投稿者: tohoblog
12月のできごと(2)
引き続き、12月のできごとについてご紹介します。
先日、雲一つない青空の下、避難訓練が行われました。
校内で火災が起きた設定で、全校の子どもたちや大人も、すみやかに校庭に避難しました。
今回は、休み時間に警報機が鳴ったので、子どもたちは遊んでいる場所でどのようにしたらよいか瞬時に考えます。
「火事です…火元は○○です。」
静かに落ち着いて、放送の内容を聞き、最短のルートを確認しながら校庭に向かいます。
消防署の方々のお話を伺って、万が一の事態について考え直す機会となりました。
年に数回ほど避難訓練を行いますが、いつその時が来るかはわからない。
「備えあれば患いなし」
一人ひとりが自分の行動をイメージしながら、準備することを心がけたいと思います。


こちらは、4年生の国語の授業の一部分です。
最近、子どもたちの中で流行りつつある【部首かるた】。
見てみると、かなり難易度が高いのです。
桐朋小学校の漢字学習は、漢字の意味の部分である【成り立ち】や【部首】、書字には欠かせない【一つひとつの画、書き順】をしっかりと理解することを大事にし、その上で日常生活の単語に結びつけて活用していきます。
大人になると、すっかり部首が抜けてしまいがちですが、一年生からの積み重ねにより、部首にめっぽう強い子どもたち。
「ごはんもる ちゃわんのかたちが しょく(食)へんだ」
「あかちゃんを だいじにつつむ つつみがまえ」
…
4年生は、これからも多くの漢字を習っていきますが、たまに漢字のまとめとして【部首かるた】にチャレンジしてみると、意味も深められるのではないかと思います。
学びながら…楽しく盛り上がりました。
「できないけれど、やってみたい」「やってみることが楽しい」 [Ⅱー374]
12月、朝日新聞DIGITALで「小学校受験のいま 第4回早実初等部、桐朋小、成蹊小の校長に聞く 小学校受験、何を重視?」(聞き手 中井なつみ記者)が配信されました。幼児期にどんなことを大切にしたいのか、どんな子に育ってほしいかを話しました。以下、配信記事から。

「成果・結果」だけを気にするのではなく、「できないけれど、やってみたい」「やってみることが楽しい」という気持ちで、「過程」を大事にできる子どもに育ってほしい
学校のホームページで、「入学考査のための準備教育を望ましいことではないと考えます」と明記しています。試験を課しておきながら、「何もしないでほしい」というメッセージを発信しているのは、受験準備の過程で、大切な幼児期をゆがめてしまうことにならないか、と危惧しているからです。
机に座らせて何枚も問題を解かせたり、絵を「こういう風に描きましょう」と正解があるかのように教えたり。そんな受験対策を見聞きすると、「できる、できない」という二分的な思考しかできなくなってしまうリスクを感じています。子どもは、大人の期待を敏感に感じ取ります。「できないのが悪いこと」というメッセージが伝わってしまうのではないでしょうか。
「成果・結果」だけを気にするのではなく、「できないけれど、やってみたい」「やってみることが楽しい」という気持ちで、「過程」を大事にできる子どもに育ってほしいと思っています。
ただ、定員が決まっていて選考をする以上は、合格、不合格という結果は出てしまいます。選考基準については具体的にお伝えできることが限られており、それが、さらにご不安を与えてしまうということに申し訳ない気持ちもあります。
発達の可能性をたくさん持つ子どもたちを、「できる・できない」といった尺度だけで選別していくことがないよう、多様な側面で捉えることを意識して考査に臨んでいます。絵が上手だから合格する、難しい言葉をたくさん知っているから合格する、という基準ではないことは伝えておきたいと思います。
試験は、幼児にとっては「初めての場所」です。大人の前で試験を受けることは大きなプレッシャーになるでしょう。限られた時間、限られた試験内容でどう子どもを見ていくのか。教員である私たちも日々議論を重ねています。

近年、志願者数は定員の7~8倍で推移しています。よく学校説明会などで本校の特徴として紹介するのが、「自治」と呼ばれる取り組みです。他校の児童会や学級委員会の活動のようなものも含まれますが、学校の運営に子どもも意見を示し、大人と議論する仕組みです。
「子どもも一緒に学校を作っていく仲間だ」という伝統のもと、自分たちで自分たちの社会を作っていく力をはぐくみたいと考えています。
12月のできごと(1)
早いもので、あと一週間で2学期を終えます。
12月は4年ぶりに全校そろっての音楽会が開催されたり、日々の授業・活動がひと段落する節目の時期です。
今回は、その一部分を振り返っていきます。

音楽会に向けて、各学年の練習をプレイルームで行いました。
これは3年生の練習の様子です。初めてのリコーダーを吹くということもあり、ドキドキわくわくした気持ちが伝わってきます。

音楽会当日。
他の学年やおうちの方々の前で、緊張感もありつつ、堂々とステージの上に立つ姿がとても頼もしかったです。
それぞれの学年らしさが十分に発揮されていました。
ホールいっぱいに響き渡る歌声、美しく広がっていくリコーダーの音色…。
高学年の中には、指揮や楽器演奏や歌のリードにチャレンジした子どもたちも多く、音楽会をみんなで創り上げました。
「音楽って素晴らしい」
音楽は人と人を繋ぎ、私たちの心を豊かにしてくれるものであり、今この瞬間、子どもたちが平和に生きている喜びや尊さを改めて感じるひと時となりました。

こちらは、今のしぜんひろばの様子です。
すっかり木々の葉も紅葉し、冬の到来を感じます。…が、桐朋っ子たちは寒くたって、元気いっぱいに遊んでいるのです。

そして、このしぜんひろばの池に〈ウグイ〉を放流しました。
夏に増えすぎた藻を減らすためにも、生物を入れようと委員会の子どもたちが発案したことがきっかけです。
スジエビやヤゴ、小さな魚は住み着いていましたが、もう少し大きな魚を入れるのはどうだろう?
時間をかけ調べ検討して…第一弾としてウグイを十数匹放流することにしました。
さらに、池をよく訪れるサギやカモに狙われぬよう、手作りのネットを張って見守ります。
冬休みの間も元気に育ってくれますように!
4年ぶりの全校での音楽会 [Ⅱー373]
4年ぶりに、全校での音楽会を行いました。子どもたちといろいろな表現をたのしみ、味わい、交流をしました。各学年の歌声、演奏、全員の歌声が響きました。
子どもたちは、いま、ここで、生きている。その生を充実させて生きている。そのありがたさ、尊さ、かけがえのなさを感じました。

音楽は、心をやわらかくします。
音楽を通して、いろいろな気持ちになります。
音楽は、夢中になれる瞬間をもちます。
音楽は、自分自身に、まわりの人へはたらきかける力があります。
音楽は、心を結び合わせ、人を結び合わせます。
自分の声、相手の声、いっしょに混ざり合う声、その声が自分の心と相手の心に響き、触れあう関係の中で「自分が自分であって大丈夫」という自己肯定感が育つのでしょう。みんなと過ごすことのたのしさ、すばらしさを感じていると思います。

保護者の方から「子どもたちの声に感動しました」「音楽会、とってもよかったです」など、声をかけられます。子どもたちの声が保護者の方に響いていることを嬉しく受け取っています。
子どもたちには、かけがえのない時間をたっぷり味わって、大切な『子ども時代』を過ごしてほしいと思います。

〈子どもたちの様子と音楽について*〉
1年生 入学してから、いろいろな歌を歌ってきました。初めての音楽会では、みんなの大好きな歌がたくさん。面白いお話の歌、季節の素敵な歌。ロケットに乗って宇宙旅行にも行ってきます。『すすめロケット』『あきのきかんしゃ』『くまはなぜふゆねむる』『ことりとぶどう』をからだいっぱいに歌いました。
2年生 「今日は雨だから、この歌だね」「涼しくなってきたから、あれを歌おう!」。どんな気分にもぴったりの歌のレパートリーをたくさん持っています。『のはらうた』の世界も大好き。「ふ・ふ・ふりかえると…」「ここらで、ちょっと、ひとやすみ!」このような野原の小さな仲間のおしゃべり声を敏感に感じ取れるのが2年生です。活き活きとした歌声とのびやかな響きを楽しみました。曲は、『野原で手をたたけ』『合唱曲集『のはらうた』よりメドレー「あきのひ(のぎくみちこ)」「さんぽの音(こやぎようたろう)』『あしおと』『出あいのうた』でした。
3年生 社会で「東西南北」を学んだ3年生。音楽室では世界地図を広げて、歌を通じてたくさんの国を旅してきました。音楽会では、溌剌とした歌声、しっとり流れるメロディー、ほとばしるパワー…3年生ならではの表情が感じられる曲ー『若葉の歌』『みんなみんなワルツ』『西部のメドレー(歌とリコーダー)「赤い河の谷間」「ちびっこカウボーイ」』『12月の歌』を表現しました。
4年生 一人ひとりが音楽会で発表する曲目をプロデュースしました。曲目や曲順にみんなが思いを込めました。4年生の今を表現するのにぴったりな曲目になったのではないかと思います。はつらつとした歌声、リコーダーです。『気球にのってどこまでも』『だれもいそがない村』『リコーダー演奏「走れ シベリア鉄道」』『天使の羽のマーチ』を表現しました。
5年生 「今日は歌いたりないね」「もっと歌おうよ!」よく聞いていた言葉です。声で表現することに、貪欲な5年生。音楽会で発表したい歌はたくさんあり、その中から2曲を自分たちで選び抜きました。1学期から取り組んでいるカノン。重なり合う美しさ、迫力のある響き、繊細な表現も大切にしています。『カノン』『君をのせて』『未来行きEXPRESS』を表現しました。
6年生 今の等身大を精一杯表現すべくみんなで練り上げてきました。たくさんの曲の中から、仲間の支えを感じながら、新しい世界に飛び出す勇気が生まれる2曲を演奏します。この春から取り組んできたアルトリコーダーでは、野生の馬が逞しく駆けめぐる姿を描きます。6年間の成長を、自分たちも、そして客席の皆様にも感じていただけるステージを目指しました。『シーラカンスをとりに行こう』『アルトリコーダー「トロット」』『見えない翼』を表現しました。
*音楽会のパンフレットを参照しました。
写真はすべて音楽会の様子から
本日の下校について
成城学園南口での安全が確認されました。
通常通り、低学年は下校します。
桐朋小だよりを更新しました。
「桐朋小だより」を更新しました。以下、2023年度更新記事一覧です。
タイトルをクリックすると記事が読めます。
子どもたちの声を、ぜひご覧ください。
(2022年度記事一覧は、こちらからご覧になれます。)
11月30日(木) 「身体全部をひびかせて!」
11月22日(水) 「新しいものや未知なものにふれたときの感激を」
11月15日(水) 「秋の遠足~多摩動物公園~」
11月2日(木) 「秋のお休みに・・・」
10月30日(月) 「しぜんひろばの『柿』が大豊作」
10月26日(木) 「物質の『三態』に迫る」
10月17日(火) 「ものの長さは〇〇でなんこ分?」
10月13日(金) 「笑顔あふれる、桐朋小学校の運動会」
10月4日(水) 「赤に、白に、エールを!」
10月2日(月) 「高校生による放課後企画~お姉さんたちが教えてくれたよ!~」
9月30日(土) 「来年は僕たちが!」
9月28日(木) 「走って、投げて、遊ぶ会」
9月25日(月) 「炎と星空と~八ヶ岳の夜~」
9月19日(火) 「形を変えると重さは・・・」
9月16日(土) 「カップで何杯分?」
9月14日(木) 「木管の調べ~五つの楽器、五つの性格~」
9月10日(日) 「防災の日」
8月28日(月) 「笑顔でつながる~カザフスタンの先生との交流~」
8月21日(月) 「″あさがお″にエール!」
8月15日(火) 「かわいそうなゾウ」
8月14日(月) 「3年生の栽培活動」
8月7日(月) 「外国語活動~通じ合うことの喜び~」
7月31日(月) 「土から始まるじゃがいもづくり」
7月25日(火) 「竹馬づくり」
7月19日(水) 「1学期終業式」
7月16日(日) 「はじめての合宿へ~キーワードは面白がる!~」
7月12日(水) 「本物のかめ!」
7月10日(月) 「桐朋小学校の【自治】②~桐朋なつまつり~」
7月8日(土) 「桐朋小学校の【自治】①~みんなの声の木~」
7月7日(金) 「大きなのっぽの古時計」
6月30日(金) 「1年生との交流会」
6月25日(日) 「ものと現象と仲間と…対話しながら深く学ぶ」
6月22日(木) 「雨の日に聴く『すばなし』」
6月15日(木) 「6年生、七頭舞を学ぶ!」
6月13日(火) 「『いざ』というときのために」
6月9日(金) 「見た!感じた!味わった!『みんなで創った3日間』②」
6月7日(水) 「見た!感じた!味わった!『みんなで創った3日間』①」
5月31日(水) 「大人たちの役割」
5月26日(金) 「雑巾救出大作戦!」
5月20日(土) 「広島から、世界中の平和を」
5月19日(金) 「田んぼで”おけら”を発見!」
5月15日(月) 「縄文時代に思いを馳せて・・・」
5月10日(水) 「青空の下で消防写生会」
5月8日(月) 「はじめての図書室」
5月4日(水) 「ヨウ素液をかけると見えてくる?」
5月2日(火) 「高尾山で自然あそび」
5月1日(月) 「どろんこチャンピョン!」
4月27日(木) 「わくわくドキドキ、新入生歓迎会」
4月20日(木) 「地区懇談会がありました」
4月15日(土) 「いろいろな教室で」
4月13日(木) 「空にはおひさま!」
4月12日(水) 「新しい仲間を待っています」
4月10日(月) 「新年度がはじまりました」
身体全部をひびかせて!
間も無く迎える音楽会。
各学年のステージはもちろん、子どもたちは会場のみんなで歌う曲もとても楽しみしています。
今年の歌は、『地球星歌』(作詞・作曲 ミマス)です。
先日、声楽を学ぶ学生さんが6年生の授業にきてくださいました。
音楽の先生はみな女性なので、大人の男性の声を間近で聴くのは貴重な経験です。

「どうしたら、そんなに響くの?!」「なんで、そんなに声が伸ばせるの?」
歌詞がクリアに伝わり、一音一音が豊かに鳴る歌声に子どもたちは聞き入っていました。
姿勢の作り方のコツを教えていただいたあとは、響きのお話です。
声が自分の身体のどのあたりで鳴っているのか、それを意識するのも大切です。
鼻、胸、喉のあたりにそれぞれフォーカスした声をアニメのキャラクターに似せて実演してくださったので、みんな大喜び!
それぞれの「鳴り」のバランスをとりながら「いい声」を探して行く必要がありそうです。
学年練習を前に、良い刺激をいただきました。


放課後は、高学年有志の子どもたちがお兄さんとの歌練習に集まってきました。
豊かな声でアルトパートで支えてくださって、みんなとっても気持ちよく歌うことができました。
声変わりしてのどの調子に少し悩んでいた人も、すぐ隣でリードしてもらい、何かが掴めた様子。
ますます楽しく、のびやかに歌えそうです!音楽会本番が楽しみです。

(大野悠人さんと、音楽会の全体曲を練習した子どもたち)
本日は通常登校です
11月30日(木)6時40分現在、
京王線高幡不動から京王八王子間が不通となっていますが、
通学範囲には直接の関係がありませんので、本日は通常登校です。
遅延などの影響があるかもしれませんが、
あわてずに、気をつけて学校に来てください。
桐朋小学校 教務
このようなおもいは、もう誰にもしてほしくありません [Ⅱー372]
私たちにとって、戦争は遠くはなれた出来事でないと思います。
本校の元保護者であり、現在も6年生に話をしてくださる元木キサ子さんの手記をご紹介させていただきます。『私の戦中記・子どもに語る母の歴史』(桐朋学園初等部PTA編集部編)に執筆された元木さんの「空襲」を読んでみてください。

空襲 元木 キサ子
しあわせな時に
ふと目ざめると、殻から出たてのようなひぐらしが、たどたどしく、早朝の静けさを突き破るようにして鳴いていました。
私には、ひぐらしの音が非常に懐かしく、また、心にやり場のない寂しさを伴って響きます。
私が幼かったころ、毎年夏を待ちかねたように、神奈川県の茅ヶ崎に出かけました。
当時、私達は、本所区菊川町(今の墨田区)に住んでいました。父は、弁護士でしたが、私設社会事業をしていました。セッツルメントは「光の友社」と呼んでいたようです。茅ヶ崎では、光の友社に来ているおおぜいの子どもたちも、私たち家族といっしょでした。
茅ヶ崎の家は、子どもたちでいっぱいになります。みないっしょにおやつを食べたり、泳いだり、昼寝をしたり、夜は、灯を求めて窓から飛び込んでくる大きな蛾に悩まされながら、円陣を作ってみんなでゲームをします。
私がとっても好きだったのは、夕ぐれを知らせるように道端のあちこちにぽっかりときいろい花を開く月見草の群でした。それを追うように、ひときわ大きく響くひぐらしの音は、すべてぎらぎらと輝いている昼間とは対照的で、子ども心にもいろいろとものを考えさせました。夜になると、真暗な海の上にこぼれ落ちそうな星空の下を、父母は、歌をうたったり、ある時は、星座の話を私たちにしながら、海辺を散歩しました。
子煩悩な父は、「絶対こわくないカメさんにするから…」と、臆病な私を、よく背中に乗せて泳ぎました。母は、おおぜいの子どもたちの中で、昼寝の時間に、ルール違反をした私を、罰として夕立の中に放り出し、なかなか家に入れてくれなかったこともありました。クリスチャンだった両親は、よく私たちに話しました。神様はいつもすべての人をお守りくださっているということ。キリストの精神、また奇蹟、小さかった私は、神を信じ、人を疑うことを知らず、幸せをあたりまえのように感じて育ってきました。
私は、このような両親も、茅ヶ崎の家も、また、東京の片隅にあった本のたくさんつまった家も、みな大好きでした。が、ある日突然、それらの大好きなものがすべて無くなってしまったとしたら……。いえ、無くなってしまったのです。何もかも……。
温かいご両親の愛と恵まれた環境を空気のように感じて育っているあなたたちには、想像もできないことでしょう。これから「なくなってしまった時」の話を、当時四年生だった私に戻ってお話ししましょう。

小さい時から、あまり丈夫でなかった私は、集団疎開先の千葉県のあるお寺から、一時、東京の私の家に戻っていました。久しぶりに、両親に甘えられ、弟たちふたりと楽しく日を過ごしていました。「あと何日で、兄が、中学受験のために、集団疎開から帰ってくる。」と、兄を心待ちにしていた夜のことでした。
「ううっ…」と、断続的に鳴るサイレンの音と、「空襲よ!」という母の声に起こされました。枕もとに置いてある防空頭巾、救急袋を手早く身につけて、自分の身の廻りのものをつめたボストンバッグを持って、すぐ下の弟と、すまいの裏にあるセッツルメントの防空壕へ急ぎました。
一歩家を出た時、(どうしたのだろう)と戸惑いました。おとなたちは、どなるような大声で話しながら、忙しそうに行き来しています。夜半のはずなのに、なぜ外が昼間のように明るいのだろう。白く濁った空は、不気味に明るく、人びとはざわめきを増して、子ども心にも〈急〉のさしせまったことを感じさせました。
「ごおっ!」と、音をたてながら地面から巻き上げるような猛烈な風に、私と弟は、あわてて防空壕へかけ込みました。まっ暗な防空壕の中で、寒さと恐ろしさに、歯をガチガチいわせながら、私は、異様な外のすべての物音に神経を集中させていました。両親は、家と防空壕の間を、行ったり来たりしていましたが、入口で何か話し合っているようすに幾分ほっとした私の気持ちもつかの間、また、忙し気にいえに戻って行きました。外のざわめきは、ますます大きくなり、そっとのぞいた空は、いよいよ赤味を増して、強い風はビュンビュンと、電線をかき鳴らしています。
その時、つんのめるようにドタドタと靴音をさせながら誰か大声で壕に近づいてきました。
「何をぐずぐずしているんだ! 早く逃げなきゃだめじゃないか!」
突然、頭の上から大声が、おおいかぶさってきました。私と弟は、大声にびっくりして、あわてて自分の持ち物をつかむと、夢中で防空壕を飛びだしました。
少しの間に、いっしょに防空壕から飛びだした人たちもわからなくなり、都電の線路に沿って錦糸町方面へ延えんと続く人と荷物の中に、私たちはまぎれこんでしまいました。押し流されるように続く人の波は、みなどこへ行くあてもありません。ただ、少しでも「安全」と思われる暗い方向へと、夢中で動いているようでした。遠くあちこちに上がるまっかな炎、強風が音を立てて渦巻きながら火の粉をバラバラと落としていきます。私と弟は、ただ、みんなの行く方へ懸命に歩きました。
あたりは、幾分暗く感じられるようになりました。人の波もちょっとまばらになったと気がついた時、私は、ふいに両親と末の弟のことを、思い出しました。
「どうしよう。」
いたたまれない気持ちもつかの間、また、後から押し寄せる人波に、前へと歩きだしていました。風はさらに勢いを増し、不気味な音を伴います。私と弟は、吹き飛ばされぬよう、しっかりと手をつないで歩きました。「ずしん、ずしん」と、間をおいて足の裏から響いてくる音は、爆弾の炸裂する音でしょうか。
ふと気がつくと、手をつないでいたはずの弟がいません。私は、夢中で弟の名を呼びながら、必死に人の波を目で追いました。しかし、薄暗い人のひしめきの中ではそれ以上どうすることもできず、流されるようにしてまた歩きだしました。
薄暗い橋の上に出た時でした。ガラッガラッと大きな音をたてながら、強風にあおられたトタン板が飛ぶようにころがってきました。避けようとしたはずみに、片方の靴は見失ってしまいました。その時ふいに、赤い火の粉が風に乗って、バラバラと降りかかってきました。橋の両側で、消防団の人たちが、ぎっしりとつまって移動する人波に向って、大声で何か叫びながら、ホースで水をかけてくれました。みな、ただ、だまったまま、前へ前へと進みます。どのくらい夢中で歩いたでしょうか。人波もいつしかまばらになり、見上げると、黒い空が、目にうつりました。私は、ひとりでいることに気がつきました。急に心細くなり周囲を見廻すと、おおぜいの人びとが、かたまって伏せています。遠くの赤い火がゆらゆらとゆれるのが目にはいり、「ああ、ここは橋らしい。」、と理解することが、できました。私も、いつの間にかその人たちの群にはいり、目と耳をしっかりと押さえ、伏せの姿勢をとりました。時をおいて、からだにずうんと響く爆発音。私はただ夢中で、橋の上にうずくまっていました。ふっと音が途絶えた時、私はおそるおそる顔を上げました。その時、遠方の空に花火のような火花が降りていきました。焼夷弾だ、と思いました。みるまに、ぼうっと明るくなり、しばらくすると薄暗くなりました。ここは、不思議と飛ばされそうな強風はありませんでした。しかし、風の渦巻く音とも、人びとの叫び声ともわからぬ音が聞こえてはまた消えていきます。と、
「ああ、この世の飲みおさめに一杯!」私のすぐそばに伏せていた年輩の人が、おもむろに小さなお酒のビンを取りだし、お酒を飲み始めました。
「なぜ、このような時に、お酒など飲むのだろう。」
私は、不思議でなりませんでした。ある人は、一心に念仏を唱えていました。
しばらくして、飛行機の爆音も聞こえなくなったように思われました。今まで、無我夢中で長いこと橋の上に伏せていた私は、無性に心細く、心配になってきました。
「途中ではぐれた弟は、おとうさんたちは……どうしただろう。いま、私はこの橋の上に知らないおおぜいの人たちと伏せている。これは現実ではない。きっと私は、夢を見ているのだわ。朝になれば、きっと……。でも、もし、これがほんとうのことでも、きっと神様は父母たちをお守りくださって、朝になれば、必ず会えるにちがいないわ。」
胸の中に繰り返しながら、恐ろしい夜の明けるのを待ちました。
何んと長い夜だったでしょう。幸い、私のいた一角は、類焼をまぬがれました。
一面に、ぼうっとくすんだ空気が白み始め、朝が訪れました。気がつくと私は、放心したように、公園の木の根元にボストンバックを置いて、その上に腰をおろしていました。極度の緊張から一睡もしなかった私は、きゅうに眠くなりました。
家の暖かい堀りごたつに、足をぶらぶらさせながら、私は、小さな弟たちと、母と、安心した気持ちで、語り合っていました。
「ああ、やっぱりあれは、夢だったんだわ。あんな恐ろしいことがあって、たまるものですか! だって、私はちゃんと家の暖かいこたつにはいっているのですもの」
冷たい風に、はっと目がさめました。私は公園の木の下に、さっきと同じようにして、ボストンバッグに腰をおろしていたのです。
そこは、猿江恩賜公園でした。まっくろな顔、風と同じ方向に形づいた白っぽい髪、ぽかーんとした顔が公園の中を往き来しています。あちこちで、はぐれたらしい人たちが再会し、声を上げて泣き、そして喜びあっているようすを、私は何の感動もなくぼんやりと眺めていました。ふと、重くためこめた雲のあいだから、にぶい赤い影がのぞきました。輝きのまったくない、どす黒い血のような不気味な太陽でした。
その時、ふいに、
「あっ、震災の時と同じ太陽だ!」
と叫ぶ声がしました。声をたどると、年輩の人が不安げに空を仰いでいました。
「そうだ、私は早く家に帰らなければいけないんだ。」
瞬間、そう思いました。私は、昨夜歩いてきたであろう道を、家の方向と思われる方に向かって歩き始めました。神様が、必ずお守りくださっているということを、強く強く心に念じながら……。
歩き始めて間もなく、おひつを唐草の風呂敷に包んで背負っている人が、私をみると、おにぎりを一つ作ってくれました。片方になってしまった靴で歩きにくいのをこらえながらいっしょうけんめい歩きました。すっかり濃いもやに包まれたような周囲は、まるで夢の中を歩いているようでした。時間はまったくわかりません。しばらく歩き、もやが少し薄れて都電の交差点が見えました。ずたずたに切れた電線が、所かまわずたれ下がっています。前方の道路に目をやると、もやの中に何か黒いものがあちこちと投げ出されたようにあるのに気がつきました。
「何だろう?」
近づくにつれ、私ははっとしました。
「子どもの焼死体? 子どもじゃない、子どもはこんなに大きくはない。でも、おとなは……こんなに小さくはない。」
しばしの戸惑いと驚きの後、私はようやく理解することができました。
しばらく歩き、私は橋の近くにたどりつきました。私は、自分の目を疑い、目をこすって立ち止まりました。何を見たのでしょう。橋の上一面に、うず高く重なり合った黒い山でした。それはみな、人の焼死体でした。男女の区別どころか、どうしてこのように人びとが積み重なってしまったのでしょうか。私は、驚きの声も上げられませんでした。周囲を見渡しました。前方には歩く空間はまったくありませんでした。
赤ちゃんをしっかり抱いて路上に座ったまま窒息死したおかあさん、小さな指先だけ黒くこげ眠るように死んでいる幼い子、内臓がそのままの形で飛びだし木炭化してしまった人、たれ下がった電線の下にもがき苦しんだそのままの形で真黒になった人。橋の下には、やはり火のためか、行き場を失った人びとが、ぎっしりと水面も見えぬように動かずに折り重なって浮かんでいました。私は息を飲んだまま、時のたつのも忘れ茫然とその光景の中に立ちつくしていました。
無理に足をしっかりと地面につけて、私は歩いてきた道を夢中で公園へと引き返しました。
また私は公園の木の下に朝と同じように腰をおろし、今見てきたばかりの信じ難い、そしてあまりにも無惨な光景を、うつろな気持ちで頭の中にたどっていました。
ふと、大分離れたまばらな人影にいる小さな男の子の姿が目にうつりました。瞬間、私は立ちあがるのももどかしく、夢中で走り寄りました。はぐれた弟でした。名を呼んだまま、しばらくしゃべることができませんでした。運よく父のセッツルメントにいた方ふたりといっしょになり、きょうはとても家の方向には戻れないからということで、公園の防空壕で一夜を明かすことにきめました。
その日は、せっかく親切な人たちから戴いた乾パンも、おにぎりも、水も、何も欲しくありませんでした。何も口に入れず、冷たい防空壕の片隅に、弟と肩をよせて、セッツルメントの方たちに見守られ、ウトウトと夜を明かし、遠く鳴る空襲警報のサイレンの音に、いく度か不安な心をかき立てられました。
つぎの日、どうやら橋が渡れそうだ、という話を聞いて、私たち四人は壕を後にしました。公園の近くにはトラックが止まっていました。あちこちと無惨な姿でころがっている黒いマネキン人形のような人たちを、ザクッ、ザクッと音をさせスコップで黙もくとトラックに積んでいる人の姿を、私は何の感動もなく見て通り過ぎました。
「早く家に帰りたい。そして、早くおとうさんたちに会いたい。」
私の頭もそのことだけでいっぱいでした。私はまた、弟と手をつなぎ、なるべく周囲を見ないようにして歩みを早めました。死体の数は菊川橋に近づくほど、おびただしくなりました。ふっと、
「もしかすると先生と奥様は……」
私と弟の歩く後でセッツルメントの人たちの小声の話が耳にはいり、私は、はっとしました。
「うそよ。あんなによい人たちを神様がお守りくださらないはずがあるものですか!」
私は心の中で強く打消しました。
やはり菊川橋は渡れませんでした。今、口をきいたらすべてが〈だめ〉になってしまいそうで、私はいよいよ弟と手をしっかりつなぎ、黙って他の橋へと迂回しました。ガレキを避けながらしばらく歩き、ほんの足の巾ほど焼死体の中から出ている橋を、私たちは渡り始めました。
一歩踏み込んだとたん、
「キャア! こわい!」
私は初めて恐怖の声を上げました。
「ああ、私は恐ろしかったんだ。今までどうしてこの惨酷な、すべてが恐ろしい光景の中にいて『恐ろしい』という感じがわからなかったのだろう。私は今ごろになって初めて『こわい』といった。なぜ……?」
鉄かぶとの中でまっ黒くドクロ化した顔、飛びかからんばかりのすべてまっ黒な形相の中を、夢中で通りぬけました。途中すれちがった人たちに、学校が奇蹟的に残った、ということを聞いて、家の方向をあきらめ、学校へ向かいました。
学校に着くと、私たちは夢中で三階までの校舎の中を両親たちを求めてさがしました。教室ではあちこちの隅から「水、水!」と叫ぶ声がします。顔中まっかに火傷した人たちが苦しそうに叫んでいました。顔から足の先まで、ぐるぐる巻の繃帯の人、取り乱してわめいている人、とてもさがすことは無理でした。空間を見つけて腰をおろして間もなく、私は声をかけられました。はっと顔を上げると、三年生まで担任だった懐かしい先生でした。
「どうした? おかあさんは?」
「はぐれたまま、まだ会えないんです。」
それだけ口にすると、もうのどがいっぱいにつまって何もいうことができませんでした。先生を呼ぶ傷ついた人の声に、目でうなずかれ、教室から出ていかれました。
私は、非常に不安でした。先生が学校で母たちに会っていないということが、いたたまれぬ思いでした。しばらくして、偶然学校でセッツルメントの責任者の方に会いました。私と弟は、この方に祖母の家に連れていって頂くことになりました。
「学校で会えなかった。でも、おばあさんの家に行けば、きっと待っていてくれるわ。こんなにおおぜいの人たちの中では見つかりっこないもの。きっとそうよ。」
私は、心の中にだんだんと大きさを増す不安を否定し続けました。
次の日、廃墟のようながれきの町を歩いてお茶の水に出、すすけた顔の人びとのひしめく電車に乗って祖母の家のある駅に降りました。のどかな風景は、まるでうそのようでした。何もかも夢の中のできごとのような気がしてぼうっとしたまま駅の改札を出ようとした時、私はふりしぼるような声で名を呼ばれました。はっとして振り向くと、叔母がまっかに目をはらして走りよって来ました。
祖母の家には、叔父叔母たちが集まっていて、私たちを優しく迎えてくれました。しばらくして、私たちを連れてきてくださった方が祖母たちに状況を話し始めました。みな、目を伏せて涙をにじませながら、じっとこらえているようすでした。
私の両親たちは、知らぬ間に防空壕からいなくなってしまった私と弟を、さがしながら逃げたため、逃げきれなかったらしい、ということを私たちはそこで初めて知らされました。この方はいっしょに逃げられ、川に落ちて助かったそうです。私は、涙がどうしても出ませんでした。悲しみを胸で痛いほどに感じながらも、頭の中で両親の死を否定し続けていました。
「もしかしたら、けがをしてどこかにいるんだわ。それとも、焼跡で、まだ私たちをさがしているのかもしれない。」
私は、無理に自分の心にそういいきかせました。
しかし、日は一日一日と過ぎて、ひぐらしの音が、また高く響くころになりました。でも、どうしても私は、自分で心の片隅に作ったほんの少しの残してある希望を、むしり取ることはできませんでした。
奇蹟は、とうとう起こりませんでした。橋の上に動かなくなった多くの人びとといっしょに、父は、長い間かかって書き上げた「これがほんとうの日本の歴史だよ」といっていた幼い子どもの背丈ほどもある大切な原稿といっしょに……。母は、「ぼうや、大きくなったらお菓子屋さんになって、幕をしめてみんな食べちゃうんだ」と、集団疎開先に手紙をくれた、くりくり目のかわいい弟を連れたまま、それっきり、懐かしい姿を私たちに見せてはくれませんでした。

元木さんは、この文書を書いて、書き終わった時になみだが溢れたそうです。ためていた感情がそのときに溢れ出たのだと思いました。
このようなおもいは、もう誰にもしてほしくありません、と元木さんは言います。
新しいものや未知なものにふれたときの感激を
「子どもたちがであう事実のひとつひとつが、やがて知識や知恵を生みだす種子だとしたら、さまざまな情緒やゆたかな感受性は、この種子をはぐくむ肥沃な土壌です。」
「幼い子ども時代は、この土壌を耕すときです。美しいものを美しいと感じる感覚、新しいものや未知なものにふれたときの感激、思いやり、憐れみ、賛嘆や愛情などのさまざまな形の感情がひとたびよびさまされると、次はその対象となるものについてもっとよく知りたいと思うようになります。
そのようにして見つけだした知識は、しっかりと身につきます。消化する能力がまだそなわっていない子どもに、事実をうのみにさせるよりも、むしろ子どもが知りたがるような道を切りひらいてやることのほうがどんなにたいせつであるかわかりません。」
これは、生物学者レイチェル・カーソンの著書『センス・オブ・ワンダー』より抜粋した文章の一部です。
子どもたちには、書物等だけでは得られない、実物を使った実体験を通して、「もっと知りたい」「学ぶことは楽しい」と思えるような感情が揺さぶられる経験をたくさん積んでほしいと思っています。
その経験により得られた学びや知識こそしっかりと心に刻まれ、この先子どもたちが成長していく過程のどこかできっと活きていくことと考えます。
今回ご紹介するのは、5・6年生の団活動についてです。
団活動とは、高学年の自治活動の一つで、子どもたち自身がつくりたい・やってみたい団の呼びかけを行い、人数や活動等を調整し、団を成立させて活動していくものです。
先日の”鉱物実験団”では、「魚のからだのしくみに迫りたい!」ということで、カタクチイワシの煮干しの解剖をしました。


「煮干しでしょ?それで何かわかるの?」
なんて最初は言っていた子どもたちも、思わず黙り込んでしまうほど集中して、解剖を進めます。水でふやかした煮干しからは、ピンセットで様々なからだの部位が取り出せます。
「この、くしみたいなものは何?」
最初に目にしたのは、鰓とさいは。
なぜこのような形態になっているのか…魚の命を支える鰓について、実物を通してその重要性を知ります。
「頭から出てきたのは脳みそ?」「心臓って、こんなに小さい三角形なんだ!」
その後も、興奮する声が理科室に響き渡っていました。

そして、本日のスぺシャルチャレンジとして、生のアジとイワシが登場します。
魚屋で仕入れたものですが、ぜひやってみたいと言った人が、なんと多いこと…。
少しのレクチャーを受けただけで、専用の解剖ばさみなどを使いながら、臆することなく解剖を進めていく姿に、もはや頼もしさすら感じます。


同じ臓器でも、煮干しとはまた違う形や状態に感動しながら、あっという間に時間が過ぎていきました。
最後は、学びのための題材となった生命に感謝して。
タイムアウトのためできませんでしたが、ある子のつぶやきの中に…
「胃の中身を調べたら、その魚の食べている物がわかるんじゃない?」
「もしかしたら、(今海洋の環境問題にもなっている)マイクロプラスチックが出てくるとか?」
これこそ、「もっと知りたい」気持ちが芽生えた瞬間であり、また新たな課題へと繋がっていきます。
今度は、胃内容物を顕微鏡で見てみたい!と子どもたちと一緒になって大人も思わず、興奮してしまいました。
”学ぶことは、やっぱり楽しい!”