投稿者: tohoblog
2026年度のはじまりに [Ⅱ‐458]
左 しぜんひろばのシダレザクラ、右 小学校グランドのソメイヨシノ
4月1日曇り時々雨。しぜんひろばの枝垂れザクラ、グランドのソメイヨシノがきれいに咲いています。同窓会の皆さんからいただいた枝垂れザクラは、今年も私たちの心をたのしませてくれています。
職員室前の花壇では、チューリップが咲いています。園庭や低学年玄関前の八重桜は、蕾がふくらんでいます。
2026年度がはじまりました。桐朋幼稚園、桐朋小学校の人たち、進級おめでとう! 皆さん、どうぞよろしくお願いします。

校内の「被爆桜」を見に行きました
桐朋女子高校の「思奏」のコラム「校内にある被爆桜を知っていますか」を読んで、その場所に行ってみました。はじめどこにあるのかわからず、目印となる門を頼りにあたりを探し、見つけました。
「思奏」によれば、この被爆桜は、2009年、広島にある安田女子中学高等学校(以下、安田女子校)から受けとった桜の苗木が育ったものだそうです。
安田女子校の敷地の中心には、1945年8月6日の原爆の中で生き延びた「被爆桜」があります。余命わずかであった被爆桜から、「平和や希望や生きるよころびをひろげよう」という思いで、苗木を切り取り、交流のある学校に送る取り組みが行われたそうです。
安田女子校と桐朋女子は、ソフトボールで交流があって、苗木を受け取ることになりました。2021年、全国71か所、計84本の被爆桜の苗木があることが確認されているそうです。

<看板に書かれていることば>
被爆桜(ソメイヨシノ)
広島県安田女子高校様より寄贈(2009年)
原爆の惨禍を生き抜いた桜。
広島市認定の被爆樹木の一つ。
2008年、接ぎ木での苗木作りが始まり
翌春『被爆桜2世』として
交流のある学校に贈られた。

しぜんひろばにある「被爆アオギリ2世」
1945年、原爆で被爆(幹の半分が熱線と爆風で焼けたものの、翌1946年に芽吹き、生きる勇気を与えました)しながらも生き抜いたアオギリ(平和記念公園に現存)の種から育てられた苗木です。核兵器廃絶と平和の尊さを伝えるシンボルとして、広島市よりいただき、しぜんひろばに植樹をしました。現在も大きく育っています。
桐朋小学校では、「一人ひとりが民主的な対話を通じて平和を希求し、社会に参加するためのねっこを育みます。地球環境を守る願いをもち、人権を尊重し、お互いのちがいを認め合いながら、共に生きていきます」ということを大切にして子どもたちとの日々を過ごしています。
理工室前のモモ
桐朋学園のある調布市は、いち早く「非核平和都市宣言」を制定した自治体です(1983年)。
《調布市非核平和都市宣言》
世界の恒久平和は人類共通の願望である。
核兵器保有国間で核軍拡競争が激化している今日、核戦争を回避し、原水爆の恐れのない世界を確立することは、緊急かつ重大な課題である。
わが国は、戦争による世界唯一の核被爆国として、また平和憲法の精神からも核兵器の廃絶と軍備縮小の推進に積極的な役割を果たさなければならない。
したがってわが調布市は、非核三原則の完全実施を願い、厳粛に非核平和都市を宣言する。
昭和58年9月27日/調布市議会
現在も世界では戦争が続いています。戦争によって尊い命が奪われ、暮らしが壊されています。
「イラン小学生ら21人犠牲」アメリカ軍のイラン攻撃で、新型ミサイルが使われ、小学生を含む少なくとも21人が死亡と報道(29日ニューヨーク・タイムズ)されました。このようなことがあってはならないのです。
戦争が止まる、なくなる一年にしていきたいです。
採用情報を更新しました
桐朋小学校・桐朋幼稚園の採用情報につきまして、
本ホームページ下部、【教職員募集】よりご確認ください。
おなかでふくらむパンとまなび
総合的な学習の時間では、「はたらく人と仕事」について学びました。冬休みには、家庭の一員として自分にできる家の中の仕事をし、新聞にする活動をしました。そこから、「いつも過ごしている学校では、どんな人が、どんな思いで働いているのだろう」と、子どもたちの関心が広がっていきました。
思い浮かべた仕事の中には、学園内にある「パンのアノーさん」の存在もありました。「パンってどうやってつくるの?」「どんなことが大変なんだろう?」そんな問いが生まれ、実際に体験してみようということになりました。
そこで取り組んだのが、「たき火パン」づくりです。材料を混ぜ、こねる工程では、「まだかな」「つかれてきたよ」と言いながらも、だんだんと生地がまとまっていく変化を楽しんでいました。
パンづくりの大切な工程の一つが「発酵」です。今回は、袋に入れた生地をおなかにあて、腹巻きやマフラーで包んで温めました。「あったかいね」「大きくなるかな」と、自分の体のぬくもりを感じながら大切に抱える姿がとても印象的でした。しばらくすると、生地が少しずつふくらみ、「わあ、ふくらんでる!」と驚きの声があがりました。

パンがふくらむためには、「イースト菌」の働きが欠かせません。砂糖が好きで、あたたかい環境の中で元気に働くイースト菌。その働きによって生地がふくらんでいくことを、子どもたちは体験を通して実感していました。
生地を竹の棒に巻きつけ、たき火でじっくり焼く場面では、熱さや煙に戸惑いながらも、「おいしくなあれ」と願いをこめて、根気よく焼き続ける姿が見られました。少しずつふくらみ、こんがりときつね色に焼き上がっていくパン。立ちのぼる香ばしいにおいに、子どもたちの表情も自然とほころびます。

できあがったパンの味は、きっと特別だったことと思います。
体験を通して、働く人の工夫や苦労、そして仕事のやりがいにふれることができました。子どもたちにとって、心にも残る学びの時間となりました。


(現年中児限定)3/25(水)しぜんひろばで遊ぼう会について
本日のしぜんひろばで遊ぼう会は、予定通り開催いたします。
よろしくお願いします。
※本日、雨の可能性がございます。
途中、雨が降ってきてしまった場合は、ひろばをご覧いただくのみになってしまう可能性がありますこと、ご承知おきください。
教務
第67回 卒業式 [Ⅱ-457]
3月17日、児童72名(67期)が桐朋小学校を卒業しました。おめでとうございます。

保護者、招待者の皆様のご出席をいただいて、桐朋小学校卒業式を挙行できましたことを感謝申し上げます。
卒業生保護者の皆様には、お子さんの桐朋小学校卒業を、心からお祝い申し上げるとともに、あわせて、今日まで桐朋教育に対する温かいご理解とご協力に、厚く感謝申し上げます。ありがとうございました。
式では、卒業証書授与、同窓生の言葉(桐朋高校1年、卒業生のパートナー学年。あたたかく、未来に向けて励ましてくれました)、PTA会長お祝いの言葉(お祝いの言葉の中には、卒業生の1~6年時のすべての学級通信名が入っており、書かれた内容に感動しました)、お祝いの表現(在校生を代表して5年生。すばらしい表現でした)、卒業生の表現、くす玉わりなどを行いました。
ここでは、卒業生の表現の一部を紹介します。一人ひとりが桐朋小学校での思い出を表現し、それぞれの思いが伝わってきました。
【卒業生の表現】
○一年生の最初の頃はコロナのこともあって、パソコン越しで授業をしていた。あんまり話せなかったけど、学校にいけるようになったらみんなと仲良く話せて、いつも通りの授業ができるようになって本当によかった。最初の自己紹介をよく覚えています。
○一年生のとき、パートナーから電話がかかってきて、ドキドキしながらお話したことを覚えています。はじめてパートナーと会ったとき、すごく優しくて、私も 5 年生になったらこんな人になりたいなと思いました。
○1 年生の思い出。休み時間に、HやYとしぜん広場に行った。1 日 3 回も池ポチャした。
○2 年生から 4 年生にかけてとても熱中したことは一輪車です。テラスで友だちと一輪車鬼ごっこをしたり、新しい技に挑戦しました。まとめの会で一輪車を発表するために、自分達のオリジナルの技を考えたりもしました。一生懸命になって練習したことはとてもよい思い出です。
○ 3年生と 4 年生の頃に担任してくれた先生との 2 年間がとても楽しかったです。特に楽しかった授業は食レポをしたことです。私は昔から食べることが大好きだったから、水丸もちという透明なおもちやゼリーを食べたりして思い出にのこる授業でした。
○4 年生の時。先生に国語の授業で読んでもらった「窓ぎわのトットちゃん」。今でもその物語が心にのこっています。初めて平和について考えはじめたときでした。
○はじめての地球市民の時間では、ウクライナ人のリアとヤンが来ました。私はこの地球市民の授業を楽しみにしていました。リヤとヤンからウクライナのことをいろいろ教えてもらいました。2 人は私にとっての唯一の外国人の友だちです。本当にその日は楽しかったです。
○桐朋小学校では、教科書の内容をただ学習するだけでなかった。実際に体験することで「どうしてそうなるのか」を試してみて、理解することができた。
○音楽で歌を歌ったり楽器を弾いたことがとても楽しかったです。クラスのみんなで、息を合わせて楽器を弾けたときの達成感は忘れられません。先生が歌のコツを教えてくださり、さらに歌が好きになりました。
○6 年生の社会の授業で歴史がもっと好きになりました。模擬投票をしたり、ニュースをたくさん観たりしたことで、時事問題に関心を持てるようになりました。「自学」で社会の授業で気になったことや、クラスで疑問となったことを調べられて楽しかったです。
○毎週金曜日の算数の授業でやっていた「数学者の時間」がとても面白かった。毎週違った頭を使う問題が出ているので、いつもほんとうに頭を抱えながら解いていた。クラスで僕が油分け算のパターンを見つけたときは、とても爽快だった!
○僕は昔から社会科が苦手で大変でしたけれど、6 年生の後半に先生から武士の社会の話を聞いてとても楽しくなりました。今では社会が楽しみになり、とても好きな授業です。
○僕の思い出は、鬼ごっこです。テラスに隠れたり、ゴミ箱の後ろに隠れたり楽しかったです。でも、様々な先生に怒られました。今となっては、全部いい思い出です。中学生になったら廊下は走らないようにします。
○4 東テラスで手打ちを毎日やったのが思い出です。ホームランを打ったときは気持ち良く、アウトになってもすぐに打席に回ってくるから、とても楽しかった。守備はジャンプしてとったりするとナイスプレーで気持ちよかった。
○被爆された笠岡さんのお話を直接聞いて学んだことは、たった 1 つの核爆弾でも14 万人の人が亡くなり、多くの人が悲しんだりしたことです。自分にできることは、戦争の語り継ぎをしたり、戦争にならないように意識することです。
○修学旅行ではたくさんのことを学んだ。戦争で受けた被害だけではなく、日本の加害のことも知ることができた。夜こっそり夜更かしをしたことや、宮島での買い物、大久野島でのウサギとの触れ合いなど、みんなのおかげでとても楽しかった。私は本当にクラスメイトや友だち、先生に恵まれました。みんな大スキだよ。

【お祝いの言葉】(中村より)
これまでの取り組みで、ご家族からの聞き取りをまとめた「自分史」があります。
誕生前、お母さんは、お腹の赤ちゃん、すなわちあなたに会える楽しみから体調の変化を乗り越え、 誕生時には、ご家族みんなが、喜び、幸せをかみしめ、誕生後、大切だからこその苦労や喜びなどが 綴られていました。
話を聞いて、「12年も 前の出来事なのに、産まれる前のことや生まれた時のことを、まるでついさっきの出来事のようにまざまざと覚えていることに驚いた」、「産んでくれてありがとう」、「本当に自分は愛されているな」などと受けとめていましたね。
小学校入学時はコロナ禍で、社会の混乱、休校や分散登校、制限された生活、遊び、パーテーションの使用など、皆さんも、保護者の方も私たちも不安になり、不自由でした。そうした経験も乗り越えて、皆さんは育ちました。
6年間でみれば、身長が20㎝~40㎝以上伸び、体重が10~20㎏以上増えるなど、それぞれのペースで大きくなりました。学びを通して、人との繋がり、知識や技術を獲得し、自分たちの世界を築いてきました。また形として見えにくい、内面、意思、感情、思考など大きく変化させ、信頼感、肯定感、有能感などを育ててきたと思います。
桐朋小学校では、東京大空襲や原爆を体験された方、「難民」として日本に来られた方など、現在を 懸命に生きるたくさんの人との出あいがありました。トピックスの授業では、原因不明で車椅子生活となった中嶋涼子さんと出あいました。
中嶋さんは、他者との違い、障害者への眼差し、環境など、苦しんだことも率直に話してくれました。さまざまな葛藤と豊かな経験をして、「できないことを数えるより、できることを見つけて」、現在、心と社会のバリアフリーを願い活動をしています。
皆さんは、中嶋さんのお話から、「かっこいい」と憧れたり、一歩踏み出す勇気をいたただいて、多様でどの人も大切にする社会のあり方についても考えました。
そして、「私も、少しだけ心のバリアを開こうと思います」と、自分を開こうとしたり、「これからは、私にできること、ありますか? と声をかけたい」と、行動を変えたいと考えました。やわらかな心で考え、自己を表現し、他者との関係をつくっていこうとする皆さんです。
何より、やりたい、やるぞという気持ちで、前に進もうとするエネルギーがあって素敵です。
皆さんが過ごした桐朋小学校は、自身の人生の主人公となり、社会のつくり手となりゆくための根っこを育てることを目標にしています。
民主的な対話を通じて、平和を創る。地球環境を守る。人権を尊重し、お互いを認め合いながら、共に生きていく大きな願いを持っています。これからも、皆さんといっしょに大切に築いていきたいです。
これから、中学生時代という類を見ない激動と成長の年を過ごされるでしょう。
あなたの未来は、あなたの意思で切り拓くあなた方のもの。世界に一人、歴史の中で自分のことを価値ある存在として、自分自身が認められることを大切にしてください。
それから、あなたは一人じゃありません。ご家族、友だち、仲間、先生、いろいろな人と出あい、繋がりがひろがります。
自分は自分であって大丈夫。なりたい自分を大切にして、進んでいこう。
応援しています。
保護者の皆さんは、これからも、子どもたちの一番の見方で、子どもたちが安心していられるよう、よろしくお願いします。
最後に、ここにいる全員で、大きな、あたたかな拍手で、卒業をお祝いしましょう。「卒業、おめでとう。」


卒業式の写真を⒉枚。その他、6年生「桐朋小 線対象、点対称デザイン」作品の写真4枚。最後の2枚は、幼稚園進級式でのお祝いの合図で変化する絵作品(左はたんぽぽの絵から、右はばらの絵からこの絵に変化)
卒業おめでとう
今週、卒業式が行われました。
72名の6年生が、とても立派に卒業していきました。
在校生代表として5年生が式に参加し、6年生への感謝の気持ちを込めて表現を行いました。

今年の6年生は、コロナ禍真っ只中での入学でした。なかなか会えない日々、ようやく会えても、マスクをしていて顔が見えなかったり、近づくことができなかったり、とても制限の多い、大人たちにとってもつらい毎日でした。
そのような中でも、できることを目一杯、全身で楽しんでいた子どもたちの姿が、多くの先生たちの目に焼き付いています。6年間、たくさんのことに挑戦し、全力で楽しんできた子どもたち。中学へ行っても、たくさんの思い出を胸に、自分らしく頑張ってほしいと思います。
卒業おめでとう。

卓球台で卓球ができる!
一足先に、6年生から卒業記念品をいただきました。いただいたものは、念願の卓球台!
今までプレイルームに普通の机を2個つなげて置いてやっていましたが、本物の卓球台が来て子どもたちは大喜び。
今はまとめの会(年度末に各クラスで行う会)シーズンのためプレイルーム外の廊下に置いていますが、それでも毎日誰かが使っています。
6年生のみなさん、ありがとうございます。みんなで永く大切に使いましょう!

「車椅子インフルエンサー」中嶋さん [Ⅱ‐456]
1、3月、「車椅子インフルエンサー」の中嶋涼子さん(卒業生)に6年生の授業をしていただきました。

毎年、中嶋さんに授業をお願いしています。私たちは中嶋さんと出あい、いろいろなことを感じ、学ばせてもらっています。
中嶋さんは、小学校3年生の時に、原因不明で下半身が動かなくなり、車椅子の生活を送ることになりました。1年以上の入院を経て桐朋小に戻ってきた際、友だちはこれまでと変わらずに接してくれたと話しました。しかし、車椅子での生活、周囲の目、自身の障がい者観などから、学校以外では「ひきこもる」ようになったそうです。それを変えたのが、映画「タイタニック」との出あいでした。映画の内容、主演のデカプリオ氏に憧れ、計11回もこの映画を観たそうです。
その後、高校を卒業し、アメリカに留学をしました。Can I help you? などと声をかけてくれるたくさんの人、仲間や教員らのさまざまな年齢、人種、皮膚の色、言語、…多様な人たちとの出あい、日本と異なる施設や環境などから、心と社会のバリアフリーを感じられたそうです。帰国し、念願の映画会社に就職。ところが、日本での生きづらさを感じます。そして、会社をやめ、「日本も心と社会のバリアフリーがもっと広がるように」願い、車椅子インフルエンサーとして活動をすすめています。
中嶋さんのアメリカでの話を聞きながら、世界人権宣言の「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない」(第1条)と述べていることの実現をすすめたいと考えました。
2、中嶋さんの話を聞いた6年生の感想を少し紹介させていただきます。
「アメリカに留学した時のお話が一番心に残りました。日本はスロープやだれでもトイレ、車椅子用のスペースがあるので、かなりバリアフリーが進んでいると思っていました。けれど、車椅子じゃない人用の施設の方がずっと多いし、車椅子じゃない人用の施設を基準で考えると、かなり少ないことを気づかされ、車椅子スーザーの人からの視点で考えることが私に不足していたと思うと情けないです。日本に比べアメリカはお話を聞いた後、『一人ひとりが違うのが当たり前』という考えが強いのだと思いました。」
「僕は、車椅子とは、あんまりできることが少ないのかなと思っていたけれど、今回のお話を聞いて、それは間違っていることを知りました。日本よりアメリカの方が障害をもっている人は生活しやすいのかなと思いました。車椅子でもできることが多く、そのことをみんなに発信していてすごいなと思います。このことは中嶋さんにしかできないことだと思います。そして、中嶋さんのおかげで、勇気づけられた方はいっぱいいると思います! 僕も大人になったらそういうことを全国・全世界に伝えられたらなと思います。」
「自分の中の『当たり前』が変わった気がします。様々な困難をへて、車椅子インフルエンサーとして活動している中嶋さんは、とても輝いて見えました! 『タイタニック』によって励まされたこと、ハワイ旅行で『当たり前』に暮らすことができて勇気づけられ、心のバリアフリーに気付いたこと、それでも日本では不便が多かったことは、全て中嶋さんにしか感じられない事なんだと思います。私もいつか、中嶋さんのように、障害をかかえて引きこもっている人や、不安をかかえている人に希望をあたえる人になりたいです。」
中嶋さんとの出あいから、自分のこと、周りのこと、社会のことに目を向け、考えたという感想がたくさんありました。6年生の人たちの感度の良さ、心の柔らかさなど、羨ましく思いました。

3、中嶋さんとともに過ごした仲間の声を紹介させていただきます。
(前略)「バリアフルレストラン」という取り組みのスタッフ役で参加していた一人に、小中高校の同級生がいました。彼女の存在は、あるいは彼女とともに教育を受けた環境は、その後の私のものの見方に大きく影響してきました。
彼女は私たちが小学3年生だった1月、突然歩けなくなり、以来、車いすを利用しています。同級生といっても、小学校の6年間は一度も同じクラスになったことがなく、お互い顔を知っている程度。当時の私は、彼女の仲良しの友人たちが慣れた様子で車椅子を押したりじゃれたりしているのを、遠目で見ていただけでした。
それでも、同級生が突然、原因不明で歩けなくなったという出来事は、もしかしたら大人が思う以上に、当時子どもだった私にとって、決して人ごとではありませんでした。自分にも起こることかもしれない、という思いがどこかにずっとあるように思います。
それから少しずつ、私の通っていった学校には変化が起きました。昇降口にスロープができ、階段に昇降機がつき、多目的トイレができました。昇降機がない階段は、周りの大人たちが軽々と運ぶのが日常でした。5、6年生の教室は3階にありましたが、私たちの学年は卒業まで2階の教室を使い、中学校にはエレベーターができました。誰も特別なことだとは思っていなかったように思います。やればできるということを、今から思えば周りの環境のおかげで、私たちは当たり前に学びました。
いまでこそ「インクルーシブ教育」といわれますが、当時は前例のなかったことだらけだったのだろうと推測します。決して美談ではなく、一同級生にすぎなかった私には見えなかった、様々な困難や問題もあったのだとも思います。
(中略)親御さんや先生たちをはじめ、周りの大人たちが手探りで、彼女の当たり前の権利を守ったのだと、そして、彼女の同級生――特に親しかったわけでもない、いち隣のクラスの同級生を含めて――にも大きな影響を与えたのだと、いま改めて思います。

4、中嶋さんとともに、授業に参加をされた方の感想を紹介させていただきます。
「母校での講演を拝見し、中嶋さんという人物がどのような環境の中で育まれてきたのか、その人格の輪郭となる大切な背景を垣間見させていただいたように感じました。」
「特に印象的だったのは、車いすであることを特別視するのではなく、自然な形で受け入れ、子どもたちが小さな頃から触れ合える環境を大切にされている点でした。/また、学校の中で課題が生じた際に、先生方が迅速に工夫しながら環境を整えていかれたお話にも大変感銘を受けました。」
「講演の後、中嶋さんが階段の昇降機や入口のスロープ、理科室の机を車いす仕様にしていただいたことや、車いす用のトイレを作っていただいたことなど、 嬉しかった大切な思い出として、ひとつひとつ紹介してくれたことがとても心に残りました。/そのような姿勢が、今の中嶋さんの考え方や行動にもつながっているのだと感じました。」
園庭、校庭にアンズが咲きはじめ、春を感じます
中嶋さん、中嶋さんとつながる皆さん、たくさんのことを教えてくださり、たいへんありがとうございました。これからもたくさん学びたいと思いますので、よろしくお願いします。
2027年度の学校説明会の日程を更新しました。
6年生を送る会
先週、6年生を送る会を行いました。
第1部では、全学年が体育館に集まり、学年ごとにお祝いの表現をします。

1年生は歌を歌い、3年生は6年生にまつわるクイズ、4年生はリコーダーの演奏と思い出の発表、そしてパートナーとしてたくさんお世話になった2年生はお手紙のプレゼントを渡しました。どれもとても素敵な発表で、特にパートナーからの手紙を大事そうに読む6年生の姿が印象的でした。


6年生からは、全体での歌や、何人かによる6年間の思い出の発表がありました。その人らしい思い出や言葉、そして6年生ならではの表現力。あと少しで卒業なのだということを、下級生たちは感じ取ったことと思います。とてもかっこよかったです。


第2部は遊びの時間。委員会の5年生がそれぞれ遊びを企画し、全校の子どもたちを楽しませます。6年生を送る会なので、「6年生とのふれあい」も大事なポイント。「6年生と一緒に来たらいいことがあるよ!」というように、各委員会、様々な工夫をしていました。


どの委員会も大盛況!6年生の力を借りずに自分たちだけで企画運営を行った5年生。てんてこまいになりながらも、生き生きと活動する姿が素敵でした。「6年生ありがとう」という気持ちと、「次は自分たちが先頭に立って、桐朋小学校をつくっていくのだ」と気持ちを新たにする、そんな時間になったことでしょう。
卒業式まであと1週間。改めて、6年生に感謝の気持ちを伝えたり、話をしたりする時間にしてほしいと思います。
