6年生では百人一首が人気

6年生の歴史の授業では和歌について取り上げ、「百人一首」、さらに「競技かるた」について学びました。

かつて全国高校競技かるた選手権大会10連覇を成し遂げた名門高校の競技かるた部出身である、桐朋小の司書の先生を教室へお招きして、その青春時代や部活としての競技かるたについて熱く語っていただきました。和歌にちなんだ先生の名前のことや、競技かるた部の意外な「体育会系」的な雰囲気について等、とても面白いお話で、子どもたちも強く興味を惹かれていました。授業の後半では実際にかるたで対決する場面も見せてもらいましたが、先生の圧巻のスピードに歓声があがりました(ルールでは、音をたててはダメなのですが)。

この授業以降、6年生では「競技かるたブーム」が巻き起こっていて、休み時間では図書室をはじめ様々なところで、かるたに興じる子どもたちの姿がみられています。

 

 

世界に一つだけの竹馬にのってみよう

土曜参観の日、子どもたちと保護者の方で協力をして竹馬づくりに挑戦しました。

竹馬づくりに向けて、竹を扱いやすい長さに切っておいたり、材料をまとめておいたりなど、保護者のボランティアの方が準備をしてくださいました。

竹馬実行委員の子どもたちは、竹馬の足場となる木材をみんなの分受け取りに行ってくれました。自分の竹馬の木材を受け取ったみんなは、熱心にやすりがけしながら竹馬づくりへの期待を膨らませます。

 

さあ、竹馬づくりの当日。お日様に背中を押されて、子どもも大人も気合十分。

竹を切ったり、木を針金でとりつけたり、釘を打ったり・・・。最後に名前を書いて、ついに自分専用の竹馬が完成!

さっそく、大人に支えてもらいながら、竹馬にのってみた子どもたち。「たかーい!」「みぎ、ひだり、みぎ、ひだり」「ママとパパものってみて!」なんて楽しい声が聞こえてきました。

 

余った竹は、「自由につくってお土産にしていいよ」と言うと、たちまちコップやゆびわ、剣に双眼鏡など、いろんなものに変身していました。

     

子どもたちは、自分の手でつくった竹馬とすっかりお友達になって、挑戦して失敗してまた挑戦する毎日を過ごしています。

桐朋小だよりを更新しました。

「桐朋小だより」を更新しました。以下、2025年度更新記事一覧です。

タイトルをクリックすると記事をご覧いただけます。

子どもたちの様子をお楽しみください。

 

 7月15日(火) 「世界に一つだけの竹馬にのってみよう」

 7月11日(金) 「金属のさまざまな性質を調べよう」

 7月 8日(火) 「桐朋学園小との交流会」

 7月 4日(金) 「広がる、科学の世界」

 7月 1日(火) 「あじさいがいっぱい」

 6月27日(金) 「『自分たちの手で学校をつくっていこう!』」

 6月24日(火) 「仙川オリジナル地図を作っています」

 6月20日(金) 「田んぼを作ろう」

 6月17日(火) 「今しかできないあそび」

 6月12日(木) 「おいしい梅ジュースになあれ!」

 6月10日(火) 「手拍子で応援!~中高生の体育祭~」

 6月 6日(金) 「春の遠足」

 6月 3日(火) 「カイコが生まれたよ!」

 5月30日(金) 「八ヶ岳合宿で自然を満喫プログラム」

 5月27日(火) 「パートナーさんと学校探検その2」

 5月23日(金) 「待ちに待った高尾山遠足」

 5月20日(火) 「遠足に行ってきました。」

 5月16日(金) 「ヨモギだんごづくり」

 5月13日(火) 「2年生『みんなでつくった春の遠足』」

 5月 9日(金) 「消防車の写生会」

 5月 7日(水) 「地区別懇談会を行いました」

 5月 2日(金) 「みんなで1年生を温かく迎えました」

 4月28日(月) 「子ども団始動!」

 4月25日(金) 「パートナーさんと学校探検」

 4月22日(火) 「池ぽちゃ第一号誕生!」

 4月18日(金) 「入学式を行いました」

 4月15日(火) 「3年生、始まりました」

 4月11日(金) 「新年度が始まりました」

命を活き活きと輝かせてチャレンジし続ける卒園生[Ⅱ‐430]

卒園生のTさん(桐朋幼稚園、桐朋小学校、桐朋中学校、桐朋高校を卒業して、現在、九州大学大学院で学ぶ)へ話を伺う機会がありました。Tさんは、ご自身の願いによって、外の世界(人やもの)と自分自身にはたらきかけ、いろいろなことを取り込みながら、新しい自分を創造していました。

   

「こんにちは卒業生」

 チャレンジし続ける         小学校卒業第55期 T・Yさん

〈初等部〉 幼稚園ではとにかく自由でした。したいことを先生に伝えると、一緒に泥だらけになって全力で遊んでくれた印象があります。仲良くなるための喧嘩なら喧嘩スペースを作ってくれたりして。そのおかげでのびのび成長でき自分の基礎を作ることができたと思います。              

また、小学校も思い出がたくさんあり、特に味噌を作ったりして発酵をテーマに「発酵食品パーティー」をしたのが印象深いです。担任の先生がすごく活動的で、みんなで食材の育て方から料理の仕方を学んで、料理を囲むのは本当に楽しかったです。

自主学習ノート制度もまた印象的です。当時は本当に勉強が嫌いで宿題とか嫌いでした。そんな中で担任の先生が自主学習ノートを開始、「好きなことを勉強してノート2ページ分書いてきて!」って。自分は初めての自主学習ノートで「世界の標高の高い山」について調べたんですけど、それでも「よく調べたね。学びになったね。」って伝えてくれて。社会とか特に嫌いだったんですけど、今ではそれが学ぶ楽しさを知るきっかけになったんじゃないかなって思ってます。 

*2025年3月現在、卒業は66期

〈中高時代〉 めっちゃ楽しかったです。男子校ならではの楽しさが凝縮されてて、同級生だけじゃなくて先生との思い出もたくさんある6年間でした。

また、中学の修学旅行で東北の被災地を訪れたとき、津波の映像やその津波の傷跡を見てすごく衝撃だったのは今でも忘れられないです。その時に人々を助けるような仕事がしたいなあってなんとなく思ったんですよね。

そうしたら高校生の時に電車で見たJICAの広告で、きれいな飲み水がない地域があること知って、工学に興味があったことも相まって「これだ!」って。自分なら井戸を作ることで手助けをできるかもしれないって思ったんです。それを軸として大学を選んで入学しました。

〈大学時代〉 自分の通っていた学科が海外との結びつきが強いっていうのもあって、海外に行くことが増えました。それまであまり海外って行ったことなくて。

特にその中でもJICAのボランティア派遣体験プログラムに参加したときにガーナに行ったんですけど、この三週間の経験は印象深くて、とてもいい経験になりました。

現地の人に話を聞いたり、実際の市場とかを見て、課題や改善点を自分たちで見つけ出して、現地のNPOとJICAの人から毎日フィードバックをもらいながら、解決策を自分たちで考え出して提案するみたいなことをしました。しかし、生活水準や衛生環境はそう簡単に変えられない、こんなにも何もできないのかっていう無力感を感じてしまうことが多かったり、自分たちは4人1組で日本人同士支え合っているからできたけど、一人でやるってなったらしんどいのかなって思いました。

それでも、これをしなかったら、ちょっとずつしていかなかったら何も変わらないとも思いました。このような経験から、今では海外と関わりの強い専攻を選択し、将来もそんな仕事に携われるように学び、活動しています。

桐朋教育研究所発行『桐朋教育』(2025年7月発行予定)「こんにちは卒業生」より

誌面の都合から、記事では概要をお伝えしています。

記事に関連した語りに少し触れると、「教室で味噌とか作って、びっくりしましたね。カビとか入ってて。『あ、こんなん食えねえじゃん』と思ったり…。だけど、カビを取ってどんどん発酵させていくとか、なんかいろいろ面白くなって…」(小)、

「小学校の時に野球をちょっとやってて、見逃し三振とか空振り三振した時に悔しすぎて、悔しいけどその怒りをボールにぶつけろとか言われたんですけど、当たらないからぶつけられないし、どうすればいいんだろうと思って。それだったら、もっと直接たたかうような柔道とかラグビーとかにしよう。それで負けたら本当に自分の実力不足だなって諦めがつくかなと思って。柔道とラグビーで迷った時に、個人スポーツだと努力しなくても試合に出れるけど、集団スポーツだと努力しないと試合に出れないぞって、親から言われて、ラグビー選んだって感じでしたね」(中)

など、その時々の感動、熟考、選択がとても豊かでした。

Tさんは保護者から、「『勉強をしなさい』と言われた印象はほとんどない」と言っていました。先ほど「柔道とラグビーで迷った時」のことで触れましたが、ご自身が迷ったり困ったりした時に、親の考えを聞いて、自分で考え決めたことを言われていました。

Tさんの親御さんは、自分で間違えたり、失敗したり、行きつ戻りつしながら成長していく人間観をお持ちで、ゆったりした関わりをされていると、私は捉えています。

Tさんのお話全体から、迷いやとまどいも含めてその瞬間を充実して生きること、その積み重ねが自由に、幸せに生きることにつながること、心をやわらかくして自分の気持ちに正直であること、芯となるものをつかみ、磨くことなどを大切にしていると捉えました。

私たちは、保育、教育において「生涯を通しての自己実現のための素地の形成を援助する」ことを大切にしていますが、「素地を形成を援助する」ためには、先取りや、目先のための学びではなく、今この幼児期、児童期でなければ学んだり、身につけたりすることが出来ないことを子どもたちに示したいと、Tさんのお話を伺い、あらためて思いました。

 写真はすべて先週の様子から

金属のさまざまな性質を調べよう

4年生の理科の授業では、「金属」の学習をしています。

子どもたちは1人1人「アルミニウム」「銅」「鉄」「真鍮」の金属片をもらい、手で触ったり、金づちで叩いたりしながら、どのように変化するかを観察し、【形】【温度】【硬さ】などの性質を調べます。

写真を見たり文章での説明を読むだけでは分からない金属の特徴を、実物を手にしながら学んでいきます。

先日の授業では「竹串」を金づちで叩いて、金属との違いを調べることもしていました。

 

桐朋学園小との交流会

先日、国立にある桐朋学園小学校に招かれて、スポーツやゲームを通して交流の時間をもちました。

会場にはいくつもの種目があり、ウィンクキラーやカードゲーム、爆弾ゲームやいすとりゲーム、そしてフルーツバスケット、鬼ごっこ、ドッヂボール、バスケットボールなど、自分の好きな遊びを選んで自由に参加することができました。

遊びのあとは、おいしいチョコチップメロンパンとジュースをいただき、ほっとひと息。

さらに圧巻だったのは、桐朋小の三人によるお笑いステージ!会場全体がどっかんどっかん笑いに包まれるほどの大盛り上がりでした。三人の思い切りのよさと勇気に、みんなで思わず拍手。学園小一番大きい子と桐朋小で一番大きい子の腕相撲など、交流もできました。

 

この日、新しい友だちができた人もたくさんいたようです。中学校でまた出会い、つながっていく仲間たち。この先の広がりが、とても楽しみです。

 

<子どもたちのふりかえり>

「学園生の子たちはみんなすぐに仲よくしてくれて、友だちができるか心配だったけれど、すぐに心配がふきとんだ。最後にみんなの前で話す時はすごくドキドキしたけど、たくさんの拍手の音がしてすごく安心してうれしかった。また会いたい!」

「フルーツバスケット、いす取りゲーム、ばくだんゲーム、たのしかったです。学園小の子はすごく背が高くてびっくりしました。校しゃもきれいで、とてもいいなと思いました。」

「すごくやさしくて同い年とは思えないくらいだった。みんなであだ名をつけ合ったり、○○ちゃんのチームとウィンクキラーをやったりしてすごくたのしかった。中学で会う約束もできた。会えたらいいな」

「最初のボールを回す爆弾ゲームで二人と友だちになれました。しかも同じドッジボールチームでもっと仲が深まってたのしかった。最後のおやつでいろいろ話をして、本当に良いこうかん会でした」

「学園小でやったお笑いは、5日という短い時間で作り上げました。三人でたくさん練習しました。最後にみんなのわらい声が聞こえてきて、大せいこうで終わってよかったです」

 

広がる、科学の世界

桐朋小学校では、身近な自然や現象、科学のことを様々な場面で学んでいます。

今回は、理科の授業を中心に子どもたちの様子をご紹介します!

 

【メダカが生まれる瞬間に出会う】

5年生の『メダカの誕生』では、一人ひとつのメダカの卵をもらい、孵化して稚魚になるまでをじっくり観察します。

とある授業中、「今おれのメダカが生まれた!!」と感動的な場面にも立ち会いました。

光学顕微鏡(40~400倍)で見ると、メダカの心臓が動いて血液が流れているところまで見ることができます。

小さな命が”生きている”ことを実感する、大切な学びとなっています。

 

【金属の特性を知る】

4年生では、『金属』の単元で、身近にある金属を金づちでたたいたり、やすりで磨く実験をしながら、特性を知っていきます。

 

放課後も無我夢中で金属を磨く子どもたち。

すると、「きたきたきたー!」

磨いていくと、鏡のように光を反射するようになっていきます。本来の金属の色に出会い、光輝かせる。

まさに子どもたちが、金属の実験を”極めていく”のです。

 

【カブトムシが成虫に】

幼虫をいただいて、大事に育ててきたカブトムシがたくさん羽化しました!

廊下に展示して、たくさんの子どもたちが夏の訪れを感じています。

命をつないで、来年も卵から成長する様子が見られますように…。

 

【最後に…】

子どもたちは、科学の世界が大好きです。

「もっと知りたい」「試してみたい」「なぜだろう」…一人ひとりの気持ちを大切に学びを広げていきます。

学ぶことはやっぱり楽しい。

あじさいがいっぱい

夏が来たかと思えば、梅雨がやっぱり戻ってきて体調管理にも気を使う毎日です。
暑すぎても、蒸しても、うんざりします。
そんな時に気持ちを引き立ててくれるのは、色とりどりの紫陽花です!

 

この写真を撮った日は、おひさまが強すぎて少し暑そうな様子でしたが、校舎の中のお花はとっても活き活きしています!

美術の時間に3年生が描いた紫陽花

 

幼稚園のお部屋でみつけた、かわいらしいカタツムリ

 

 

染紙がつるしてあって、これもお花のようでした

 

体調管理に気を使う毎日ですが、良く寝て、よく食べて、元気に夏本番を迎えましょう。

「自分たちの手で学校をつくっていこう!」

桐朋小学校は子どもたち一人ひとりが主人公となり、自分たちの手でつくっていく学校です。

そのために、毎年、学校の目標や、「こんなことをしてみたい!」などのことを5、6年生の委員会が中心となって、全校の子どもたちで話し合っています。

1学期が始まってしばらくすると、1年生から6年生すべてのクラスで話し合いをし、「みんなの声のはっぱ」を作ります。

話し合うテーマは3つ。

・こんな学校にしたい!(オレンジのはっぱ)

・こんな遊びをやってみたいなあ(緑のはっぱ)

・「遊びのきまり」について考えたいこと、言いたいこと(黄色のはっぱ)

クラスで様々な意見を出し合い議論しながら、「クラスの意見」としてまとめていき、3枚のはっぱを完成させます。小さい学年の人も、やってみたいことはたくさん。要望として上の学年の人たちに伝える機会になり、実際に実現していくこともたくさんあります。

各クラスから集まってきたはっぱは、内容ごとに委員長会議で各委員会に振り分けられ、話し合われていきます。

そして先週、「前期子ども集会」が行われました。集会では、代表委員会がはっぱをもとに作った「桐朋小学校の今年の目標」や、各委員会の活動目標、はっぱをもとに話し合われたことが発表されました。

今年の目標は、この2つ。

・学びと遊び、どちらも大切に、みんなが学びたいことを学べて、やりたい遊びができる学校

・温かい雰囲気で、困ったことやいやなことがあっても、解決できる学校

議長をしていた代表委員からは、「みんなで一緒に学校をつくっていきましょう!」という力強い言葉も。

この目標を達成できるよう、5、6年生にはリーダーシップを発揮してもらい、全校のみんなで桐朋小学校をつくっていってほしいです。

 

 

「おばあちゃんの歌」、『核兵器と戦争のない世界をめざす高校生』、東京大空襲の証言に学ぶ [Ⅱ‐429]

1、城間 一歩輝(いぶき)さんの「おばあちゃんの歌」を読む

沖縄全戦没者追悼式で、城間さんが「おばあちゃんの歌」を読みました。何度も読み返しました。

「おばあちゃんの歌」 豊見城市立伊良波小6年・城間一歩輝

毎年、ぼくと弟は慰霊の日に/おばあちゃんの家に行って/仏壇に手を合わせウートートーをする

 

 一年に一度だけ/おばあちゃんが歌う/「空しゅう警報聞こえてきたら/今はぼくたち小さいから/大人の言うことよく聞いて/あわてないで さわがないで 落ち着いて/入って いましょう防空壕(ごう)」/五歳の時に習ったのに/八十年後の今でも覚えている/ 笑顔で歌っているから/楽しい歌だと思っていた/ぼくは五歳の時に習った歌なんて覚えていない/ビデオの中のぼくはあんなに楽しそうに踊りながら歌っているのに

 

 一年に一度だけ/おばあちゃんが歌う/「うんじゅん わんにん 艦砲ぬ くぇーぬくさー」/泣きながら歌っているから悲しい歌だと分かっていた/歌った後に/「あの戦の時に死んでおけば良かった」/と言うからぼくも泣きたくなった/沖縄戦の激しい艦砲射撃でケガをして生き残った人のことを/「艦砲射撃の食べ残し」/と言うことを知って悲しくなった/おばあちゃんの家族は/戦争が終わっていることも知らず/防空壕に隠れていた/戦車に乗ったアメリカ兵に「デテコイ」と言われたが/戦車でひき殺されると思い出て行かなかった/手榴弾を壕の中に投げられ/おばあちゃんは左の太ももに大けがをした/うじがわいて何度も皮がはがれるから/アメリカ軍の病院で/けがをしていない右の太ももの皮をはいで/皮ふ移植をして何とか助かった/でも、大きな傷あとが残った/傷のことを誰にも言えず/先生に叱られても/傷が見える体育着に着替えることが出来ず/学生時代は苦しんでいた

 

五歳のおばあちゃんが防空壕での歌を歌い/「艦砲射撃の食べ残し」と言われても/生きてくれて本当に良かったと思った/おばあちゃんに/生きていてくれて本当にありがとうと伝えると/両手でぼくのほっぺをさわって/「生き延びたくとぅ ぬちぬ ちるがたん」/生き延びたから 命がつながったんだね/とおばあちゃんが言った

 

八十年前の戦争で/おばあちゃんは心と体に大きな傷を負った/その傷は何十年経っても消えない/人の命を奪い苦しめる戦争を二度と起こさないように/おばあちゃんから聞いた戦争の話を伝え続けていく/おばあちゃんが繫いでくれた命を大切にして/一生懸命に生きていく

2、『核兵器と戦争のない世界をめざす高校生』に学ぶ

『核兵器と戦争のない世界をめざす高校生たち 平和集会・平和ゼミナールの50年』を読みました。本書には、高校生平和ゼミナール(以下、高校生平和ゼミ)の活動として、「被爆者の体験を聞き、その継承につとめること」、「学び、調べ、表現する」、「地域を掘り起こす」などの取り組みが書かれています。

たとえば、2001年9月テロ事件、その後の報復戦争、日本の自衛隊派遣について、高校生平和ゼミでは国際法と国連憲章の学習や憲法9条の学習を行い、報復戦争の即時中止をアメリカ大統領に申し入れてほしいと訴える署名運動を行いました。「日本政府は憲法第9条を生かし、戦争とテロをなくすために行動」を求め、「イラク攻撃反対全国高校生平和集会」(1250人の参加)を開催し、声をあげました。

2020年2月、ロシアのウクライナ侵攻に対しては、「軍事侵攻と核兵器使用の威嚇に抗議し、ただちに平和的解決がされるよう世界各国が最大の努力をすることを求めます」との抗議声明を出し、3月抗議文をロシア大使館に渡します。それ以降も学び、「プーチン大統領、すぐに戦争をやめてください!」緊急署名に取り組みます。ロシア大使館近くで抗議集会を行いました。

2023年には、イスラエルに対する抗議行動、イスラエル大使館に抗議文を届けました。ガザにもウクライナにも平和を! 高校生たちは声をあげています。

全国高校生平和集会は、51年間続いています。2024年3月(ビキニ事件から70年)、全国高校生平和集会in焼津2024集会アピールでは、平和のために学習と行動を呼びかけました。それは、

1.被爆者や戦争体験者のお話を聞き、沖縄の現実を学び、「自分事」としてとらえ、核兵器と戦争のない世界をつくるために、私には何ができるか考え、行動をしましょう。

2.「日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准を」高校生署名に取り組み、政府に届けましょう。

3.ウクライナやガザなど世界の紛争をやめさせ、平和な世界をつくるために、いっしょに声をあげましょう。

でした。

本書の中で、高校生平和ゼミ世話人 沖村民雄さん(元桐朋中学、桐朋高校教員)は、「高校生たちは、いじめや不登校などに傷つき、受験競争に翻弄されながら、戦争体験者の証言や沖縄の現実にふれ、学校生活や将来のことについて語り合いながら、生きることの意味、学ぶことの意味を問いつづけてきた。(中略)高校生の活動を支えてきたのは『自分たちにも平和のためにできることがある』という思い、確信である。」と述べていました。

これからも、高校生が「学び、調べ、表現する」ことで自己を成長させ、仲間と連帯し、主権者として育つ姿に学びたいと思います。

 

3、東京大空襲の証言に学ぶ

6月21日(土)、土曜参観を行いました。6年生は、保護者の方と一緒に「東京大空襲」の証言を聞きました。話してくださったのは、竹内静代さん(当時14歳)、元木キサ子さん(当時10歳)、二瓶治代さん(当時8歳)でした。竹内さん、元木さん、二瓶さん、ありがとうございました。

3名の方から、学校としてこのような取り組みを続けていることをこれからも大切にしていってほしいと励まされました。

6月21日、土曜参観より

以下、コラム394「戦争の惨禍」再録

現在、世界では戦争があり、止めることができず、命が奪われ、傷ついています。

戦争について学び、平和を実現したいと強く願います。

(略) 

竹内さんは、『あのとき子どもだった―東京大空襲21人の記録』(東京大空襲・戦災資料センター編、績文堂出版、2019年)に、「「明日」は「未来」であり「希望」です。ここまで歩いてきた73年の道。紆余曲折はあったけれど、とにかく戦争をしないで歩いてきた道です。平和な73年の道程です」と書いています。戦争はしない、世界の平和を実現したいと、竹内さんの「希望」に自分の気持ちを重ねます。

東京大空襲

1945年3月10日午前0時すぎ、東京大空襲がありました。

『あのとき子どもだった―東京大空襲21人の記録』には、

「約300機のB29が東京上空にあらわれ、大規模な空襲を行いました。(略)この空襲は、夜間に、それまでより低い高度(1600~2200m)から大量の焼夷弾をばらまき、人口の密集した住宅地を焼き払うことを目的としていました。」

「3月10日の空襲では、このM69焼夷弾が1538トン、約32万発も投下されました。爆撃していた時間から計算すると、1秒間に30発以上のM69焼夷弾が落ちてきたことになります。この焼夷弾が直撃して亡くなった人もいます。」

「焼夷弾が落とされた時間はわずか2時間半ほどでしたが、それによって発生した火災は、明け方になって、もう燃えるものがなくなってようやく静まりました。この日の死者は約10万人といわれています。家や財産を焼かれた被害者(罹災者)は100万人に達しました。」

「30代くらいまでの男性の多くは軍隊に行っていたので、空襲で被害をうけ犠牲となったのは、女性・子ども・高齢者など、国内(銃後)に残っていた、戦う力をもたない民間人が中心でした。なかには、それまで疎開していたのに、卒業や進学のために東京に帰ってきて命を落とした子どももいました。また、東京で暮らしていた、あるいは働かされていた朝鮮人たちも被害を受けました。4万人余りが被災したと言われていますが、犠牲者の数など、くわしいことはわかっていません。」。

などと書かれ、たくさんの命が奪われました。

3名の方の証言から

竹内静代さん(前掲書に竹内さんが書かれており、参照させていただきました。)は、自身の「子ども時代」の話をしてくださいました。1年生の時の進軍歌、4年生の時の「皇紀2600年の奉祝歌」のお話、「一系の天子」「大内山松の緑」「肇国の大精神」など国史の授業で習ったことばの書初め、修身の時間は声を張り上げて教育勅語を暗唱したそうです。ラジオから鳴り響く軍艦行進曲、軍歌など、アナウンサーは<鬼畜米英><進め一億火の玉だ><国民精神総動員>などと勇ましいことばを発したそうです。

学校、社会が戦争に突き進む日常があったことを知り、その恐ろしさを感じました。

「明日も学校へ行ける。明日も先生や友だちに会える。明日が確実にやってくる。昨日から今日、今日から明日へと普通につづく生活は当たり前だけれど、その当たり前がとても貴重だと思うのです。」(前掲書)と書かれ、「当たり前」を大切にしていきたいと思います。

元木キサ子さんの証言は、本コラム[Ⅱー372](2023年11月)で紹介させていただきました。元木さんは、本校の元保護者で、『私の戦中記 子どもに語る母の歴史』(桐朋学園初等部PTA編集部編、1973年)に「空襲」をお書きになりました。元木さんに許可をとって、全文を掲載させていただきました。

二瓶治代さん(前掲書に二瓶さんが書かれており、引用させていただきました。)は、「仲良しの昌夫ちゃんの死、昌夫ちゃんのお母さん、学童疎開から帰ってきたばかりの昌夫ちゃんのお兄さん、妹、おばあちゃんも亡くなりました。防空壕を出ようとした二瓶さんに「ここにいなさい」と云ってくれたお隣のおばさんご一家も、友だちの久代ちゃんもみんな死んでいました。前の日の夕方まで学校ゴッコや戦争ゴッコなどをして遊んでいた、大切な大切な友達でした。「じゃあ、またあしたネ」と云って別れた友達でした。やさしかった近所のおじさんや、おばさんもどこかに消えてしまいました。/こうしてこの日は私のすぐそばで大勢の人が死んでゆきました。」と述べています。かけがえのない日常が一晩でなくなってしまった悲しみや辛さ、その思いをずっと持ち続けていることを考えます。

日本も戦争で、他国へ空襲を行い、命を奪いました。今回読んだ『東京大空襲を忘れない』(瀧井宏臣著、講談社、2015年)には、「1938年2月から44年12月にかけて、中国の臨時政府がおかれていた重慶とその周辺を爆撃し、200回以上の空襲で2万人以上を虐殺したのです」などと書かれています。これからも調べて、理解していきたいと思います。