弦楽四重奏、卒業生の演奏会

少し前のことになりますが、プレイルームでミニ演奏会がありました。

桐朋学園大学で音楽を学んでいる皆さんが、四重奏を聞かせてくれたのです。
帰りの会を終えた子どもたちがたくさん集まって、大きさの違う楽器にくぎ付けになっています。

くるみ割り人形から『花のワルツ』や、『アナと雪の女王』のメドレーなど、冬にピッタリの素敵な曲を、ヴァイオリン、ビオラ、チェロ、の音色で味わいました。

メンバーのうち二人は、桐朋小学校(幼稚園)で学んだ「先輩」でしたので、最後に『初等部の歌』を演奏してくれました。みんなが歌っている楽譜から特別に編曲して準備してくれたのです。
いつもと一味ちがう大人っぽい響きに、会場のみんなが聴き入ってしまいました。

忙しい中、素敵な企画を準備してくれたお姉さんたち、ありがとうございました。

目の前で紡がれる「生の音」に感激した放課後のひと時でした。

幼稚園生から学生さんまで、多様な営みがあるのが仙川キャンパスの魅力のひとつです。
そして、その交流の中心に卒業生がいるのは本当にうれしいことです。

(当時の担任と、パチリ!)

自分史[Ⅱ‐454]

 6年生「自分史」の取り組みを紹介します。この取り組みは、保護者の方のご理解、ご協力、一人ひとりがご家族の話を聞き取り、まとめる努力があって行うことができます。皆さん、ありがとうございます。ここではお二人の「自分史」を紹介しますが、全員の「自分史」を読ませていただいて、一人ひとりが違い、かけがえのない「自分」を表現していました。

   先日の雪。園庭としぜんひろばより

 たいへんお世話になった元園長・校長の齊藤孝さんが、入学式で「チューリップのうた」を歌われたことがありました。歌に込めたおもいとともに心に残っています。「チューリップの花は、一本一本ちがいますが、どの花もきれいです。それと同じように、子どもたちも一人ひとり顔がちがうように同じではありませんが、どの子もそれぞれちがった「よさ」をもっています。それぞれにちがった「よさ」こそ、かけがえのないその子の価値なのです」ということでした。「かけがえのないその子」は、「自分史」を読ませていただいて感じます。かけがえのないその子その子の命が語られ、表現されています。

 齊藤さんは先ほどのことばに続けて、「しかも、その価値はすべて対等です。そして、それぞれの「よさ」の違いが、他者を排するものではなく、ともに生きるために、お互いに認められ、良さをのばしあうことができる関係を創り出していくことが、いまとても大切なことであると思います」と仰っていました。そのような園、学校にしたい、少しでも近づきたいと願って、これからも取り組みを続けていこうと思います。

 では、お二人の「自分史」を紹介します。ご家族はよく覚えておられ、丁寧に話してくださいました。深い愛を感じます。話を聞いてまとめる過程で、ご家族のおもいを受けとっていると思いました。そして、これからを大切に生きていくことにつながると思います。掲載をありがとうございました。

  生まれる前からおてんば                   六年生  

 お母さんは、私がおなかの中にやって来た時、人生最高の奇跡がおきたと心から神さまに感謝したそうです。なぜなら、お母さんは高校生の時に体をこわしてしまい、その後大人になってからも婦人科の先生に赤ちゃんを授かる事は恐らく無理でしょうと言われていたからだそうです。

 なので、その事がうれしくて何がなんでも幸せに育ててあげたいと思ったそうです。

〈おなかの中であばれる〉

 妊娠五か月目の、四月十九日お母さんがお風呂に入っている時に初めておなかを私がけったそうです。

 成長とともにたくさん動く、とっても元気な子で、ついに私はある日の健診で逆子になっていました。お母さんは、逆子を治すためにはり治療にかよってがんばって治しました。私はおなかの中にいる時から、おどっていたのかもしれません。

〈私の赤ちゃんは、犬?!〉

 ついに出産予定日が近づいてきたある日の夜、お母さんはおかしな夢を見ました。それはなんと、犬が生まれてくる夢だったのです。生まれて来た子を先生から見せられると、それは黒くてもじゃもじゃの犬でした。

 その夢を見た次の日から、お母さんの陣痛が始まりました。お母さんは、もじゃもじゃの子が生まれるのでは! とドキドキしたそうです。

〈大きなおなかで歩いて病院〉

 私は、予定日より六日早く生まれました。陣痛がいよいよ本格的に始まった時、お母さんは家に一人でした。病院に電話をし、徒歩五分の病院に一人で十分かけてゆっくり歩いて行ったそうです。大きいおなかでなぜ歩いて行くのかなと思いましたが、歩けば陣痛が進むので歩いて来てくださいと先生に言われたそうです。お母さんは、「いままでで一番慎重に歩いた」と話してくれました。

〈やっぱりもじゃもじゃ!〉

 病室で少し横になって陣痛の間隔が狭くなり、分娩室に移動して「痛かったら無痛分娩にきりかえましょう。」と言われたけど、お願いするタイミングが分からない内に九時間三分で、あっという間に生まれてきました。先生から、「元気な女の子ですよ~」と言って、おなかの上にのせてもらった時、最初に見えたのが黒くてフサフサの頭で、お母さんは本当に犬なのかと思いびっくりしたそうです。

〈哺乳びんはいやだ!〉

 私は母乳を直でしか飲まない子で、哺乳びんで、粉ミルクはもちろん、母乳を入れてもぜったいに飲んでくれなかったそうです。なので、お母さんは完全母乳直飲みで育ててくれたそうです。

 しかも、飲みながらねてしまったらから授乳をやめようとすると気付いて泣いてしまい、お母さんは、ねられなかったそうです。

〈名前について〉

 ここも丁寧に書かれていました。紹介したいのですが、誰が書いたのかわかりますので、できません。どのように命名したのか、どのような意味があるのか、願いを込めたのかなどが書かれています。そして、「私は、名前をけっこう気に入っています!」など、自分の気持ちを書いて、「これからも名前を大切にしようと思います。」と書いていました。

〈ガタガタ前髪〉

 ある日、私がもうすぐ2さいになる夏の終わりごろ、私がくしゃとした顔をして首をヨコにふっていて、お母さんは前髪がはっとうしいのかなと思い前髪を切ってくれました。ですが、その前髪を見てびっくり。なぜかというと、まっすぐ切ったはずが、半円形で、まん中がみじかいガタガタ前髪になっていたのです。

 それ以来、お母さんは私の前髪を切る事をやめました。

〈ぐるぐるミートソース〉

 1さい半ごろのある日の夕食で、大好きなミートソースをお母さんが作ってくれました。まだ、フォークもスプーンもうまく使えず、手づかみで食べる事も多く、手も口も食たくも毎日大変な事になっていたのですが、この日はとくにすごくて、ミートソーススパゲッティをぐちゃぐちゃにしながら手で食べていました。お母さんがはフォークの練習をさせようと、「ぐるぐるするのよ」と言うと、右手と左手にフォークとスプーンをにぎりしめて私は、首をぐるぐるして「ぐるぐるぐる~」とさけびながらスパゲッティをとばしたり、手でスパゲッティをつかみ、「ぐるぐる♪」と言いながらブンブンして笑っていました。けど、お母さんはおこりませんでした。そして、写真や動画をスマホでとりはじめたのです。お母さんは一緒に「ぐるぐるぐる」と言いだしました。今でも、その動画を見るとおもしろくてたまりません。

〈しゅわしゅわれもん〉

 ベビーカーでお散歩していた時の事。のどがかわいて、お母さんとカフェに入って、私は、ベビーカーのお茶を飲んでいました。お母さんは、カフェでレモンスカッシュを飲んでいて、どうやら私はそれがすごく飲んでみたかったらしく、お母さんのレモンスカッシュを見て、「のむ! のむの!」と言い出しました。なので、お母さんはちょっだけ私にくれました。私は一口飲むといかにも「すっぱい!」という顔をしました。でも、次のしゅん間、「すきだけどすっぱい! もっとのむ」と言いました。こうして2歳半の炭酸デビューをしたのでした。

〈だれかたすけてくださーい〉

 歩ける事が楽しくなってきたころ、あるお散歩の時、ベビーカーでおでかけしていつもは、私が「あるく!」と言うと歩かせてくれたけどこの日はお母さんが急いでいて、「ごめんね!」と言って歩かせてもらえなく、私はどうしても歩きたくてぐずぐずし出しました。

 やっとおちついたかと思うと次のしゅん間、背中をピーンとのばして、私は大きな声で「だれかたすけてくださーい!!」とさけんでしまいました。お母さんは、「すみません! 私の子です!」とあせってその場をはなれました。

 こうして私は自由にのびのび育てられました。

 

  自分史                     六年生

 二〇十三年□月◎日午後△時□分、僕は産まれた。体重は□グラムで、すごく軽い方だったらしい。だが、今生きているから大丈夫であったのだろう。

 僕が産まれる前、両親は性別が男子でも女子でもいいから、とにかく元気に産まれてきてくれることだけを願っていたと聞いた。それが一番の願いだったようで。

 そして、産まれる一ヶ月前まで、僕はお腹の中で逆子の状態だったとのこと。お母さんは、逆子を治すために体操を続け、夏の暑い日にもかかわらず、お灸も頑張って、「無事に産まれてきてほしい」という思いで、毎日努力していたと聞いた。その後、逆子が無事に治り、普通分娩ができると判ったとき、お母さんはほっとしたそうだ。

 ところが、予定日まで十日となったある日、お母さんは突然、強い頭痛と高血圧になってしまった。急な体調の変化により、予定とは違い、緊急帝王切開をすることになり…。お父さんは心配したけど、僕とお母さんの命を守るために、同意書にサインをしたとのこと。

 お腹から取り出されたばかりのボクを見たとき、お母さんは「かわいい」と言ったそうで、その言葉を聞いて、僕は産まれた瞬間から愛されていたのだと思う。深夜にも拘わらず、千葉県から祖父母が病院に駆けつけ、僕に会いに来てくれたとのこと。家族みんなが僕の誕生を喜んでくれたと聞いた。

 僕は少し小さく生まれたけど、その後の成長は順調で、できることが一つずつ増えていくたびに家族はとても喜んでくれたようだ。ただ、赤ちゃんの頃の僕は、二時間おきに泣くことが多く、お母さんはほとんどまとまった睡眠が取れず、夜中に何度も起きて僕の世話をする毎日はとても大変だったらしい。僕は下におろすとすぐに起きてしまう赤ちゃんだったため、お母さんはほとんど抱っこかおんぶをしたまま家事をしていたと聞いた。

 さらに、なかなか寝ない子だったため、お父さんも車のチャイルドシートに僕を乗せて、寝るまで近所をドライブしてくれたと話してくれました。

 一歳二カ月のころ、僕は初めて風邪をひいて、それがとても重くなり、肺炎になって入院することになった。病院では、体を固定されたままレントゲンを撮ったり、点滴をされたりして、まだ小さかった僕にとってはつらい状況で、その様子を見ていた両親は、かわいそうでたまらなかったようだ。退院した時、家族は心からほっとしたと話してくれた。

 また、外を歩くときは、ただ歩くだけではなく、見えるものを一つ一つ言葉にして教えてくれたようで、「今日は暖かいね」「鳥の声が聞こえるね」など、周りの様子を話しかけてくれたそう。そのおかげか、僕はだんだんと言葉が増え、よくしゃべる子になっていった。未だに、「寝ている時以外、ずっとしゃべっている」と呆れられている。

 二歳ごろになると、僕は少しずつ自己主張が強くなってきて、何でも「自分でやる」と言い、周りの言うことをなかなか聞かなかったようで、両親から見ると大変な時期だったのだと思う。

 思い通りにならないと泣いたり、怒ったりすることもあり、家族は辛抱強く待つしかなかったようで、僕の気持ちを尊重しながら、できるまで見守ってくれていたと聞いた。

 家族で外食する時は、落ち着いて籍に座っていられず、騒いでしまうことがあったため、周りに迷惑にならないよう両親が交代で外に出て僕をあやしてくれていたと話してくれた。

 これは今の自分にもつながることだけど、僕は興味を持ったことにとことん没頭する子どもで、小さいころも好きな遊びや気になることに集中して、ついつい時間を忘れてしまうことがあったみたいだけど、いつも家族が近くで見守ってくれていた気がする。

 こうして生まれる前から三歳ごろまでの話を両親から聞くと、僕はいつも家族に大切にされながら成長してきたのだと分かった。

 生まれる前から元気に産まれてきてほしいと願われ、無事に生まれたことを喜ばれ、病気の時には心配されながら支えられてきた。最近怪我をして、家族に心配をかけることも多いけど、これまで特に大きな病気をすることもなく生活してきたと思う。

 よく両親からは人間が無事に生まれることは奇跡に近くて当たり前ではないと言われるけど、自分史を作っていて、そのことが何となく理解できた気がする。

 僕に限らず、人間は生まれて成長するまでの間に家族や、それ以外の多くの人の愛情を受けているものだと思う。

 六年生になって学校では過去の戦争のことも多く学ぶ機会があって、その戦争の世界では多くの人々が残酷に亡くなっている。そして、それは今もまだウクライナなど同じ地球の中で起こっていることにとても恐怖を感じてしまう。

 自分と同じように奇跡の中で生まれた命、愛情に囲まれながら成長してきた人間の命をどうか大切にする世界であってほしいと強く感じた。

大事なのは「わかる」こと、「できそうになる」こと

桐朋小学校の体育では「できる」ことも大事だけど、やり方がわかり、「できそうになる」ことをとても大事にしています。

そのためにはただがむしゃらに練習するのではなく、やり方のポイントが「わかる」必要があります。なぜなら、それがわかることで、ただ励ます声かけだけでなく具体的なアドバイスができるようになり、班のメンバーで教え合うことができるからです。仲間どうしで教え合い何かができるようになると、たとえ自分ができなくても、それは大きな自信になっていきます。

 

先週の4年生の器械運動の時間では、ねこちゃん体操(低学年でマスターする準備運動)のあと、マット運動の連続技と、鉄棒の「後方ひざかけ回転(片足を鉄棒にかけ、もう片方の足を振って勢いをつけ後ろ向きに一回転)」に取り組みました。

マットでは「ひざがピンと伸びているかな?」「技と技の間はスムーズかな?」など、鉄棒では「目線はどうする?」「鉄棒にかけている足、太ももからひざ裏に移動させるタイミングは?」などの視点を持ちながら、お互いにアドバイスをし合いました。できるようになった人、あと一歩でできそうな人、たくさんいました。

 

授業の最後には班でのふりかえり時間。みんなで協力し合えたかどうかなど、その日の学習をふりかえります。

ふりかえりが終わると、「もっとやっていい!?」と鉄棒に集まる子どもたち。「できそうになる」と、もっともっとやってみたくなるようです。

 

七草がゆで元気いっぱい!

ふゆ休みの間、さむさにたえながら育った畑の野菜。カブやハツカダイコンは小さいながらも、しっかり食べられる大きさに育っていました。

朝から畑へ行き、野菜を収穫しました。これまで総合的な学習の時間「ねっこ研究」で、土の中にある“ねっこ”に目を向け、育ててきた野菜です。今回は、その学びを生かし、「ねっこを育てる」から「ねっこを食べる」へと学びを広げました。自分たちで育てた野菜を、自分たちの手で調理し、味わうところまでを大切にしました。

 

七草がゆづくりは、教科の学習ともつながっています。

国語では、「せり なずな ごぎょう はこべら ほとけのざ すずな すずしろ」という七草のことばを、俳句のように声に出して覚えてきました。七草の名前やひびきを思い出しながら、食文化に親しむ時間となりました。

また、算数では、かさの学習を生かし、お米の水を1L2dLとはかって炊きました。

 

炊飯の間には、野菜を切ったり、ちぎったりしながら、道具の使い方にも気をつけて取り組みました。畑での学び、教室での学び、生活につながる学びが、ひとつの活動の中で重なっていく様子が見られました。

 

やさしい味の七草がゆ。

この時間が、この一年を元気に過ごすための、学びの土台となってくれそうです。

このあとに、子どもたちの感想を紹介します。

 

・ぼくは、おいしくて5はい食べました。いえでもつくってみたくなりました。

・七くさのことよくしれたし、つくりかたもしれたからよくべんきょうになったし、たのしかった。

・きょう七くさがゆでいろんなぐざいをつくって、すごくうれしかったよ。いちばんうれしかったのは、ほうちょうで切るのがすごくきもちよかった。

・七くさがゆをつくるときに、ハツカダイコンとカブのはっぱが、ものすごくくさくて、手ににおいがついてくさかったよ。七くさがゆは、新せんなあじで、おいしかったよ。あじをつけると、ほかのりょうりよりも、あじがまざっておいしかったよ。

・はじめて七くさをおかゆにしてみておいしかったし、あじがなんかだいこんとかぶで、おかあさんのよりもじ分でつくったから、おいしかったよ。またつくりたいな。

・じぶんでほうちょうで切ってサイコーでした。また二草がゆをつくりたいです。

・七くさがゆたべたよ。そのままでもしぜんなかんじをしておいしかった。しおを入れてもしょっぱい。それもそれでおいしかったよ。

・七くさがゆが、スズシロとスズナのあじが目立っておいしかった。

・まずりょうりするとき、やくわりぶんたんをしないといけないこと、すごくむずかしくて、でも力をあわせたら一人でやるときよりもっとはやくできたよ。畑に行ったときは、ぬくのがすごくむずかった。

・つくっているとき、お米がぴょんぴょんはねてておもしろかった。

・七くさがゆのハツカダイコンがやわらかくて、口の中がとけそうでおいしかったし、さんすうをまなべてうれしかったです。

・はつかだいこんを小さく小さく切ったんだ。はじめは かんたんだったけど、小さくなったらこわくなったよ。

「みんなと考えたい、世界のこと」 [Ⅱー453]

 6年生との授業「トピックス」で、本校の卒業生 荒ちひろさんにお話をしていただきました。

 

 荒さんは、現在、朝日新聞国際報道部に勤務されています。子どもたちと一緒に、現代社会、世界について学び、地球市民として見方や考えをひろげたいと願って、荒さんに話をしてもらいました。

 荒さんは、「みんなと考えたい、世界のこと」をテーマに、以下のことを話してくれました。

➀どんな小学生だったか

 「書くことが得意だったの?」「No!むしろ作文は苦手意識が…」。今も苦手な気持ちを持つと話してくれて安心をした人、「私は将来何になりたいかとかまだ決まっていませんが、ちひろさんが言っていたように、将来、自分が考えていなかったような職業につくかもしれないんだなと思いました。」と未来を考えた人がいました。

 「海外とのつながりは?」「(当時は)英語は中学から。(自身の)留学が初海外」。留学の時に会話とかはどうしたのかなどの疑問が出され、授業を終えた後も丁寧に応えてくれていました。

 私の荒さんの小学生時代の印象は、自身の疑問と、納得をとても大切にされていたこと、ご家族が荒さんを大切に見守り育てておられ、安心して過ごされていたということです。

➁高校留学でアメリカへ

 「きっかけは、好きじゃなくて「嫌い」?!」「アメリカの戦争に違和感。でも、アメリカを知らないな…」。荒さんは、同時多発テロの衝撃、そのことをきっかけに考えたことなどの話でした。子どもたちの感想を読ませてもらうと、「ちひろさんの話を聞いて、心に残ったことは、アメリカへ行った理由についてです。最初は好きじゃないのに行ったの? とびっくりしました。が、理由を聞いて、ちひろさんはすごいなと思いました。」「「嫌い」から「知ってみよう」とつながるのを見習いたいです。」と書かれていました。

➂大学院でイスラエルへ

 「イスラエルって、どんなところ、どんな人たちが住んでいるの」など、写真とともにそこで暮らす人々の様子を話してくれました。国としてひとかたまりに見て捉えてしまうのではなく、そこにいる多様な人々の話をしてくれました。

 荒さんご自身は、朝日新聞ホームページのご自身の紹介欄で、「2001年9月11日の米同時多発テロと、その後の「対テロ戦争」のニュースを見て感じた、「”正しい戦争”ってなんだろう?」という疑問が、その後の諸々につながっているように思います。大学院で「人間の安全保障」を学び、中東、パレスチナ問題への関心から、エルサレムに留学しました。難民・移民問題を通じ、国境を越える人々を通して、「国」とは何かを考えています。」と書いています。 

④「報道」の仕事、おもしろそう!

 「記者ってどんな仕事?」と問いかけました。「報道は、新聞、テレビ、ラジオ、ネット…など」「世界には報道の自由のない国も」ということには、子どもたちには驚きの声があがりました。

➄記者としてのあゆみ

 仙台での勤務、震災から3年目のこと。そして奈良へ。その後、東京社会部、そして世界の国々へと続きます。ニウエの話を詳しく聞きました。「世界で2番目に小さい島のニウエが興味深かった!! モアナみたいな感じって思ったらすごく面白い。1600人の国ってすごい!」「ニウエで誰もいない刑務所や一つしかないポスト、ニウエとその人の名前を書けば手紙が届くというのが面白かった。」など、たくさんの感想がありました。

 「大気汚染」取材でバングラデシュへ。「「世界最悪」の大気汚染 バングラデシュで懸念される子どもへの被害」なども話してくれました。子どもたちの健康被害やどうして大気汚染が起こるのか、子どもたちと考えます。対策で示されたこと、写真「黒海沿いの港町コンスタンツァのビーチを彩る「空気をきれいにする壁画」」や「大気汚染に対抗する「液体街路樹」」なども話されていました。

 子どもたちは、「まず小中高の時、何かになりたいと思って無くても記者とかになる事もあるんだな! 同時多発テロとかが無かったらアメリカに行ったりしてないかもしれないから、ある日に何かがあって、人生が変わる事があるんだ! 世界に関心を持っていたりする方はめっちゃ多くて嬉しい。」

「やっぱり子どもから卒業しちゃだめなんだなと感じた。完全に大人になって疑問を持たないで社会のおかしいしくみに慣れちゃったら社会が変化しないから、誰かが声をあげないとだめだと思う。嫌いで終わらせない様に知ろうとする努力をしたい。」

「海外について興味を持ったし、もっと外の世界の意見も知りたいし、海外に行って色々な事を知りたい!! 探究心が増えた!! 日本の事を知るより、海外、外の世界について知りたい!! 中略 記者の仕事も、1日体験とかで体験してみたいな!!」

 朝日新聞のホームぺージに荒さんが書いた「仕事に限らずですが、何かにネガティブな印象を抱いた時こそ、本当にそうなのか、実は自分が思い違いをしているのではないか、まずはよく知る、学ぶ、実際に触れる、を大切にしたいと心がけています。」ということが、お話全体から伝わりました。

 荒さんは、私たちに、「世界には、いろいろな人の「今日」がある」、「ニュースの向こうには、必ず「人」がいる」、「みんなの「気になる」「知りたい」が未来につながる」というメッセージを伝えてくれました。

 荒さんが持ってきてくれた本の紹介が時間がなくなってできなくなりました。その本とは、『瓶に入れた手紙』(ヴァレリー・ゼナッティ作、伏見操訳、文研出版)でした。表紙カバーには、「もしかしたらあなたは、この手紙を破いてしまうかもしれない。イスラエルと聞いて、憎しみしか感じないかもしれない。わたしのことをバカみたいだと思うかもしれない。手紙がガザにいるあなたに届くことなんて、ないのかもしれない。でも、もし、この手紙があなたのもとへたどり着き、最後まで読んでくれたとしたら…」と書かれていました。この本も荒さんのメッセージにつながることが書かれていると思います。図書室へ寄贈していただき、ありがとうございました。

 ここから話は変わります。荒さんの他にも報道にかかわる卒業生が多くいます。昨年末にお会いした平野雄吾さんもその一人。平野さんは共同通信記者であり、『ルポ入管―絶望の外国人収容施設』(ちくま新書)や『パレスチナ占領』(同上)などを出版されています。たくさんの方に手にとってほしい本です。

 平野さんは、『パレスチナ占領』の「おわりに」、「日本の入管収容施設と占領地パレスチナという一見異なる現場のあいだに、構造的な共通点」として、「「例外状態」と「剥き出しの生」が存在」すると書いています。「法の枠外に置かれ、権利を剥奪された人々」のことを取材し、「たとえば、二〇二一年三月、名古屋出入国在留管理局で死亡したスリランカ人女性ウィシュマ・サンダマリの事例では、衰弱したにもかかわらず医療は提供されず、責任者は不起訴となった。国家の管理下で命が失われても、誰も責任を問わない構造」を書いています。世界に目を向ければ、「構造的な共通点」がひろがっていることを学びました。

 最後に、「現代という時代が「例外状態」と暴力を容認する道に進むのか、それとも人権と法の支配を取り戻すのか、その分水嶺でもある。全ての市民が自由と尊厳をもって生きられる世界に向かうことを願ってやまない。」と書かれており、私自身の課題として受けとめました。 

 これからも卒業生から学び、できればその方をお呼びして、できなければその方の書いたものから、子どもたちとも地球市民として学び合い、話し合いたいと思います。

雪が降ったら雪遊び!!

週末たくさん降った雪。それぞれ家での雪遊びも、きっと大いに楽しんだことと思います。

学校は、校庭やしぜんひろばにまだ雪が残っていました。子どもたちは早速外へ出て、素手だろうがなんだろうが雪合戦!「手がこおる~!」と言いながらも、笑顔が弾けていました。

 

しぜんひろばでは雪合戦に雪だるまづくり。池は全面に氷が張り、より大きな氷を切り出すことに(これまた素手で!)挑戦している人もいました。

みんな夢中になって雪遊びを楽しみました!

 

 

 

パートナーさんからおすすめの本が届いたよ!

桐朋小学校では、5年生と1年生がパートナーになって活動しています。入学当初から学校のことを教えてくれていますが、そんな5年生から「おすすめの本」と「読書ゆうびん」というはがきが届きました。

 

パートナーさんが一人ひとりのために選んで書いてくれたはがき。子どもたちは目を輝かせながら読みふけっていました。中には「自分が借りてた本と同じものだ!すごーい!」という声が聞こえ、相性バッチリだねとみんなで笑いあいました。

 

「これは自分で読んだことがない本だから、楽しみ」「え がすごい!」「もう読んじゃおう」など、ワクワクが溢れ出ています。次の図書の時間では、はがきにお返事を書く活動があります。「なんて書こうかな」ときっと考えを巡らせているでしょう。そんな時間、気持ちを大切にしていきたいところです。

 

体を動かしながら物語を楽しむ

先日1年生の国語の授業におじゃました時のこと。

まずは漢字の学習。象形文字や絵からその日学ぶ漢字を予想し、なりたちや書き順、その漢字がつく言葉を出し合いながらみんなで学んでいきます。

次に新しい詩のプリントを配りましたが、音読のやり方がおもしろく、まずはみんなで声をあわせて読んでみる、次は班の4人で声を合わせて読んでみる、最後は自分でその詩に合った動きをつけながら読んでみる、という流れでした。ことば一つ一つの意味を考えながら、自分なりの動きをつけている様子が、その人らしさが出ていておもしろかったです。

 

最後に今読んでいる物語文、『おおきなかぶ』の学習です。今回は最後の部分、ねこがねずみを呼びに行くところで「自分がねこだったらどんなふうにねずみにお願いする?」ということを考えました。

おとなりさんと役を決めて考えてみるという指示でしたが、日ごろこういう活動を多くしているからなのでしょうか、何も言っていないのにほとんどのペアが席を立って動きながら、とても楽しそうに活動していました。

最後に発表もして、色々なねことねずみのやりとりを楽しみました。

 

 

 

子どもの権利を学ぶ① [Ⅱ‐452]

初等部70周年記念PTA講演会では、甲斐田万智子さん(*)を講師にお迎えして「キャッチしよう! 我が子の『あのね』~子どもの権利~」をテーマに学びました。

 *認定NPО法人国際子ども権利センター代表理事、広げよう!子どもの権利条約キャンペーン共同代表、子どもの権利条約総合研究所理事など

 甲斐田さんは、「1.子どもの権利・子どもの権利条約について」「2.日本の子どもたちが置かれた状況は? 私たちの子ども観は?」「3.家庭における子どものつらい体験の影響 ~子どもたちの脳に起きていること」「4.子どもたちの声をもとにつくられたこども基本法・子ども大綱」「5.家庭や学校で子どもの「あのね」をキャッチし、子どもの声が活かされる家庭、社会に」を柱に話してくださり、学びました。今回は、1、2を少し取り上げます。

1.子どもの生きる権利では、「世界の5歳未満児死亡数 2023年時点で5歳の誕生日を迎えることなく亡くなる子どもは年間480万人。7秒にひとり、1日に約1万3200人の5歳未満児が命を落としている」など。

 子どもの保護される権利では、「第19条 親などから虐待されない権利、第34条 性的搾取・虐待から保護される権利、誘拐・売買・取引されない権利」を取り上げ、日本では「JKビジネスが人身売買と批判、子どもポルノ、自撮り被害も深刻、教員、スポーツクラブ、塾の講師による性暴力も深刻」であるなど。

 参加の権利に関わっては、諸外国の事例が心に響きました。「子どもが子どもの権利を学び、ピアエディケーターとなり、仲間に子どもの権利を伝える。自信を得ておとなに伝える」ことなど。

2.日本の子どもが置かれている状況として

 「子どもは権利の主体と考えられない」、「子どもは社会の担い手と考えられない」という大人。「子どもは未熟で指導すべき保護の対象 権利を教えるとわがままになる」と考える大人。「おとなは子どもより優れており、子どもの同意なしに影響を与える権利がある」と考え、行動する大人。そのような大人がいる、自分はどうなのか問う。

 「子どもが権利を使うことを認めない『子ども差別』と言える社会」をつくっていないかという問い。「「権利と義務は対」という誤った考え方もあり、「子どもに権利があるということは、大人にその責務を果たす責任があるということであり、子どもに義務を求めるものではない」こと。自分はその責任を果たしているのかと問う。

 なぜ子どもの権利を尊重する必要があるのかについては、「権利意識をもつことによって子どもがエンパワーされ、諦めない気持ちになるから」、「権利を知ることで、子どもは一人で悩んだり、孤立しなくなる」、「子どもたちが参加の権利を使うことを通して、子どもたちが主人公となり活躍できるから」、「子どもたちは、権利によって、仲間と一緒に社会をよりよいものにかえていけるから」などと話され、学びました。

 上から4枚は、休み時間の子どもたち

6年生の授業では

 子どもの権利、子どもの権利条約を取りあげて、理解を深めることをすすめています。感想、意見は、

〇「よい子って誰が決めるの? よい子を演じるのはつかれるよ。」という意見に対して、確かにずっとよい子を演じるのは疲れるよね。親(大人)が絶対正しいってわけじゃないし…。誰だって苦手なこともあるし…。少しは悪い所あってもいいと思う。自分が直したくないと思っているなら直さなければいいし。無理に演じなくてもいい。

〇自分で自分の事を傷つけてしまうような気持ちになるまで、子どもを追い込んでしまう国だという事が、私は悲しいです。今の日本は、自殺してしまう子どもが多すぎると思います。どんな理由でも、誰かが気づいて助けてあげないといけないと思います。いつか世界からリストカットや自殺がなくなるといいな。

*朝日新聞1月30日朝刊には「小中高生の自殺 過去最多532人」「10・20代死因1位 G7で日本のみ」という見出しで記事が書かれていました。記事には、小中高生の自殺者は2020年に急増。19年の確定値と25年の暫定値を比べると、中学生で2倍、高校生で2.2倍。19歳までの原因・動機をみると、「病気の悩み・影響(うつ病)」が最多、「病気の悩み(その他の精神疾患)」「学業不振」「親子関係の不和」と続いたなどが書かれています。

〇同性愛が権利なのを知らなかった。日本は大丈夫なのかな…。結構印象に残った。日本は確か認められてないはず…。どうなって行くんだろう。

〇たしかに大人と子どもは、大人はえらい人じゃなくて、先生みたいな支え役みたいで、思ったことが、だいたいの家族は大人がえらいみたいになっていて、少し子どもが不利とか可哀想に思った。

〇手伝い家事 女の子がさせられることが多いよね? に関係する条約があるということを知り、良いなと思いました。私は一人っ子なのできょうだいの世話をするということないけれど、家事はお母さんと私でやっている感じなので、お父さんももう少しやってほしいです。学校に行けない女の子がたくさんいるのは、かわいそうだと思います。

〇性別などを理由に、ありのままの自分を表現できない事はよくない事だと思う。昔と比べて今はだいぶありのままの自分でいられる人が多くなったと思うが、まだ差別や偏見が消えないように見える。

〇私は国籍というものを得られない人がいるのを最近まで知りませんでした。国籍とか他にも戸籍とか、私たちが当然のように持っているものを持てない人がいることにすごく衝撃を受けました。そういったものが無いと生活するのとか、身分の証明とかが難しくなってしまうと思うし、自分がどの国の生まれかっていうのは大事なアイデンティティーだと思うので、それが無いのってすごく大変なことだと思います。そういう人たちにとっては、子どもの権利条約が守られていないこととか、そもそもそれを知らない人も多いと思うので、国籍とか、私たちにとって当たり前のものが、みんなにとって当たり前なことになるといいなと感じました。

子どもの権利条約 

 子どもの権利条約は、世界人権宣言とともに、道徳の教科書に出てきて、毎年6年生で取り組みます。今回は、『世界の子ども 権利カルタ』(監修 甲斐田万智子、制作 認定NPO法人子ども権利センター)も使いながら学んでいます。

 1989年、国連で子どもの権利条約が採択  1994年、日本は子どもの権利条約を批准

 批准とは、条約に書かれてあることが守られるように約束したこと。政府をはじめ大人は、子どもたちに子どもの権利を伝える責任が生まれました。

 子どもたちと、「子どもの権利条約」について学びます。学ぶことで、自分自身の悩みを解決したり、成長するために使っていけるといいです。よりよい社会をつくるために使ってほしいと思います。

 条約に書かれているのは、〇生きる権利 〇育つ権利 〇守られる権利 〇参加する権利

 4つの原則として、〇生命、生存および発達に対する権利(命を守られ成長できる) 〇子どもの最善の利益(子どもにとって最もよいこと) 〇子どもの意見の尊重(意見を表明し参加できること) 〇差別の禁止(差別のないこと)

 この2枚は幼稚園(左は演奏をしてくれた同じキャンパスの大学生。たのしい時間をありがとうございました。)

なんでも発表会

先週、毎年恒例プレイルーム委員会主催の「なんでも発表会」が行われました。

3年生から6年生までの人が、出演希望を出すことができますが、毎年募集が多く、抽選で出演者を決めています。

今年はバレエ、新体操、団活の活動発表(百人一首や音楽、民舞など)、コントに漫才など、たくさんの楽しい発表が行われました。

 

プレイルーム委員の人たちはプログラムづくり、受付、誘導など張り切って仕事をしていました。

1年生から6年生、そして先生まで、たくさんのお客さんで盛り上がりました。