投稿者: tohoblog
親子で学ぶ [Ⅱ‐476]
6月土曜参観、6年生は親子で東京大空襲の体験を聞く機会をもちます。お話をされた竹内さん、元木さん、二瓶さんと出会い、戦争によって、傷つき、命が奪われ、苦しみ、悲しむ人たちがいたことを知ります。東京という地域でも戦争があり、その事実を知ります。親子で体験を聞いて、少人数グループで感想や意見を聞き合うことで、さらに考えます。
子どもたちにとって、目の前に、81年前の東京大空襲でたいへんな経験をされた人がおり、その人の顔を見て、その人の声、その人の様子などを通して、経験を聞いて、心揺さぶられたようでした。
親子の少人数グループでの交流、お互いに思ったことを聞き合います。友だち、親の気持ち、考えを知ります。自分の願いを相手に伝えるために、考えます。/お互いの話を聞いて、交流する中で、新しい自分がつくられていくのではないかと思います。
写真はすべて、一昨日のしぜんひろばで柿とりをたのしんだ時の様子です
〇竹内さん(1931年生まれ、被災年齢14歳、被災地江東区北砂町) 子ども時代、学校のこと。空襲の激しさと二度の被災などを話してくださいました。
〇元木さん(1934年生まれ、被災年齢10歳、墨田区菊川) 学童疎開のこと。空襲のこと。戦災孤児として生きたことなどを話してくださいました。
〇二瓶さん(1936年生まれ、被災年齢8歳、江東区亀戸町) 3月10日未明のこと、焼け跡に立った時のこと。妹さんのやけどのことなどを話してくださいました。
ご自身の声で、ことばで、直接話してくださることや、写真や焼夷弾など資料も見せていただいて、体験とつなげられて、たいへん心に響きます。
*竹内さん、元木さん、二瓶さんは、いろいろな場で証言をされています。『あのとき子どもだったー東京大空襲21人の記録』東京大空襲・戦災資料センター編、績文堂出版、『東京大空襲を忘れない』瀧井宏臣、講談社などに体験をお書きになっています。二瓶さんについて書かれた絵本もあります(Ⅱ‐465参照)。

親子で話を聞き、感想を交流する。そしてまとめる
子も親も自分の気持ち、考えを出して、聞き合うことで考えを深めています。まとめることで、振り返り、自身の考えに気づきます。グループでの話を聞き、まとめを読ませていただいて、私自身が子どもたち、保護者の方よりたくさん学ばせていただきました。みなさん、ありがとうございます。
◇Aさん ―そもそも戦争は怖すぎるから、オレなら一瞬で疎開しに行く。あと、元木さんは、よく戦争のことを話せるのは、スゴイと思った。オレなら、トラウマになって、話せなくなりそう。生きたまま焼かれていくなんて怖すぎるヨ。/親がいないとなったら、めっちゃ悲しいと思う。
Aさん親 ―お話の中で特に心に残りましたのは、国が戦災孤児を家畜のように「1匹、2匹」(「上野駅での浮浪児の数えられ方が1匹、2匹と物扱いされていたことは存ぜす」と他の方も発言)と呼び、裸にして牢屋に入れて収容したというお話です。
軍人の方々は孫まで恩恵を受けられるのに、戦災孤児に対して国が行ったことは大きな声で語られることがなく、国を訴えていた人たちも亡くなってしまっているという現実に胸が痛みました。中略
戦争はない方が良いに決まっていますが、戦争をビジネスと考えて積極的に行おうとする動きがあることも知った上で、子どもたちの生きる世界を守るために私たちにできることを一つ一つ考え合っていきたいです。
私事ですが、私の他界した父は戦争中B29に追いかけられ、隣を一緒に走っていた親友を失った経験をしていました。また祖父は戦後3年間シベリアに抑留されていましたが、命からがら逃げ出し、貨物船に飛びのって日本に帰国したそうです。今つないでもらっている命は戦争を乗り越え、様々の苦難から生きのびた祖父の大切な命であること、それを息子たちにつないでいること。これは家族でも話していることなので、この命の使い方を、これからも大切に考えていきたいです。
◇Bさん -戦争後の子どもたちが、戦争孤児となってしまったのが悲しいです。うろうろして、スリをしたり、食べ物を盗んだりしていた、というのが、かわいそうです。なぜならば、その戦争がなければ親がちゃんといて、食べ物にも困っていなかったはずです。
その戦争では、多くの皆の幸せを奪ってしまったと思います。そして、1匹、2匹と、子どもを数えられることも、つかまえられて衛生や環境の悪い所に裸で入れられることもなかったと思います。でも大人も結構余裕がなかったと思います。食べ物もまだ少ないし、 自分も死ぬかもしれない、となったら、余裕がなくなる。それで1人、2人とは数えられなかったのでは? と思っています。皆の余裕があったら、1人、2人と呼ばれていただろうに。子どもを保護するとしても、環境のいい所でなければ、病気で死んでしまったりするのでは? どうして保護した所の環境がよくなかったのであろうか? と疑問に思っています。
Bさん親 -前略 私の祖母は東京大空襲の日たまたま高等女学校受験のため広島から上京しており四谷の方に宿泊していたそうのですが、あの夜は眠れず火中にいる人たちが無事であるよう祈っていたと言っていました。その後広島へ戻り、被爆をしたわけですが、東京の空襲も同じくらい人が亡くなり、風向きや地形を計算して逃げ場をなくして焼き殺すという非人道的なものなのに、広島長崎と同じほど知られていないのはおかしいと申しておりました。
核兵器は廃絶派の波を感じてきておりますが、人類は核によらずとも戦略的に一夜にして核とほぼ同数の人々を大量虐殺した親のいない子どもたちをつくってしまったということに向き合わなければならないと感じました。体験をお話されるのも色々と思い出されてお辛いと思いますのに、大変貴重な機会をありがとうございました。全て生き延びてくださったからこそです。後略
◇Cさん -想像を絶する。死体の山が目の前にあるのに、何も怖さを感じなくなっていたのは、それ程すごい状態だったんだろうな。/戦争が起こる前は、色々恵まれてたけど、戦争が起きて親が死んで売られたりした話を聞いて、戦争が起きたせいで環境が一気に変わって可哀想だと思った。
Cさん親 -前略 ご両親と一番下の弟さんを亡くされた後、祖母の家で女中のように働き続けていたことや、「なぜ一緒に逃げなかったのか。だからお母さんが死んだのだ」と祖母に言われたことなど、大切な家族・頼る親を亡くして辛い経験をされた上で、さらにとても大変な生活や苦しい思いを強いられたことに胸が痛みました。また、教師が生徒を「低能」と呼んだり、戦争孤児が「浮浪児」と呼ばれたり、人間である子どもたちを「1匹、2匹」と数えたり、人身売買の対象にされたりしていたというお話からは、今では考えられないような子どもたちの置かれた厳しい現実を知りました。
戦争によって、日本全体が苦しい状況にあり、大人たちにも余裕のない時代だったのだと思います。しかし、その中で子どもたちの存在や尊厳が軽んじられていたことを強く感じました。
平和な社会でなければ、子どもを守ろうとする意識や、そのための余裕を持つことは難しいのかもしれません。今回のお話を通して、これからの未来に向けて、私たち大人が果たすべき役割は、平和を守り続けること、そして子どもの権利と尊厳を守り抜く強い意志を持つことだと感じました。後略
◇Dさん ―防空壕に男の人は入れなかったと話されていた。それは平等じゃないし、当時の国民も男の人も入れるようにしてほしかったと思う。二瓶さんは自分で描いた空襲が起きて人々が逃げてるところの絵を見せてくれながら話してくれた。二瓶さんは当時8歳でそこらじゅうに焼けた死体がころがっているのを見てよく耐えれたなと思った。/戦争は勝っても負けても、多くの人が死んでしまうわけだから、良いことなんて一つも無いと思った。
Dさん親 ー3月10日の0時過ぎに焼夷弾が落ち始め、たった5時間には、東京下町一帯は焼け野原になっていたと話されていた。焼夷弾の残忍さと無差別に多くの人たちが殺された戦争の恐ろしさを改めて知りました。
私自身は小倉市で生まれ育ちました。長崎で投下された原子爆弾は小倉が第一目標だったので、「天候が良く、小倉に落ちていたら、生まれてなかったよ」と、よく祖母が話していて、原爆は決して他人事ではないと聞いていました。息子とは、今のあたり前に感謝をして、平和の尊さを忘れていけないねと話しました。
◇Eさん ―戦争、当時はすごく暗い時期で、悲しいと思いました。それプラスに子どもたちが戦いごっこをしていたということに私はすごくびっくりしました。私は小さい頃戦争はいけないものだと思っていました。でも当時本当に戦争を体験している子どもたちは、ごっこを作り、しかも軍人や看護師になるのを憧れていたなんてびっくりです。
あと思ったのは、3~6年までの子たちは国の決めたところに行くのに、なぜ1、2年生はだめなのだろうです。なんなら小学生という前提にすればいいんじゃない? 場所がないから? お金がないから? なぜかは分からないけど、おかしいと思いました。
日本はすごいアメリカに攻撃されてすごい何万人も死んだと強調しているけど、日本はもっとひどいことを他の国にやっていたのはどうなの? しかも本当はアメリカはビラを配っていた。それを触ってはいけないというのはおかしい。日本は自分の国の人々に死んでほしかったの? 当時の日本の政治の人たちはほんとうに間違っていたと思う。
Eさん母 ―娘にとって戦争の中で生活していた二瓶さんの話は、信じがたい事の連続だったようです。特に当時の人はなぜそう考えたんだろう、という疑問だらけでした。
戦争が勝っていると信じなければいけいなこと、戦死は名誉な事で、子どもが戦いごっこ、看護師ごっこを楽しむ事、防空壕に男が入らない事、飛行機からビラがまかれ(日本は負けるから降伏して逃げなさいと書かれてある)それを拾ったら逮捕されることなど。同じ人でも生きている状況によってすっかり変わってしまうんだろうなと思いました。
◇Fさん -ぼくが竹内さんやみんなの話を聞いてもっとも思ったことは、戦争はやはりとても悲惨なものだということです。/竹内さんは短い時間でたくさんのお話をしてくださいましたが、ぼくが一番驚いたのは、焼夷弾のことです。実際の焼夷弾の大きさも初めて見たし、それが蜂の巣状につめられて325万発も2時間の間に東京の限られた地域に落とされたなんて、とても恐ろしいことだと思いました。もしも自分だったら、とても生きてはいられなさそうだし、家族の命も失くなるかと思うと、胸が痛くなりました。
交流の時に、Hが「恐ろしい思いをすると、人は感情がなくなってしまうという事が印象的だった」と言っていた。ぼくは感情がなくなったことはないけれど、もし、ぼくの友だちや家族が亡くなってしまったり、見たこともないような風景を目の当たりにしたら、ぼくも心がなくなってしまうかもしれません。
竹内さん、ぼくたちのためにたくさんのお話をありがとうございました。あの時何があったかをぼくはこれからも勉強していきたいと思います。
Fさん親 -3年前の夏、息子たちと東京大空襲・戦災資料センターに足を運び、その時に焼夷弾の不発弾が当たった痕が残るピアノを目にしました。ポツンと置かれたピアノでしたが、その傷ついたピアノが80年あまり前の3月10日、夜のすさまじさをありありと語っているようで、とても印象に残っていました。
しかし、今回、実際に竹内さんのお話を聞くことができ、その当時を生きていた方々の日常や生活を改めて肌で感じることができたように感じました。
当時の装い、流行していた歌、共に生活をされていた近しい方々のこと、そして一度しかない十代を生きていらした竹内さんの少女の思い、一つ一つのお話に心打たれました。息子も目に涙をうっすらと浮かべてお話を聞いていました。
今日の日のことは親子でずっと忘れません。後略

戦争の話を直接聞くのははじめてという保護者が増えています。子も親もはじめて戦争の経験を直接聞く、子親でともに学び考える機会を持つ、はじめてのことに対して子親で語り合うことになります。
保護者の方の中には、戦争にかかわる話、記憶がこの機会に呼び覚まされ、それを伝えよう、共有しようとされることも起きます。

知っているバナナ、知らないバナナ
4年生の「地球市民の時間」では、「スリランカと出会おう」をテーマに、スリランカに暮らす飯塚淳子(いいづかじゅんこ)さんから、現地の暮らしや文化について教えていただきました。
気候や学校のこと、シンハラ語をはじめとする3つの言語、多民族国家としての文化など、さまざまな話を聞く中で、子どもたちの目の前に現れたのが、大きなバナナの花でした。

普段から食べているバナナ。でも、その花を見たことがある子はほとんどいません。「これは何だろう?」と、最初はバナナとは思えなかった大きなつぼみを、一枚ずつむいていきます。すると、中から現れたのは、たくさんの小さなバナナ。いつも食べているバナナが、どのように実をつけていくのか。その姿を実際に目にすることで、子どもたちの「知っているバナナ」のイメージが大きく変わっていきました。

さらに、そのバナナの花を使った料理も味わいました。バナナの花を使ったカレーを、甘口と辛口で食べ比べたり、パンと一緒に味わったりしながら、スリランカの食文化を体験しました。
一つのバナナの花をきっかけに、植物の育ち方、食文化、そしてスリランカの人々の暮らしへと、子どもたちの興味は広がっていきました。

今回の授業では、たくさんのことを知識として学んだだけではありません。実際に見て、触れて、香りを感じ、味わうことで、「知っているつもりだったもの」の知らない一面に出会いました。そして、その驚きが「もっと知りたい」という次の学びへとつながっています。
入魂袴でラッセーラ!
1年生は、理工室で「たまねぎぞめ」に取り組みました。運動会で踊る「荒馬」で使う袴を、自分たちの手で染めていきます。
まずは小さなハンカチを使って、染め方を練習。「どんな色になるのかな」「きれいに染まるかな」と、わくわくしながら取り組みました。
ハンカチでの練習を終えると、いよいよ本番。運動会で身に着ける大きな袴を、一枚一枚ていねいに染めていきました。

久しぶりのたまねぎぞめでしたが、子どもたちはとても上手に染めることができました。たまねぎの皮から生まれたやさしい色に染まった袴は、どれもそれぞれに味わいがあり、まさに世界に一つだけの「特別な袴」です。
自分たちでつくった袴を身に着けて、運動会の舞台で思いきり「荒馬」を踊る1年生。どんな表情で、どんな姿を見せてくれるのでしょう。今からとても楽しみです。

子ども団呼びかけ集会 [Ⅱ‐475]
2026年後期の子ども団呼びかけ集会を行いました。「興味が持てるように、魅力を感じるように、アピールしよう!」と、はりきって取り組んでいました。
子ども団は、5、6年生で行う活動。週に一回、やりたいことを思いきり楽しむ時間です。やりたい団を考えて、「この指とまれ!」と呼びかけ、仲間が集まります。集まった人数、場所や教員の参加で団が成立。これまでも理科実験、カルタ、ピタゴラスイッチなど、様々な団が生まれました。

写真は、子どもたちが主人公の運動会の様子から。
今回、作りたい団として呼びかけがあったのは、
・バスケットボール ・ハンドボール ・バレーボール ・ドッジボール ・サッカー ・陸上 ・民舞 ・火おこし ・お笑い ・推し研究 ・クラフト・イラスト ・音楽 ・イラスト ・読書 ・めいそう
ことばで説明する、実際にやってみせるなど、いろいろな発表と呼びかけがありました。呼びかけの中からです。
火おこし団
火おこし団では、ただ火をつけるだけではありません。自分たちの手で火をおこして、その火をどう使うか、何をやってみるかを、集まったみんなで考えていきたいと思っています。
火がなかなかつかない時は、どうしたらつくのか考える。うまくいかなかったら、もう一度やってみる。そして、やっと火がついた瞬間は、きっと特別です。
その火で、マシュマロを焼いたり、目玉焼きを作ったり。他にも「こんなことをやってみたい!」というアイデアがあったら、みんなで相談して挑戦してみたいです。
火をおこすところから、自分たちで楽しみを作っていく。そんな団にしたいと思っています。
火おこしが好きな人はもちろん、「ちょっと面白そう」「何かやってみたい」と思った人も大歓迎です。
一緒に、火おこし団を作っていきませんか?
めいそう団
突然ですが、授業中、寝たい人―。
(はーい)
…ですよね。でも、さすがに「寝る団」を作るのは厳しい。そこで、寝る時のような、力が抜けていく感覚を、めいそう団で完全再現しようと思います!
もちろん、ただ目をつぶるだけじゃなくて、団全員で「どんな音がいいか」「どんな姿勢がいいか」などを週替わりで研究しようと思います!
皆さん、ぜひ入ってください! お願いします!
聞いていて、おもしろそうだな、入りたいな、一緒にやってみたいなと思いました。興味が持てるように、魅力を感じるように、アピールしようとする姿から、心がわくわくしました。その後の質問とやりとりもよかったです。
桐朋小学校は、「自分自身の人生の主人公に、そして社会のつくり手となりゆくめためのねっこを育てる」を教育目標にしています。その目標を実現するために、自治を大事にし、他者とのかかわりを育てています。
大事なことを自分たちで決めていく経験、さまざまな参加活動を通して、社会のつくり手となる市民としてのねっこを育くみます。今回「2026年後期の子ども団呼びかけ集会」もそうした場でした。

桐朋で出あい、お世話になった方のお一人に、前理事長、元桐朋中・高等学校校長 小柳敏志先生がいます。先生の書かれた『学ぶこと、未来へ いまを生きる中学生・高校生へ』を時々読み返し、私たちが大切にしていることを考えます。
「教育基本法と桐朋教育」では、「私たちの桐朋教育、桐朋という学校は、これまでの教育基本法を原点にしています。1947年に制定された教育基本法に中心的にかかわったのが、当時の東京文理科大学、のちの東京教育大学学長の務台理作先生でした。その務台理作先生が、その時の1947年4月、国立の桐朋第一中学校、仙川の桐朋第二中学校の両方の初代校長に就任されました。そこから、桐朋という学校は、「教育基本法の精神」、すなわち、一人ひとりの人間とその個性を大事にし、それぞれがもっているよさや特徴が十分に発揮されるような教育を行おうとしてきました。(中略)私たちは、従来の教育基本法で示された理念は、時代が変わろうとも、色あせない、大事なもの、普遍性があると考えています」と書かれていました。
私たちの日々の保育、教育実践は、「教育基本法の精神」「一人ひとりの人間とその個性を大事にし、それぞれがもっているよさや特徴が十分に発揮されるような教育を行」っているか、自治を大事にすることと「一人ひとりの人間とその個性を大事にし、それぞれがもっているよさや特徴が十分に発揮され」ていることが重なりあって取り組んでいるのかを問い続けます。
心を一つに・・・
運動会が無事に開催されました。応援をくださった皆様、ありがとうございました。
赤白どちらも、とてもよく頑張っていました。
今回は、応援団が中心となって開催した、運動会前の結団式の様子をお届けします。

はじめに応援団が見本を見せてくれました。みんな真剣に聴いています。
各プログラム・競技の練習に加えて、声を出して仲間を応援する経験の尊さ・喜びも積み重ねていきたいと思います。
高学年のリーダーシップ、中学年の力強さ、低学年の可憐さなど、あらゆる方向から子どもたちの成長した姿を感じ取ってみてください。

本日の運動会・見学会は予定通り実施します。
本日の運動会は、予定通り実施します。
開門は8時です。早すぎる来校は禁止します。
保護者の受付予定時刻は8時半ですが、グラウンドの状況で少し遅らせる可能性があります。
受付の指示に従ってください。
ID/見学者証シールなどお忘れなきようお持ちください。
子ども達への温かいご声援をお願いいたします。
また、運動会見学会にご参加くださるみなさまは、9:30~9:40の間に正門受付までお越しください。受付票を印刷し、ご記入の上お持ちください。
桐朋小学校 教務
運動会への取り組み [Ⅱ‐474]
桐朋小学校の運動会は、前半は体育学習の成果の発表として民舞を、後半は赤白で二色対抗競技などを行います。
民舞(日本の踊り)
全学年が発表します。古くから人々に伝えられてきた日本の踊りを、力強く表現します。
一年生は「荒馬」を踊ります。青森県今別町の踊りで、ねぶた祭りの踊りがもとになっています。「ラッセラー、ラッセラー!」威勢のいい掛け声や太鼓のリズムに、一年生のかわいい馬が駆けまわります。
二年生は「花笠踊り」を踊ります。山形県の踊りで、花笠音頭に合わせて踊ります。自分たちで飾りつけした花笠を持って、元気な歌と掛け声に合わせて踊ります。
三年生は「桐朋みかぐら」を踊ります。岩手県大森村に伝わる神楽舞を、踊りやすくアレンジしました。秋の豊作や幸せを願う気持ちがこめられています。日本の踊りが持つ独特の調子を味わいつつ、力強く表現します。
四年生は「ソーラン節」を踊ります。北海道のニシン漁をもとに創作された力強くキレのある踊りです。一人ひとりが描いた法被を身に着け、力いっぱい表現します。
五年生が踊る「エイサー」は、沖縄本島や近隣の島々の盆踊りです。祖先の霊を供養し、無病息災を願い、家庭の繁栄を祈念します。桐朋小学校では長年、沖縄市園田青年会の踊りを取り入れています。太鼓を打ち鳴らし、「はやし」を入れながら、大地を踏みしめ、勇壮に踊ります。
六年生は「中野七頭舞」を踊ります。岩手県岩泉町小本の中野地区というところで、約190年前から踊られています。七つの道具を持ち、農地を開拓していきます。木を切り、畑を耕し、けものを追い払い、豊作を祝い、仕事の苦労を癒すという内容です。最後の学年として、大変難しい踊りに取り組みます。
民舞は、民俗舞踊をもとにして、教育現場で教材として取り組んできました。その大もとの民族舞踊は、日本各地で地域の祭りや盆踊り、神楽の奉納などで踊り継がれてきた芸能です。それらの多くは、日常生活の「労働」の中で培われてきた身体の使い方がもとになっています。
民族舞踊は、歴史的に地域の祭りなどで踊られ、地域の中で世代を超えて人と人をつなぐ大切な共有財産、かけがえのない文化です。人々は踊りを通して、繋がり合い、連帯し、生きる喜び、祈りや願いといった感情を共有します。
子どもたちと民舞に取り組んで、心や身体を耕し、身体の感覚を豊かにすること、自分を身体いっぱいに表現し、その楽しさをみんなで共有し、繋がり合うこと、みんなで一つのことを作っていく経験などを味わいます。民舞に取り組む過程で、子どもたちの心と身体に働きかけるものが大きいと考えます。

二色対抗競技
低・中・高学年のブロックで対抗競技を行います。異学年との関わりを通してお互いが刺激を受けながら、作戦をたて、話し合いをし、練習に取り組んでいます。フェアプレイ、ノーサイドの精神を大事に、クラスやブロック学年で協力し、力いっぱい競技します。
運動会の取り組みを通じて、子どもたちの主体性を育てることを大事に考えて進めています。たとえば、開会式でのエール交換では、応援係が考えた応援を1~6年生のチーム全員で行います。司会進行や整列・競技のリード、用具の準備、ライン引き、他にもできる限り子どもたちが取り組みます。
子どもたち、はりきっています! 応援します。

雨が多く、予定していた取り組みとはいきません。子どもたちといまを大切に取り組んでいます。
豪雨などでたいへんな生活をされている人もいて、私たちは目の前のことに向き合って取り組もうと思います。
8月31日、沖縄タイムス社会面記事の写真。記事本文は、「最初の出会いは1994年。東京都調布市の私立桐朋小学校で体育教員をしていた市川さんは、授業で教える踊りを探して来県し、園田青年会のエイサーに魅了された。「全身を大きく使って踊る姿がかっこよかった。本当に感動した」と振り返る。」からはじまる。私たちの「エイサー」は、市川さん、園田青年会の皆さんの支えがあって、取り組むことができています。

いろいろ入れもの、かさたんけん
2年生の算数では、「かさ」の学習を進めています。
まずは、1学期に学習したデシリットル(dL)の復習から。「1デシリットルって、どのくらいかな?」と考えながら、プラスチックのコップで自分だけのデシリットルますを作ったり、「dL」の書き方を練習したりしました。テキストやノートにもいっぱい練習した人がいて、びっくり!すごいね。
そしていよいよ、身の回りにあるさまざまな入れものの「かさ」を実際に測ってみました。牛乳びんや花びんなどに水を入れ、自分たちで作ったデシリットルますを使って、一つひとつ測っていきます。

「1、2……あ、2デシリットルちょうどだ!」
「4デシリットルよりもたくさんだったよ!」
友だちと協力しながら、ますの数を数えていきました。予想していたよりもたくさん入る入れものがあったり、反対に思ったより少なかったり。実際に水を入れて測ってみることで、入れものの大きさと「かさ」の関係を体験的に確かめていました。

まだまだ測ってみたい入れものがある子どもたちは、次は「お家から測ってみたい入れものを持ってきたい!」と、次の活動を楽しみにしています。
子ども時代をゆっくりと味わい、いまを生きる幸せを [Ⅱ‐473]
9月、ゆりぐみ(年長)合宿を行いました。(幼写真は、合宿の様子)
<ごはんを つくろう> <おやつを たべよう> <よるまで あそぼう>
<たっぷり、のんびり、あそぼう>
<こどもたちと せんせいたちで、ようちえんに とまっちゃおう>
―ゆりぐみだけの とくべつなひ。たのしいことが いっぱい―

入園以来、園での遊び、生活、題材を軸にした活動を経験しながら、育ち合ってきた子どもたち。『おしごと』も、仕事内容を理解して意欲的に取り組んでいます。お弁当の場面では、食べるまでにどんな行動をすればよいか、自分で判断して行動しています。自ら考えて行動し、一人ひとり自信がついてきました。
何より、仲間と共に遊び、生活する、活動することが楽しくて仕方がないといった子が多く、仲間関係の育ちがみられます。
年長組の9月、遊びや生活の盛り上がりの一つの集大成として、また、生活自立の確認の機会として、『ゆり組合宿』を行います。「自分たちの生活を、自分たちの手でつくり出しているという実感を豊かにする」ー2026年度ゆり組2学期の保育のねらいの一つです。
このことを2日間の生活の中でより経験できるように、お客様ではなく、子ども主体の活動をねらいとしました。準備でいろいろと話し合い、必要なものを出し合って、分担して買い物をしました。そして2日間、共に過ごし、自分たちの生活(食事、睡眠、生活の場を整える)を自分たちの手でつくりあげました。

子どもたちと、「うたを うたおう」「ごはんの カレー やさいきりを やろう」「いつもの あそび、たくさん あそぼう! おたのしみも」「おやつを つくろう」「おやつ、ごはんの よういを する」「みんなで いただくと おいしい!」「プールで あそぼう(室内プールでたのしみました!)」「みんなで ふとんを はこんで しこう」「よるの おたのしみ!」「みんなで いっしょに ねる」「あさの うんどうと あそびを やろう」「おむすを つくろう」「おみそしるを つくろう」「おしごとも やろう」などたくさんの活動をしました。
仲間と過ごし、笑いあったり、励ましあうことがたくさんありました。

合宿に向けて保護者へのお便りで、「夜尿のこと」をお伝えしました。この内容にも、私たちの子ども観、教育観があります。「排尿は、人間の生理現象で、色々なことがあります。万が一、布団やパンツが濡れてしまっても、『まあ、そんなこともあるさ』と大らかに仲間と笑い合ったり、励まし合えるような関係づくりを目指したいのです。もちろん、ご本人のプライドが傷つかぬよう、慎重にします。しかし、本人には失敗と思わずにいられるような心持ちを、そして仲間たちには、そっと手を差し伸べたり、触れてほしくないだろうなと悟れるような雰囲気をつくることも目標にしたいと思っています。一人ひとり、身体や発達には個人差や特徴があるのですから。こういう雰囲気の中で、本人が自尊感情を持って、安眠できることが、実はオムツとのさよならの近道のようにも感じる今日この頃です」。
7月、小学校では、4年生八ヶ岳合宿、5年生八ヶ岳合宿を行いました。(写真は、4年生合宿の様子)
今回は、4年生を取り上げます。4年生は、「八ヶ岳合宿ならでは」の「協力」と「発見」をテーマに活動しました。
はじめの宿泊行事をみんなでつくっていく過程では、お互いの知らなかった面や新しい発見があります。子どもたちも大人も「発見」や「出あい直し」をしながら、みんながハッピィになるのはどうしたらいいかを考え合う「はじめての合宿ならでは」の経験を大事にしました。
お互いの良いところや得意なところはもちろんですが、葛藤やぶつかり合い、不安や苦手など、それぞれの抱える困難さも見えてくるでしょう。それもまた大事な「発見」として聴きあい、「共感」「協力」して乗り越えていけることを願いました。
また、日常と違った八ヶ岳のフィールドで活動するからには、自然の中での「発見」を積極的にしてほしい。「知る」ことで世界は広がります。お互いの「発見」をシェアしたり、森あそびに出あったしながら、「八ヶ岳のフィールドならでは」の経験をいっぱい積みました。

合宿を経験した子どもたちの声から。
〇はじめての合宿。すごく楽しみ。でもドキドキでもあった。一人でお風呂に入ることや、ご飯を食べたり、寝たり、でも友だちが助けてくれた。/食事準備。ちょっと水をこぼしちゃったり、ご飯とか落としそうになつたけれど、二人で協力してこぼしちゃった水をふいて、ご飯を一人で一つ盛ったりして、なんとか乗り切れた。
〇発見できたものは、自然の虫や理科で習った葉っぱ、実などがとても見られました。ほかには、みんなでカエル、トンボ、カナヘビを見ることができました。とてもすごかったです! きれいで、とても冷たい川です。とってもキレイでした。
〇川あそびで、家の近くの川と、山の川の温度が全然違うことを発見でした。それでびっくりしした。同じ川でも、上の方と下の方で冷たさが違ったので驚いた。
〇水の冷たさの違いに驚いた。今、社会で「水の学習」をしているから、ちょうどいい。山梨と東京の野菜の新鮮さの違い、やばい!! 食堂の味噌汁もおいしかった。東京の水道は、飲もうと思えば飲めるど、山梨のアルプス水脈の近くの水道は、むしろ「飲みたい!!」が勝つ!
〇火起こしで、もう火が消えちゃいそうって時に、友だちが葉っぱを持ってきてくれました。それは杉の葉っぱです。その束を入れた時、火がメラメラ燃えはじめました。いきなりメラメラ燃え出したのでびっくりしました。杉の葉っぱって燃えるんだな~って思いました。
〇朝散歩の時、よーく下を見てみたら、色いろんな形の葉っぱや知らない虫がいっぱいいた。先生がほたるのような虫を見つけた。すごく真っ黒で、黒以外の色がなかった。最初は、ちょっと気持ち悪いなって思っていたけど、ずっと見ていると結構かわいくなってきた。また見られたらいいな~。
〇夜散歩で、鹿の鳴き声とかは聞こえなかったけど、先生に、いきなりこのライターの火、片目を隠してみてと言われてやってみた。そしたら、右が暗くなって、左が明るくなって、すごい動物の世界に入ったみたいで、すごかった。夜散歩で動物を見ることができなかったけど、朝散歩では、伝説のリスを発見!
〇キャンプファイヤーでがんばって準備をして、みんなが楽しんでくれて嬉しかった。そして、みんなが最後に「良かったよ」などと言ってくれて嬉しくてたまらなかった。
〇布団を干す時に、二人になってたたんでいるのがいいなって思ったし、私も二人になって運ぶと、運びやすいことがわかったし、友だちと協力をしたら、楽しいし、協力もできて、とてもいいと思った。
〇食堂の時、台布巾で机をふく人、雑巾で地面を見て食材が落ちていないか確認する人で分かれてやろうということになって、最後にちょっと遅い人がいた時、「手伝うよっ」って言って、手伝っていた。
〇八ヶ岳って自然いっぱい!! 川もきれいだし、団のみんなも優しくて、みんなでいるととてもホッとした。

私たちの教育活動では、子ども一人ひとりが自身と他者の大切さを深く信じ、そのかけがえのなさを理解できることを大切にすすめています。行事、活動、授業、生活のあらゆる場面を通じて、自治の力と他者との関わりを大切に育くみます。
将来、社会のつくり手となる市民として、社会に参加していく根っこを育んでいます。

みんなで石拾い
久しぶりの登校日、ようやく青空が見えました。
夏とは違う雲の形に、季節が進んでいることを実感しました。

今朝は全校みんなで初等部グラウンドの石拾いを行いました。
1年生はパートナーの5年生とペアになって作業をします。
「おもしろい石見つけたよ!」
「ちっちゃいのが意外と痛いんだよね~」
など、ぽつぽつと会話しながら15分ほど。
バケツに結構たくさんの小石がたまりました。

いよいよ裸足になって本格的な運動会練習が始まります。