トピックスの授業で中嶋涼子さんをお招きして [Ⅱ-209]

 先日、卒業生の中嶋涼子さんに、6年生2クラスで授業をしてもらいました。〇いま、仕事や生活でどんな気持ちを大切にどのようなことをされているのか。〇車椅子での生活で感じていること、考えていることなど話していただきました。

左 中嶋さんと車椅子体験 右 園庭の柚子

 中嶋さんは、9歳の時、鉄棒をした後で突然足に力が入らなくなりました。それから入院してたいへんな日々を送ります。車椅子での生活は、人目が気になって引きこもりがちの時期もあったそうです。活発に動きまわっていた中嶋さんにとって、突然のことで、希望を見い出せず引きこもりになっていた時に、映画『タイタニック』に出あい、11回も観たそうです。心を動かされた中嶋さんは、映画をとおして世界中の文化や価値観に触れる中で、自分も映画をつくって人々の心を動かせるようになりたいと夢を抱きました。

 そして、高校卒業後、カリフォルニア州ロサンゼルスへ渡米。そこで「心のバリアフリー」に触れたと言います。アメリカだと「何で車イスなの?」と気軽に聞いてくれる。日本では、腫れ物に触るみたいな扱いをされていたので、とても驚いたそうです。特に感動したのは健常の友達と同じスペースのトイレに行ったこと。アメリカでは女子トイレの中に大きめの個室が必ずあるので、そこを使えばいい。道や店の中も完全バリアフリーで広いし、アメリカにいる間は自分が障害者ということを忘れていたくらいだったそうです。

 現在、会社を辞めて、車椅子インフルエンサーに転身。テレビ出演、YouTube 制作、講演活動などさまざまな分野で活動しています。海、スキー、パラグライダー、乗馬、バイクなど、中嶋さんが楽しんでいる様子をたくさん見せていただきました。

 中嶋さんは、日本の社会や日本人の心をバリアフリーにしていけるよう、誰もが生きやすい社会を目指し、出会った人々の心のバリアフリーにつながる場所を作りたいと願って発信し続けています。活動の記録と背景にある願いを読ませていただくと、車椅子に乗っていて「かわいそう」ではなく、「面白い」と思われたい。今までの「障害者の常識をぶち壊す」ということも書かれていました。

 中嶋さんは、病気の経験から、いつ何があるか分からないと実感したので、何があっても楽しもうと思えるようになったそうです。後悔しないようにいろいろやってみたい、全力で生きていこうと。以前は「もしも歩けたら……」とか「昔、歩けていたときなら」 とかよく考えましたけど、今は車いすでやっていることが楽しいから、そのままでいい。だから、私が発信することで、みんなにも楽しく過ごしてほしいんです、と語ります。

左 命に触れるばらとたんぽぽの子 右 理工室前のナツミカン

 子どもたちから。

 □僕は話をきいて「一度しかない人生 できないことを数えるよりできることを全力で楽しむ」という言葉に心を動かされました。不便な生活でも全力で楽しめる心の涼子さんの強さは、とても見習いました。この話をきいてから、車椅子の人のことを「怖い」「かわいそう」で手伝えなかったけど、勇気をもらえました。質問。今の科学だったら病気を治せるんじゃないですか?

 □私は涼子さんの授業を受け、「車椅子でもこんなに色々なことができるんだ!」と驚きました。海、スキー、パラグライダー、乗馬…。これから、もし町中などで困っている、車椅子の方や目が悪い方杖をついている…などがいたら、声をかけられるようになりたい!と思いました。これから日本(世界)が車椅子の方などの障碍者の方にも優しいふうになってほしいです。そのために頑張りたいです。車椅子の人も私たちと同じ、というのを今回の授業で思いました。「車椅子でもいろいろなことができる」というのを世界の人々に伝えていて、すごいです。車椅子でけん玉ができてすごいと思いました。

 □中嶋さんの「一度きりの人生。出来ないことを数えるより出来ることを楽しむ」ということばが心に残った。自分が車椅子だったらたぶん精神的につらいと思う。何で自分がこうならなければいけないのかとマイナスに考えてしまうと思う。だけど中嶋さんはとても楽しそうだったし、本当にできることを全力で楽しめていてすごいと思った。きっと辛いこともあったはずなのに、それを表に出していないし、明るくふるまっていることもメンタルが強いと思った。だから、自分も出来ることを楽しんでメンタルを強くしたい。

 □私は今まで車椅子の人はできることが少なかったり、たいへんなことがたくさんあると思ってた。でも、車椅子の人でも、できるアクティビティーや、車椅子の人に優しい工夫がどんどんできて、車椅子でも楽しめることをはじめて知った。私が車椅子になったら、できたことができなくなって、ショックで、まったく楽しめないかもしれない。でも、そういう人たちでも、できるアクティビティーがあると、積極的に楽しめるからいいと思う。将来、バリアフリー化がすすんで車椅子でも普通の人と同じように楽しめる世界になるといいと思う。

 □中嶋さんの「車椅子の人に会ったらぜひ声をかけてほしい」と言ってた言葉に心が動きました。理由は、「私の中でも車椅子、障碍者の人は少しみんなと違うし、声をかけづらかったです。その人が自分の病気の事を気にしていて、触れてはいけないのかなと思ってたからです。」けど、今日のお話を聞いて、声をかけることは緊張するけど、相手は嬉しいということを知ったので声をかけます!

 左 竹ののぼり棒をたてました 右 2年生 かけざんの授業より

 子ども一人ひとりが、かけがえのない大切な命を授かり、その命をどう輝かせていくと納得できる人生をつくれるか探求し生きています。他者や社会と出あい、自分を知る、 他者を知る、社会を知る、その具体的、実感的な学びがおもしろい、自分の成長を実感するなど大切にしています。様々な個性と特徴をもったそれぞれが一人の人間として尊重され、大切にされるかかわりをじっくりと育てたいと思います。

どんどんやろう器械運動

3年生の様子です。週に一度の器械運動を楽しみにしている子がたくさんいます。

鉄棒、マット、跳び箱。この3つの運動を取り組みやすいように連動させながら構成して授業を行っています。

①先生の話を聞いてポイントを抑え、からだを動かしてみること。その時に・・・

②今日の自分の目標を決めて、やってみること。

③やってみた動きを友だちのアドバイスを聞いて修正していくこと。

この3つのことをいつも大事に学びます。

そして、この①~③を成功させるためには、学び合う友だちの存在が不可欠です。

 

どんなアドバイスが有効か。

実際に失敗を繰り返しながら考えることがお互いが上達する秘訣だということを1,2年生の時に学んできました。

3年生でも引き続き大事にして取り組んでいます。なので、話を聞くときはとてもよく聞いています。

そして、やるときは、活発に声をかけ合います。そして、一緒に悩みます。

 

毎時間、友だちと学び合ったからこその達成感や悔しさを分かち合うことができます。

上手いか下手かではなく、認め合いながら今よりも少し上達していくことに、みんなが目を向けられるよう2クラスとも張り切って取り組んでいます。先生たちもみんなと分かち合えるように勉強していくね!

 

11月20日、創立記念日に [Ⅱ-208]

 桐朋学園は、1941年に創設された山水中学校、山水高等女学校を引き継ぎました。戦後、関係者の懸命の努力で東京文理科大学、東京高等師範学校の指導と協力を得て、1947年、教育基本法、学校教育法の施行と同時に再発足した学校です。「桐朋」の「桐」は、両校の校章に由来します。「桐朋学園がこの教員養成の総本山ともいうべき学校・大学とともに戦後の新しい教育のあり方を探究していきたい、との希望がそこにこめられていたと思われます」と、中野光先生は『初等部誕生物語』に書かれていました。現在も目の前にいる子どもとその未来を大切に、「新しい教育のあり方を探究していきたい」という思いを引き継いで園、学校づくりをすすめています。

 1年生 どんぐりで遊ぶ・学ぶ(総合)

 桐朋学園の初代理事長、校長は、東京文理科大学学長の務台理作氏で、戦後の教育改革で教育基本法を生み出した教育刷新委員会の中心メンバーでした。「教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない。この目的を達成するためには、学問の自由を尊重し、実際生活に即し、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によって、文化の創造と発展に貢献するように努めなければならない。」(1947年制定教育基本法第2条)を教育実践の場で大切にし、教育基本法の精神である「一人ひとりの人格を尊重し、自主性を養い、個性を伸長するという、ヒューマニズムに立つ「人間教育」」を桐朋の教育理念の基本に据えました。私たちはその精神を大切にして、子ども一人ひとりを主人公とする園、学校をめざして取り組んでいます。

 5歳児 多摩動物公園遠足・自分たちが行きたい場所へ

 このような保育、教育の実現を目指し、社会にひろげていきたいと考えますが、困難な現実があります。たとえば、2017年度、児童相談所で対応した児童虐待件数は過去最高の13万3778件(前年度より約1万1千件増)です。子どもの生きづらさがひろがっています。2016年度虐待による死亡は77人です。2019年1月には、千葉県小学4年生栗原心愛さん(10歳)の虐待死がありました。「お父さんにぼう力を受けています。夜中に起こされたり起きているときにけられたりたたかれたりされています。先生どうにかできませんか。」という心愛さんの悲痛なことばを受けとりながら、周りの大人が力を合わせてその命を救うことができませんでした。滋賀県立大学福井雅英教授は、「子どもの言葉はどのようなプリズムを通って屈折したものであれ、その子の光です。その子の発する光はいのちそのものです。子どもの言葉は心の響きだと受け止めなければならないと改めて思いました。」と述べています。あらためて、子どもの表現をどう捉えるかが個の尊厳を守ることにつながると考えました。

 6年生 インフルエンサー中嶋涼子さん(卒業生)をお招きして。「車椅子に乗ってみる」「押してみる」(トピックス)

 子どもの権利条約を批准してから25年がたちましたが、柱の〈生きる権利〉、〈育つ権利〉、〈守られる権利〉、〈参加する権利〉が尊重される社会づくりはまだまだです。子どもは自分に関係あることについて聴きとられ、意見が言え、社会の主人公となりゆくために、子ども時代から経験し学んでいきます。一人ひとりが感情や意思を持った人間として尊重され、可能性が最大限に伸ばされるようにしていかなくてはなりません。その努力をしていきたいと思います。

今年度の音楽会を見学できます

桐朋小学校では、音楽会を2年に一度開催しています。美術展との隔年行事で今年度は音楽会の年です。

例年多くのお声を寄せていただき検討をした結果、今年度の音楽会を本校の入学を検討されているご家庭を対象に、公開することにいたしました。

本行事は全学年の児童と保護者が集って開催する学校行事です。会場も学外の「府中の森芸術劇場」になります。観覧席に限りがございますことと、安全防犯面の確保の観点から、多くのお席のご用意が出来ません。

つきましては、以下の参加条件を設定させていただいておりますので、ご確認ください。


①次年度の受験を検討されている、現年中児のご家庭(男女各20組)。

②1組2名まで。保護者のみでの見学も歓迎いたします。

 年少児以下はご参加いただけません。(2名には、お子様の人数も含めます)

③11月24日(日)正午から先着で予約を受け付けます。

④見学者向きの説明やご案内は行いません。ご承知おきください。

⑤見学は2階の指定席です。1階席への立ち入りはご遠慮ください。

⑥ステージの区切り目で、自由にご退席いただけます。特にお子様連れの場合は、円滑な進行にご協力いただきますよう、お願いいたします。(14時半ごろ休憩が入ります。)


開催日:2019年12月13日(金)13:20開演 15:45終演(予定)

集合 :13:10までに、府中の森芸術劇場(←クリックできます!!)の玄関入口付近、「見学者」のプラカードを目印にお集まりください。

受付票と引き換えに入場シールをお渡しします。見学の方は団体で2階席へご案内します。本校児童・保護者の列もございますので、お間違えのないようお願いいたします。

※受付票がお手元にない場合は、ご入場いただけませんので必ず印刷の上お持ちください。子どもたちの歌声と演奏をお楽しみいただけることを願っております。


ご予約はこちらから、もしくはトップページから可能です。期日になりましたら、ログイン後予約することが出来ます。(新規でご登録の方は予約開始日より前に、ログインできるように準備することが可能です。)

多摩動物公園へ遠足に行きました!

2年生は10月31日に多摩動物公園へ秋の遠足に行ってきました。多摩動物公園に行く前から、動物の説明文を読んで動物への関心を高めたり、活動グループに分かれて遠足当日にどんな動物をどういう順番で見ていくか話し合いをしてそれぞれの計画を決めたり、入念に準備を進めてきました。遠足当日は、説明文に出てこなかった様々な動物を生で見て、子どもたちは大喜びでした。特に、ワライカワセミがエサの冷凍マウスを丸のみにするところを目の当たりにした子どもたちは、その珍しい光景に感心していました。「1日じゃ、全部の動物を見て回れないね。遠足とは別にまた多摩動物公園に行きたいな」と言っている子どもたちもいました。子どもたちは、動物図鑑を眺めるだけでは得られない体験ができたようで、充実の秋の遠足となりました。

遠足に行く前にグループごとに分かれて活動の計画を立てました。

ワライカワセミの捕食の場面に立ち会えた子どもたち

お待ちかねのお弁当の時間です

ロープを渡ろうとしているニホンザルの赤ちゃんに、子どもたちは「がんばれー!」と声援を送っていました。

クイーンズ伊勢丹見学

3年生の社会では仙川の町の学習を進めています。

事前に自分の家のそばのスーパーのことを調べたり、お家の買い物の様子を意識的に観察したりしました。それをヒントに学校のそばにある見学先のクイーンズ伊勢丹仙川店のことを考えました。

「一日にどのくらいの人が来るのだろう?」「商品は何品くらいあるのだろう?」

こうした疑問から

「何時から働いているのだろう?」「仙川にはいろいろなスーパーがあるけど、クイーンズ伊勢丹がお客さんに来てもらうための工夫はなにをしているんだろう?」

など、踏み込んで考えている班もありました。

見学では、まず店長の村上さんが丁寧にお店のことを教えてくれました。

それから店内では、6人班ごとに分かれて6つのポイントを順番に見学させていただきました。

 

 

各ポイントでそれぞれ専門の店員さんに直接聞いて学ぶことができたり、冷凍庫や倉庫などを見せていただいたり、その場で疑問や質問を具体的にお話してくれたりしたので、子どもたちの目はキラッキラでした。

今回は加えて、実生活と学びをつなげることをねらいとして、お家の人にご協力いただき、見学中にお家に人に依頼された買い物を全員がする活動を取り入れました。

本物のやり取りをする上、全員が違う買い物をするわけで、見学と同じくらい楽しみであり、ちょっぴり責任感と緊張感がある体験です。お家で話を聞いたり見聞きすること、見学で教わること、知ることだけでも社会を知る学びですが、買い物をすることでより踏み込んだ学びになります。

「たまねぎが2種類売っているけど何が違いますか?」

「どのリンゴが甘いですか?」

こんなやりとりを直接お店の人と出来ることや、

「大きい方が量も多くて安いけど、小さい袋に入っている方は一袋ずつ使い切りだからママが使いやすいかも。でも高い。どうしようか・・・。」

こんな声を直接聞き取ることが出来る貴重な時間でした。

 

学校に戻って班ごとに質問のまとめや見たことを振り返り、メモを書きました。このメモや振り返りをお家に持ち帰り、秋休みの間に各自で新聞やポスターなどのまとめをします。

どんなまとめになるのか、楽しみにしています。

クイーンズ伊勢丹仙川店の皆さん。ありがとうございました。

(再送しました)入学考査についてのお知らせメール

昨日、ご案内のメールを送信しましたが、本日までに、PDFの読み込みができない旨のお問い合わせを複数いただいております。

誠に申し訳ございませんでした。

今回、URLを変更して、すべての受験者に再度送付させていただきました。(内容は全く同じものです)

すでにダウンロードができている受験者は、読み込みを行わなくて構いません。

また、本日までにお問い合わせしてくださった方へも重ねてのご案内になりましたこと、ご了承願います。

前回のもので読み込みができなかった方は、メールをご確認いただけますと幸いです。

平和を願い、創り出す旅 [Ⅱ-207]

 「最初で最後の修学旅行。悔いのないようにすごそう!」という子どもたち。修学旅行に向けて、運営委員の人たちが中心となり、目標や活動などを学級学年で話し合い創りました。

 学習目標は、○原爆の実態を学び、事実をひとつひとつ受けとめる。○現地の物をしっかり見る。○被爆者の方からちゃんと話を聴き、疑問を残さない。○学んだことを、他の人に伝えられるようにする。生活目標は、○時間を守る。○回りの人に迷惑をかけない。○皆が楽しみ過ごせるように考える。でした。現地においても、自分たちの修学旅行を自分たちで創るという気持ちを大切に、いろいろな場面で学びました。

 

 1日目、平和記念資料館の見学。大変混雑していましたが、一人ひとりが音声ガイドを持ち、当時の様子を聴きながら展示物と向き合いました。

 その後、増岡清七さん(当時14歳中3。爆心地から1.5㎞で被爆。「大やけどを負い、友人たちとともに、比治山方面に避難。多門院付近で、救援を受け、救護所に移送されて、九死に一生を得る。爆心地から800mほどの入舟町の自宅は全壊。母親は即死。療養中で広島を離れていた父親が、その焼死体を発見した。…」)、伊藤佐津子さん(当時11歳小6。勤労作業中、「突然の閃光、爆音に何が何だか解からなくなりましたが、全員宮の森へ逃げました。体に異常はありませんでしたが、そこからはすぐに出来た原子雲やその下で広範囲に燃え上がる煙、落下傘が2つ降りてくる様子に恐怖心いっぱいで12時頃まで見ていました。…」)、笠岡貞江さん(当時13歳中1。爆心地から3.8㎞、自宅で被爆。「突然、目の前のガラス窓一面が、真っ赤、いや日の出の太陽にオレンジ色を混ぜたようなきれいな色になりました。その瞬間ドーンと大きな音がしたと同時にガラスが割れ、粉々になった破片が私に向かって飛んできました。爆風の凄い圧力で後ろに押され、私は一瞬何も分からなくなりました。…」)より被爆証言を聴きました。

 2日目、平和公園碑めぐり。三登さん、山口さん、峯岡さん、松田さん、山岡さん、中川さんに案内をしてもらいました。6つの班は、自分がスケッチをしたい記念碑(原爆死没者慰霊碑、原爆の子の像、平和の鐘、平和の時計塔、平和の灯、被爆アオギリ)でわかれました。爆心地にもっとも近い本川小学校(校舎は全焼、壊滅。約400名の子どもたちと10名の教職員の尊い命が一瞬のうちに奪われた。)平和資料館にも行きました。

 その後、宮島、厳島神社を見学して自由時間を過ごしました。

 3日目は、大久野島で毒ガス資料館見学、山内正之さんより話を聴きました。その後、グループ別活動をたのしみました。

 子どもたちが、どんなことに心を動かしてきたのか、このあとのまとめ、発表から学んでいきたいと思います。

 広島駅から原爆ドームまでの市内電車では、途中で乗車されたお年寄りに席を譲る姿や声をかけられてこたえている様子なども見られ、嬉しく思いました。

 修学旅行では、いろいろな方に大変お世話になりました。ありがとうございました。

 帰りの電車で、『原爆の子-広島の少年少女のうったえ』(長田新編、岩波文庫)を読みました。

 「その時私は、いなかでおばあさんとすんでいた。……それ(八月六日)から一週間ぐらいたってから、おばあさんがかえってきたので、私が『お母ちゃんは』ときくと、おばあさんは、『せなかにせおうてきた』というので、私は喜んで『お母ちゃん』とさけんだ。けれど、おばあさんのせなかには、リュックサックしかなかったので、がっかりした。すると、お姉ちゃんや、いなかの人がなきだした。私はなぜだろうかと思った。けれど、私にはわからなかった。するとおばあさんは、リュックサックの中から、おこつを出して、みんなにみせた。それは、お母ちゃんの金歯と、ひじの骨だけだった。それでも、私は何のことかわからなかった。そして、一年たっても、二年たっても、お母ちゃんはかえってこなかった。そして三年たったら、私は小学校の二年生になった。その時はじめて、お母ちゃんが死んだということが、やっとわかってきた。それからというものは、お母ちゃんがこいしくてたまらなくて、毎日のようにお母ちゃんのおはかにまいった。」(小6 佐々木啓子さん、同書)

 「私の傷あとは、一生かかっても、とれないものであった。なぜこのように傷あとを気にするのでしょう。それは、みんなから『ピカドン傷』といってからかわれ、またののしられ始めたからです。その時私は、こんなことぐらいと思って、父にも母にも言わないでだまっていた。……また広島に舞いもどってきた。そこでも私は、近所の人や同級生や下級生までに馬鹿にされ、いじめられた。……新制中学に入学してから、またしても悲しみがふえた。……これから先のことを考えると、生きていくことが恐ろしい。」(高2 藤岡悦子さん、同書)

 「当時まだ学齢以前の幼児であるか、それとも小学生・中学生・女学生として勉学の途上にあった少年・少女たちの純真で、無邪気で、感受性の強い、柔らかな魂が、あの原子爆弾で何を体験し、何を感じ、そして何を考えているかを知」(同書)りたいと強く思います。