おいしい梅ジュースになあれ!

桐朋小学校には、食べられる実のなる木がたくさんあります。

今の時期は梅、夏の初めにはびわ、秋には柿、春先には夏みかんがたくさんの実をつけます。獲れた実は、しぜんひろば委員の子どもたちが各クラスに配りに来てくれ、その実でジャムを作って食べるクラスもあります。

先日、1年生の教室を訪れると、黒板には「うめじゅーすをつくろう」の文字が。なんとこれからしぜんひろばに梅の実を拾いに行こうとしているところでした。自分たちで拾った実でジュースを作る、なんてワクワクする活動でしょう!

早速しぜんひろばへ。子どもたちは必死に探し回ります。

「あったよ!」「どんなの見つけた?見せて!」「ひとつもなかった~」

 

梅を拾ったら教室へ。次はいよいよジュースづくりの準備です。

つまようじを使って梅のヘタをとり、きれいに洗って水分をしっかり拭き取ります。

 

 

大きなびんに梅と氷砂糖を交互に入れたら準備完了!これからは毎日びんを振ってお世話します。

頑張りましたの氷砂糖を1粒ずつもらって笑顔のみんな。完成が楽しみです!

 

手拍子で応援!~中高生の体育祭~ 

5月の終わり、桐朋女子中高の体育祭が、すばらしいお天気のもと開催されました。

 

高らかに響く音楽班の生演奏にあわせて、高校3年生の赤チームから順に、青、白、紫、緑、黄、と各色の旗を掲げて入場してくるお姉さんたちに、小学生も教員たちも心から拍手を送りました。

黄色のみなさんは、3月まで6年生として小学校で一緒に過ごしていた仲間ですから、「あ、〇〇さんだ!」「〇ちゃんも居た!」と、小学生たちも目を輝かせて手を大きく振っていました。

ところで、この入場曲はなんだっけ?と少し考えていたら、

「あ!ラデツキーマーチだ!」と思い出しました。

ウィーンフィルのニューイヤーコンサートで必ず最後に演奏される、ヨハンシュトラウス1世の名曲です。

そこで、この日の5年生の音楽の授業では、お姉さんたちへの応援の気持ちをこめて2023年度のコンサートのDVDを観て、手拍子で盛り上がりました。
 

「みんな(5年生の女子)は、中学生になったら何色になるのかな?」と呟いたら、

すかさず「青だよ!」の声が。みんなよくわかっているようです。

2年後はここにいる人たちが青いハチマキで入場してくるのだなあと、少し不思議な気分になった一コマでした。

優勝は高校3年生の赤チーム。応援交歓の表現も「さすが」の一言。
桐朋女子のパワーをひしひしと感じた一日でした。
お姉さんたち、かっこいい!!

初等部、学園の礎を築いたМ先生 [Ⅱ‐428]

先日、初等部創設メンバーのお一人、М先生のお別れ会を開催しました。1981年卒業22期の有志の皆さんが呼びかけ、М先生と関わられた2期~24期の皆さん、先生のご家族、ともに過ごした先生が大勢参加されました。

М先生との思い出。「自分の頭で考えなさい。」「自由を大切に。」「誠実であれ。」などのことば。その大切さに気づかされ、現在まで大切にしてきたこと。「綴方」、「書くこと」、「(綴方などを掲載した)通信」をずっと続けてこられ、考えること、伝えることなどが身についていること。「常に教室にいて、先生の膝が大人気でした。」「受け入れてくれる安心、信頼」「本物を使うことの徹底」など、一人ひとりの心にいろいろな思い出が残っています。

先生へのお花を分けていただきました。ありがとうございます。学校のいろいろな場所に飾りました。

私からは、М先生が子どもをとても大切にされて関わっていらしたこと、初等部や学園づくりをすすめられ、今日につながることを少し話をさせていただきました。以下、その一部を掲載します。

先生は、学生時代に、児童文化に関心をもって活動をされていました。それはPTA機関紙『わかぎり』にも書かれています。「子どもがむしょうにすきで、小学校の教師になりたい」との願いを先生はおもちでした。

その思いを胸に、桐朋小学校での教育活動をすすめていきます。2015年創立60年記念誌に先生は、「教育の大切な一面を、自分でも見付けていったと思う。子どもたちの教室は教師の仕事場でもあるから、教室には子どもたちより先に行って、子どもたちが帰るまで常駐しよう。教室の一角の教師用机のまわりは広く空けて、子どもたちがいつでも集まれるようにしよう。子どもと話すときは目の高さを子どもと同じにしよう。その机で漢字の書き取りの採点、テストの採点など、また学級通信のガリ切りも、集まった子どもの見ている中でやって行こう。教室の掃除は当番の子どもたちと一緒にしよう。教員室の朝の打ち合わせなどは無視して、教室で子どもたちと話をしよう、などなど。」と書いています。先生らしいなと受けとりました。

卒業生のエピソードでも、朝先生が教室にいらし声をかけられたこと、話したこと、放課後遅くまで残ってかかわられていたこと、先生の机のまわりでの様子などが語れました。

先生の「自分の頭で考えなさい。」「自由を大切に。」などのことば、「綴方」「書くこと」「通信」の思い出も話されていました。そのことを私が先生からいただいた手製本『子ども『詩』集 みんなの目 私の目』の中にある「詩」からみます。

景色 Tさん

まだ、おこっているから、/あとにしようかな。

このまま、だまっているのが、

一番いいかな。

 

ここは三階だから/向こうの方までよく見える。

富士山、/よみうりランド、/向ヶ丘遊園。

みんなで/いろんなところへ/行きたいなあ。

М先生より。(Tさんは)遊びの名人であり、優れた遊びの組織者である。男の子が教室でとぐろを巻いていると、「ウジウジしてないで出て来いよ」と運動場に引っ張り出していく。「みんなで」というのは、もちろん「クラスみんなで」である。

いいかげん Iさん

あの『ひぐるま』(通信名ー中村)を読んだ日から、

お母さんは、

「ものをちらかしっぱなしが/いいかげんにつながるんです!」

「だらしない態度が/いいかげんにつながるの!」

と、またたくまに、

《いいかげんおばさん》に/変化してしまった。

そこまではいいけど、

「テレビも制限時間、決めるから!」

と、言われてしまった。

ここまでくると、

《いいかげんおばさん》が/変化して、

ただの鬼に見えた。

М先生より。 「いいかげん」については、Iのお母さんがずいぶん気にしていたというから、あえて、「お母さんがいいかげんだといったのではありませんよ。Iがいいかげんだといったのですよ」と申し述べた。余計なことだったかも知れない。

この手製本には、「綴り方や『詩』の指導は、とくに小学校段階では、文章の音読指導とともに欠くことのできない重要な教育であると、私は思っている。子どもに正しい事実的な認識と豊かな感性を育てたいと願う時はなおさらである。」「改めてこの子たちの『詩』を読み返して、その生き生きとした心の動きにふれて、正直なところ、懐かしく、嬉しさを覚えた。そういえば二年生のМ君が教室に飛び込んで来て、息をはずませて言った。「先生! きょう、さくぶん、ある? ぼく、書きたいことあるんだ!」/子どもたちの生き生きとした心の動きは、今、どうなっているだろうか。」と、先生はお書きになっています。

私は、先生から、子どもの心は弾んでいますか? 弾む生活、学びをつくっていますか? 弾んだ心を表現したい気持ちを育んでいますか? と、問われていると受けとめています。

 

『私の戦中記 子どもに語る母の歴史』1971年、『私の教育体験記 子どもに語る母の歴史』1972年 

初等部PTAで「体験記」を刊行しました。『私の戦中記』は、□学童疎開 □戦いの日々 □戦いのなかの学校教育 □空襲 □祖国への道 □体験を未来へ □あとがき 『私の教育体験記』は、□幼い心に刻まれたこと □学校とは? 教師とは? □私の教育体験 □あとがき「断章・日本の教育」

「体験記」をもとに、親から子へ、子から親への対話が期待されました。この2冊は、保護者とМ先生らの共同でつくられました。そして、この2冊を現在も読み継いでいます。昨年は『桐朋教育56』特集にも紹介されました。М先生は、PTA機関紙『わかぎり』の執筆も多数あり、保護者とのつながりを大切にされています。

『私の戦中記』のはじめに、「未来に生きる子どもたちに、平和の夢を託するならば、戦争体験を子どもたちに伝えていくことは、戦火をくぐって、苦しくも生きてきた人間の務めてあろう」‥「1971年3月10日 26年前、10万人の人々の命が消えたその日に」と書かれています。М先生があとがきに、「だいじなことは、小学生、女学生として体験してきた自分のことを、今、自分の子どもである小学生、中学生に、生きた歴史として伝えようとしていることなのです。」と意味づけています。この冊子を読み、あらためて現在、語り合いたいと思います。

6月、東京大空襲の体験をされた3人の方(『私の戦中記』を執筆された方も)より、6年生と一緒にお話を聞きます。

『私の教育体験記』のはじめに、「私にとって学校教育は何だったのか、するどく問いなおさなかったならば、母親の立場で、これからの子どもの教育を考えることなどできないのではないか」とあります。あとがきは、М先生が「断章・日本の教育」を書いています。私たちの受けてきた教育とは、天皇制、教育勅語思想の教育、軍国教材などを示されました。

二度とこうした教育は、してはなりません。

 

国語研究 

桐朋小学校の教育 「国語―読み方の教育1」1985年、「国語―読み方の教育2」1987年より

「桐朋幼稚園の教育」「桐朋小学校の教育」シリーズ編成。1955年~1985年の30年間で行った教育研究の集積。

М先生は、国語2冊の中に、11本の論文を掲載されています。創立70年を迎え、あらためてМ先生らに学ぶことを課題とします。

1)『国語―読み方の教育1』 掲載論文

・分析と批判「めじろとせいかじいさん」1968年 ・文学作品の読みの指導過程について1972年

・文学作品の内容とその読みの授業の原則1978年 ・読み方教育の理論1979年

・読み方教育・指導過程を中心に1980年

2)『国語―読み方の教育2』 掲載論文

・授業分析 たどり読みをめぐって1985年  ・授業分析 単語指導の問題を中心にして1985年

・授業分析 子どもの読みの能力の可能性1986年 ・授業分析 表現の読みをめぐって1986年

・授業分析 主体的な読みの育ちを願って1986年 ・「国語―読み方の教育1」と授業1986年

現代は、大学入試、学習指導要領などから、実用的な文章の重視、複数の資料の利用―図表、グラフ、写真などー、架空の対話形式の文章の学びなどが増加しています。全国学力実態調査(4月実施。新聞など問題を掲載)では、文学からの出題はありません。М先生らが残してくださったものから、あらためて文学を読む意味、学ぶことの意味を考えたいと思います。

 

学園のために。そして未来に向けて

学園の歴史をふり返れば、М先生が学園理事をされていた時期に、新八ヶ岳高原寮の建設、従来の併任校長制を廃し、一学長二校長制へ(1992年)かえ、幼稚園から短期大学までの五校の統一を図るために、「女子部門運営審議会構想」を提案されたことなどがあります。

また、組織の機能および組織的な学校運営のため、規則規程の整備が必要となり、先生が中心につくられた規程集があります。このような変革は、どれも大切なことで、現在につながっています。

最後に、М先生ら将来構想検討委員会(当時)の皆さんが女子部門の教職員を対象にアンケート調査を行い、まとめられた「桐朋らしさ」を掲載します。私たちが引継ぎ、実践と研究より発展させていきたいと思います。

1、一人一人を大切にする教育ーこれは教育の意図であり、根幹となる教育の姿勢である。2、自主性、自律性を育てる教育 3、心の健康、身体の健康 4、学ぶ力を育てる教育ーこの3つは、学生・生徒・児童への働きかけである。略 5、新しい教育の創造 6、自ら学ぶ姿勢を常に保つーこの二つは、教育にかかわる教職員の特質であり、課題である。 7、外に向けて開かれた学校ー学校と社会の関係、学校の社会に対する在り方を示している。 8、教育を第一とする学校経営 9、公正、堅実な学校運営ーこの二点は、学校経営、学校運営の基本姿勢である。 10、自由で民主的な学園風土ー一項から九項までを創り出した背景、つまり学校の教育と運営を支え、方向づける精神基盤がこれである。

 

先生より、林竹二著作集もいただきました。林氏は、「生命への畏敬の欠けたところに教育はない」と述べています。

「教育の対象である子どもは、すべてかけがえのない貴重な鉱脈を持っているのです。それを探り堀り起こすことが教師の仕事」、「変化した子どもの中にある生命というものに、絶えず自分を成長させたり自分をつくりかえたりする力がある」ことを先生は私に考えさせようとされたのではないかと学びました。

6月21日(土)小学校説明会(施設見学会)について

本校にご興味をお持ちくださる皆様

第3回 桐朋小学校説明会(施設見学会)を以下の通り開催します。

〇2025年6月21日(土)

本校校舎にて

1回目 13:30受付 順次ご案内開始   

 

2回目 14:30受付 順次ご案内開始   

 

・各回とも同じ内容で40分程度を予定しています。

(早すぎる来校はお控えください。外でお待ちいただくことになります。)

・正門よりご入場いただき、案内に従って、本校校舎前までお越しください。

・スリッパや上履き、靴袋をご持参ください。

 

〇内容  

本校校舎内を小グループにこちらで分け、教員がご案内いたします。

 

〇配布資料について

本校の説明会に初めてお越しのご家庭に本校の学校案内、募集要項をお渡しします。受付時にお知らせください。

すでにお持ちのご家庭への配布はございません。あらかじめご承知おきください。

 

〇本校の「ブックレット」や「桐朋っこかるた」を販売しています。

・お支払いは現金のみとなりますご希望の方はあらかじめご用意をお願いいたします。

 

〇受付開始日  6月9日(月) 正午から

・本ホームページ「説明会・体験会予約画面」よりお進みください。

・お子さんのお名前でお申し込みください。1家庭、2名までご入場いただけます。(お子さんも1名としますが、未就園児は人数に含めません)

・男女の枠がございますので、お間違えのないようにお手続きください。

 

 


〇お願いとご案内

※本校の説明会にお申込みいただくには「miraicompass(ミライコンパス)」サイトでのユーザー登録が必要です。

事前に準備しておいていただくと、お申込みがスムーズにできます。

※すぐに満席になることも予想されます。その場合ご容赦ください。

※ご都合がつかなくなった場合はホームページよりキャンセルのお手続きをお願いします。(キャンセル待ちはございません。どなたかがキャンセルした場合にのみ空席になり、その場合のみ予約が可能です。ご協力お願いいたします。)

※説明会後にミライコンパスマイページよりアンケートの送信をお願いします。これによりご参加の確認をさせていただきます。

 

皆様のご来校をお待ちしております。

 

桐朋小学校 教務

春の遠足

雨天で1週間延期した春の遠足。昨年は頂上で雨が降り始め、レインコートを着て下山しましたが、今年は雲の切れ間から時折太陽がのぞく、登山にちょうど良い陽気の中、一丁平までを往復しました。脚力があり、予定よりも短い時間で一丁平に到着し、昼食休憩をゆっくりと過ごすことができました。
今年の遠足では、「ハイキングリーダー」「ケアリーダー」「ネイチャーリーダー」「クリーンリーダー」などの役割を一人一人が担い、協力しながら歩きました。この体験した活動を、7月の八ヶ岳合宿などに生かしていけるといいなと思います。

  

  

  

▢今日は高尾山に行きました。登るのがとても大変でした。たくさん汗をかきました。リフトが一番たのしかったです。友達といっしょに乗りました。先生が前で写真をとっていました。楽しかったです。
▢金曜日に高尾山に行った。24000歩もあるいた。みんなで行ったから楽しかった。でも虫がいたから、こわかった。
▢今日は遠足がありました。高尾山口まで行くとき、特急がけっこうこんでて、せまかったです。グループ行動になってからは、道がせまくて 落ちそうだから、こわかったです。かいだんのところがつかれたけど、ぶじに一丁平まで行けてよかったです。
▢高尾山を登っているときに、すごい細い道もあってびっくりしました。3年生で登ったときよりも4年生のときの方がすごい急でびっくりしました。下に石とか木とかがあって、すごいころびそうでこわかったです。かいだんもいっぱい登って、あせがすごいたれました。グループべつで登ってるときに、私たちのグループが1班で一番さいしょに歩いて、なんかうれしかったです。帰りはみんなでおりて、帰りもすごい下に石とか木があって、かいだんも登るのが大へんでつかれました。またみんなで楽しい高尾山に行きたいな~。
▢私が一番楽しかったのは、帰りの時のリフトでした。何が楽しかったかと言うと、つかれている時にすわって、きれいなけしきを見ながらゆっくりすすむのがおもしろかったです。でも、(自分の)前にバーがなかったから、落ちないかがすごくすごくすごーーーーくしんぱいだったけど、いがいと落ちなかったからよかったです。

桐朋幼稚園の礎を築いた保育者・T先生 [Ⅱー427]

1961年より桐朋幼稚園に勤務されたT先生。退職後、大学教員として子どもと保育に関わり、桐朋幼稚園にも時々いらして、遊び、生活で使う牛乳パックや紙袋、箱などをたくさん持って来てくださいました。その際に、商店街にあった藤屋さんの美味しい大福をいつもお土産に持って来て、教職員の話を聞いて励ましてくださいました。

私は、T先生の「少し鼻にかかった溌溂とした声」と人間をまるごと見つめる眼差しに、背筋がピンとなることが多くあり、保育者として子どもとしっかり向き合っていますか?と、問われました。先生のお話から、保育、教育者としての矜持を感じることもありました。例えば、ご自身の高校時代の英語の経験から「人が学習内容を理解するし方それぞれであって、この子を認めないでみんな同じように解るようになるものだという考えは絶対に持ってはならないと思います。このような先生が普通だとするなら、私は先生らしくない先生になろうと思った」など、忘れられません。

ここから先は、保護者、教職員向け『桐の朋 2024年秋 追悼特別号』(桐朋幼稚園保育者編集)より、T先生と関わってきた皆さんの声をもとに書きます。

◆子どもたちへ

卒業生から、「T先生のハンカチねずみは生きてるみたいだった、本物かと思ってびっくりしたというのが一番の思い出」と聞きました。園児や小学生とともに、T先生の手から「ハンカチねずみ」が飛び出すのを見て、驚き、たのしませてもらいました。

先生は、子どもたちに不思議さやたのしさをたくさん伝えてくれました。卒業生から、

「『ふしぎなポケット』歌いながらおいしそうなビスケットをポケットから出してくるT先生がとっても不思議でした。でもその後美味しくいただいたものです。今でもそれは思い出の中で美味しさが残っております。」

「先生の読み聞かせがとても楽しく、『おんちょろちょろ』『花さき山』など、様々な本の世界に引き込まれていきました。当時ピーターラビットの日本語翻訳版が刊行され始め、これもT先生からご紹介いただきました。新しく届くお話をわくわくしながら待っていたのも懐かしい思い出です。紙でできたケースに美しい装丁の本が3冊収められており、文字を読むのも絵を眺めるのも、私にとって非常に幸せな時間でした。」

など、たくさんの思い出を伺いました。さまざまなエピソードから、先生の子ども一人ひとりへの愛の深さが感じられ、子ども時代にたのしさ、不思議さをたくさん育み、生きる喜びを味わうことを願っていらしたのだと思いました。

◆保護者に寄り添って

保護者の方からは、「子育てで悩んだ時に、先生からお聞きしてきたお話がいつも支えになっていました。『生まれつきの性質は変わらない、それがその子なんだから。親は、変えようなんて思わずに、この子にはこんなところがあるなあって思っていることが大事』これはずっと私の心に置いていることです。実際は、なかなか難しいことだらけの親業ですが、自立して家を出て行った子どもたちを見ていると、親として何とか頑張って来られたかなと思います。子どもと共に親も育てていただきました。」など、在園中にT先生に励まされたこと、卒園後も先生のことばに支えられてきたことをお聞きしました。他にいくかをあげてみれば、

「声として発せられた言葉だけが言葉ではない。心の中から発せられる心の声に耳を傾けよ。」

「やらされてじょうずに出来るがアレルギーを感じている。じょうずにできなくてもみずからやりたくてやっている、そういう心の自由を。」

「自分が自分がと人を踏み付ける世知辛い浮世にあって、人の為に、人の話に耳を傾け、人の痛みがわかる人間らしい人間、このことは人として生きていく上で当たり前のこと。」

などです。T先生のことばを心に刻み、現在を生きる保護者がたくさんいます。

◆保育者への励まし 

先生は、「普段はやさしくおだやかな語りかけで関わっておられ、子どもたちが何か『やらかし』ても、その理由や経緯を詳しく聞き取ろうという姿勢でいらっしゃいました。でも、これは違う、おかしい、立ち止まるべきと瞬間に判断された時には、ビシっと制されていました。短く、強く、きっぱりと。」

「楽しい幼稚園の生活を工夫する一方で、厳しく叱ることもなければなりません。叱っても反応しない子どもたちが目立つ今から考えると、やはり叱るにも相手の子ども達と気持ちの通じ合う間柄という前提が必要のようです。叱るということは自覚を促すことなのですから。」

など、実践を通して保育者へたくさんのことを伝えてくれました。しかし、大切なことだとわかっていても、なかなかできることではありません。これからも心に留め、葛藤し、試行錯誤して取り組んでいきます。

これまでT先生や皆さんが話し合われた園の記録も振り返りました。例えば、「一般的に幼稚園における『指導案』『保育計画案』などには、『教師』という言葉を用います。しかし、桐朋幼稚園では、これまでもそして現在も、『教師』の表記ではなく『保育者』を用います。資格としては『幼稚園教諭』であるので、一般的な書類としては『教師』が正しいのですが、そこには、こだわりが息づいていて、今も『保育者』と書きます。これまでも、この表記については、度々議論をしてきました。そのたびに着地するところは、子どもと育ちあう関係にある、傍らにいる大人として、『教師』『教員』ではなく、そこはやはり『保育者』としての自覚が強いことを確認する機会になるのです。細かなことではありますが、やはり桐朋幼稚園は、子どもも大人も共に生活し、考え合い育ちあう仲間であり、保育者は子どもたちの育ちを援助する人であり続けているのだと思います。」などを受け取り、これからも大切にしたいと考えます。

写真はすべて6月の園庭から

2025年、桐朋幼稚園は創立70年を迎えました。桐朋幼稚園でT先生や皆さんがこれまで大切にしてされてきた思想、保育実践に学び、現在と未来を創っていきたいと思います。先生、これまでありがとうございます。これからも見守っていてください。

カイコが生まれたよ!

 教室に入ると、笑顔で報告してくれる子どもたち。虫メガネを片手に、生まれてきたカイコをじっくり観察していました。

 

 3年生の理科の学習では、カイコの飼育をします。飼育する前には、カイコの説明文を読み、飼育方法について考えてきました。

 卵が届いただけでも笑みを浮かべる子どもたち。

・まだ生まれていないけど、卵の色が変わってきた。

・少しずつ卵の形が変わってきたよ。

・明日には生まれそうだね。

 毎日のように観察し、ちょっとした変化にも気づいていました。そして、一週間観察を続け、ようやく誕生したのです。

・触ってみてもいい?

・触っても死なないかな?

 おそるおそる触るところから始まり、「生まれたばかりなのに、もう糸を出しているよ!」と、いろんなことに気づき、発見したことを嬉しそうに話してくれます。

 

 

 カイコの説明文には、以下のようなことが書かれています。

カイコは野生をうしない、いまでは人間の世話なしでは、生きていけなくなってしまったのです。

 なぜ、人間がそこまでしてカイコの世話をするのか。子どもたちに問うと、説明文の内容から推測し、いろんな返答がありました。

・人間は糸がほしいから、カイコを育てて糸をとっている。

・糸はとても貴重で、他の昆虫からもとることはできるけど、中でもカイコの糸が貴重なものになっている。

・糸は洋服とかをつくることができて、お金を稼ぐことにもつながる。

 カイコが成長して繭ができたら、そのまま茹でて糸を紡ぎます。最初は触れなくても徐々に愛着がわき、茹でることに抵抗を覚えます。

 

 人間がつくりあげた昆虫の家畜。いろんな場面で子どもたちは「葛藤」しますが、ひとまず、大きく成長するまで見守っていきます。

 

転編入試験を行います(2025年9月入学)

2025年9月入学の転編入試験は、以下の学年で行います。

〇2年生 男子1名

〇4年生 男子1名

試験日は7月5日(土)です。詳細は、募集要項でご確認ください。

 

〇募集要項・入学願書

以下のPDFをクリックし、ダウンロード・印刷してご利用ください。

 

→ 2025年9月入学転編入試験募集要項(PDFはこちら) ←

 

お問い合わせ

桐朋小学校

03-3300-2111(代)

八ヶ岳合宿で自然を満喫プログラム

八ヶ岳合宿に行ってきました。
6年生のテーマは「やりたがる」。これは、4年生での「おもしろがる」、5年生の「つながる」というテーマの流れを受け継いだものです。どんなことでも、自分なりにおもしろさを見つけ、「やりたがる」気持ちを育てていこう。そんな話し合いをしてきました。

今回は、特別講師としてKAIさんをお招きし、特別な野外教育プログラムを体験しました。ナイト・アウェアネス・ウォークとロゲーニングの2つです。

ナイト・アウェアネス・ウォークでは、暗闇の森の中を、一人ずつ、遠くに見える一筋の光を目指して歩きました。
暗闇は怖いものと思っていたけれど、真っ暗な中では、枯れ葉のこすれる音、足元の土の感触、木の葉の匂いなど、普段は意識していなかった五感が研ぎ澄まされる不思議な体験になりました。
なんと、足元に光るホタルの幼虫にも気づくことができたのです。ライトをつけていたら決して気づかなかった発見でした。

子どもたちの感想
・知らない場所(昼間しか知らなかったところ)を歩いてみたら、とても楽しかった。枝を踏んだときの音がすごく大きくて驚いた。見えない中で歩くのは怖かったけど、新しい感覚だった。
・地面に光っている生き物がいたので手で取って、明るいところで見たら、毛虫(イモ虫)のしっぽが光っていてビックリした。
・二日目の朝にもう一度同じ場所を歩いてみたら、「なんだ、こんな普通の草むらだったのか」と思った。

もう一つの活動は「ロゲーニング」です。
これは八ヶ岳寮の内外に設けられた約50カ所のチェックポイントを、地図をもとに巡る戦略ゲームです。
子どもたちは3人1組で、デジカメを使って各ポイントで写真を撮って得点を競います。森の中を歩いて鹿の骨に出会ったり、崖を登って道を間違えたりと、冒険の連続でした。
優勝チームには、お昼のホイル焼きの調味料が贈られ、大いに盛り上がりました。

子どもたちの感想:
・高い山を登っているとき、目の前に大きなクモの巣があってビックリ。道を歩いていたら、Mさんが「わあ!」と叫んで、その先に謎の骨があって慌てて戻った。3日目の朝、Jくんがその骨を持っていて、さらに驚いた。
・プログラムに命がけで取り組みました。1時間半、体力との戦い。MとAとチームを組んで、必死に頑張った。結果は256ポイント!塩とこしょうをゲットしました。
・帰り道で用水路を見つけて歩いていたとき、先頭にいた私は、鹿の頭蓋骨を見つけてびっくり。へなへなになってしまった。よく見ると周りにも骨があり、うっかり踏んでしまった。

今回の合宿で、子どもたちはこれまでにないような「大冒険」を経験しました。五感を使い、仲間と協力しながら、心に残る体験を積み重ねた三日間でした。