京王線上下ともに列車がとまっています

13:29現在、京王線上り下り両方面で列車が通行を休止しています。

当該路線で、まだ下校していない子どもたちには、再開が確認できるまで学校に残るように伝えています。

運行が再開して下校を開始する際には、またお知らせいたします。

 

桐朋小学校 教務

 

ものの長さは〇〇でなんこ分?

2年生の算数では、水のかさに続いて、長さを学習しています。

最初から「定規」を使うのではなく、「㎝」「m」などの単位と人が出会うようになるまでの道のりを、実際に体験しながら学習していきます。

       

「238、239・・・」

ろうかでは階段の手すりを消しゴムで丁寧に測っていく子がいます。

 

「ちょっと、ここに寝てみて、〇〇くんなん人ぶんか測ろう!」

グリーンテラスでは、その横幅を寝そべりながら協力して測っていきます。

「花笠の幅は、鉛筆3本ぶんだった!」

教室の中では運動会に使った花笠を測る子もいます。

この日、それぞれの場所であれはどのくらい?とワクワクしながら測っていく子どもたちの姿がありました。

 

授業の終わり、

「でも〇〇くんと、〇〇ちゃんの鉛筆は違うから比べるってできるのかな・・・」

ある子がそう呟いていました。

この疑問が単位との出会いの始まりです。学びは続きます。

中野光先生に学び、考え合いたいこと [Ⅱー366]

2023年5月12日、中野光先生がご逝去されました。職員室の教育誌コーナーにある『生活教育』2023年10・11月号(日本生活教育連盟)では、中野先生の特集が掲載されています。

中野先生は、1954~1959年桐朋学園の教員でした。1955~59年、「初等部開設時の中心的役割」を担われました。応接室に創設メンバーの写真があり、中野先生も写っています。

 向かって右下が中野先生

中野先生は、学生時代からジョン・ディーイを学び、その理論に共鳴し、「桐朋初等部創設にあたって、これから創られる学校のイメージをデューイを想いうかべながらあれやこれや構想する時と条件が与えられたことは、願ってもない幸せ」(『初等部誕生物語』)と述べていました。先生はデューイから、「子どもが構成し、創造し、そして能動的に探究するための作業所・実験室・材料・道具が、いやそういうことに必要な空間」、「伝統的な学校におけるカリキュラムおよび教育方法の画一」を変えることなどを学び、そうした考えを大切にして初等部を創ろうとされました。

そのことは、初等部創立40周年(1995年)に寄せられた中野先生の発言からも伝わってきます。「私学としての桐朋はいわゆる『研究学校』(ラボラトリー・スクール)として発展していくほかないのではないか」/「教育の内なるものをゆたかにしたい、量より質で勝負する、というのがその存在理由だったはずです。ですからいわば教育の『質』を研究的に問いつづけるほかに発展の道はない、と考えるべきで、生江先生もそう考えておられたはずです」(『初等部誕生物語』)

先生は「質」について、「『いま』を大事にする教育」と述べています。ルソーの『エミール』に書かれた「子ども時代は再びめぐってはこないのだ。あてにならない将来のために、人々はなぜ、二度とめぐり来ることのないいまを犠牲になるのか」を引用し、「ここで学んだ者のすべてが『桐朋で学んでよかった』と思うことができる学園であってほしい」と期待を込めました。

「研究学校」については、「「私のやっている教育は果たしてこれでいいのだろうか」と疑う教師がいる学校、『もうすこしましにならないものだろうか』とみんなで問い直すことができる学校」と述べていました。

今、私たちは、中野先生に学び、「教育の質を研究的に問いつづける」園や学校の創造、「『いま』を大事にする教育」とは何かを考え、実践することなど考え合いたいと思います。

中野先生は、桐朋から金沢大学、和光大学、立教大学などの教員になりました。また、日本子どもを守る会会長、日本生活教育連盟委員長、日本教師教育学会会長、日本学術会議会員などを歴任されました。桐朋を辞められてからも、研究会やご著書などで、私たちを励まし続けてくださいました。

ご著書には、『初等部誕生物語』(桐朋学園初等部ブックレット)、『桐の朋 教育者・生江義男を読む』(私学公論社)、『教育空間としての学校』(中野光教育研究著作選集➀、EXP。著作選集は三巻)、『大正自由教育の研究』(黎明書房)、『もっと生かそう教育基本法』(つなん出版)、『子どもの権利条約ハンドブック』(岩波書店)他多数あります。

笑顔あふれる、桐朋小学校の運動会

先日、運動会が行われました。

4年ぶりに、ペナントが空高く上がり、コロナ禍以前に近い形で実施することができた今年。

ペナント準備や会場設営には、保護者の方々や卒業生をはじめ、たくさんのご協力をいただき、当日を迎えられました。

桐朋小学校の運動会は、ライン引きから用具の準備、司会進行、得点、救護、会場整理、応援、各競技の係…など、子どもたちが主体的に仕事を担い、土台から創り上げていきます。

その上で、一人ひとりが、今までの練習の成果を思いっきり発揮することができるのです。

 

プログラムは、〈民舞〉〈対抗競技〉があります。

民舞とは、『荒馬、花笠踊り、桐朋みかぐら、ソーラン節、エイサー、中野七頭舞』と、

学年ごとに伝統的な日本の踊りを表現発表するものです。

校長コラム風『運動会【民舞】 [Ⅱー364]』

その中で、【中野七頭舞、市川直美さん、沖縄園田青年会、荒馬保存会、荒馬座】の方々には、練習から本番まで大変お世話になりました。

「太鼓の音が全然ちがう、お腹に響いてくる。すごい!」

「(踊る姿が)最高にかっこいい!」

「CDでなく、生の演奏を聴いて踊れたことに、感動した!」

本場の踊りを見て、音に触れ、そして直接教えてもらいながら、子どもたちの踊りはどんどん磨かれていきます。

 

上の学年の演技を見て、憧れを抱きながら、

「来年は、これをやってみたい!」と、見様見真似で踊ってみる下級生たち。

上級生は、自分たちが今まで踊ってきた民舞を懐かしむように、一緒になって踊る姿があちこちに見られます。

時には大人も一緒になって楽しむ…学校全体が一体となるその瞬間、その景色こそ、民舞の醍醐味なのだと改めて感じました。

 

対抗競技は、フェアプレー・ノーサイドの精神を大切に、みんなで励まし合い臨むこと。

「たくさん練習してベストを尽くせたから、悔いはない!」

「赤組も白組も最高のチームだったよ。」

勝ち負けだけに捉われるのではなく、失敗も含めて、お互いの頑張りを認め合う姿がそこにはありました。

そして最後、グラウンドには、みんなの笑顔があふれていました。

 

年に一度の運動会。

子どもたちがまた一つ、ぐっと成長する機会となったようです。

たくさんのご協力、ご声援をありがとうございました。

 

 

運動会の取り組みを振り返る[Ⅱ-365]

中野七頭舞、市川直美さん、沖縄園田青年会、荒馬保存会の皆さん、たいへんお世話になりました

それぞれの方が、美しい、しなやかな、力づよい、気持ちを込めた踊りを、私たちの目の前で見せてくれました。私たちのやる気を引き出し、ぜひあんなふうに踊ってみたい、踊りたいという憧れを育くんでくれました。ありがとうございました。

6年生の中野七頭舞の授業では、3回来校し、七名の踊り手の方が七つの踊りを見せて、一緒に踊ってくれました。ここがいいよ、こう踊るともっとよくなるよ、などと認め励まし、見本を見せてくれました。運動会前日、沖縄から園田青年会の皆さんと市川直美さんが来て、授業で踊ってくれました。放課後も一緒に踊ってくれました。太鼓がからだ全体に響き渡り、力づよさやかっこよさなど、いろいろなことに心をふるわせました。そして本番も一緒に踊ってくれました。市川さんは講師時代から40年以上、園田青年会の皆さんには25年間お世話になっています。荒馬保存会の小田切さんも、21年目の今年も大きな太鼓を打ちならし、子どもたちの踊りを見事に支えてくださいました。私たちにとって、宝物となる、とってもたのしい時間でした。

運動会で大切にしたい、育ってほしいと考えていること

●日常の集団活動を通して、その大切さを知ると同時に、全校児童が一同に会することの少ないので、全校児童が目的や行動を一つにして、喜びや楽しさを共有することを大切にしたい。

●児童・教員が様々な役割を分担、協力することにより、自覚的、自治的な力を獲得できるようにしたい。

●体育学習を通して獲得した技能や協働を充分に発揮し、それを達成した喜びを味わえるようにしたい。

●フェアプレー、ノーサイドの精神で、対抗競技に向かうことを身につけたい。

教員全員で、大切にしたい、育ってほしいという願いをもち、子どもたちにかかわり、新たな試みと試行錯誤をしながら運動会をつくっていきます。

人間、保育、教育に関して学ぶことの多い佐伯胖さんが、「文化的実践」ということを述べています。佐伯によれば、「文化的実践とは、よりよく生きるために、継承しつつ、創生しつつ、発展しつつ、変容しつつある人々の集合的な営みを特徴づけたもの」。運動会の取り組みは、よりよいものを模索して、味わい、さらによくしていこうとする試みと捉えれば、文化的実践と考えられるのではないかと思います。

 

運動会(私の感想)

2023年度の運動会は、4年ぶりにペナントが空高くあがりました。子どもたち、先生たち、おうちの人たちが協力して、できました。その景色は懐かしく、とてもいいものでした。3~6年生の大玉リレーでは、3、4年生が2人組で協力して大玉を転がし、5年生が4人組でバランスよく布を使ってすばやく大玉を運び、6年生が4人組で力を合わせて大玉を持ち上げて運ぶことをしました。コロナでできなかったことができるようになって、喜び合いました。

1人ひとりの係の仕事ぶり、たいへん良かったです。その仕事をやりとげていくことで、子どもたちが主役の運動会をつくっていました。

民舞や対抗競技では、これまでの取り組みの成果を発揮していました。一生懸命に取り組んだことを喜び、うまくいかない時には、お互い励ま合いました。そして、いろいろな学年の人たちをみて、「これ、やってみたい」などの憧れをたくさん育てていると思いました。

保護者の皆さん、いろいろな仕事、準備をありがとうございます。子どもたちへのあたたかい眼差し、声援をありがとうございました。

みんなで、いい運動会をつくることができました。ありがとうございます。

本日の運動会について

 本日の運動会は予定通り開催します。
 天候等の影響で多少進行時間が変わることもあります。
 ご承知おきください。

 ・保護者は、入校証を見えるところに身につけてください。

 ・早すぎる来校はお控えください。

  係の子ども達も、8時になるまでは校舎に入れません。

 

桐朋小学校 教務

運動会【民舞】 [Ⅱー364]

桐朋小学校の運動会は、前半は体育学習の成果の発表として民舞を、後半は赤白組による二色対抗競技等を行います。

運動会の取り組みを通じて、子どもたちの主体性を育てることを大事にしています。たとえば、開会式のエール交換では、応援係の人たちが考えた応援を1~6年生のチーム全員で行います。司会進行、整列、誘導、競技のリード、用具準備、ライン引き、他にも子どもたちが取り組み、運動会をつくります。4~6年の係の人たちの取り組みや各学年の民舞などをみて、「あっ、自分もやってみたい」など気持ちが動き、憧れを育てることも大切にしています。

 
係の人たちの様子

民舞について紹介します。全学年が発表します。古くから人々に伝えられてきた日本の踊りを表現します。

●一年生「荒馬」 青森県今別町の踊りで、ねぶた祭りの踊りがもとになっています。「ラッセラー!ラッセラー!」威勢のいい掛け声や太鼓のリズムに、一年生がたのしく駆けまわります。

●二年生「花笠踊り」 花笠音頭に合わせて踊る山形県の踊りです。自分たちで飾りつけした花笠を持って、元気な歌と掛け声に合わせて踊ります。

●三年生「桐朋みかぐら」 岩手県大森村に伝わる神楽舞を、踊りやすくアレンジしました。秋の豊作や幸せを願う気持ちがこめられています。日本の踊りがもつ独特の調子を味わいつつ、表現します。

●四年生「ソーラン節」 北海道ニシン漁をもとに創作された力強くキレのある踊りです。自分たちでつくった法被を身に着けて踊ります。

●五年生「エイサー」 沖縄本島や近隣の島々の盆踊りです。祖先の霊を供養し、無病息災を願い、家庭の繁栄を祈念します。桐朋小学校では、長年、沖縄市園田青年会の踊りを取り入れています。太鼓を打ち鳴らし「はやし」を入れながら、大地を踏みしめ、勇壮に踊ります。

●六年生「中野七頭舞」 岩手県岩泉町小本の中野地区で約180年前から踊られています。七つ道具を持ち、農地を開拓していきます。木を切り、畑を耕し、けものを追い払い、豊作を祝い、仕事の苦労をいやすというものです。大変難しい踊りに取り組みます。

 
3、4年民舞の様子

私たちが考える民舞

民舞は、民俗舞踊をもとにして、主に教育現場で教材として踊られてきました。その大もとの民族舞踊とは、日本各地で地域の祭りや盆踊り、神楽の奉納などで踊り継がれてきた芸能です。それらの多くは、日常生活の労働の中で培われてきた身体の使い方が、踊りの元になっています。

民族舞踊は、歴史的に地域の祭りなどの場で踊られ、地域の中で世代を超えて人と人を繋ぐ大切な共有財産、かけがえのない文化でした。人々は踊りを通して、繋がり合い、連帯し、生きる喜び、祈りや願いといった感情を共有しました。労働する農民などが生み出した本来の踊りは、たくましく、躍動感にあふれた全身的なものだったのでしょう。そのような踊りが、代々受け継がれる中で、力を効率よく使うことや合理的な動きになっていき、つまり「最小の労力で最大の効果」を発揮する、自然の理にかなった動きに洗練されてきたと思われます。日本の踊りは地を志向している。腰を安定させ、地に足をつけ、大地に根ざして労働し、生活してきた人々の身体の動きや所作とも関係するでしょう。

現代は、そのような労働が私たちの日常にほとんどなく、環境も生活も昔に比べ大きく変化しました。こうした中で私たちが見失ってきた身体の感覚を問い直す必要があると考えています。また、今私たちが感じる子どもの身体の変化、たとえば「体がかたく、ぎくしゃくした動き」、疲れやすく落ち着きがない、胸が閉じていて呼吸が浅いといったことも無関係ではないのでないかと考えます。

そこで、身体感覚をよみがえらせ、身体を耕していくことが、現代の私たちにとって必要と考えます。身体を耕したり、しなやかな身体をつくっていくために経験させたい動きの一つであり、教材であると考えます。そして、このような踊りを通して、自分を身体いっぱいに表現したり、その楽しさをみんなで共有し、繋がり合い、一つのことをつくっていく経験が、子どもたちの心に働きかけることも大きいと考えています。

長い時間をかけて人々に受け継がれてきた踊り、民舞を、子どもたちと踊ることの意味がここにあります。

*「桐朋小学校 体育集大成 ―民舞―」より

 
3~6年大玉リレー

ロマナ・ロマニーシンさんとアンドリー・レシヴさんの来校➃ [Ⅱ-363]

9月22日、『戦争が町にやってくる』(ロマナ・ロマニーシン、アンドリー・レシヴ作、金原瑞人訳、ブロンズ新社、2022年)に関わる人たちが桐朋小学校に来てくださり、6年生との授業をつくってくださいました。ありがとうございました。

参加者は、授業を通していろいろなことを感じ、考えました。

「今回、ロマナさん、アンドリーさんが説明してくれて、僕が一番心に残ったのは、『戦争中でも日々の日常は大事にしたい』という言葉です。/僕は最初、『何でそんなに笑顔でいられるのだろう?』と疑問に思いました。でも2人の話を聞いていると、『確かにいつも通りにしている方がいいな』と感じました。」

「私が一番心に残った言葉は、『あなたたちにできる事は1つ。勉強すること』です。確かに勉強をしていれば、戦争が始まっても、反対の声をあげることが出来ると思ったからです。」(どちらも、前出コラム[Ⅱー361]から)

 東京新聞10月4日夕刊より引用

今回は、読売新聞、東京新聞の記事を紹介させていただきます。

9月26日、読売新聞朝刊 平和な日常の価値 絵本で訴え ウクライナ作家2人来日

今月22日、桐朋小学校(東京都調布市)の平和教育の授業で、6年生の児童61人を前に2人は語りかけた。/授業中、繰り返し使ったのが「日常」という言葉だ。ウクライナ西部の町、リビウで空襲警報におびえながら暮らす日々を語る一方、アトリエのバルコニーで、アイスを手にほほえむ2人の写真を児童に見せた。

ロマナさんは、「戦争が始まってから、平和な日常の大切さを知りました。空襲警報が鳴るまでの間を楽しめるように、家族や友人たちと過ごす大切な時間を作るようになった」と説明した。アンドリーさんは、「『本当に戦争中なのか』と思うかもしれないが、笑顔で頑張らないといけない」と語った。

2人の講演を聞いた児童からは、「ウクライナの子どもはどんな生活をしているの」「私たちに出来ることはなんですか」と、次々と質問が寄せられた。/アンドリーさんが「あなたたちはきっと、日本のリーダーになって、世界から戦争をなくしてくれると思う。しっかり勉強して」と呼びかけると、子どもたちは真剣な表情でうなずいた。Kさん(12)*は、「戦争中でも、楽しみを見つけたり、日常を大切にしたりしているのはすてきだと思った」と話していた。*新聞では、本名が掲載されています。

『戦争が町にやってくる』は、2014年にロシアがウクライナ南部のクリミア半島を一方的に併合した際、「戦争について親子で話すきっかけにしてほしい」と制作した。平和な町に突然やってきた<戦争>を、住民たちが力を合わせて追い出し、復興に取り組む物語だ。/素朴なタッチで描かれた登場人物たちは愛らしく、戦争の無慈悲さを際立たせる。ただ、昨年2月にロシアによる侵略が始まった当初は、何げなく描いた猫の表情が恐怖にゆがんでいたという。ロマナさんは「戦争が繰り返される怒りやむなしさが、絵に出ていた」と振り返る。

今年5月には、『旅するわたしたち On the Move』(同、広松由希子訳)が刊行された。海や山、宇宙まで、何万年もかけて移動しながら、新しい世界を開いてきた<旅>を描く。/「どんなにつらくても、動き続けることで、光のあるところへ行けるかもしれない」。遠く離れた日本へ旅してきた2人は、飛行機から太平洋の大海原が見えたことがうれしかったという。

10月4日、東京新聞夕刊 創作体験からのぞく戦争と平和

絵 子どもたちに安らぎ 

ウクライナ在住の絵本作家ロマナ・ロマニーシンさん(39)とアンドリー・レシヴさん(39)夫妻が9月、東京都内の小学校で講演し、戦時下の日常や平和の大切さを伝えた。「絵本は子どもたちに安らぎを与えてくれる」と強調した2人は日本滞在中、親子連れらに絵を描いてもらうワークショップにも参加。「アートという武器を手に、戦争を終わりに近づけたい」と願いを込めた。

 

ウクライナの絵本作家夫妻訴え 都内

「戦争中でも、野菜や花を育て、なるべく普通の生活を過ごしています。笑顔で頑張っていかないと」

9月22日、桐朋小学校(調布市)の6年生約60人に案ドリーさんが語りかけた。ウクライナ西部のリビウで創作を続ける2人。この日は、現地の生活や街の様子、破壊されたホテルなどの写真を映し出し、1枚ずつ説明。「今も、ミサイルの警報が鳴ると、街の人たちはシェルターに避難しています」と伝えた。

2人は、日本語版が昨年刊行された絵本「戦争が町にやってくる」(ブロンズ新社)の著者。絵本は2015年、ウクライナ南部・クリミア自治共和国へのロシアの侵攻後に制作した。

「日常の大切さ」

「平和な日常の大切さは、戦争が始まって、初めて分かった」とロマナさん。桐朋小の子どもに「しっかりと勉強して、この国のリーダーになって、世界から戦争をなくして」と呼びかけた。授業を受けたyさん(11)*は「日本も平和をかみしめて、生活していかなきゃダメだと思った」と話した。*新聞では、本名が掲載されています。

ロマナさんによると、ウクライナでは今、お気に入りの絵本を心の支えにしている子どもが多いという。「絵本を触り、ページをめくることで気持ちを落ち着かせ、自分の存在を感じ取っているのかもしれません」

2人は翌23日、渋谷区内で開かれたワークショップに参加。親子連れら約75人とウクライナから避難してきた3人が大きな画用紙にそれぞれ行ってみたい場所を描いた。ウクライナから避難中のアリサ・ボイチャクさん(5)は色とりどりのペンでハートマークや動物の絵を描いて「楽しかった」と笑顔を見せた。

黒一色の世界

2人がウクライナで開いたワークショップでは、戦争で甚大な被害を受けた東部マリウポリから避難してきた少年が黒一色の絵を描き、「僕の世界は今、この色です。他の色はない」と話したという。

日本で2人のイベントを主催した国際アートセラピー色彩心理協会の末永蒼生代表理事(79)は「絵には苦しい時に、その感情をはき出せる力がある。戦争の犠牲はいつも子ども。戦争は最大の児童虐待だ」と指摘。アンドリーさんは「日本の皆さんに、ウクライナの現状を直接話すことができて良かった」と話した。

赤に、白に、エールを!

運動会の準備が進んでいます。

5、6年生の応援係は、結団式をリードしました。

応援の掛け声の仕方や、

オリジナルの歌詞をつけた応援歌の振り付け、

勝負を大きく左右する大玉送りの作戦伝達など、練習は盛りだくさん。

そして、忘れてはならないのが「エールの交歓」です。

相手がいなければ、競技になりません。

だからこそ互いに敬意を示して、応援しあうのです。

「なんで相手にフレー、フレー、って応援するの?」

たしかに小さい学年の人たちには少し難しい考え方かもしれません。

でも、これからの練習で勝ったり負けたり、

喜んだり悔しがったりすることを重ねながら、

当日は心からのエールを届け合って、全力で運動会を楽しめると良いですね。

応援団の力作応援歌は、対抗競技開会式で披露されます。

保護者のみなさんも、どうぞお楽しみに。

中高グラウンドでの練習も始まっています。睡眠、食事、しっかりとって体調を整えましょう!