投稿者: tohoblog
それぞれが「出会った」高尾山遠足!
今日は4年生の高尾山遠足について。
初めて一人で電車に乗ることや、長い登山に挑戦することなど、子どもたちにとって新しい経験がたくさんありました。登山では、険しい道のりに苦労しながらも、仲間と励まし合って歩き切り、自然の豊かさや山頂からの景色を存分に味わうことができました。
また、遠足実行委員の子どもたちは、事前の準備や当日の進行、終わりのあいさつまで責任をもって役割を果たし、遠足を支えてくれました。一人一人の力が集まり、思い出に残る充実した一日となりました。

一日を通して、楽しさだけでなく、挑戦することの大切さや達成感、自然の素晴らしさなど、多くのことを学ぶ機会となりました。この経験を生かし、今後の八ヶ岳での宿泊学習にも意欲を高めてくれることを期待しています。
8月6日、9日 [Ⅱ‐468]
8月6日の平和式典では、こども代表、広島市長、広島県知事、内閣総理大臣、国連事務総長(中満泉さん代読)のことばを聞き、考え続けています。8月9日は、長崎市長、被爆者代表の方たちのことばを聞きました。
「戦争は単に過去の出来事ではなく、自分が生きている現在とつながっている問題」(明治大 山田朗さん)と捉え、「戦争記憶の継承」をどのようにすすめていけばよいのだろうと、本や報道などと向き合っています。
雑誌『世界』9月号では、「特集1 終わらない戦争を生きる」が掲載されています。映画や漫画で知った武田一義さん(『ペリリューー楽園のゲルニカー』漫画家)が、「体験していない者に、戦争は描けるのか」、「戦場の死を、どう記録し、伝えるか」、「何を受け取り、何を渡していく?」などの話をされていました。東京大学名誉教授の加藤陽子さんが『歴史の本棚』を出され、「戦争の教訓ー人は過去から何を学び取ったのか」「歴史を読むー不透明な時代を生き抜くヒントを探す」など、一回読んだだけでは頭に入っていかない内容もあり、じっくり読んでいます。
8月1日から、全国の教育研究大会に参加をしました。分科会では、全国の先生たちと、戦争・平和・命について考え合いました。2学期に向けて学び、「戦争記憶の継承」をどのように行っていくのか研究をすすめ、試行錯誤しながら実践しようと思います。
しぜんひろばで育つ被爆アオギリ二世
さて今年の平和式典では、どのような内容を話されていたのか、一部分を以下に掲載します。
声に出して読み、考えます。
■こども代表 柿崎由宇さん、河野和希さん 「平和への誓い」より
もしも「大切なもの」が一瞬で消えてしまったら、どんな気持ちになるのでしょうか。
私たちが笑い合っているときにも、尊い命が失われている現状があります。
今もどこかで、当たり前の日常がうばわれています。
ぼろぼろになった制服。/黒く焦げたお弁当箱。
それは、当たり前の毎日を生きていた証です。
昭和20年(1945年)8月6日、午前8時15分。
たった一発の原子爆弾が、人々の暮らしを、人生を地獄に変えました。
髪は焼けちぢれ、全身の火ぶくれが破れ、火傷(やけど)した皮膚が垂れ下がった人々。
「痛いよ。苦しいよ。」
「助けて、お母さん。」
「死にたくない。」
「助けてあげられなくてごめん。」
死んでしまうつらさ、生き続ける苦しみは、想像することさえ恐ろしいことです。
私たちには、被爆体験を直接聴くことができる最後の世代として、当時の記憶を事実として受け止める使命があります。
目をそらさず、知ろうとすること。/悲しい現実でも向き合うこと。
そこには、「生きたかった人々」、「生き続けた人々」の思いがあります。
私たちには、広島のこどもとして、行動する責任があります。
相手の気持ちを想像し、意見の違いがあっても認め、受け止めること。/平和への思いを、自分なりの方法で表現すること。
一人一人の小さな行動が、平和への後押しとなります。
平和とは、誰かからあたえられるものでなく、世界中の人々で創り上げるものです。
こどもである私たちも、その一員として平和への一歩を踏み出します。
かけがえのない「大切なもの」を、確かな希望を、未来へ届けるために。
被爆アオギリ二世
■広島市長 松井 一實さん 「平和宣言」より
皆さん、ここで再度、あの惨禍を生き抜いた被爆者の体験に耳を傾けてください。当時16歳だった女性は優しかった姉のことを振り返ります。まるで骸骨のように皮膚が崩れてなくなり、唇のない口から歯がむき出しになっていた姉の顔は、悪夢のようで信じられなかった。また、3歳で被爆した後に次々と病に襲われ、55歳で白血病を発症し原爆症と診断された女性は、いつも次にどんな病気がくるのかという恐怖と隣り合わせの日々だったといいます。また、別の当時9歳だった男性は、多くの一般人が犠牲になっているロシアによるウクライナ侵攻を目の当たりにし、争いが起きない世界を創るため、自分の中の争いの心を乗り越え、相手の考えを受け入れる気持ちを持ってほしい、とりわけ若い世代には、そのために身近なことから考えてほしいと訴えます。
市民社会は、こうした被爆者の声や被爆者の思いを伝承する活動に鼓舞され、核兵器廃絶と平和を願う行動の輪を、国境を越え世代を超えて広げてきました。しかし、多くの為政者は現実的な対応として核抑止力に依存し続け、暴力を肯定する国際社会が出現し、核兵器のない世界は遠のくばかりです。戦争の記憶が薄れることで核兵器の使用が容認されかねない時代を生きる私たちは、今改めて、国連を創設し核兵器廃絶を決意した過去の教訓を学び直す必要があります。そして、一人一人があらゆる暴力を否定し、核兵器廃絶という理想を理想で終わらせない国際社会を創り上げるための行動を起こす必要があります。
そこで、若い世代の皆さんに提案があります。価値観の異なる人々との国境を越えた交流を深めてください。そうすることで、嬉しさや楽しさ、夢や希望を共有することができます。既に世界の多くの若者が、広島を始め様々な場で被爆の実相を学び、交流を深めています。皆さんも平和のために日常生活の中でできることを実践し、自らの思いを発信することで、その行動の輪を広げていってください。こうした取組は、お互いを認め合う平和文化を世界中に根付かせ、核兵器廃絶を国際社会の常識にすることにより、為政者が核抑止力に依存することを認めない環境づくりにつながります。広島市は、平和首長会議の8,589の加盟都市と連帯し、平和文化を世界中に広め、次の世代に伝える活動を後押しするとともに、「ヒロシマの心」を世界に訴え続けます。
「世界の為政者の皆さん」と、「日本政府には、日本国憲法が掲げる崇高な理想を深く自覚し、国際社会において名誉ある地位を占めるための歩みを止めないでいただきたい」は、略します。
本日、被爆81周年の平和記念式典に当たり、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、核兵器廃絶とその先にある世界恒久平和の実現に向け、力を尽くすことを誓います。そして、改めて市民社会に呼び掛けます。世界中の皆さん、被爆者の切実な思いが込められた「ヒロシマの心」を胸に、共に行動することで世界を変えていきましょう。
しぜんひろばの様子
■広島県知事 横田 美香さん 「あいさつ」より
強烈な威力は、一瞬にして多くの人々を焼き、建物や生活基盤を破壊し、太陽を遮りました。その年のうちに14万人の方が亡くなり、その後も多くの方々が命を落としました。
生き延びた被爆者も、受けた傷や放射線による影響、そして心の傷を抱えながら、苦しみ続けておられます。昨年の被爆80年に、「戦争がどんなに悲惨なものか、子供たちにどうしても知ってほしい」と、初めて言葉を絞り出した被爆者。「生き残ったことも地獄」と多くの方々が、語ろうにも語れない体験をされてきました。
被爆者の言葉、そして声にならない思いに、私達は真摯に耳を傾けなければなりません。
核兵器により全ての人を傷つけ、全てのものを破壊することに、何の意味があるのでしょうか。
核抑止力への依存が、今なお、世界の安全保障政策において大きな位置を占めていることに、悲しみと怒りを感じざるを得ません。核による脅し、先制攻撃も厭わない考え方、それによる核武装の強化が核兵器使用のリスクを高めています。核抑止は核兵器を使用することを前提にしない限り成り立たず、各国の不信や軍拡競争を助長し、世界を不安定化させるという根本的な矛盾をはらんでいます。核抑止力を求めること自体が新たな戦争を引き起こしている現実を直視し、核抑止から脱却すべきです。
人は皆、平和に安全に生きたい。その願いは人類共通のものです。私たちは対立を超えて助け合い、共に豊かになる道を歩むことはできないのでしょうか。
ある被爆者は「終戦直後、あのときほど人々の優しさ、温かさを感じたことはありません」と語っています。
原爆投下直後から、救援のために多くの人々が広島市内に入り、自ら被爆しながらも廃墟の中にあって、失われた命や九死に一生を得た人々に寄り添い支えました。人間同士が支え合う精神が信頼と希望の灯を点し、復興を前に進め、今のこの広島があります。
今、世界に求められているのも、対立や暴力ではなく、信頼と協力によって平和を築いていく、この精神です。/不信と憎悪を乗り越え、国家間だけでなく、人と人とのつながりにより、対話と協力による安全保障を実現し、誰もが人間らしく暮らしていける世界を築いていくために、世界のあらゆる叡智を集めなくてはなりません。
今年亡くなられた被爆者・森重昭さんは、「原爆の悲劇に国境はない」と訴えられました。核兵器が傷つけるのは、特定の国民ではありません。そこに生きるすべての人々、そして未来の世代までも深く傷つけます。
人類と核兵器は、共存できません。
核兵器を無意味なものに変える行動を世界のリーダーに、そして世界の皆さんに求めます。/核兵器を廃絶するために、共に行動していきましょう。広島県は、これからも被爆地の声を世界に届け、核兵器のない平和な世界の実現に向けて行動し続けていく事をここにお誓い申し上げ、平和へのメッセージといたします。

■内閣総理大臣・高市早苗さん 「あいさつ」より
我が国は、『非核三原則』を堅持しており、「唯一の戦争被爆国」として、「核兵器のない世界」の実現に向けた努力をたゆまず続けていく使命を担っています。
今、世界の安全保障環境は一段と厳しさを増しています。/先般の『核兵器不拡散条約(NPT)運用検討会議』において見られたように、「核兵器のない世界」に向けた道のりは、決して平坦(へいたん)なものではありません。
しかし、だからこそ、我々は、その歩みを止めるわけにはいきません。
「核兵器のない世界」の実現に向けた国際社会の取り組みを主導すべく、『NPT体制』の維持・強化を訴えながら、「ヒロシマ・アクション・プラン」の下で現実的かつ実践的な取り組みを続けていく決意です。
また、被爆の実相を世代や国境を越えて広く伝えていくことは、核軍縮に向けたあらゆる取り組みの原点として重要です。
核兵器使用の惨禍や平和への思いを、長年にわたり語り伝えてこられた被爆者の方々、そしてその記憶や思いの継承を担われている若い世代の方々と共に、被爆の実相の理解促進に向けた努力を尽くしてまいります。
被爆者の方々に対しましては、保健、医療、福祉にわたる「総合的な援護施策」を進め、ご高齢になられた被爆者のお一人お一人に思いを致し、必要な支援が確実に届くよう、対応を重ねてまいります。
特に、「原爆症の認定」について、申請された方々の心情を思い、被爆者の方々に一日も早く結果をお知らせするため、できる限り迅速な審査を行うよう、努めてまいります。
広島の皆様は、被爆により深く傷つきながらも、そこから力強く立ち上がり、平和への思いを発信し続けてこられました。
そしてそれらは、世代を越えて、広がっています。
本日、原爆慰霊碑に奉納されました死没者名簿は、今回初めて、公募により選ばれた若い世代の方々が、被爆者の方々とともに記帳に携わられたと聞いております。
広島の記憶とともに、平和への思いが、しっかりと次の世代に繋がれていることは、市民の皆様の不断のご努力の賜です。
その歩みに深く敬意を表するとともに、私もまた、ここ広島において、安全で安心して暮らせる社会を次世代に贈る責任を痛感しつつ、「核兵器のない世界」と恒久平和の実現に向けて力を尽くすことを、お誓い申し上げます。
■国際連合事務総長 アントニオ・グテーレスさん 「あいさつ」より
81年前、この地が炎に包まれた経験から、私たちは何かを学んだのでしょうか?
人類は平和な未来を選ぶのでしょうか?
それとも、核による破滅という暗い影の下で生き続けるのでしょうか?
私たちは今、地政学的な分断が深まり、不信感がつのり、競争が激化する時代にいます。
核による惨禍を未然に防いできた規範と方策は、今、危機に瀕しています。
数十年にわたって続いた核兵器削減の潮流が逆行しつつあります。
核実験禁止という国際規範も脅かされています。
世界の軍事費は急増し2025年には2兆9000億ドルに達しました。
力の誇示と強制のため、核兵器による恫喝も横行しています。
広島の教訓は、核兵器の恐ろしさだけではありません。核兵器の脅威が、そして使用が考えられない世界を築く必要性を教えてくれました。
平和とは恐怖と力によって得られるものではありません。
平和とは信頼によって築かれるものです。
対話、外交、国際協力への継続的な投資によって。
国際法への揺るぎないコミットメントによって。
すべての国、特に核兵器保有国が、リスクを軽減し、信頼を再構築し、完全なる軍縮に向けての行動をとることによって。
グローバルな軍縮体制を強化することによって。
そして、核兵器こそが究極の安全保障であるというゼロサム思考を断固として拒否することによって ―― 実際、核兵器は安全保障の対極に位置するのです。
国連は、世界から戦争という惨禍を根絶するために設立されました。/そして、1946年の第一回国連総会における最初の決議は、核兵器の廃絶を述べています。/その約束は未だ果たされていません。しかしそれは、決して不可能というわけではありません。
広島は、不屈の精神、復活、そして希望の象徴として、私たちに力強いメッセージを伝えてくれます。
最も暗い時代を経験しても、私たちは異なる未来を選択し、築き上げることができると、広島の人々は世代を超えて、私たちに示してくれるのです。
原爆投下から81周年を迎えるにあたり、確固たる意志と信念を持って行動しましょう。
分断ではなく対話を、対立ではなく協力を、無意味な競争ではなく共通の安全保障を選びましょう。
そして、広島の悲劇が二度と繰り返されない世界へと、一歩一歩歩んでいきましょう。
■8月9日 平和祈念式典 長崎市長 鈴木史朗さん 「平和宣言」より
1945年8月9日、米軍機が投下した一発の原子爆弾は一瞬にして長崎のまちを破壊し、その年の終わりまでに人口の3分の2にあたる15万もの人々が死傷しました。
13歳で被爆した故・吉田勝二さんは、地獄のような惨状をこう語っています。
爆心地の方に向かうと黒焦げで炭化した人、目が飛び出ている人、内臓が飛び出した人、手足がない人たちが右往左往していた。浦上川にたどり着くと、ここも焼けただれた多くの人が、油と血と汚れた水、その水を飲みながら次々に亡くなっていった。私は、全身血だらけ、皮膚は剥がれ体の下の方にだらりとぶら下がっていた。顔も皮膚は付いていたものの、どす黒く焼け焦げていた。
吉田さんの顔には生涯消えることのない大きな火傷の痕が残り、周囲からの視線に苦しみ続けました。辛うじて死を免れた人々も、心身に深い傷を負い、放射線の影響でがんなどが発症することへの不安と恐怖を一生抱え続けています。
今、地球上に存在する核弾頭は、1万2千発以上。
なぜ、これほど残酷な兵器に固執する国があるのでしょうか。
国際社会に蔓延する相互不信と対立・分断を背景に、大国の「力による支配」が横行しています。核保有国が当事者となったウクライナや中東の紛争も未だ予断を許さない状況です。さらには、核兵器の近代化や増強など、核軍縮に逆行する動きが加速しています。こうして、相互不信と対立・分断を一層深刻化させる悪循環に陥っているのです。
これは、核兵器不拡散条約(NPT)再検討会議が核軍縮に向けた成果文書を3回連続で採択できなかったことでも浮き彫りになっています。
核兵器に依存する国は、核兵器を実際に使用しなくても、保有することで他国に攻撃を思いとどまらせることができるという「核抑止論」を主張します。しかし、戦争という極限状況の中で自国の存亡を懸けた究極の判断を迫られたとき、それでもなお「核のボタン」を押さないと、誰が言い切れるのでしょうか。
広島・長崎への原爆投下は、人間が人間への核兵器使用という一線すら越えてしまう現実を突きつけました。
人間の命も尊厳も木っ端微塵に破壊する核兵器の威力を身をもって知る被爆者や被爆地は、その体験から確信をもって訴えます。
核抑止論は、極めて危うい。核兵器は「必要悪」ではなく「絶対悪」であり、人類と核兵器は決して共存できない、と。
一つの地球に暮らす「地球市民」の皆さん。平和な世界をつくるために、私たちにはできることがあります。
「平和の原点は、人間(ひと)の痛みがわかる心を持つこと。」/これは吉田さんが被爆体験を語るとき、いつも伝えていた言葉です。
相手の立場や苦しみに心を寄せ、分かり合おうと努力することは、対立や衝突を避けるための大事な一歩となります。それが人と人、国と国、それぞれの場面で信頼を育み友好関係を築く礎になるのです。
吉田さんの言葉を心に刻み、行動につなげていきましょう。
「すべての国の指導者の皆さん」「核保有国と核抑止力に依存する国の指導者の皆さん」は略します。
とりわけ日本政府は、今年初めて開催される核兵器禁止条約再検討会議に参加し、唯一の戦争被爆国としての歴史的使命を全うすべきです。不戦の決意が込められた日本国憲法の平和の理念と非核三原則を堅持し、国際社会の緊張緩和と軍縮に向けた外交を強化してください。北東アジア非核兵器地帯の実現などを通じて、核兵器に頼らない安全保障政策への転換を求めます。
さらに、平均年齢が86歳を超えた被爆者への援護の充実と、未だ被爆者と認められていない被爆体験者の一刻も早い救済を強く要請します。
原子爆弾で亡くなられた方々とすべての戦争犠牲者に、心から哀悼の誠を捧げます。
被爆者の声を直接聞くことのできる今だからこそ、未来へ向けて被爆の記憶と被爆者の思いをしっかりと受け継いでいきます。
「長崎を最後の被爆地に」。この誓いを永遠の事実とするために、長崎は世界中の平和を求める人々と連帯し、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向けて、決してあきらめず歩み続けていくことをここに宣言します。
■被爆者代表 本村チヨ子さん 「平和への誓い」より
被爆81年という歴史の転換期を迎え、私達被爆者が一人もいなくなる時代がそこまで近づいてきました。
1945年8月9日午前11時2分、私があの巨大な光と爆風を経験したのは、国民学校に入学したばかりの一年生、まだ、小さな幼い6歳の時でした。当時、私は爆心地から約4.5キロ離れた福田村小江郷に住んでいました。
あの日、母と祖父、叔母の3人は田んぼに出かけており、家の土間では祖母がお昼の支度をしていました。私はひとり、縁側で遊んでいた時、目の前に大きく異様な火の玉が炸裂しました。その瞬間、家屋が倒壊し、硝子障子が倒れ、大音響とともに私の小さな体は庭先に叩きつけられました。うずくまる私を見て祖母がとっさに駆け寄り、私の上に覆いかぶさりました。何が起こったのか分からないまま祖母に横抱きにされて、防空壕に逃れました。異様な火の玉と轟音、爆風、そしてその後の静けさが子ども心に強く焼き付いています。しばらくして母たちが帰宅し、長崎に原子爆弾が落とされたことを知りました。その後、海辺の小さな集落では毎日のように遺体を焼く火と形ばかりの葬儀が絶えませんでした。とっさに私を庇い、背中に大きな傷を負った祖母は、十分な手当ても受けられず、一度も仰向けに休むことができないまま、翌年の3月に帰らぬ人となりました。これが6歳の私の遠い、しかし鮮明な記憶です。
あの日から81年、被爆当時は焦土と化し、動くものは何ひとつなかったここ浦上の丘一帯も見事な復興をとげました。一見平和な光景ですが、一方世界はどうでしょうか。
新聞やテレビでは、毎日のように争いのニュースが絶えません。ロシアとウクライナの戦争は、いまだに終息が見えません。
こうした国々の指導者の方々には、毎日の暮らしに喘ぐ人々の姿が目に入らないのでしょうか。幼い子が泣きながら裸足で彷徨う姿が見えないのでしょうか。そして祖母の命と引き換えに81年間、十字架を背負って生きてきた私の記憶はただの昔話なのでしょうか。
昨年の12月、私は14日間、車椅子に頼りながらアメリカを訪れ、ロスアラモス国立研究所などを見学しました。案内してくれたかたと対話を重ねるうちに「ここで働く者の誰一人として平和を願わない人はいない」と力強く語ってくださいました。私は「どうか核を兵器として使わないでください」と伝えるのが精一杯でしたが、人と人が分かり合うためには対話しかないことを改めて実感しました。また、私はパールハーバーも訪れました。穏やかな海を見つめながら、なぜ戦争が始まり、多くの命が奪われなければならなかったのかを思い続けました。
私は平和とは命を守ること、命とは何よりも優先されるべきものだと思います。
私は残された時間を、命の限り平和を叫びつづけること、そして戦争が再び起こらないよう、祈り続けることを、一瞬にして原爆の犠牲となられた、この丘に眠る多くの御霊に誓います。
7月28日に発生した熊本地震により、お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りします。また、被災されたすべての皆さまに心よりお見舞い申し上げます。
2年生から遊びを教えてもらったよ
今回は、2年生との交流活動の様子をお伝えします。1年生も放課後の時間が通常時程になったことを受け、「こんな遊びがあるよ!」と2年生が遊びを紹介してくれる会を開いてくれました。この日のために、「どうしたら1年生が楽しめるかな?」と、2年生みんなで準備を進めてくれていたそうです。

用意してくれた遊びは、「なわとび」「ボンボンとゆびあみ」「コマ」「おわらい」「鬼ごっこA」「鬼ごっこB」の6つ。1年教室、2年教室、三角コーナー、プレイルームの4か所に分かれて行われました。

まずは2年生教室で始まりの会。各ブースの代表が遊び方を紹介してくれた後、班ごとに好きなブースを回りました。
最初は少し緊張していた1年生も、2年生が優しく声をかけたり、遊び方を教えてくれたりしたおかげで、すぐに笑顔に。「もう終わり?」「昼休みもやりたい!」という声も聞こえ、とても楽しい時間になったようです。

1年生にとっては遊びを知るだけでなく、2年生の優しさにたくさん触れられた時間でもあったようです。これから放課後や休み時間にも、一緒に遊ぶ姿が増えていくことを期待します。さっそく個別で声をかけに行って昼休みに遊ぶ約束をする人も!仲良しになることができたみたいです。大成功!

最後に1年生の子どもたちのふりかえりを共有して終わります。
「二ねんせいと いっしょに あそんで たのしかった。」
「きょうは、こまでバトルして うれしかった みつあみも たのしかった 2ねんせいありがとう またあそぼうね またな こんどあったら こましようね ありがとう」
「きょうは 2ひがしと あそんで たのしかった こまのところでは 2ねんせいが すごく じょうずだった」
「きょう ぼんぼんを 2ねんせいと いっしょに できて てあみを つくれて たのしかった。」
「きょう ぼんぼんぬいを してもらった。2ねんせい ありがと ありがとうっすね そっすね。」
「きょう、ぷれいるうむで あそんでくれて ありがとう。おしえてありがとう。」
「きょうは にひがしと あそんで たのしかったし にねんせいが やさしくしてくれて とても うれしかった。」
「きょうは、2ねんひがしぐみが ぽんぽんと ぶれすれっとの、つくりかたを おしえてくれた。」
「きょう おにごっこで はやいって いわれて うれしかった にねんせい また こんども いっしょに あそぼ」

「平和は当たり前ではない」から考える
沖縄慰霊の日に合わせて、今年の沖縄全戦没者追悼式で朗読された、中学生の亀谷るなさんによる平和の詩『生きたいと願った証』を読み、平和について考え合いました。
「平和は当たり前ではない。」そんな言葉に心を動かされた子どもたち。詩の中で、ひいおばあちゃんが自ら足に傷をつけた場面では、「この出来事を忘れないためだったのではないか」「そこには『生きたい』という願いが込められていたのではないか」と、文章の奥にある思いを真剣に考えていました。
また、「二度と戦争をしてはいけないというメッセージが伝えたかったのではないか」「80年前と同じことを繰り返してはいけない」と、作者の願いについても話し合いました。
そして、「平和って何だろう。」という問いに向き合うと、「けんかやいじめがないこと」「資源を分け合うこと」「感謝をすること」など、一人一人が自分なりの考えを伝え合いました。
印象的だったのは、いつもの教室とは少し違う空気でした。普段の元気な声ではなく、相手の話をじっくり聞き、自分の考えをゆっくりと言葉にする子どもたち。その姿から、一人一人がこのテーマを真剣に受け止めていることが伝わってきました。
最後には、「友達や家族を大切にしたい」「けんかやいじめをなくしたい」「感謝を伝え合える教室にしたい」「戦争について学び、次の世代にも伝えていきたい」など、自分たちにできることを考えました。一方で、「まだ答えが出ない」「すぐには分からない」という声もありました。
平和について考えることに、簡単な正解はありません。だからこそ、これからも立ち止まって考え、自分たちの教室や社会をどんな場所にしていきたいのか、一緒に問い続けていきたいと思います。

自分たちで育てたから、おいしい!
総合的な学習の時間で育ててきたピーマンが、大きく実りました。
子どもたちは、休み時間や放課後だけでなく、登校後にも畑へ足を運び、水やりや生長の様子を見守っていました。他学年の先生から、「4年生が毎朝畑に水をあげているね。」と教えていただき、担任も驚いたほどです。担任が気付かないところでも、子どもたちは自分たちから畑へ向かい、大切に世話を続けていました。

そんな4年生の畑は、隣で野菜を育てている3年生にとっても憧れの存在です。「4年生の畑、すごい!」「かっこいい!」と話す姿も見られました。毎日こつこつと積み重ねてきた世話が、立派な畑へとつながっていったのだと思います。
収穫したピーマンは、生き物係や畑係の子どもたちが中心となって「無限ピーマン」に調理しました。自分たちで育てたピーマンは特別な味だったようで、「苦手だったけれど、おいしく食べられた!」「家でも作ってみたい!」という声がたくさん聞かれました。

【子どもたちの作文より】
「ピーマンが大好きになった!」
ピーマンのピーコちゃんをつかって、むげんピーマンを作りました。とてもおいしくて、ピーマンのにがみもなく、とてもあまいピーマンになりました。シャキッ、とろっ、あまーってなりました。家でも学校でも作れるような、かんたんなレシピなので、クラスみんなで作りたいです。
「自分でつくったむげんピーマン」
総合のプロジェクトで、むげんピーマンを作りました。味見をしたとき、つい「ママのよりおいしい」と言ってしまいました。でも、それはたしかです。作り終わったころには中休みが終わっていて、最後にそうじをしていました。つかれたころに、「もう終わりでいいよ」とやさしく声をかけてもらい、す~~~ごく、つかれがとれました。
「おいしいかな?」
今日、むげんピーマンを食べる時間がありました。私は「ピーマンきらいだな、おいしいかな?」と思っていました。でも、せっかくみんなが作ってくれたので食べてみると、すごくおいしかったです。ツナの味とピーマンが合わさって、おいしく食べられました。今度、家でも作ってみたいです。
「うまい!むげんピーマン」
一口食べたしゅんかん、シーチキンの味が口いっぱいに広がりました。「うまい!」と思いました。二口、三口、四口……全部おいしくて完食しました。のこったシーチキンまで全部食べたくなるくらい、おいしかったです。

発見いっぱい!仙川のまち
社会科の学習で、学校のまわりを探検しました。
学校の南ルートは全員で、東ルートと北ルートは保護者の皆様に見守っていただきながら、班ごとに町を歩きました。
「竹がある!」「ハチの巣だ!」「お寺がいっぱい!」「この道、知ってる!」と、子どもたちは歩くたびに新しい発見の連続。ふだん何気なく通っている道も、じっくり見てみると新しい気付きがたくさんあったようです。

班で歩く中では、「今どこかな?」と地図を囲んで相談したり、「これは何だろう?」という友達の一言に、みんなで戻って確かめたりする姿も見られました。道を間違えてしまっても、「勉強になったね」と前向きに受け止める子どもたち。地図にオリジナルの記号を書き込んだり、興味をもった建物や植物を熱心にメモしたりと、それぞれの「気になる!」を大切にしながら探検を楽しんでいました。

保護者の皆様からは、「子どもによって興味をもつものが違っていて面白かった」「地図を見ながら一生懸命相談する姿が微笑ましかった」「交通安全や時間も、自分たちで声を掛け合っていました」といった感想もいただきました。
地域を歩いたからこそ見つけられた発見や、友達と協力しながら探検した経験は、子どもたちにとって大切な学びとなりました。ご協力くださった保護者の皆様、本当にありがとうございました。

断熱改修の取組[Ⅱ-467]
初等部の改修工事は、関係者、職人さんらのお力で進んでいます

写真は、高学年校舎1階の様子です。廊下壁は、多摩産材のはり付け作業をすすめていただいています。木の香りがして、肌触りがよく、木目や木の表情などもいろいろでたのしみです。図書室、5、6年教室は、中にあったものをすべて運び出し、木の温もり、断熱改修を行う準備が整いました。幼稚園では、3部屋の天井を取り外し、新しい天井板がつけられます。作業をすすめてくださっている皆さん、ありがとうございます。

左写真 高学年校舎1階の壁。右写真 幼稚園 たんぽぽの部屋
温度計を見ると、早い時間から38度台になっています。高学年校舎と低学年校舎の渡り廊下は、日差しが強く、40度以上あるのではないかと思います。酷暑のなかで作業をすすめていただいている皆さんには、休憩もしっかりとっていただくようお願いしています。
24日(金)新聞報道では、「浜松で41.4度」「東海地方では3日連続で酷暑日を記録」「40度以上を6市7地点で記録」(朝日新聞)、「最高気温40度以上の「酷暑日」が相次ぐなど各地で猛烈な暑さが続き、熱中症で搬送されて亡くなる人が相次いでいる」(東京新聞)などと書かれています。また「欧州熱波 死者数1.9万人増」「フランス南西部のピソスでは6月23日に最高気温が44.3度を記録」「山火事の被害も拡大」「猛暑の影響で、約1万3500校が休校や授業時間の短縮を余儀なくされた」(朝日新聞)などの記事もありました。
酷暑日が増え、「気象庁は今後も8月にかけて厳しい暑さが続くと予想」「命の危機と捉え対策を」(東京新聞)と言われています。命と健康を守る取り組みをしていきましょう。

図書室の様子
私たちは、「断熱」を選びました ―『断熱学校』著者の竹内昌義さんを講師に学ぶ
2019年度より園舎・校舎のことを、子どもたちの健康、生活や学習と気候変動危機を結びつけて、教職員で話し合ってきました。たくさんの本や専門家に学んできました。
7月23日は、今回の改修工事でお世話になっているエネルギーまちづくり社の竹内昌義さん(東北芸術工科大学教授)を講師に学習会を行いました。以前、竹内さんらがお書きになった『断熱学校 学校から脱炭素社会』(鹿島出版会)を職員で学び、断熱の必要性を話し合いました。
著書には、「いまの学校は熱くて寒い。気候変動が進み、いままでは大丈夫だったこどもたちの教育環境が大きく変化している。この問題は重要であるとともに緊急性を要している」3ページ
「いま学校は「暑い」。ある学校では、冷房がついている教室内の温度が35.1℃に達したこともあった。温暖化の影響で気温が上昇し、夏の暑さは危険度を増しており、学校にはエアコンは設置されているはずである。でも、涼しくなってない」13ページ
「われわれを取り巻く環境が大きく変化をしているにもかかわらず、50年前に建てられた学校は、冷暖房設備こそ設置されてきてはいるが、建物の性能としては何も変わっていない。これでは暑さ寒さは増す一方」28ー29ページ
「天井のコンクリートは蓄熱容量が大きい。つまり、当たった太陽の熱を吸収して保持しやすく、昼間暖められたコンクリートは夜にも熱を放出している。天井は室内に影響をとても大きく及ぼしている」、「寒さに対しても、冬も夏と同様に天井が冷やされるとコンクリートがその冷たさを保持しているので、ことから冷気が下りてくる」、「コンクリートでつくられているのは天井だけでなく、壁、床も同様」68ページ
「必要なのは建物と外部の間の熱を断つ「断熱」」「夏の暑さや冬の寒さを建物に取り込まない、その温熱・冷熱を断つこと」29ページ
本に書かれた内容、竹内さんのお話と、私たちの園・学校の状況と課題で重なることが多くあり、「断熱」の必要性、大切さを学んでいます。
左写真 幼稚園ゆりの部屋、右写真 高学年校舎1階壁
「断熱」をして「省エネルギー」へ。地球の温度をあげないように
温暖化、沸騰化による影響は、海水温の上昇、台風の巨大化、線状降水帯の発生、豪雨災害の増加、山火事の増加などに現れています。地球の温度を上げない取り組みが必要です。政府は、「2050年カーボンニュートラル」(温室効果ガスの実質的な排出量をゼロとするもの)を目指すと表明しています。
2015年、COP21(国連気候変動枠組条約締約国会議)で採択された「世界の平均気温上昇を産業革命以前と比べて2℃より十分低く保ち、1.5℃以内に抑える努力をする」という世界共通の長期目標、その後、COP26で「1.5℃」を目標としました。しかし、2024年には1.5℃を超え、今後さらに上昇する可能性があります。
温度の上昇は、政府の表明した「温室効果ガス」によるもので、主なものが二酸化炭素です。ですから、二酸化炭素を抑制することが必要です。私たち園・学校がめざすものとして、「断熱」し、省エネルギーをすすめて、二酸化炭素排出を抑制したいと考えました。
竹内さんのご著書には、断熱の効果として、「夏季には日射を適切に防いだり、適度な通風が保たれることで冷暖房を必要とする時期が短くなることや、冷暖房を切っても室温が長く保たれること、必要な換気を行うために窓を開けた後でも、冷暖房がすぐによく効くこと。結果として、冷暖房の容量が少なくて済み、電気代や灯油第を小さくできることなどが数字となって現れる。中略 二酸化炭素の排出量が減り、気候変動対策になることが最大の効果」46ページ と書かれています。
また、「ヨーロッパでの思考プロセス」の紹介があり、学び、刺激を受けます。「「➀温暖化が進んだら大変だから、自分たちができることをする(社会のコンセンサス)」「➁建物が使用するエネルギーは消費エネルギー全体の3分の1である(情報の共有)」「➂建築物の二酸化炭素排出が減る政策を立て、実行する(政策化)」「④いろいろな方法に試行錯誤する。小さい規模で、横断的に、実行する(実行力)」「➄うまくいったところの真似をして、さらにうまくいくようにする(連鎖)」-結果的に脱炭素が進む」191ー192ページ

図書室前の壁 木質化と多摩産材、右写真 高学年校舎1階廊下壁
「脱炭素」の意味、捉え
現在、「脱炭素社会」「カーボン・ゼロ」などのことばが使われています。竹内さんの本では「すべてのエネルギーが化石燃料ではなく、再生可能エネルギーで賄われる社会(おもに電力供給において)」189ページと、「脱炭素社会」について説明しています。
「脱炭素」というと、炭素をなくすという意味、イメージにならないかと考えます。地球では、二酸化炭素は、有機物の燃焼や動物の呼吸、火山の爆発など自然界で排出されており、植物や海中プランクトンなどが持つ葉緑体により、再び有機物に戻され、自然界で役だちます。「循環」することを大事にしてきました。
ところが、産業革命以降、人間が二酸化炭素を過剰に出し過ぎて循環できず、地球の温度が上がっています。人間の生産活動のひろがり、化石燃料の大量活用、土地の開発のための森林伐採などの過剰を見直すことが必要だと考えます。ですから、「脱炭素」というよりは、二酸化炭素を抑制し、循環ができる社会、世界を目指していこうと、少し長い文にして考えます。
生き物は、炭素化合物で出来ていることからもそう考えています。
タイルのおへやで考えよう
2年生の算数では、「929-292」や「321-143」のような、繰り下がりのある三けたの引き算の仕方を考えました。
机の上にはテープで「タイルのお部屋」をつくり、実際にタイルを動かしながら、計算の仕組みを確かめました。その後は、絵や言葉を使って、友達に分かりやすく説明するための「解説づくり」に取り組みました。

考えをまとめる中で、「どうして百の位から借りるときは、下の数ではなく上の数からなの?」など、新たな疑問も生まれてきました。ただ計算のやり方を覚えるだけでなく、「なぜそうなるのか」を考えようとする姿がたくさん見られました。

心が動く算数の学び~1億タイル完成!~
「1億」という大きな数の大きさを体感するために、新聞紙をタイルに見立てた活動を行いました。
新聞紙を細かく破って広げていくと、プレイルームいっぱいに。「1億ってこんなに大きいんだ!」と、子どもたちは驚きの声を上げていました。

はじめは遠慮がちだった子どもたちも、活動が進むにつれて夢中になり、「ストレス発散だ!」と笑顔いっぱい。最後は全員で協力し、あっという間にきれいに片付ける姿も見られました。
授業の終わりには、「最高の算数だった!」という声も聞かれました。数字を読むだけでは想像しにくい大きさも、実際に体を動かしながら学ぶことで、より実感をもって捉えることができたようです。
体験を通して心が動いた学びは、子どもたちの記憶に残りやすいものです。これからも、「わかった!」だけでなく、「楽しかった!」「もっと知りたい!」につながる学びを大切にしていきます。

学校体験会と学校説明会の予約受付を、7月23日(木)13:00~開始します。
本校にご興味をお持ちくださる皆様
8月29日(土)開催の体験会と説明会の予約を、7月23日(木)13:00~から受付します。
★満席表示は、以降にキャンセルがあった場合に解除されます。お手数ですが適宜ご確認ください。
★男女の枠、年齢の制限などよくおたしかめください。
性別を間違って予約されたままご参加いただくことはできません。
間違って予約をされた場合は一度キャンセルをした上で改めてお申込みいただくか、空席がある場合のみ「イベント一覧」から「申込内容の変更」が可能です。
★年長児体験会と説明会どちらにも参加される場合は、それぞれお申込みが必要です。
★夏季休業中は、お電話が繋がらない場合もございます。ご承知おきください。
※申し込み時の性別の間違いによる相談はお受けできません。キャンセル後改めてお申込みください。
◆学校体験会(小学校低学年校舎内)
対象:年長児+保護者1名(保護者のみの参加や、乳幼児含めきょうだいの同伴不可です)
各回、開始時刻の15分前受付です。
① 9:00~10:00(男女枠あり)
② 9:30~10:30(男女枠あり)
③10:00~11:00(男女枠あり)
④10:30~11:30(男女枠あり)
⑤12:45~13:45(男女枠あり)
⑥13:15~14:15(男女枠あり)
⑦13:45~14:45(男女枠あり)
⑧14:15~15:15(男女枠あり)
内容:低学年校舎での教室体験と、低学年校舎内ブース見学
・各回60分程度の予定です。
・双子のごきょうだいは、それぞれお申込みください。(付き添いの保護者は1名でも構いません)
※説明会と重なってる枠への重複申し込みは出来ませんのでご注意ください。
※また、体験会に参加された後、お子さんを連れてそのまま説明会に参加することはご遠慮ください。(時期柄、暑さなどから説明会中に体調を崩されたり、当日キャンセルされる方がいらっしゃいました。)
◆小学校説明会(ポロニアホール)
対象:お子さんの年齢制限なし
① 8:45受付 10:00開始 11:00終了予定
② 10:30受付 10:45開始 11:45終了予定
内容:校長挨拶、運営委員長より出願について、担任教諭から地球市民の時間の授業の様子をお話しいたします。
・大人向きの説明会です。1家庭2名まで。(お子さんの年齢制限なく、参加できます。)
・こちらの説明会に関しては乳児、未就園児のお子さんは人数に含めません。
・体験会とのお子さんの連続参加は、負担が大きいためご配慮ください。
・塾、幼児教室の方はご遠慮ください。
桐朋小学校 教務