投稿者: tohoblog
2027年度の学校説明会の日程を更新しました。
6年生を送る会
先週、6年生を送る会を行いました。
第1部では、全学年が体育館に集まり、学年ごとにお祝いの表現をします。

1年生は歌を歌い、3年生は6年生にまつわるクイズ、4年生はリコーダーの演奏と思い出の発表、そしてパートナーとしてたくさんお世話になった2年生はお手紙のプレゼントを渡しました。どれもとても素敵な発表で、特にパートナーからの手紙を大事そうに読む6年生の姿が印象的でした。


6年生からは、全体での歌や、何人かによる6年間の思い出の発表がありました。その人らしい思い出や言葉、そして6年生ならではの表現力。あと少しで卒業なのだということを、下級生たちは感じ取ったことと思います。とてもかっこよかったです。


第2部は遊びの時間。委員会の5年生がそれぞれ遊びを企画し、全校の子どもたちを楽しませます。6年生を送る会なので、「6年生とのふれあい」も大事なポイント。「6年生と一緒に来たらいいことがあるよ!」というように、各委員会、様々な工夫をしていました。


どの委員会も大盛況!6年生の力を借りずに自分たちだけで企画運営を行った5年生。てんてこまいになりながらも、生き生きと活動する姿が素敵でした。「6年生ありがとう」という気持ちと、「次は自分たちが先頭に立って、桐朋小学校をつくっていくのだ」と気持ちを新たにする、そんな時間になったことでしょう。
卒業式まであと1週間。改めて、6年生に感謝の気持ちを伝えたり、話をしたりする時間にしてほしいと思います。

えねこやの出張授業
1月末に、えねこや(※)の方々に来校いただき、暮らす上での環境に優しい様々な工夫について学ばせていただきました。
※一般社団法人えねこや
「えねこや」は、自然の力でつくったエネルギーだけで、心地よく過ごせる小さな建築のこと(エネルギーの小屋)。
詳しくは、こちらを参照ください。 https://enekoya.com/
子どもたち自身が身近に考えることができる視点を元に、5つのコーナーに分かれて話を聞きました。話を聞いた子どもたち一人一人が、今出来ることを考える上で、参考となることが多くあったと思います。
当日の様子を撮影した写真と、子どもたちの感想を紹介します。

寒い日でしたが、興味津々に話を聞いていました。

様々な電気製品が、どれくらいの電力を使うのか、数字で見ながら確かめさせてもらいます。

窓が低い位置と高い位置にあって、換気に適しています。

屋根にはソーラーパネルがあります。

ストーブの燃料は、木のペレットを使用。

窓は二重になっていて、枠は木製です。

暖かい部屋の中にあるロフトに上がりました。


寝っ転がるにはちょうどよい広さでした。

家の模型。左右対称の壁や窓は、条件が違います。

熱が逃げていると、触った時に温かく感じます。

えねこやの皆さんは、いろいろなところに出張して授業を行っています。

教室に戻って、学校でできること、家でできることなどを考えました。
▢とっても色々なくふうがしてあって、すごいと思った。とくに心に残ったのは、太陽光パネルを使って電気をためて、さいがいの時電気を使うっていう考えがすごいと思った。
▢部屋に入ったら、すごくあたたかくて、すごくびっくりしました。一番びっくりしたことは、まどが二重になっていることと、まどのわくが木だったことです。
▢私はとくに二重まどと、ふつうのまどで、こんなに温度がちがうなんてびっくりしました!
▢しょうらい自分が家をたてるときに、えねこやのような家をたてたいなと思った。
▢外はさむいのに、中はあったかいからびっくりした。少しでも電気を作るなら、水をながしたあと水が発電みたいにすれば、もっと電気が出せるかも?
▢外にカーテンをつけるとか、太陽光パネルをつけるなど、一つ一つのくふうがとてもすばらしかった。えねこや第1号に行ってみたい。
▢部屋の中があったかくて、えねこやにすんでみたいと思った。たのしかった。
▢私がいいと思ったのは、材料が自然に返せるところです。それに、かべやまどのわくも木でできているから、自然にもやさしいし、おしゃれなので、一石二鳥だと思います。
▢えねこやは、つねに電気をつかわないようにしてた。まどを二重にして、室温をたもつのもすごかった。あと、ドライヤーがあんなに電気をつかうとは思わなかった。
▢一番おどろいたのは、ななめにまどがあって、あついときにかんきがしやすくなってて、びっくりしました。
▢おどろいたことは、太陽の力を使って、あんなに部屋があたたかくできるということと、まどにまくをつけたり、フチを木材にするだけで、熱をカーテンの4ばい逃がさない、というのです。楽しかった。
▢えねこやの家は720Wはつでんでき、家の中はきょうしつよりあたたかくて、ずっといたくなった。
▢一番おどろいたのは、ドライヤーです。つめたい風だと140Wなのに、あたたかい風は1200Wだったことでした。
▢とくにすごいと思ったのは太よう光パネルで、電気がつくから、電気のはこぶ時のむだもないし、さいがいで電気をくばれるのがすごいと思った。
▢えねこやの室内を見せてもらったり、遠くから見て、どのようなとくちょうがあるかをおしえてもらった。ドライヤーの一番つよいやつは、1600Wもつかうことがわかった。LEDは7W、白熱電球は60W。こんなにちがった。
▢えねこやの中が、すごくあたたかかった。せん風機は電気をぜんぜん使わないのに、ドライヤーはめちゃくちゃ電気を使っていた。どうしてだろう。
▢ぼくもCO2を出さない生活をしたい。CO2をあまり出していない人たちの島がしずんでしまうのは、かわいそう。冬休みにやったことを続けて、少しでもCO2を減らしていきたい。
▢ストーブにまきではなく、木せいペレットをつかっていることに、とてもびっくりしました。
▢二重、三重まどでへやがあったかくなるんだったら、私の家も二重、三重にしたいとおもった。
▢一番心に残ったのは、(家の)中に入ったことです。中はとてもあったかくて、コートなしでもあついくらいだった。教室の中の方がさむくて、教室のまども二重にすればいい。
▢一番好きだったところは、部屋だとロフトです。あそこはまどからのながめがきれいだったり、あそこにベットをひくとねれるかもしれない。そういうじっさいにすめるようなところが、きにいりました。私はおはなしをきいて、しょうエネが大事だと思いました。このままの生活をつづけると、地球に人間が住めなくなる。だから、しょうエネがいいと思いました。
▢えねこやでは、奥多摩のすぎの木をつかっていえをたてるといっていました。なぜかと言うと、CO2をださない方がいいので、できるだけ近いばしょの木をとるためです。それを地産地消といいます。
▢えねこやの木は、スギの木をつかっていて、ペンキはしぶがきをつかっていて、十年ぐらい木がもつんだって!!おくたまさんのスギなんだって!!
▢えねこやは、すぐ家に電気を運ぶので、本当に電気がむだになることもないから、「すごいなぁ」と思いました。小屋の中に入ってみると温かくて、エアコンなども使わなくても温かい(夏はすずしい)というのもおどろきでした。あと、自分もこんな家がほしいなと思いました。
「地球市民の時間」の取り組み [Ⅱ‐455]
2026年度、初等部の全体研究として、「地球市民の時間」の取り組みをすすめてきました。3学期、高学年では、1月の半日研(授業や活動を通して、子どもたちの姿より、教職員が学び合う研究会)において、「難民」という社会課題を、読書、対話、五感を通した体験によって、子どもたちの日常と地続きのものとして捉え直そうとする「地球市民の時間」の実践を学びました。
図書の時間に『故郷の味は海をこえて 「難民」として日本に生きる』(安田菜津紀著・写真、認定NPO法人難民支援協会協力、ポプラ社、2019年)を読み、章ごとに学び合い、当事者との出会いや「故郷の味」を味わう活動を重ね、子どもたちは問いを持ち続けてきました。その様子から、「想像力を働かせ、同じ人間としての尊厳や不条理に気づき、迷いながら考え続ける姿勢」が育まれていると捉えました。
1月、半日研の様子から
SDGsの目標16は、「平和と公平をすべての人に」です。それは、「暴力や不平等を減少させ、法の支配を強化し、透明性の高い制度を確立することを目指し」ます。「難民」問題もその一つです。紛争や戦争で故郷を追われた人々の支援が求められています。国際協力が重要で、平和と公正を実現するための努力を続けています。そうした現実と課題、取り組みの目標などを、私たちは知り、考え続けていくことが大切です。
3月に入って、6年生の授業(図書・「地球市民の時間」・総合)を見学し学びました。この日は、『故郷の味は海をこえて』に出てくるタンスエさん、タンタンジャインさん(本の表紙写真)、認定NPO法人 難民支援協会の方が講師としていらしてくださいました。思い出のつまった故郷の料理を子どもたちに伝えてくださり、いっしょにつくり、味わいました。そして、これまでの「道のり」を話してくださいました。
私も『故郷の味は海をこえて』を読みました。そして、タンスエさんやタンタンジャインさんが、ミャンマーから日本に来たこと、日本で生活していることなどを知り、「難民」の問題も考えてきました。この日、お料理を教えていただいて、つくり味わい、直接お話をさせていただいて、故郷の味、故郷での出来事、そして日本でのことを直接伺うことができて心がとてもふるえました。
「お茶の葉サラダ」
初めていただきました。お茶の葉っぱをお漬物にし、豆の揚げ物やエビなどとまぜた美味しいものでした。「お茶の葉サラダ」は、ミャンマーの代表的な料理の1つだそうです。私は、ご飯にいろいろなものをのせ、かけていただくことが好きですが、お茶の葉サラダの味、豆などの触感がよく、「お茶の葉サラダ」はたいへん美味しいものでした。
「自由」
自由ということについて、とても考えさせられました。タンスエさんが、ミャンマーを出ることになったのは、自由の国をつくりたいと願って声をあげ行動をしたものの、それを社会が許さず、命の危険があったこと。そして、ミャンマーに居ることができず、日本にやってきたこと。その後、タンタンジャインさんが日本にきたこと。その後、30年間、家族と会い、話すことができなかったことなどを語られたのでした。
「「難民」認定」
難民認定については、この本や別の本(たとえば、卒業生 平野雄吾さん著『ルポ入管ー絶望の外国人収容施設』ちくま新書。第三章「揺れる難民認定制度」など)から学んできました。タンスエさんらが「『難民』として安心して日本で暮らす」ことができるには、たいへんな「道のり」がありました。日本に来てから8年近くの歳月がたっていました。
2024年、申請者数12,373人に対して、認定数は190人と少ない(認定率が低い)ことが課題となっています。世界や日本の現実と課題から、紛争や戦争で故郷を追われた人々の支援が求められています。国際協力が重要で、平和と公正を実現するための努力を続けていくことが大切です。SDGsの目標16「平和と公平をすべての人に」を実現していきたいです。

タンスエさんのことばより。「自由であることがどれほど大切か、少しでも想像してほしいのです。生まれた場所を理由もなく離れたがる人はいません。誰も難民になることなんて望んでいません。そんな人びとがたとえどこに逃れたとしても人間らしくいられる場所を、そして制度を作ってほしいんです。」
本を書かれた安田さんより。「取材を通して出会った方がたは、思い出がいっぱいつまった「故郷の味」を私にあたたかく分けてくれました。おいしい料理を囲んで、なにげない会話に笑い合うひとときは、誰にとってもかけがえのないものです。だからこそ私も違う国から逃れてきた「難民」の方がたと、自然と言葉や文化の違いをこえて、同じひとときをすごすことができました。どうかみなさんの身近でも、そんな輪を広げてみてください。」
次年度の委員会活動に向けて
先日、後期子ども集会が行われました。
前期子ども集会では、各委員会の活動目標や、各クラスから寄せられた要望などを共有しました。
今回の後期子ども集会では、活動報告や、次年度委員会活動に参加する4年生に向けた委員会紹介を行いました。
自分たちの委員会に興味を持ってもらえるよう、各委員会、劇やオリジナルキャラクターで説明するなど工夫を凝らしながら発表しました。

そして先週、今週の委員会活動の時間には、4年生が「インターン」という形で、希望する委員会に見学に行き、6年生に活動のことを楽しく教えてもらいます。ここで4年生は「やっぱりこの委員会がいい!」、「意外とこの委員会がおもしろそうだ」というように、次年度への期待を膨らませていきます。いろいろなことを教えてくれる6年生、4年生の目にはとてもかっこよく映っていることでしょう。
これにて、6年生の委員会の仕事はおしまいになります。
1年間、5年生をリードしながら学校の先頭に立つ大変な仕事、お疲れ様でした。
(現年中児限定)3/25(水)しぜんひろばで遊ぼう会を開催します
2027年度入学説明会のキックオフイベントとして、しぜんひろばで遊ぼう会を開催します。
日時:3月25日(水)
①9:00~9:30
②10:00~10:30
③11:00~11:30
各ご家庭1回のみ。現年中児限定です。
いわゆる説明会形式ではございません。親子で自由に遊んでいただく時間です。
実際に遊んでみて、しぜんひろばの雰囲気を感じていただければと思います。
お申し込みは3月10日(火)正午~を予定しています。
※先着順となります。ミライコンパスサイト内でのお申込みとなります。
事前にマイページへのご登録をおすすめします。
※雨天中止です。別日への振り替えはございません。あらかじめご承知おきください。
皆様のご参加をお待ちしております。
掃除もばっちり!
3学期もいよいよ終わりに近づいてきました。
入学から1年が経とうとしている1年生、春にパートナーさんから教えてもらった掃除も、今や自分たちだけでしっかりできるようになりました。
机を下げ、水の入った重いバケツを運び、ほうきで床を掃き、床を雑巾がけし…
とってもたくましい1年生です。


卒業生の授業 新聞記者の荒さん
本校の卒業生で、朝日新聞国際報道部の荒ちひろさんが来校し、6年生に新聞記者の仕事についておしえてくれました。
同時多発テロ事件をきっかけに報道の世界に関心をもったという荒記者。桐朋女子高校在学中の米国留学と大学院でのイスラエルへの留学を経て新聞社に入り、記者として様々な経験を重ねられたそうです。
国内の被災地での取材中の出来事や、ニウエ・グアテマラといった世界各地の駐在先の様子などを、写真や記事を交えて伝えてくれました。
卒業生ということもあり(中村校長先生が担任でした)、6年生の子どもたちにはとても身近な先輩と感じられたようでした。授業後半は次々と手が挙がって質問が途切れず、あっという間に時間いっぱいとなりました。「ニュースの向こうには、必ず”人”がいる。みんなの”気になる”、”知りたい”が未来につながる」との言葉を、子どもたちはしっかりと受け止めていました。
荒記者、貴重なお話をしていただき、ありがとうございました。

弦楽四重奏、卒業生の演奏会
少し前のことになりますが、プレイルームでミニ演奏会がありました。
桐朋学園大学で音楽を学んでいる皆さんが、四重奏を聞かせてくれたのです。
帰りの会を終えた子どもたちがたくさん集まって、大きさの違う楽器にくぎ付けになっています。

くるみ割り人形から『花のワルツ』や、『アナと雪の女王』のメドレーなど、冬にピッタリの素敵な曲を、ヴァイオリン、ビオラ、チェロ、の音色で味わいました。
メンバーのうち二人は、桐朋小学校(幼稚園)で学んだ「先輩」でしたので、最後に『初等部の歌』を演奏してくれました。みんなが歌っている楽譜から特別に編曲して準備してくれたのです。
いつもと一味ちがう大人っぽい響きに、会場のみんなが聴き入ってしまいました。


忙しい中、素敵な企画を準備してくれたお姉さんたち、ありがとうございました。
目の前で紡がれる「生の音」に感激した放課後のひと時でした。

幼稚園生から学生さんまで、多様な営みがあるのが仙川キャンパスの魅力のひとつです。
そして、その交流の中心に卒業生がいるのは本当にうれしいことです。
(当時の担任と、パチリ!)
自分史[Ⅱ‐454]
6年生「自分史」の取り組みを紹介します。この取り組みは、保護者の方のご理解、ご協力、一人ひとりがご家族の話を聞き取り、まとめる努力があって行うことができます。皆さん、ありがとうございます。ここではお二人の「自分史」を紹介しますが、全員の「自分史」を読ませていただいて、一人ひとりが違い、かけがえのない「自分」を表現していました。
先日の雪。園庭としぜんひろばより
たいへんお世話になった元園長・校長の齊藤孝さんが、入学式で「チューリップのうた」を歌われたことがありました。歌に込めたおもいとともに心に残っています。「チューリップの花は、一本一本ちがいますが、どの花もきれいです。それと同じように、子どもたちも一人ひとり顔がちがうように同じではありませんが、どの子もそれぞれちがった「よさ」をもっています。それぞれにちがった「よさ」こそ、かけがえのないその子の価値なのです」ということでした。「かけがえのないその子」は、「自分史」を読ませていただいて感じます。かけがえのないその子その子の命が語られ、表現されています。
齊藤さんは先ほどのことばに続けて、「しかも、その価値はすべて対等です。そして、それぞれの「よさ」の違いが、他者を排するものではなく、ともに生きるために、お互いに認められ、良さをのばしあうことができる関係を創り出していくことが、いまとても大切なことであると思います」と仰っていました。そのような園、学校にしたい、少しでも近づきたいと願って、これからも取り組みを続けていこうと思います。
では、お二人の「自分史」を紹介します。ご家族はよく覚えておられ、丁寧に話してくださいました。深い愛を感じます。話を聞いてまとめる過程で、ご家族のおもいを受けとっていると思いました。そして、これからを大切に生きていくことにつながると思います。掲載をありがとうございました。
生まれる前からおてんば 六年生
お母さんは、私がおなかの中にやって来た時、人生最高の奇跡がおきたと心から神さまに感謝したそうです。なぜなら、お母さんは高校生の時に体をこわしてしまい、その後大人になってからも婦人科の先生に赤ちゃんを授かる事は恐らく無理でしょうと言われていたからだそうです。
なので、その事がうれしくて何がなんでも幸せに育ててあげたいと思ったそうです。
〈おなかの中であばれる〉
妊娠五か月目の、四月十九日お母さんがお風呂に入っている時に初めておなかを私がけったそうです。
成長とともにたくさん動く、とっても元気な子で、ついに私はある日の健診で逆子になっていました。お母さんは、逆子を治すためにはり治療にかよってがんばって治しました。私はおなかの中にいる時から、おどっていたのかもしれません。
〈私の赤ちゃんは、犬?!〉
ついに出産予定日が近づいてきたある日の夜、お母さんはおかしな夢を見ました。それはなんと、犬が生まれてくる夢だったのです。生まれて来た子を先生から見せられると、それは黒くてもじゃもじゃの犬でした。
その夢を見た次の日から、お母さんの陣痛が始まりました。お母さんは、もじゃもじゃの子が生まれるのでは! とドキドキしたそうです。
〈大きなおなかで歩いて病院〉
私は、予定日より六日早く生まれました。陣痛がいよいよ本格的に始まった時、お母さんは家に一人でした。病院に電話をし、徒歩五分の病院に一人で十分かけてゆっくり歩いて行ったそうです。大きいおなかでなぜ歩いて行くのかなと思いましたが、歩けば陣痛が進むので歩いて来てくださいと先生に言われたそうです。お母さんは、「いままでで一番慎重に歩いた」と話してくれました。
〈やっぱりもじゃもじゃ!〉
病室で少し横になって陣痛の間隔が狭くなり、分娩室に移動して「痛かったら無痛分娩にきりかえましょう。」と言われたけど、お願いするタイミングが分からない内に九時間三分で、あっという間に生まれてきました。先生から、「元気な女の子ですよ~」と言って、おなかの上にのせてもらった時、最初に見えたのが黒くてフサフサの頭で、お母さんは本当に犬なのかと思いびっくりしたそうです。
〈哺乳びんはいやだ!〉
私は母乳を直でしか飲まない子で、哺乳びんで、粉ミルクはもちろん、母乳を入れてもぜったいに飲んでくれなかったそうです。なので、お母さんは完全母乳直飲みで育ててくれたそうです。
しかも、飲みながらねてしまったらから授乳をやめようとすると気付いて泣いてしまい、お母さんは、ねられなかったそうです。
〈名前について〉
ここも丁寧に書かれていました。紹介したいのですが、誰が書いたのかわかりますので、できません。どのように命名したのか、どのような意味があるのか、願いを込めたのかなどが書かれています。そして、「私は、名前をけっこう気に入っています!」など、自分の気持ちを書いて、「これからも名前を大切にしようと思います。」と書いていました。
〈ガタガタ前髪〉
ある日、私がもうすぐ2さいになる夏の終わりごろ、私がくしゃとした顔をして首をヨコにふっていて、お母さんは前髪がはっとうしいのかなと思い前髪を切ってくれました。ですが、その前髪を見てびっくり。なぜかというと、まっすぐ切ったはずが、半円形で、まん中がみじかいガタガタ前髪になっていたのです。
それ以来、お母さんは私の前髪を切る事をやめました。
〈ぐるぐるミートソース〉
1さい半ごろのある日の夕食で、大好きなミートソースをお母さんが作ってくれました。まだ、フォークもスプーンもうまく使えず、手づかみで食べる事も多く、手も口も食たくも毎日大変な事になっていたのですが、この日はとくにすごくて、ミートソーススパゲッティをぐちゃぐちゃにしながら手で食べていました。お母さんがはフォークの練習をさせようと、「ぐるぐるするのよ」と言うと、右手と左手にフォークとスプーンをにぎりしめて私は、首をぐるぐるして「ぐるぐるぐる~」とさけびながらスパゲッティをとばしたり、手でスパゲッティをつかみ、「ぐるぐる♪」と言いながらブンブンして笑っていました。けど、お母さんはおこりませんでした。そして、写真や動画をスマホでとりはじめたのです。お母さんは一緒に「ぐるぐるぐる」と言いだしました。今でも、その動画を見るとおもしろくてたまりません。
〈しゅわしゅわれもん〉
ベビーカーでお散歩していた時の事。のどがかわいて、お母さんとカフェに入って、私は、ベビーカーのお茶を飲んでいました。お母さんは、カフェでレモンスカッシュを飲んでいて、どうやら私はそれがすごく飲んでみたかったらしく、お母さんのレモンスカッシュを見て、「のむ! のむの!」と言い出しました。なので、お母さんはちょっだけ私にくれました。私は一口飲むといかにも「すっぱい!」という顔をしました。でも、次のしゅん間、「すきだけどすっぱい! もっとのむ」と言いました。こうして2歳半の炭酸デビューをしたのでした。
〈だれかたすけてくださーい〉
歩ける事が楽しくなってきたころ、あるお散歩の時、ベビーカーでおでかけしていつもは、私が「あるく!」と言うと歩かせてくれたけどこの日はお母さんが急いでいて、「ごめんね!」と言って歩かせてもらえなく、私はどうしても歩きたくてぐずぐずし出しました。
やっとおちついたかと思うと次のしゅん間、背中をピーンとのばして、私は大きな声で「だれかたすけてくださーい!!」とさけんでしまいました。お母さんは、「すみません! 私の子です!」とあせってその場をはなれました。
こうして私は自由にのびのび育てられました。
自分史 六年生
二〇十三年□月◎日午後△時□分、僕は産まれた。体重は□グラムで、すごく軽い方だったらしい。だが、今生きているから大丈夫であったのだろう。
僕が産まれる前、両親は性別が男子でも女子でもいいから、とにかく元気に産まれてきてくれることだけを願っていたと聞いた。それが一番の願いだったようで。
そして、産まれる一ヶ月前まで、僕はお腹の中で逆子の状態だったとのこと。お母さんは、逆子を治すために体操を続け、夏の暑い日にもかかわらず、お灸も頑張って、「無事に産まれてきてほしい」という思いで、毎日努力していたと聞いた。その後、逆子が無事に治り、普通分娩ができると判ったとき、お母さんはほっとしたそうだ。
ところが、予定日まで十日となったある日、お母さんは突然、強い頭痛と高血圧になってしまった。急な体調の変化により、予定とは違い、緊急帝王切開をすることになり…。お父さんは心配したけど、僕とお母さんの命を守るために、同意書にサインをしたとのこと。
お腹から取り出されたばかりのボクを見たとき、お母さんは「かわいい」と言ったそうで、その言葉を聞いて、僕は産まれた瞬間から愛されていたのだと思う。深夜にも拘わらず、千葉県から祖父母が病院に駆けつけ、僕に会いに来てくれたとのこと。家族みんなが僕の誕生を喜んでくれたと聞いた。
僕は少し小さく生まれたけど、その後の成長は順調で、できることが一つずつ増えていくたびに家族はとても喜んでくれたようだ。ただ、赤ちゃんの頃の僕は、二時間おきに泣くことが多く、お母さんはほとんどまとまった睡眠が取れず、夜中に何度も起きて僕の世話をする毎日はとても大変だったらしい。僕は下におろすとすぐに起きてしまう赤ちゃんだったため、お母さんはほとんど抱っこかおんぶをしたまま家事をしていたと聞いた。
さらに、なかなか寝ない子だったため、お父さんも車のチャイルドシートに僕を乗せて、寝るまで近所をドライブしてくれたと話してくれました。
一歳二カ月のころ、僕は初めて風邪をひいて、それがとても重くなり、肺炎になって入院することになった。病院では、体を固定されたままレントゲンを撮ったり、点滴をされたりして、まだ小さかった僕にとってはつらい状況で、その様子を見ていた両親は、かわいそうでたまらなかったようだ。退院した時、家族は心からほっとしたと話してくれた。
また、外を歩くときは、ただ歩くだけではなく、見えるものを一つ一つ言葉にして教えてくれたようで、「今日は暖かいね」「鳥の声が聞こえるね」など、周りの様子を話しかけてくれたそう。そのおかげか、僕はだんだんと言葉が増え、よくしゃべる子になっていった。未だに、「寝ている時以外、ずっとしゃべっている」と呆れられている。
二歳ごろになると、僕は少しずつ自己主張が強くなってきて、何でも「自分でやる」と言い、周りの言うことをなかなか聞かなかったようで、両親から見ると大変な時期だったのだと思う。
思い通りにならないと泣いたり、怒ったりすることもあり、家族は辛抱強く待つしかなかったようで、僕の気持ちを尊重しながら、できるまで見守ってくれていたと聞いた。
家族で外食する時は、落ち着いて籍に座っていられず、騒いでしまうことがあったため、周りに迷惑にならないよう両親が交代で外に出て僕をあやしてくれていたと話してくれた。
これは今の自分にもつながることだけど、僕は興味を持ったことにとことん没頭する子どもで、小さいころも好きな遊びや気になることに集中して、ついつい時間を忘れてしまうことがあったみたいだけど、いつも家族が近くで見守ってくれていた気がする。
こうして生まれる前から三歳ごろまでの話を両親から聞くと、僕はいつも家族に大切にされながら成長してきたのだと分かった。
生まれる前から元気に産まれてきてほしいと願われ、無事に生まれたことを喜ばれ、病気の時には心配されながら支えられてきた。最近怪我をして、家族に心配をかけることも多いけど、これまで特に大きな病気をすることもなく生活してきたと思う。
よく両親からは人間が無事に生まれることは奇跡に近くて当たり前ではないと言われるけど、自分史を作っていて、そのことが何となく理解できた気がする。
僕に限らず、人間は生まれて成長するまでの間に家族や、それ以外の多くの人の愛情を受けているものだと思う。
六年生になって学校では過去の戦争のことも多く学ぶ機会があって、その戦争の世界では多くの人々が残酷に亡くなっている。そして、それは今もまだウクライナなど同じ地球の中で起こっていることにとても恐怖を感じてしまう。
自分と同じように奇跡の中で生まれた命、愛情に囲まれながら成長してきた人間の命をどうか大切にする世界であってほしいと強く感じた。
