投稿者: tohoblog
泥にまみれる
1年生1学期の生活を紹介します。
子どもたちは日々、畑や自然広場で遊んでいます。 自然広場は休み時間になると学年問わず笑い声が響く素敵な遊び場です。
陸地と島の間に配置されている石、通称飛び石。この飛び石を巡っても子どもたちは様々な葛藤があります。自分一人では飛べなくても周りに友だちがいて応援してくれたり、飛んでいく友だちを見て自分もやってみたいという気持ちになって、一歩踏み出せるのです。成功して友だちと一緒に喜んだり、それを見ていた他の子どもたちからも感嘆の声が上がることもあります。もちろん無事に成功することばかりではありません。失敗して落ち込んだり、励まされたり、そんなやり取りを繰り返しながら少しずつ挑戦していきます。
自然広場だけでなく畑にも子どもたちは向かいます。自分たちの育てている野菜のお世話をしにいくのです。草取りや開梱をする中で土に触れ、たくさんの生き物に触れています。畑で草取りをしたあとは植物に水をあげます。その中で水のかけあいが始まることもあります。
草船を作って自然広場に流して遊ぶこともあります。流れていく船の後を追いながら気づいたら池の中にいることも。雨が降った後の自然広場や畑に行って水たまりに飛び込んで泥だらけになることもあります。
子どもたちは日々、自然と触れ合いながら気が付くとびしょ濡れ、泥だらけになっています。服が濡れたら乾かせばいいし、汚れたら洗えばいいのです。
今しかできない時間と経験があります。子どもたちの“やりたい”を真ん中に学校生活を作り続けていきたいです。
桐朋小だよりを更新しました。
「桐朋小だより」を更新しました。以下、2025年度更新記事一覧です。
タイトルをクリックすると記事をご覧いただけます。
子どもたちの様子をお楽しみください。
8月26日(火) 「泥にまみれる」
8月22日(金) 「物語とつながる葉っぱのお手がみ」
8月19日(火) 「5年八ヶ岳合宿その②」
8月 8日(金) 「5年八ヶ岳合宿その①」
8月 5日(火) 「『初めてセミの羽化を見た』 4年合宿その③」
7月31日(木) 「『カエルを57ひきつかまえた!』『見て見て、サワガニ!』 4年合宿その②」
7月29日(火) 「全員がリーダー!みんなで創る合宿を… 4年合宿その①」
7月25日(金) 「わくわく ほくほく 蒸かし芋」
7月22日(火) 「『サマーワールドフェス in TOHO』」
7月18日(金) 「6年生では百人一首が人気」
7月15日(火) 「世界に一つだけの竹馬にのってみよう」
7月11日(金) 「金属のさまざまな性質を調べよう」
7月 8日(火) 「桐朋学園小との交流会」
7月 4日(金) 「広がる、科学の世界」
7月 1日(火) 「あじさいがいっぱい」
6月27日(金) 「『自分たちの手で学校をつくっていこう!』」
6月24日(火) 「仙川オリジナル地図を作っています」
6月20日(金) 「田んぼを作ろう」
6月17日(火) 「今しかできないあそび」
6月12日(木) 「おいしい梅ジュースになあれ!」
6月10日(火) 「手拍子で応援!~中高生の体育祭~」
6月 6日(金) 「春の遠足」
6月 3日(火) 「カイコが生まれたよ!」
5月30日(金) 「八ヶ岳合宿で自然を満喫プログラム」
5月27日(火) 「パートナーさんと学校探検その2」
5月23日(金) 「待ちに待った高尾山遠足」
5月20日(火) 「遠足に行ってきました。」
5月16日(金) 「ヨモギだんごづくり」
5月13日(火) 「2年生『みんなでつくった春の遠足』」
5月 9日(金) 「消防車の写生会」
5月 7日(水) 「地区別懇談会を行いました」
5月 2日(金) 「みんなで1年生を温かく迎えました」
4月28日(月) 「子ども団始動!」
4月25日(金) 「パートナーさんと学校探検」
4月22日(火) 「池ぽちゃ第一号誕生!」
4月18日(金) 「入学式を行いました」
4月15日(火) 「3年生、始まりました」
4月11日(金) 「新年度が始まりました」
物語とつながる葉っぱのお手がみ
夏休みの間に、子どもたちから暑中見舞いや残暑見舞いが届いています。元気に過ごしている様子や夏の思い出が書かれていて、読んでいるととてもあたたかな気持ちになります。
そんな残暑見舞いを読んでいるうちに、夏休み前に行った授業のことが思い出されました。
あるお友達が「文字が書ける葉っぱ」を見つけてきてくれたのです。その葉は「タラヨウ(多羅葉)」といい、裏面に傷をつけると黒く変わり、文字が浮かび上がる不思議な葉っぱ。昔は紙の代わりに手紙として使われていたことから「ハガキノキ」と呼ばれ、今でも切手を貼れば葉っぱのまま郵送できるそうです。
ちょうどその頃、国語の学習で『はるねこ』という物語を読んでいました。主人公のあやが、はるねこから葉っぱの手紙をもらう場面があったことに気づいた子どもたちは、「自分たちもやってみたい!」とわくわく。実際にタラヨウの葉におうちの方への手紙を書き、昔の人のやりとりに触れるような体験となりました。
『いつもおべんとうつくってくれてありがとう』
『パパいつもありがと♡』
『ママへ 大好き‼ママといっしょにいるだけでうれしいよ。本もよんでくれてありがとう♡』
『いつもごはんつくってくれてありがとう。♡☆△◇』
『かぞくみんなへ いつもありがとう’▿’ これからもみんないっしょにあそんでね。またいっしょにこうえんいこうね』
5年生八ヶ岳合宿その②
5年生合宿2日目。この日の名の活動は、ハイキングとキャンプファイヤーです。
去年、ハイキングは近くの滝までのミニハイクでしたが、今回はかなり距離を伸ばし、さらには団のメンバーだけで歩くグループチャレンジにも挑戦することに。
当日、とてもいいお天気の中出発しました。
前日までの雨で川が増水していたため、予定していた沢沿いを歩くことは断念。グループチャレンジも少し短い距離になってしまいましたが、高原の涼しい風を味わいながら、みんなで楽しく歩くことができました。
ゴールではおいしいソフトクリームをいただきました。
キャンプファイヤーは、係の人たちが点火の劇やダンス、ゲームを企画します。今年は完全オリジナルの劇を作りました。やぐらはキャンプファイヤー係以外の人たちで力を合わせて作りました。
本番では劇、ダンス、ゲーム、どれも大いに盛り上がりました。ダンスでは担任の先生にサプライズで踊ってもらい、こちらも盛り上がりました。
キャンプファイヤーの最後には、去年見ることができなかった満天の星が。夏の大三角はもちろん、北斗七星やさそり座など、夏の星座をたくさん見ることができました。管理人の方が「こんなにきれいな星空をは1ヶ月以上見ていない」と言っていたほど、見渡す限りの星空でした。
最終日。お世話になった寮に感謝の気持ちをこめて、きれいに掃除します。みんな時間いっぱい一生懸命掃除し、とてもきれいになりました。出発前には大きなヘビの抜け殻を発見!最後の最後まで自然を味わい尽くしました。
今年の合宿は去年と比べてどうだったでしょうか。4年生の時にはできなかったことも、今年はたくさん経験することができました。夏休み明け、みんなの思い出作文を読むのが楽しみです。
長崎平和宣言 [Ⅱ-433]
雨風が続いています。大雨による大きな被害が伝わり、被害にあわれた方がたくさんいます。九州に住む友人から、「大雨で自宅缶詰。土砂崩れや
戦争が続いています。戦争で亡くなる子ども、飢えて亡くなった子どもの映像を見ます。この事実を知ろうとしなくてはいけないと思うのです。
桐朋小6年生 広島修学旅行
8月9日、長崎市長の平和宣言を聞きました。その後、平和宣言を写して読みました。毎年、しっかり読むようになったのは、2009年、長崎で土山秀夫さん(被爆者、医者)とお会いしてからです。土山さんは、平和への強い思いを伝えてくださいました。土山さんと出会って、土山さんが平和宣言の起草委員を務められていることを知り、平和宣言を学び考えていこうと思いました。
2025年平和宣言は、「対立と分断の悪循環で、各地で紛争が激化」し、「人類存亡の危機が、地球で暮らす私たち一人ひとりに、差し迫っている」と書かれています。
桐朋学園初等部で大切に使っている「地球市民」ということばも出てきます。宣言には、地球市民として、「人種や国境などの垣根を越え、地球という大きな一つのまちの住民として、ともに平和な未来を築いていこうという思い」が込められていました。
NHKのニュースでは、今回の平和宣言の特徴として、「紛争をしている人たちに対して武力による争いを今すぐやめるように求め、核兵器が存在するかぎり、誰もが核兵器の脅威にさらされる「当事者」であることを強調」、「長崎の被爆者が大切にしている人種や国などの違いを超えた「地球市民」という視点を新たに盛り込み、「地球市民」として対話を重ねることで分断を乗り越えていく」ことが書かれていました。
以下、原文を写しました。
1945年8月9日、このまちに原子爆弾が投下されました。あの日から80年を迎える今、こんな世界になってしまうと、誰が想像したでしょうか。
「武力には武力を」の争いを今すぐやめてください。対立と分断の悪循環で、各地で紛争が激化しています。
このままでは、核戦争に突き進んでしまうー。そんな人類存亡の危機が、地球で暮らす私たち一人ひとりに、差し迫っているのです。
1982年、国連本部で被爆者として初めて演説した故・山口仙二さんは、当時の惨状をこう語っています。
「私の周りには目の玉が飛び出したり 木ギレやガラスがつきささった人、首が半分切れた赤ん坊を抱きしめ泣き狂っている若いお母さん 右にも 左にも 石ころのように死体がころがっていました」
そして、演説の最後に、自らの傷をさらけ出しながら、世界に向けて力強く訴えました。
「私の顔や手をよく見てください。世界の人々 そしてこれから生まれてくる子どもたちに私たち被爆者のような 核兵器による死と苦しみを たとえ一人たりさも許してはならないのであります」
「ノー・モア・ヒロシマ ノー・モア・ナガサキ ノー・モア・ウォー ノー・モア・ヒバクシャ」
この心の底からの叫びは、被爆者の思いの結晶そのものです。
証言の力で世界を動かしてきた、被爆者たちの揺るがぬ信念、そして、その行動が評価され、昨年、日本被団協がノーベル平和賞を受賞しました。日本被団協が結成されたのは、1956年。心と体に深い傷を負い、差別や困窮にもがき苦しむ中、「自らを救うとともに、私たちの体験をとおして人類の危機を救おう」という結成宣言をもって、長崎で立ち上がりました。
「人類は核兵器をなくすことができる」。強い希望を胸に、声を上げ続けた被爆者の姿に、多くの市民が共感し、やがて長崎に「地球市民」という言葉が根付きました。この言葉には、人種や国境などの垣根を越え、地球という大きな一つのまちの住民として、ともに平和な未来を築いていこうという思いが込められています。
この「地球市民」の視点こそ、分断された世界をつなぎ直す原動力となるのではないでしょうか。
地球市民である、世界中の皆さん。
たとえ一人ひとりの力は小さくとも、それが結集すれば、未来を切り拓く大きな力になります。被爆者は、行動でそう示してきました。
はじめの一歩は、相手を知ることです。対話や交流を重ね、互いに理解し、小さな信頼を重ねていく。これは、私たち市民社会の大きな役割です。
私たちには、世界共通の言語ともいえるスポーツや芸術を通じて、また、発達した通信手段を使って、地球規模で交流する機会が広がっています。
今、長崎で、世界約8500都市からなる平和主張会議の総会を開いています。市民に最も身近な政府である自治体も絆を深め、連帯の輪を広げています。
地球市民として、共感と信頼を積み重ね、平和をつくる力に変えていきましょう。
地球市民の一員である、すべての国の指導者の皆さん。
今年は、「戦争の惨禍を繰り返さない」という決意のもと、国連が創設されてから80年の節目でもあります。今こそ、その礎である国連憲章の理念に立ち返り、多国間主義や法の支配を取り戻してください。
来年開催される核不拡散条約(NPT)再検討会議は、人類の命運を左右する正念場を迎えます。長崎を最後の被爆地とするためには、核兵器廃絶を実現する具体的な道筋を示すことが不可欠です。先延ばしは、もはや許されません。
唯一の戦争被爆国である日本政府に訴えます。
憲法の平和の理念と非核三原則を堅持し、一日も早く核兵器禁止条約へ署名・批准してください。そのためにも、北東アジア非核兵器地帯構想などを通じて、核抑止に頼らない安全保障政策への転換に向け、リーダーシップを発揮してください。
平均年齢が86歳を超えた被爆者に、寝越された時間は多くありません。被爆者の援護のさらなる充実と、いまだ被爆者として認められていない被爆体験者の一刻も早い救済を強く要請します。
原子爆弾で亡くなられた方々とすべての戦争犠牲者に、心から哀悼の誠を捧げます。
被爆80年にあたり、長崎の使命として、世界中で受け継ぐべき人類共通の遺産である被爆の記憶を国内外に伝え続ける決意です。永遠に「長崎を最後の被爆地に」するために、地球市民の皆さんと手を携え、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に力を尽くしていくことをここに宣言します。
8月5日『東京新聞』(上記)に、広島市の被爆者 笠岡貞江さん(92)の記事が掲載されていました。笠岡さんには、数年前から、桐朋小学校6年生の広島修学旅行で証言を聞いています。
以下、新聞記事を写しました。
原爆投下で両親を亡くした広島市の被爆者笠岡貞江さん(92)は、20年前から「被爆体験証言者」として国内外で核兵器の恐ろしさを語り続けてきた。「核兵器を使えば世界が滅亡する」。笠岡さんの体験や、平和への思いを引き継ぐ「被爆体験伝承者」は27人になった。
1945年8月6日、両親は早朝から空襲に備えて家屋を壊す建物疎開の作業に出かけていた。笠岡さんは爆心地から約3.5キロ離れた自宅にいた。洗濯物を干して部屋に入ると、光が見え、風圧で飛ばされた。気が付くと頭から血が出ていた。
爆心地から約2キロの場所から帰ってきた近所の人は、皮膚が垂れ下がり「広島は大ごとじゃ。ピカッと光ってみんなやられた」と言った。
父は親戚の家にいることが分かり、翌朝、兄が連れて帰った。やけどで全身が真っ黒になった父は本人なのかどうかも分からない。「キュウリやジャガイモを擦りおろしたものを塗るぐらいしかできなかった」。好きだったビールを飲ませても、口からこぼれ落ちるだけだった。
逃げる途中ではぐれた母や、学童疎開中の弟を心配し「頼む、頼む」と言って8日に息を引き取った。
母は、多くの負傷者が搬送された広島湾の似島にいた。兄が名簿を確認すると、父と同じ日に亡くなる火葬されていた。残ったのは、遺髪と遺骨が入った袋だけ。「学童疎開から帰ってきた弟は、仏壇を見てぼうぜんと立ち尽くしていた」
翌年になって笠岡さんの体には吹き出物ができ、膿が出た。治るまで約半年かかった。高校卒業後は広島県庁に勤務。結婚し2人の子どもに恵まれたが、被爆者の夫はがんを患って35歳で亡くなり、幼い子どもを抱えながら働いた。
被爆体験を初めて話したのは孫の小学校。文章や絵で自分の思いを上手に伝える児童の姿に感銘を受け、2005年に広島市の被爆体験証言者になった。「戦争や核兵器はいけん、という力が市民から上がってほしい」と国内外で話している。
今は30~80代の27人が笠岡さんの伝承者として活動する。「皆さん熱心。私がいなくなっても伝えてくれる人がいて幸せ」。笠岡さん自身も今月11日から米ハワイ州を訪れ、現地の学校などで証言する予定だ。「原爆を知らない人に知ってもらいたい。二度とあってはいけないことだから」
笠岡さんの証言をお聞きして(広島修学旅行)
5年生八ヶ岳合宿その①
4年生の八ヶ岳合宿の後すぐ、今度は5年生が合宿に行きました。
2回目の合宿。学年のテーマは、「深める」。去年の経験を活かし、今年は様々な活動を深めていきたいという願いを込めてこのテーマにしました。
いよいよ合宿本番。行きのバスはバスレクリーダーのリードで楽しく遊びながら行きました。
バスが到着し、重い荷物を背負って寮へ向かいます。30分ほど歩いて寮に到着。管理人ご夫妻が雨の中出迎えてくれました。
合宿リーダーのリードで入寮式を行い、これから楽しみなことを発表するなどしました。
本当はこの後、昨年度雨でできなかった川遊びリベンジの予定でしたが、連日の雨で川が増水していたため今年も断念…残念ではありましたが、午後には雨がやんでいたため、たっぷり自由時間を楽しむことができました。早速、虫や池にいる生き物を捕まえる人、とりあえず外に出てあちこち歩いてみる人…寮の中でも部屋でのんびりしたり、おしゃべりを楽しんだりする人がいました。
去年の経験があるため、「あの実はここにある」などのことがわかっている子どもたち。アブラチャンの実をたくさん取ってきて、きれいに皮をむいて「森の真珠」づくりもしました。
夜は星空散歩の予定でしたが曇っていたため、銀河鉄道(日本一標高の高い鉄道、小海線)を見ることに。しーんと静まり返った森の中で虫の声を聴きながら、列車が通るのを待ちました。
その②に続く…
「初めてセミの羽化を見た」 4年合宿その③
自由時間にお腹にブローチをつけて歩いている人がいました。なあに?と見ると、セミのぬけがら…ではなく、動いています!セミの幼虫をつかまえたとのこと。部屋の網戸に移して少しずつセミがカラの外に出るのを見守ります。夕方になって、自由時間がおわっても「セミを見てくる」と言って、何人も外から見守っていました。「初めてセミの羽化見た!」「緑だったよ」誕生の一瞬に出会えた喜びを友達や先生と共有していました。
夜はキャンドルナイト(CN)です。CNリーダー達が「全員集合~!」と呼びかけて入場するところから始まりました。前半は歌いながらキャンドルツリーに点火して、静かに火を見ながら八ヶ岳での2日間を思い出しました。後半はクラス対抗伝言ゲームと両クラスの団がまざってのばくだんゲームで盛り上がります。そして、ダンスタイムは♬バナナ と♬マイムマイムで盛り上がりは最高潮に。「楽しい~」「もう一回やりたい」の声もありながら、各クラスの代表の人が思い出を表現し、聞き合いながらみんなの気持ちも落ち着いていきました。
1日目に比べてぐっすり寝ている人が多くて、遊び疲れたかな、活動をやり切ったかな、星は見えなかったけど、いい夢見てね…と眠りにつきました。
3日目は大掃除。自分達が生活したところを自分たちで掃除して退寮するために、分担をしました。「トイレ掃除もやるの?」「あんな大きいお風呂、そうじしたことないよ。」と言いながらも、一生懸命手を動かします。管理人さんご夫妻に「4年生なのにすごい!おそうじが上手!」と、特別に褒められるほど一生懸命やりました。
準備から2か月かかって作ったきた「私たちの合宿」。目に見えないお土産をたくさん抱えて東京に帰る道は梅雨明けの青空。夏休み明けの合宿レポートを読み合いながら、またみんなで思い出にひたる時間も楽しみですね。
最近、心ふるえたこと [Ⅱ‐432]
1、考えさせられました
生き物が大好きな子どもたちなのだが、生き物とふれあう直接的な体験があまりない子どもたちについて書かれたコラムを読みました。
コラムを書いた方は、その子たちと過ごす中で、「目の前に広がっている世界(生命が生きている姿や、起きていること)にはそれほど惹かれずに、言葉で作り上げてきた世界を当てはめようとしている」と捉えていました。
私が知っている子たちにもそうしたことがあるのでは、と読みました。よく「知っている!」と言い、「知っている」ことで満足してしまって、対象との関わり、感動はどうなのだろうと思う場面に出あいます。(私自身がそうなっていないかという問いも)
コラムでは、子どもたちの様子から、図鑑的な知識の習得がまずあるようだと捉えていました。それに対して、目の前に広がる世界に感動するからだがあって、それを分かち合いたくて、言葉が生まれることを書いていました。
「僕たちは生き物です。どれだけ図鑑や動画に囲まれようとも生き物です。豊かなからだこそが豊かな言葉を生み出し育みます」。その通りだと思いました。
8月1日、しぜんひろば、畑の様子
2、教育、教員に関わること
(1)『崩壊する日本の公教育』(鈴木大裕著、集英社新書)
本書を読み、鈴木さんの講演会に参加をしました。少し前には、『ルポ 学校がつまらない 公立小学校の崩壊』(小林美希著、岩波書店)を読みました。
『崩壊する日本の公教育』は、日本の教育現場を取り巻く息苦しさ、その正体を突き止め、少しでも息を吸うことのできる空間をつくろうとする願いを込めて書かれていました。構成は、
第1章 「お客様を教育しなければならない」というジレンマ―新自由主義と教育
第2章 人が人でなくなっていく教育現場―教員の働き方改革の矛盾
第3章 新自由主義時代の「富国強兵」教育と公教育の市場化―政治による教育の「不当な支配」
第4章 「自由」の中で不自由な子どもたち―コロナ禍が映し出した教育の闇と光
第5章 「教師というしごとが私を去っていった」―教育現場における「構想」と「実行」の分離
終章 「遊び」のないところから新しい世界は生まれない
でした。
教員の困難な現実として、「長時間労働」「心身の回復に不可欠な休憩時間すら確保されていない」「仕事が精神的な負担が大きい」などがあります。そのような中で、よりよい教育をと願い、葛藤する日々を過ごします。
著者の鈴木さんは、教員の仕事を取り戻すために、「教員の現場裁量を保障すること、教員の数を増やして子ども一人ひとりと向き合う余裕を確保すること、自己研鑽するための休みを確保すること、生徒の成長と直接関係のない調査などの事務作業を外部委託もしくは撤廃すること、点数に依拠したPDCAサイクルを廃止すること…」などを提案しています。
それから、「教員が教えに浸り、子どもの成長を促す環境づくりのために行政ができることはたくさんある」と言います。「行政と学校との主従関係の解消と教育現場における構想と実行の結合、そして教員の自由裁量を取り戻すこと」を求めています。
教員の本来の仕事として、「子どもの心に火をつける」「子どもの問いに寄り添い、彼らの好奇心を育む」「子どもたちの心を豊かに」することに力を注ぎたい。教員としての喜び、やりがいを持ちたい。「今日の学校教育は、教育基本法に定められた目的である、『人格の完成』の追求に恥じないものだろうか。豊かな愛を育み、人を育てる学校であれ。それと関係ない業務は極力削減し、M先生のような教師たちが、自由に、そして生き生きと活躍でき場所であれ。」と言います。
(2)民間教育研究団体での学び
この夏も各地で、民間教育研究団体の全国大会、集会が開かれます。8月、桐朋学園(仙川)を会場に、「第73回 全国作文教育研究大会 2025年関東大会」(主催 日本作文の会)が開かれます。
日本作文の会は、生活綴方の伝統を継承しつつ、作文教育を中心に全国の実践・研究の発展と交流をはかり、日本の教育の進歩に寄与することを願って、全国の先生たちが学び合っています。
今回は、『未来を拓く 子ども・表現・仲間 ~教育の自由を作文教育から~』をテーマに研究大会です。7月28日(月)午前中、全国の皆さんよりたくさんのレポートが桐朋小学校へ届きました。レポートは、青森、山形、宮城、福島、群馬、千葉、埼玉、東京、神奈川、新潟、長野、京都、大阪、和歌山、奈良、三重、高知、鹿児島の先生たちからでした。会場校である桐朋小学校の先生たちと、大会準備をすすめています。
参加された皆さんが、表現を通し、子どもたち、そして仲間たちとつながり合いながらがんばろう! と思える大会にしていきたい。
全国の皆さんと学び合いの様子から
今年は戦後80年。平和を願いながら、桐朋の子ども、保護者が、沖縄の伝統的な踊り「エイサー」を踊ります。『平和の創り手としての根っこを育てる子どもたちの表現』では、桐朋小学校の卒業生で、現在中学1年生の人たちが、広島や大久野島を訪れ、戦争の加害と被害を学び考えたことを発表します。参加者一人ひとりが表現を受けとり、一緒に考え合える機会となります。
会講演は、法政大学名誉教授、イシス編集学校学長、そして多くの研究機関で理事をされている田中優子さん。江戸時代などの研究とともに、現代社会が抱える課題にも多くの発言や提起をされています。
田中さんは、江戸時代の文学、美術、生活文化を研究され、江戸時代の価値観、視点、持続可能社会のシステムなどから、現代社会が抱える課題にも多くの重要な提起をされています。
たとえば、「サステナブルな循環型社会だった江戸時代には、現代社会を豊かにしてくれる多くの教訓」があることとして、「春夏秋冬の1年サイクルで時間が循環する感覚をもっていた江戸時代の人々にとって、サステナブルに働くことは生きていくための前提でした。農地を開墾しすぎたり、木を切りすぎたり、あるいは魚を取りすぎると、翌年の生活がままならなくなる。自然は巡るものであり、その恵みを享受するためには自己コントロールが必要だと理解していたのです」と述べています。また、「江戸藩邸を守る任務に当たった各藩の留守居役をはじめ、全国から江戸に集まった武士たちは盛んに情報交換を行っていました。また、農民の地位にある人たちは、『農書』という詳細なイラスト入りの農業マニュアルを作成し、出版することも多かった。『農書』が全国に行き渡ることで農業イノベーションが広がり、また新たな発想やアイデアが生まれる循環が形成されていきました」なども。(ビジネス誌「WORK MILL with Forbes JAPAN ISSUE07 EDOlogy Thinking 江戸×令和の『持続可能な働き方』」(2022/06)から転載)
全国の先生たちが、困難な中でも、自分の大切にしたい教育活動を続けています。桐朋学園を会場として、生活綴方、作文教育を大切にしたいと願う教師が学び合います。
子どもの良さとそれをひろげることを大切にしていきたいと思います。
―研究大会に参加をされた方からの感想。「励まし、ありがとうございます。」
●桐朋学園の子どもたちによるパフォーマンスは、とても心がポカポカしました! 平和のポスターの話は、自校でも、実践できそうと思いました!
●実行委員さん中心にさまざまな歓迎の催しがあって嬉しかった。オンラインが進んだ現代でも、心を動かすのはリアルなものだと再確認した。
●どの企画もとても良かったと思います。桐朋小の企画からは1つ1つから日頃の教育の素晴らしさが伝わりました。
●桐朋学園の子どもたちの発表、エーサーも戦争についての学びの発表も、とても心に残るものでした。ここまでの準備、きっと大変だったことと思います。大変な中でも私たちの心に響く、私たちがこれから大切にしていかなければならないことに気づかせてくれました。
●エイサー、広島見学後のポスター発表など、桐朋小学校の素晴らしさを十分に感じることができました。
ウクライナの絵本作家 ロマナさんとアンドリーさんからいただきました
「カエルを57ひきつかまえた!」「見て見て、サワガニ!」 4年合宿その②
出発前からの雨予報…。バスを降りて、レインウエアを着ての寮までの道のりとなりました。到着してお昼ご飯の時は土砂降りでしたが、みんなが外に出る頃にはほとんど雨が上がり、外で遊ぶことができました。池に小さいカエルがたくさん泳いでいるのを見つけると次々と捕まえ始める人、それを見て一緒になって捕まえようとする人たちでとうとうバケツはカエルたちでいっぱいに…!ヤゴを見つけた人、サワガニを見つけた人などで入れ物を総動員させて、なんとか“獲物”はそれぞれのところに収まりました。
二日目は予定を変更して、寮内の森でネイチャーリーダーが作ってくれたネイチャービンゴを楽しみました。「森のエビフライあったー」「黄色い花、たんぽぽだ。あれ?(春の花なのに)まだ咲いてるの?」と、発見し、歩いているうちに何種類ものきのこも見つけたり、葉っぱの名前を調べたり。団ごとに何ビンゴできたかな?と確かめると、「1ビンゴ」「2ビンゴ!」「え~0ビンゴ」結果はともかく歩いているうちに森に詳しくなりました。
雨が降らないように祈りながら、U字構で火おこし。「まず新聞紙を丸めて。」「その上に枝を置いて。」「マッチを順番にすってね。」火おこしリーダーの出番です。学校で練習した成果を見せながら、団のみんなが順番にマッチをすり、おっかなびっくり新聞紙に移そうとします。「燃えた!」「うちわであおいで!」あおぎ過ぎて灰が舞ってしまったり、消えてしまってもう一回やり直したりしながら何とかどの団も火が起こせて、焼きマシュマロと紅茶でホッと一息つきました。
森のおみやげ作りでは、拾ってきた石や実でキーホルダーやブローチ作りに挑戦。思い思いにポスカで色をつけ、ボンドでくっつけたりして素敵なお土産ができました。ついでに手や顔や着ているTシャツにもアーティスト風のペイントが…!ほっこりと楽しいひと時でした。
全員がリーダー!みんなで創る合宿を… 4年合宿その①
4年生にとっては、初めての宿泊行事「八ヶ岳合宿」がありました。みんなで創る行事としては初めての大きな仕事でした。手探りながらもみんなが自分の持ち場を支え、お天気とにらめっこしながらも楽しい3日間を過ごしました。
まず、5月28日にキックオフ集会。「どんなところ?」「どんなふうに過ごすの?」「何を持って行っていいの?」行ったこともない高原寮での生活にみんなの頭の中はハテナ?でいっぱい。前の4年生の写真や係と団(グループ)の作り方などをスライドで見ながら、まずは係や団をどうやって決めるか、クラスごとに話し合うところから。「自由がいい!」「好きな人同士がいい!」「くじ引きでだれがなってもいいようにしようよ。」いろんな意見が出ましたが、話し合った上で「自由に」決めてみました。が、限られた人数のグループになりたいメンバーが収まりませんし、自分が一緒になりたい、と思っても相手も思ってくれるとは限りません。言い合ったり、泣いてしまう人がいたり…「自由」ってなんだろう?上手くいくにはどうしたらいいんだろう?とたくさん時間を使って考えました。
やっとメンバーや係が決まると、今度は週に一回のリーダー会(係会)、団ミーティングで合宿のめあてや楽しみを話し合ったり、仕事の分担や生活のルールを決めたりしていきます。全員が部屋・保健、ネイチャー、ミーティング、キャンドルナイト、バスレク、ハイキング、火おこし、食事の8つのリーダーになり、どうやったら八ヶ岳合宿がより楽しくなるか、それぞれの話し合いを重ねました。
合宿直前の7月9日の学年集会では、各リーダーからお知らせや進み具合を共有されました。そして、クラスごとに練習していたキャンドルナイトのダンスの合同練習で盛り上がりました。合宿本番がますます楽しみになりました。