の心の底にあるような気がしています。それは桐朋の14年間で型を押し付けられない、個々を尊重してもらえる日々を過ごしたからなんだろうな、と思います。

 

 「明日を拓く気概」をもって、今日も園、学校で過ごしています。皆さん、ありがとうございました。またお会いしましょう!

  初等部創立70周年を迎えます

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