運動会の予行練習を行いました

今週末は運動会です。

昨日は本番に向けての予行練習を行いました。

前日が雨で準備ができなかったので、会場係や用具係の子どもたちは朝早くからグラウンドに出て準備をしました。

各学年、民舞の発表も行いましたが、本番までに、さらに磨きがかかっていくことでしょう!

 

 

桐朋小学校の運動会 [Ⅱ‐438]

 もうすぐ運動会。本番に向けて取り組んでいます。

 

 運動会前半は、体育学習の成果の発表として民舞を、運動会後半は、赤組、白組による2色対抗競技等を行います。

    

[前半 民舞 日本の踊り] 全学年が発表します。古くから伝えられてきた日本の踊りを力強く表現します。

1年生 荒馬。青森県今別町の踊りで、ねぶた祭の踊りがもとになっています。「ラッセラー、ラッセラー」、威勢のいい掛け声や太鼓のリズムに、1年生のかわいい馬が力いっぱい駆けまわります。

 

2年生 花笠踊り。花笠音頭に合わせて踊る山形県の踊りです。自分たちで飾りつけした花笠を持って、元気な歌と掛け声に合わせて踊ります。

 

3年生 桐朋みかぐら。岩手県大森村に伝わる神楽舞を、踊りやすくアレンジしました。秋の豊作や幸せを願う気持ちが込められています。日本の踊りがもつ独特の調子を味わいつつ、力強く表現します。

      

4年生 ソーラン節。北海道のニシン漁をもとに創作された力強くキレのある踊りです。自分たちで描いた法被を身に着け、力いっぱい踊ります。

   

5年生 エイサー。沖縄本島や近隣の島々の盆踊りです。祖先の霊を供養し、無病息災を願い、家庭の繁栄を祈念します。桐朋小学校では、長年、沖縄市園田青年会の踊りを取り入れています。太鼓を打ち鳴らし「はやし」を入れながら、大地を踏みしめ、勇壮に踊ります。

 

6年生 中野七頭舞。岩手県岩泉町小本の中野地区というところで、約190年前から踊られているものです。7つの道具を持ち、農地を開拓していきます。木を切り、畑を耕し、けものを追い払い、豊作を祝い、仕事の苦労を癒すという内容です。最後の学年として、大変難しい踊りに取り組みます。

 

民舞について

 民俗舞踊をもとにして、教育現場で教材として踊られてきました。大もとの民俗舞踊とは、日本各地で地域の祭りや盆踊り、神楽の奉納などで踊り継がれてきた芸能です。それらの多くは、日常生活の「労働」の中で培われてきた身体の使い方を踊りのもととしています。それは、地に足をつけ、腰を安定させ、大地に根ざして労働し、生活してきた日本人の身体の動きや所作です。

 民俗舞踊は、歴史的に地域の祭りなどの場で踊られ、地域の中で世代を超えて人と人を繋ぐ大切な共有財産、かけがえのない文化です。人々は踊りを通して、繋がり合い、連帯し、生きる喜び、祈りや願いといった感情を共有します。労働する農民などが生み出した本来の踊りは、たくましく、力強く、躍動感にあふれた全身的なものです。そうした踊りが、代々受け継がれる中で、力を効率よく使うことや、合理的な動きになっていき、自然の理にかなった動きに洗練されてきたと思います。

 子どもたちが心と身体を耕し、しなやかな身体をつくっていくことを願います。民舞を通して、自分を身体いっぱいに表現したり、その楽しさをみんなで共有し、繋がり合い、一つのことをつくっていく経験は、子どもたちの心と身体に働きかけることも大きいと考えます。 

 

[後半 2色対抗競技

 今年度から、低・中・高学年のブロックで対抗競技を行います。異学年との関わり通して、お互いが刺激を受けながら、作戦を立て、話し合いをし、練習に取り組んでいます。フェアプレイ、ノーサイドの精神を大事に、クラスやブロック学年で協力します。

 

運動会の取り組みを通じて

 子どもたちの主体性を育てることを大事に考えてすすめています。例えば、エール交換では、応援係が考えた応援を1~6年生のチーム全員で行います。司会進行や整列、誘導、競技のリード、用具準備、ライン引き、他にもできる限り、子どもたちが取り組みます。

 

[はじめての運動会 1年生の姿から]

〇荒馬の準備では、胸紐を結ぶところを友だち同士で力を合わせていたり、自分でできるところはがんばってやってみたりしたね。「一緒にやろう。」「いいよ~。」「こっち持ってて。」など、声をお互いにかけあっていたね。

〇他の学年の踊りを見て、手拍子をしたり、かけ声をかけたり、楽しそうでした。5年生、パートナーの踊りの後、「すごかった~」と笑顔で話してくれました。パートナーさんたちが踊るエイサーの姿に対する「あこがれが花咲いたのかな」(担任の先生より)。

ぐんぐん伸びています

2学期の始まりの日、登校してきた子どもたちはさぞかしびっくりしたことでしょう。

「ブロッコリーの木が、ブロッコリーじゃなくなっちゃった!」
「大変、食べられちゃった!」

こんな声が聞こえてきました。

実は、夏休み中に仙川キャンパス内のいくつかの樹木の剪定がありました。
学校の目印であるクスノキ(ブロッコリーの木の正式名称。楠木という漢字もありますね。)も、チョキンチョキンとさっぱりしたのでした。(写真は、桜の木の作業です。)

思い切り枝打ちしたので、いつもは葉っぱに隠れて見えない枝もくっきりとしています。

正直なところ、「ちょっと切りすぎなのでは?」と思うほどでしたが、、、

心配ご無用、1か月たってだいぶ緑が増えてきました。

 

(左は8月末。右は昨日)

勢いをつけてきたブロッコリーは、夏休み明けの子どもたちの成長ぶりとも重なります。

運動会の合同練習も始まっています。
今日は2年生が1年生をリードする元気な声が聞こえてきました。
行事を一つの節目に大きくなっていく子どもたち。ますます楽しみです。 

 

みんなで石拾い

いよいよ運動会まであと1週間。今週の初めに、安全に練習ができるよう全校のみんなでグラウンドの石拾いをしました。

1年生は5年生のパートナーと、2年生は6年生のパートナーと、対抗競技に向けて顔見知りになっている3年生と4年生とでたくさん拾いました。

来週からは運動会特別時間割が始まります。日曜日の本番に向けて、みんなで頑張りましょう!

 

 

2026年度考査の出願情報登録を9/26(金)正午より開始します

本校をご志望くださる皆様

〇志願者の情報登録と、志望動機書のダウンロードについて

9月26日(金)正午より志願者の事前登録が可能です。

トップページに掲出されている【出願はこちら】の緑色の案内バナーをクリックして、出願サイトにアクセスしてください。※26日正午まではバナーをクリックしてもサイトに進めません。

事前にご入力いただきますと、出願時の手続きがスムーズです。

事前登録をお勧めいたします。

なお、出願は10月1日(水)0:00~10月3日(金)23:59です。

よろしくお願いいたします。

 

桐朋小学校 教務

いま、戦争と平和に向き合うこと [Ⅱ‐437]

 9月24日の朝日新聞は、「パレスチナ承認150カ国超」「世界がパレスチナに目を」「国家承認 市民から歓迎の声」などの見出しで、本文は「パレスチナ自治区ガザでの人道危機が極めて深刻化するなか、侵攻を続けるイスラエルに圧力を強める狙いがある」などと書かれています。破壊し、命を奪い続ける戦争。痛み、苦しみ、悲しみ。何としても止めなくてはなりません。

 

昨年度6年生が広島でスケッチし、ことばを書いたポスター

 先週、今年も広島から被爆体験伝承者の山岡美知子さんが桐朋小へ来て、6年生、保護者、教員に話をしてくれました。私たちは、毎年、山岡さんに学んでいます。広島修学旅行では、山岡さん、山口さんをはじめたくさんの方に碑めぐりガイドをお願いしています。

 被爆体験伝承者は、被爆者の高齢化が進み、被爆体験を話される方が少なくなってきている中、将来にわたり被爆者の体験や核兵器廃絶と平和への思いを語り継いでいくことが必要であることから、広島市が2012年度から開始した「被爆体験伝承者」養成研修に参加された方です。山岡さんは、その1期生。2008年から原爆ドーム周辺で被爆の実相を伝えるボランティア活動をはじめ、被爆体験伝承者としては2015年から活動をされ、全国の学校、桐朋小へ来てくださっています。皆さんのところへもぜひ!

 

9月22日、広島から山岡さんが来てくださいました

 ここからは「ヒロシマの記憶を継ぐ人インタビュー 受け継ぐVol. 14」(2018.5.17)での山岡さんのことばにも学んで書いてみます。

 山岡さんは、ピースボランティアとして平和記念資料館や平和公園をガイドし、被爆体験伝承者1期生として国内外の人たちに被爆の実相を伝えて続けています。

 山岡さんは、ボランティア活動を始めて、被爆の実相について勉強をすればするほど、詳しい情報が知りたいと思うようになりました。今回のお話も、ご自身が学びを深め、より詳しい内容をわかりやすく話してくださいました。山岡さんは、知れば知るほどこれは後世にきちんと伝えていかないといけないという気持ちになり、戦争や歴史についても自分がしっかり学んで考えておられます。

 山岡さんは、伝承者は客観性をもって正しく情報を伝えていくことが重要であると考えて、例えば「原爆による熱線は3000-4000度です。鉄の溶ける温度は1500度。皆さん考えてみてください。どのくらいの温度だったでしょうか。」…と、ここで話を止めません。聴衆の想像にお任せしてしまうことになることをせず、「熱線が出た時間は0.2~3秒。一瞬です。熱線があたっていない場所はやけどにはなりません。」と、事実を伝えていこうとされています。

 新しい情報をインプットするために、広島に関することが書かれた新聞やインターネットの記事には常に目を通すようにしているそうです。ただし、掲載されている情報は鵜呑みにせず、最終的に自分が調べたことを資料館の学芸員などに確認をしていただき、自分の話に取り入れるように心がけておられるそうです。

 ご自身は体験をしておらず、被爆体験を聞くだけで、被爆者の想いまで継承できているのか不安になることがあるそうです。話を補うために、伝承活動で使う資料の中に被爆者ご自身が描いた絵を多く取り入れています。今回もたくさんの絵を見せてくださいました。私は一つひとつの絵にとても心をゆさぶられました。山岡さんは、その絵を通して被爆者の想いを感じ取っていただけないだろうかと考えています。

 

「私はこれからも、無差別にたくさんの方が犠牲になった原爆の事を原爆ドームの前で伝えたいと思っています。」 [Ⅱ-174]を再掲載

 今年の修学旅行も、被爆証言の会の山岡美知子さんたちに平和公園碑めぐりをお願いしました。たいへんお世話になりました。以前に、山岡さんが教えてくださったことを本コラムに掲載させていただきます。 

 原爆ドームの前で

               被爆2世 山岡 美知子

 最初に、私が原爆ドームの前で英語ガイドを始めた理由を述べたいと思います。私は7年前主人を亡くしました。二人の子どもはそれぞれ結婚して家庭を持っていました。私はそれまでの自分の人生を振り返り、その後何を糧にして生きたら良いのかを考えていました。ちょうどその時、友達に平和公園でガイドをしないかと誘われて、ガイドのようなことを始めました。

 私は広島で育ちながら、両親が被爆者で母の妹が原爆で亡くなったこと以外、原爆についての知識は全くと言っていいほどありませんでした。

 学生時代、私は英語が大嫌いで、英語からは完全に逃げていたように思います。広島平和記念公園には、驚くほど多くのの外国の方が来られていました。私は英語できちんとガイドをしたいという思いを抱くようになりました。しばらくして、毎日英語でドームの前でガイドをしていた、

 胎内被爆者で元高校英語教師の三登さんと出会いました。この出会いをきっかけに、英語の勉強も少しずつ始めましたが、なかなか思うようにいかず、何度かやめようと思いました。でも、原爆のことをあまりよく知らないままでガイドをスタートしたのですが、私のぎこちない英語での説明でも一生懸命聞いてくださるので、ガイドを続けることができたのです。しかしある日、外国の方に、「家族に被爆者はいるのですか」と尋ねられました。「います」と答えると、「なぜその事を伝えないのですか」と言われ、私ははっとしました。それ以後は必ず母の被爆体験を話すようになりました。

 さて、英語が大嫌いな私がなぜ英語で被爆の実相や母の被爆体験を説明することができるようになったかを述べます。最初は中学校で習う基本的な文法、例えばbe動詞と一般動詞の違いや受動態さえもわからない状態でした。何回も同じ文を音読して、ただただ覚えるだけでした。質問されても聞き取れず、意味も分らず、笑ってごまかしていました。これではいつまでたっても前に進まないと思い、聞き取れない質問は紙に書いてもらい、三登さんにその質問の意味や答えを英語で教えてもらいながら、ガイドの勉強を続けました。最初は、簡単な英単語で説明していましたが、適切な単語を使わなければ、伝わらない事がわかり、難しい単語も覚えるようにしました。そうするうちに、外国人のあらゆる質問に答えたい、英語で私の思いをきちんと伝えたい、ここ広島で起きた事を説明して核兵器の恐ろしさを伝えたいという思いが強くなってきました。この思いによって、英語が上達していったのだと思います。学生時代には、英語は私にとっては入試のためだけのものでしたが、今では自分の思いを伝える大切な道具になりました。

 パソコンもできない私でしたが、原爆のことを伝えたい気持ちが人一倍あり、今でも夜遅くまで、パソコンや英語の勉強を続けています。パワーポイントを使って母の被爆証言ができるようにもなりました。

 この7年間で約90カ国、1万人の外国の方に原爆の実相や母の被爆体験を伝えていました。来年4月の末には、2015年NPT再検討会議に出席のためにニューヨークへ行きます。初めての参加ですが、原爆のこと母の被爆体験を伝えたいと思っています。

 私は英語でガイドを続けて本当によかったと思っています。もし一人でガイドをしていたら、今日まで続けることはできなかったでしょう。10人のガイドの仲間がいたからこそ続けられたと思うし、三登さんが私の英語の支えになってくれたことに感謝しています。ガイド仲間からは、一人では得られないような原爆に関する情報や最近の世界状況について、得ることができました。今でもお互いに情報を交換して研修をしています。

 私は広島市の被爆体験伝承者の1期生です。3年間の研修を終えて、来年度から被爆体験伝承者として広島市から委嘱されて、被爆の実相や母の被爆体験を日本語と英語で話をします。被爆体験のない私ですが、被爆者の思いや、被爆の実相をきちんと伝えたいと思っています。

 次に私の母の被爆体験をお話します。母と母の妹は親元を離れて、爆心地から3.5km離れた所で生活していました。母は20歳、妹は中学1年生でした。

 8月6日の朝、母の妹は爆心地から1,2kmで行われる建物疎開作業に行きました。原爆が爆発した時、家の中にいた母は爆風で飛ばされて気を失いました。時間ははっきりと覚えていないそうですが、気がついて外へ出て見ると、あちらこちらからうめき声が聞こえました。広島市の中心を見たら、黒い煙でおおわれ、火災がいたる所で発生していました。中心部から沢山の人が逃げてきていました。その様子はお化けのようだったそうです。ほとんどの人は、何も身に着けておらず、中には腕の骨が見えている人もいました。皮膚も肉も全部ぶらさがっており、「助けて、助けて」と言いながら避難していました。体は、すすで真っ黒になって、皮膚はまるでボロ布のように下がっていました。母の眼の前で何人も何人も倒れて亡くなったそうです。「怖かった!本当に怖かった!」と母は言っていました。母は帰ってこない妹が心配でたまりませんでしたが、火事のために市内中心部に入る事は出来ませんでした。その日の夜も、市内は赤々と燃え続けました。

 母は、今でも赤く染まった夕焼けを見るたびに、原爆の事を思い出すそうです。母だけではありません、多くの被爆者が、ふとした時、あの場面、あの状況を思い出すそうです。今でも、原爆ドームを見たくない、平和記念公園に行きたくないと言う被爆者もいます。

 次の日には、火災はほとんど収まっていました。爆心地から半径2km以内は幾つかのコンクリートの建物を残しほとんどの木造建築は爆風で壊され、そのあと発生した火事で焼け野原になりました。母は帰って来ない妹を捜すため、市内中心部の建物疎開現場に行きました。市内中心部は瓦礫と死体でいっぱいでした。その恐怖の中で妹を必死で捜しましたが、あまりにも沢山の死体で、足が前に出なかったそうです。死体を素手で起こしては顔を確認し、その当時胸に名前・住所を書いた布を服に縫いつけていた名札を目当てに、妹を捜したそうです。母だけではありません。皆、家族や友人を必死に捜していました。焦げた死体に白く光るものがあるので近づいて見ると、ウジ虫だったそうです。まだ生きている人の傷口にもウジ虫がわいていました。母は、焼け野原になっている市内で、偶然にも娘達を捜している父親に会ったそうです。父親は、母の無事な姿を見て本当に喜んだそうです。二人は別々に妹を捜しました。

 母の足元で「水、水」と助けを求めて、かすかな声でじっと見つめる被爆者の姿は、忘れたいけど忘れることができないと言っています。水をあげると、ショック死するから与えないで、と言われていたそうです。「水をあげればよかった!」と、いつも母は涙を流して私に言います。「助ける事もどうする事も出来なかった。何にも出来なかった」とも言っていました。

 母は、あちこちで死体が焼かれている市内を、妹の名前を呼びながら捜し歩きました。死体を焼く臭いは、本当にくさかったそうですが、人間って不思議なもので、少しずつその臭いに慣れたそうです。そうするうち、母は妹が通っていた学校の生徒は広島湾に浮かぶ似島に運ばれたという話を聞きました。戦争中、似島は検疫所があったので、たくさんの被害者が似島に連れて来られたそうです。8日、ようやく島にいる妹を見付けて自宅に連れて帰りましたが、2日後に亡くなったそうです。

 母は、家の近くの空き地に穴を掘って妹を火葬しました。そのため、お墓の中に遺骨を納めることができました。親戚の人が、「あんたの所はいいね。うちのお墓の中には、遺骨が入っていない。原爆死と書いているだけよ」と言います。このように、広島のお墓には、遺骨が見つからないために何も入っていないお墓がたくさんあります。どこでどのように死んだのか、いまだに分からないのです。

 今、平和記念公園になっている地域は、当時は約4,400人が暮らしていた町でした。それが、一発の原爆で人々はほぼ全滅し、町は焼け野原となりました。戦後、そこに土を盛って、平和記念公園が造られました。地域内にあった大きな遺骨は原爆供養塔の中に納められていますが、小さなお骨はまだ公園の下に眠っているそうです。そういう意味で、平和記念公園は大きなお墓だと私は思っています。よく広島はきれいに再建されたね!と言われますが、まだどこかで遺骨が眠っているかもしれません。広島は、まだまだ犠牲になった方の想いが残っている場所だと思います。

 施設に入っている89歳の母は、今は話ができる状態ではありませんが、「広島は地獄のようだった。表現する事はできないし、その情景をみた人しかわからないだろう・・・・」とよく言っていました。

「過去を振り返らない者は、同じ過ちを繰り返す運命にある」という言葉があります。多くの人々が、戦争で亡くなり、傷つき、苦しみました。取り返しのつかない過去の失敗を繰り返さないためにも、「歴史を勉強し、過去をふり返ること」は大変重要な事です。

 私はこれからも、無差別にたくさんの方が犠牲になった原爆の事を原爆ドームの前で伝えたいと思っています。

待ちに待った外遊び!

2学期になっても暑い日が続き、熱中症予防のため外遊びがなかなかできない日が続いていました。

ところが先週の後半あたりからようやく季節が進み、秋めいた気候になってきました。そして昨日は久しぶりにグラウンドに旗が出されず(旗が出ていると休み時間に遊べないという決まりになっています)、休み時間や放課後、たくさんの人たちが外で元気に遊んでいました。

 

これから気持ちのいい秋のお天気が増えていくことでしょう。外で思い切り体を使って、たくさん遊べるといいですね。

  

 

 

どれにしようかな~

3年生の理科では昆虫の学習を始めています。

最初の授業では、知っている昆虫の名前をたくさん出し合って盛り上がりました。聞いたことのない長い名前も出され驚きました!

まずは昆虫のことを知るために、本を見て観察する虫を決めます。本当にたくさんの種類があるので、子どもたちは選ぶことにも一苦労。チョウばかりが載っている本を見ていた人は「きれい~」とうっとり。

昆虫が好きな人も、そうでない人も、昆虫のことを知り、魅力を1つでも見つけられる学習になるといいです。

 

 

運動会に向けて

運動会が近づいてきました。各学年、1学期から取り組んでいる民舞の練習や、対抗競技の練習に力が入っています。

対抗競技は低学年、中学年、高学年、というようにブロックごとに分かれて行います。特に中学年と高学年は子どもたちと話し合う中でルールを変えていったり、作戦を立てたり、上級生がリードして行っていきます。

今日は中学年ブロックの様子を紹介します。

中学年ブロックはまず出会いから。同じチームになるメンバーということで、いきなり競技の練習から入るのではなく、一緒にお弁当を食べたり遊んだりして、お互いのことを知ることから始めました。

 

4年生がやりたい遊びを聞き取ったり、遊びの企画を立ててくれたりして、3年生は「もう班の人の名前覚えたよ!」と嬉しそうに話していました。とても楽しい時間を過ごすことができたようです。

朝の会の時間には、ルールの変更について、4年生の係の人が伝えに来てくれる場面もありました。

来週はいよいよ実際の競技をやってみます。やってみると色々と気づくことがあります。気づいたことについてはまた話し合いをして、ルールの工夫や作戦につなげていけるといいです。

そして何より、3年生と4年生が力を合わせて楽しく取り組める競技にしていきたいですね。

 

運動会見学会のお知らせ(年中児家庭限定)

本校にご興味をお持ちくださる皆様

 

桐朋小学校 運動会見学会を以下の通り開催します。

 

〇日時

2025年10月5日(日)

 9:40~ 受付

 10:00~10:50 見学

・正門よりご入場いただき、案内に従って受付場所にお越しください。

・上履きや靴袋等は必要ありません。

 

〇内容  

民舞発表の一部をご覧いただきます。

 

〇受付開始日  9月18日(木) 正午から

・本ホームページ「説明会・体験会予約画面」よりお進みください。

・お子さんのお名前でお申し込みください。1家庭、2名までご入場いただけます。(お子さんも1名としますが、未就園児は人数に含めません)

・男女の枠がございますので、お間違えのないようにお手続きください。

 

※運動会が雨天延期の場合、本イベントは中止となります。

 運動会実施の可否は、当日朝7:00にホームページ上に掲載します。

 ご確認の上、ご来校ください。

 

 


〇お願いとご案内

※本校の説明会にお申込みいただくには「miraicompass(ミライコンパス)」サイトでのユーザー登録が必要です。

事前に準備しておいていただくと、お申込みがスムーズにできます。

※すぐに満席になることも予想されます。その場合ご容赦ください。

※ご都合がつかなくなった場合はホームページよりキャンセルのお手続きをお願いします。(キャンセル待ちはございません。どなたかがキャンセルした場合にのみ空席になり、その場合のみ予約が可能です。ご協力お願いいたします。)

※説明会後にミライコンパスマイページよりアンケートの送信をお願いします。これによりご参加の確認をさせていただきます。

 

皆様のご来校をお待ちしております。

 

桐朋小学校 教務