見守りボランティア座談会 [Ⅱ-220]

 先週発行の『わかぎり』(PTA機関誌)より、見守りボランティア座談会を転載させていただきます。座談会の参加者は、幼小の保護者の方(Iさん、Nさん、TKさん、TNさん、Oさん、編集担当の方)と教員(S先生、中村)です。今回は安全にかかわっての話し合いでしたが、今後、いろいろなことについて「地域と学校と保護者と子ども、皆で考え、意見交換を」していきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。

どうやったら守れる? 子どもの安全


どちらも『わかぎり』

できる人ができる時に参加

―現在、見守リボランテイアはどのような状況なのでしようか?

I ■一学期は百三十名、二学期は百十名を超える、予想以上に多くの方が登録してくださっています。

N ■一学期が終わった時点で意見をフイードバックしてもらったのですが、「できる人が、できる時に、できる場所で自由に立つ」という「ゆるさ」が良いという声が多かった。

S先生 ■報告メモ(アンケート)はほぼ百%の回収率で、熱意と関心の高さが現われていました。

O ■幼稚園の送り迎えで、歩きながら見守りをしています。始めた当初は通学路に十人以上の人が立っていたけれど、徐々に少なくなったかなという印象も……。

N ■子どもの年齢によって、不安に思うことの種類や、親の熱量が違うんですよね。登下校時に先生方が立ってくださっていることを知って、その助けになればという気持ちでした。

S先生 ■通学指導として月に二回は登下校時に立つようにしています。担任を持つ先生は難しいなどの側面もありながら、協力しながら続けています。

TK ■先生がいてくださると、子どもは安心につながりますし、顔見知りのお友達の保護者の方と、一言二言挨拶をかわしたりというのもいいですね。

実際に立ってみて

TN ■以前から思っていましたが、神代書店の前の交差点が危ないですよね。ただでさえ見通しの悪い交差点を子どもが斜めに走ったりするし。

N ■歩道が狭い、車道ではひっきりなしに車が右折・左折していく。信号の切り替わるタイミングで子どもたちがわっと行くとか。/信号が標識と重なって見えなくなるときがあるんですよね。でも、スクランブル交差点に変えるなど、 ハードウェアを変えるのは時間もかかりますよね。

I ■神代高校と桐朋小学校の子どもの登校時間が重なる時間帯があり、歩道があふれてしまって…。子どもが押し出されてしまったり、赤信号になっても渡りきれずに横断歩道で立ち止まっていることがありました。

N ■雨の日は傘があるので見えづらく見守りが難しい、傘があるから、さらに道幅いっぱいになってしまうという声もありますね。

I ■高学年の子が低学年の子に注意したり、後ろからこうやって手でかばいながら歩いていくんですよ。守ってるの。「すごいな」と思いながらじ―っと見てしまいました。

中村 ■私もそうした話を聞いて嬉しく思いました。すぐに、子どもたち、担任に伝えました。

N ■子どもに声かけをすることで挨拶が自然にできたり、通学マナーが向上したように思います。「子どもの安全」という当初の目的だけにとどまらず、すごくいい変化が。周りの大人たちも、いざというときには手を差しのべてあげようという気持ちになるのではないかと。

TK ■顔見知りの保護者が立つことで、これまで漠然としていた大人に助けを求めるというのが、可視化できるようになったのはよかったかもしれないです。

中村 ■国立の桐朋学園小学校では、地域の清掃をしたり、桜並本を大切にする活動をしている学年があります。子どもたち自身が地域に参加しながら、どうやったら自分たちの地域を良くしていけるのかを考えることも大切なことですよね。


園庭での園児の様子(2月10日)

子ども自身の気づきを大切に

O ■以前のスーパー丸正さんの角のところに警備員さんが立ってくれていますが、警備員さんの人数を増やすことはできるのでしょうか?

中村 ■学園の会議にこの活動を報告し、検討してもらいます。

―確かに、制服や腕章、ビブスなどパッと見てわかる視覚的効果は大きいですよね。

N ■それも検討したのですが、腕章はPTAでも慎重に管理していてそれが大勢が参加して下さるボランティアでできるだろうかという心配と、ビブスを着るとなるとためらう方もいるかも。それならば、今のスタイルでやってみようかなと思ってます。

―でも、見守りって難しいですよね。どこまでやれば安心だろうっていうのがわからない。

TK■どんなに安全な場所でも、自分の中にマナーがないと安全な場所でなくなってしまいますよね。親が見守るのと、子ども自身も意識する。その両輪だろうなと思います。

N ■子どもの意識づけという意味では、車や自転車の動きを知るというのも気をつけるポイントがわかっていいかもしれません。

O ■桐朋幼稚同の通園指導がとてもよいのです。通学路で危険なところを考えましょう、と一 生懸命探す。自らの気づきという観点では、大切な効果があると思います。

TK ■学校でも、交通安全、防犯、防災への日ごろの備えや、具体的な対応策など、年に一回でも考える機会があればいいなと思います。

-12班の地区懇で三鷹署の方にお話を聞きに行ったとき、子どもたちが具体的な事例や指導をとても熱心に聞いていました。

N ■そう考えると、地区班がとても大きな働きをしますよね。地区懇というと、懇親会のようになってしまうけれど、防犯・防災の観点から、みんなで帰り道を確認するとか。/防犯という視点では、保護者が来校時にIDカードを必ず着用するなど、本来やるべきことをきちんとやることが、安全につながるのではないかなと思い ます。

左 ピカピカつるつるだよ! 右 おうちの人がつくった山で

知ることで、気づけること

―知らない人としゃべってはいけない、と子どもに不安の種を植え付けるだけなのは残念ですよね。

TN ■やはり日頃からの近隣の方々とのコミュニケーションは大切だなと思います。うちはマンションだし、周辺は顔の見えないお店も多いけれど、マンションの中の方々や、普段触れ合う方々には、自然に挨拶をしたいです。大人が常日頃からそうしている姿をみて、子どもも学んでいくんじゃないかなと改めて思いました。

中村 ■以前、「第2希望の家」(当時の名称。知的障がい者生活介護事業所)へ通っている方が、仙川駅から学校まで、子どもにずっとついてきてしまった。実は、その方の特性としてチャックにこだわりのある方で、子どもが持っていたバッグのチャックが開いていたことがずっと気になっていて、伝えたかったそうなんです。/子どもにしてみれば、ずっと知らない大人がついてきていて怖くて、職員室に駆け込んできたのですが、事情がわかったら怖くなくなる。知ることで見方が変わるんです。それを学校教育や社会教育の中で学んでいってほしい。いろいろな人々の特性やハンディを知りながら、かかわりを持ってほしいと考えます。

これからの取り組み

-見守リボランティアは、これからどうなっていくのでしょう。

N ■今年度中は続ける予定です。せっかくの皆の気持ちがあって、子どもたちの安全にもつながっているので、何らかの形でつなげていきたいなと思います。強制や義務ではなく、「何かできないかな」という気持ちで立つのとでは全然違うと思うんです。見守リボランティアをしてくださった方の声は聞くことができましたが、参加できないよという方の声もぜひ聞いてみたいです。違う視点からご覧になっているかもしれないですし。

―特別な話題というのではなく、学校でも家でも、日常生活の中で、「安全」ということについて、もっと気軽に話し合えるようにしていくことが大切かもしれませんね。


しぜんひろばの小学生と園庭の梅開花(2月10日)

座談会を終えて
 「みんなが少しの力を出しあえば、子どもたちを守る大きな力になる」という言葉をまさに実感した、見守りボランティアの力強い広がり。でも、「これで安全」という正解はないのだなと改めて感じました。その時々で地域と学校と保護者と子ども、皆で考え、意見交換をしていく話題なのだなと思います。保護者からの切実な要望として、神代書店前の交差点の話、警備員の増員のお話などもお伝えできたことも大きいです。

 最後に中村先生がおっしゃっていた、「子どもたちには、頼れば助けてくれる人がたくさんいるということを、いろいろな経験を通じて感じてほしい。またそうした社会にしていきたい」という言葉がとても印象的でした。

仙川商店街まとめ発表会〜共に創り上げるということ〜

今日は3年生の商店街見学・学び発表会(社会)です。

 

自分達が生活する仙川を支える商店街で働く人たち。

 

9グループ9種類のお店へ、それぞれインタビューしに行った時のまとめ活動報告です。

以前までは一人一つ作り上げるまとめ活動(新聞・ポスター・地図)だったものが、今回は4人で一つのまとめ動画を創り上げることにレベルアップ。

子ども達にとって大きな挑戦でした。

 最初は目を輝かせて喰いついていた動画作りも、0から創り上げるコマ作りや、テーマ決め、せりふ、構成、役割分担、演技、流れの作り方、、、たっくさんの“初めて”にぶつかります。

それだけならいいものの、グループのメンバーとの方向性の違い、考えの違い、温度差にぶつかり、悩む子も多くいました。

「一人なら楽なのに・・・」動画作成の途中、ふとこんなことを漏らした子がいました。

本当にそうだと思います。

だからこそ今回やりたかったのは、「一人じゃできないこと」。「4人だから完成できること」です。

自分が伝えたい内容は、グループの仲間も伝えたい内容とは限りません。

自分のやりたい表現が、ほかの人も同じやりたいだとは限りません。

ここで、自分の“当たり前”“普通”が通用しないことを学んでいきます。

他者と共同することの難しさを実感します。

 

しかし、拙いながらも、自分達の手でゼロから創り上げた一つの作品。

もしかしたら、一人の方がクオリティの高いものができたっていう子だっているかもしれません。

しかし、発表会で自分たちの動画を見るときの表情、

思わずグループの仲間と笑い合ってしまうこと、

漏らしてしまう声。

その全部を“共有”できることの喜び。

“協同”することの苦しさや、やりがい。

「自分の動画を見ていて恥ずかしかったけど、これがこのグループの特徴って感じがした。」

「自分たちじゃ全然思いつかないアイデアがいっぱいあった。みんなとてもがんばったな〜。」

「全部のグループおもしろくて、もう一回見たかった。作るのは、一人じゃできないことを知った。」

「いろいろあったけど、達成感がある。さいこーー!」

あぁ、これを感じてみてほしかったんだなぁと、今しみじみ思います。

 

発表会はお家の方も来てくれて、グループの動画1つ1つにメッセージをくれました。

何かを発表したとき、何かをアウトプットしたとき、

「受け止めてくれた」「この人の心にはこう映ったんだ」「受け手にはこんな印象を与えたんだ」

相手から何かを返してもらうことは学びの一つであり、次への原動力となる、と考えています。

その表現が、時間をかけて想いを込めたものならなおさら、もらった言葉は全て、一生の宝物になります。

 

お弁当の時間、お家の方からの言葉を大事そうに見つめる子ども達。

いろいろあったあの子も、恥ずかしそうにはにかんで、その顔は頼もしく見えました。

忘れられない一ページです。

園庭には福がたくさん [Ⅱ-219]

  2月1日(土)に来てくだったみなさん、ありがとうございました。

 来たくても普段はなかなか来られない方や、この日ならば子どもの育つ環境をいっしょにつくれるという方らとともに、園庭環境づくりをすすめました。

 今朝(3日)、子どもたちは早速新しい場所で遊んでいました。とっても楽しそうでした。

 

 新しくなった「きょうりゅう」山、新しい場所に移った土管などで、子どもたちはたくさん遊んでいます。「これはね、おじいちゃんがつくったんだ」と話してくれた子がいました。その子の喜びが伝わってきました。3歳クラスの子が、急斜面をこわごわと手をつきながらのぼろうとしています。何度か挑戦して頂上まで行けました。丸太椅子に腰をかけて満足そうです。「きょうりゅうみたいだ!」と、その形から言う子もいます。斜面の途中に幼虫を発見。立ち止まりじっくり見守ります。坂道でのスリルを何回もたのしんでいる子がいます。タイヤを埋め込んだところから一段とばしてジャンプする子がいます。新しくなった場所で、命を輝かせている子どもたちでした。

 

 今日は節分です。先生たちが子どもたちに節分の劇を見せてから、みんなで「オニはそと」「福はうち」と豆まきをしました。自分のなかにある(めくどくさがる、へそ曲がりなど)のオニを外に出し、福をいっぱい自分の中に入れていました。

 

 桐朋幼稚園は自然を大切にして、かかわり、出あい、感動や不思議さ、思い通りにいかなさ、心地よさ、よろこびなどを経験し、感じることを大切にしています。直接ふれ合うものが、子どもの五感を育むものにしたいです。ゆったりとした時間のなかで、心とからだをのびのび使い、人とかかわり、おもいきりあそぶことや豊かな生活を経験します。

 桐朋幼稚園は、2018年度より3年保育をすすめてきました。一人ひとりが授かった命を大切に育み、自分らしく命を輝かせる、なかまや大人とかかわり、ちがいを認め合い、豊かな世界をつくり出していけるように育ってほしいと思います。

 2月3日(月)の朝、園庭づくりの記録写真を展示しました。写真をよく見ながら、「ぼくのお父さんがいた!」と伝えてくれた子がいました。お家の方とつくった園庭環境は、子どもたちの喜びと豊かな世界へとつながっています。ありがとうございました。

命について考えていこう ―始業式で読んだ作文 [Ⅱ-218]

  赤ちゃんが生まれる

          小4 浅野 ゆうき

 「ゆう、早よう、手つだって。」

テレビを見ているとお母さんがあわてて、よびました。

「なに。」

とふしぎに思いながら行きました。

 台所の近くで、犬のスーザンが赤ちゃんを産みかけていました。スーザンは、足のとっても短くて、どうの長い、ダックスフンドです。だから、おなかの大きいスーザンは、足がおなかに、めりこんだように見えます。

 スーザンは、血をぽたぽた落としていました。わたしは、赤ちゃんは、頭から出てくると思っていたら、足から出てきたので、びっくりしました。さか子で、おしりから先に出てきました。お母さんが、どうを持ってひっぱるので、(そんなにがいにひっぱって、だいじょうぶやろうか。)と不安に思いました。何回かひっぱって、やっとすうっと出てきました。(よかったあ。)とほっとしました。

 タオルでくるんで、へそのおを、糸でくくって、はさみで、のこった先を切りました。タオルでこすって、あたためました。

「クウ、クウ。」

と赤ちゃんが、お母さんをさがしながら、泣いています。目は、閉じたままです。心配に思ったスーザンは、赤ちゃんをなめに行きました。

 次に三十分ほどたって、また、赤ちゃんが生まれそうです。

 次の赤ちゃんもさか子でした。スーザンは、少し力を入れるけど、なかなか赤ちゃんは、出ません。とうとう、りきむのを、止めてしまいました。ぐっと力を入れて、ひっぱるけど、出てきません。頭がひっかかったままです。体をひっぱるので、(頭がのく。)と思って、こわかったです。スーザンは、ぐったりして、ふうっと、力をぬいていて、ぜんぜんりきまないのでこまりました。(このままじゃ死ぬ。どうしよう。)と思いました。

「お母さん、だいじょうぶでねえ。」

と泣きそうな声で聞きました。

「わからん。ぜんぜんりきもうとせんき。」

と、こまった声で言いました。わたしは、

「スーザン、りきんで、お願い、りきんで。」

と何度も言いました。ときどき、クーとりきむけど、すぐに、止めてしまいます。

 ずっとひっぱりました。

 やっとすうっと出た時は、

「やったあ。」

(スーザンよかったねえ。長い時間、ずっとがまんしたねえ。)とうれしく思って喜びました。お母さんも、

「がんばったねえ。がんばったねえ。」

とうれしそうに言っていました。

 でも様子がおかしいです。ふつう、だかれると、小さな声で、クウクウ泣くけど、ぜんぜん泣きません。それに、ぐたあとしています。それは、長い間おなかの中にいたからです。お母さんが、

「ゆう、タオルであたためて。」

と、あわてて、おこったように言いました。かた手で、だいて、かた手で、タオルを持ってあたためます。

 それでもだめでした。

「いやあ、死なんとってえ。」

と泣きそうな声で言いました。すると、お母さんが、子犬の鼻に口をあてて、つまっている水を、

「ズーズー。」

とすい出しました。

(うわあ。犬の鼻に口をつけて、病気にならないのかなあ。気持ち悪い。)と思いましたが、お母さんが必死なので、(すごい、がんばれ!!)と心の中で、さけんでいました。

 一分ほどすい出すと、子犬が、

「クックッ。」

と声を出しました。箱に入れると、さっきのがうそみたいに、バタバタしていました。わたしは、死にかかった子犬を、ここまで元気にしたお母さんのことを(犬のお医者さんみたいだなあ)と思いました。お母さんは、とってもうれしそうに、にっこりしていました。

 それからまた、赤ちゃんが生まれそうです。もうだいたいなれたのか、あまり思いっきりひっぱらなくても、出てくるようになりました。

 全部で四ひき生まれました。赤ちゃんは、元気で、よく、スーザンのおっぱいを、ちゅばちゅばすっています。

 二、三日たつと、子犬は、一回り大きくなりました。みんなとちがって、体の小さな子犬は、犬用のほにゅうびんで、だいて飲ませました。ほにゅうびんのちくびのところを、自分の力ですわせます。こつのわかってきた子犬は、それをくり返し飲みました。

 ねる時は、みんな重なって、ぎゅうぎゅうづめで、ねていました。そんなところを見ると、本当に、みんな死なないでよかったと思いました。あの、死にかかっていた子犬も、他の子犬と同じぐらいの大きさに、育ちました。歩く時は、ばたばたと、おもいっきり、足をうごかして、今は、どの子犬だったかも、わからないほど大きくなりました。

 

 始業式で読んだ作文(『子どもと読みたい100の児童詩』村山士郎編著より引用)です。新年、みなさんと命の大切さを考え合いたいと思い、選びました。ぼくは、特にスーザンとお母さんの行動に感動しました。

 かけがえのない命を大切にする学級、学校、社会にしたいと思います。

(写真上 おもちつきの様子。写真中左 広島よりいただいてきた被爆アオギリⅡ世の植樹。写真中右 同窓会のみなさんによる枝垂れ桜の植樹。写真下 1月29日の園庭の様子)

世界に触れる。そして人とつながっていく。

「ねぇねぇ、コロンビアの人いつ来るの!!」

今日はICUの留学生が3・4年生の教室に来てくれる日。

子ども達の興奮は最高潮。そして、私もドキドキワクワクであふれていました。

 

どの国の方が来てくださるのか、子ども達に告知したときから、

自学にはコロンビア・ブラジル調べがたくさん。

(コロンビアからはアンジェラさん。ブラジルからはビビアンさんが来てくださいました。)

子ども達の楽しみな気持ちがノートから溢れていました。

当日、日本語を一切話せない留学生との対話。

コロンビアのカラフルな写真がいっぱいのスライドを、留学生が作ってきてくれました。

暮らし・街並み・食事・衣装・乗り物・人・文化。

どれも新鮮で、発見ばかりで、子ども達の眼はキラキラ。

“えー!ハグで挨拶するの!?ちょっと恥ずかしい・・・”

“こんなにバイクがあるんだ!日本と全然違う!!ラクダやラマにも乗るんだ!うわぁ〜いいなぁ。”

“街並みがカラフル!かわいい!自学で調べたこと、本当だったんだなぁ。”

 

コロンビアのことをたっくさん教えてもらって、スペイン語でゲームをした後は、

“ありがとう”の気持ちを込めて、運動会で舞った“桐朋みかぐら”を披露しました。

扇と手作りの錫杖を持ち、太鼓の音に合わせたらもう自然と体が動きます。

踊りを忘れかけていた子も、披露する頃にはばっちり。

アンジェラさんや、ICUのスタッフの方も、自然と手拍子をしてくださり、

礼をした後には、“ブラボー!!!”。

子ども達の、少し照れたような、でもどこか堂々とした頼もしい顔が見られました。

サプライズで、“マカレナ”と“サンバ”を教えてもらい、南国のエネルギッシュな雰囲気を体感した時間。

「おどりが楽しいのは世界共通だけど、体の動かし方が違うことを知ったよ。楽しかった!」

「サンバがむずかしかった!でも、何となぁくノッてやっていたよ!今日は本当に楽しくて、ワクワクした!!!」

「コロンビアの乗り物を、もっと知りたい。ビビアンさんが、日本語で「いただきます」と言えたよ。マカレナとサンバを踊って幸せになりました。」

「日本では当たり前のことが、世界では違うと知った。そして、今日コロンビアの人が来てくれて嬉しかった!」

授業後には、ハグをしてもらいたい人、もっと話したい人の行列。

“言葉が通じなくっても、ハグしてもらうだけで、何か繋がれた気がしたよ。”

“自分の伝えたかったこと、通じた!”

あぁ、人と繋がるって、言葉だけじゃないんだね。

大切なこと、忘れたくないことを、再確認させてくれた素敵な時間でした。

2学期の振り返り② 6年生修学旅行

2019年10月24日(木)~10月27日(日)まで、6年生は広島に修学旅行に行ってきました。

事前に戦争について学習し、そして現地へ足を運び、見て、聴いて、感じて、たくさんの学びをしてきました。

 

1日目⇒新幹線で広島へ。平和記念資料館を見学、その後被爆証言の方々にお話を聞く。

 

2日目⇒平和記念公園碑めぐり。ガイドさんに案内していただきました。

その後、宮島に移動。厳島神社を見学し、その後お買い物タイム。

  

3日目⇒フェリーに乗って大久野島へ。大久野島では、戦争の加害の部分もしっかり学びました。

「大久野島毒ガス資料館」見学。戦時中に大久野島で造られ使用していた毒ガスについて毒ガスの歴史の研究者山内さんにお話を聞く。

その後、魚釣りやテニス、サイクリングなどのアクティビティ。

 

そして、4日目⇒無事帰京。

行く前には、修学旅行運営委員会も立ち上げ、しっかりと学習目標・生活目標を決めていくことで、その目標を意識しながら行くことができていたように思います。

学習目標は4つ。目標1)原爆の実態を学び、事実を一つひとつ受け止める。2)現地のものをしっかり見る。3)被爆者の方からちゃんと話を聴き、疑問を残さない。4)学んだことを他の人にちゃんと伝えられるようにする。

帰ってきての事後学習(まとめ)は、「学習目標4)学んだことを他の人にちゃんと伝えられるようにする」を念頭に置き、

12月に修学旅行学習発表会を5年生向けと保護者向けに行ないました。

事前学習、そして現地での学習、その後は事後学習。1学期から継続してきた平和学習。

子ども達一人一人が、事実をしっかりと受け止め、五感をフル活用し、しっかりと学ぶことができました。

被爆アオギリ二世 植樹プロジェクト [Ⅱ-217]

 先日、しぜんひろば委員会(5.6年生)の子どもたちが全学級に行き、[被爆アオギリ 植樹プロジェクト]のお知らせをしました。

 2019年10月、6年生が広島へ修学旅行をした際、[被爆アオギリ二世]の苗木をいただいてきました。[被爆アオギリ二世]について、各学年の人たちがわかるように話してみました。それを植樹する日時、場所を伝え、「植える様子を見守ってもらえるとうれしいです!」と呼びかけました。

 左 広島平和公園の被爆アオギリ 右 いただいてきた[被爆アオギリ二世]

 被爆アオギリには、次のメッセージが書かれています。

 昭和20年(1945年)8月6日、爆心地から北東へ約1.3㎞、広島市中区東白島町の旧広島逓信局の中庭で被爆したアオギリは、爆心地側の幹半分が熱線と爆風により焼けてえぐられましたが、樹皮が傷跡を包むようにして成長を続け、焦土の中で青々と芽を吹きました。

 その後、被爆アオギリは昭和48年(1973年)に平和記念公園に移植されましたが、[平和を愛する心]、[命あるものを大切にする心]を後世に継承するため、この被爆アオギリが実らせた種を発芽させて育て、成長した苗木を「被爆アオギリ二世」と名付けて配布しています。

 皆さんの手で大きく育て、平和の尊さを伝えていってください。広島市長 松井 一實

 この特別な苗木を、これから桐朋小学校のみんなで大事に育てていきたいと思います。