投稿者: tohoblog
ダイコンを育てています!
1学期は夏野菜を育て、収穫した3年生。2学期からはダイコンを育てています。
9月にタネをまいたダイコンも、いまやこんなに立派に大きく育ちました。
子どもたちは、水やりや雑草抜きを一生懸命して、ダイコンを大事に大事に育てています。
先日は、ダイコンの間引きをしたのですが、間引いた間引き菜をそのまま捨ててしまうのはもったいないので、みんなで間引き菜の炒め煮をつくることにしました。
下ゆでした間引き菜をみんなで気をつけながら包丁で刻んでいきます。
「手を切らないように気をつけて」「猫の手にして切るんだよ」とお互いに声をかけあう子どもたち。
できあがった炒め煮は、お弁当の時間にみんなのおかずとして一気になくなってしまいました!
みんなで育てたダイコンを、みんなで料理して味わうこと。とても豊かな時間を子どもたちは過ごしました。
12月中旬には収穫予定です。収穫したダイコンは、みんなでどんなふうに食べようか、これからみんなで話し合って決めていきます。
間引き菜といえども、立派な大きさです。
手を切らないように、細心の注意をはらってていねいに刻みます。
ごま油、しょうゆ、みりん、かつおぶしを入れて炒め煮をつくりました。
いい香り!
ミミズを研究するんだよ!
1年生のあるクラスでは、2学期からあるものを研究しています。
それはミミズです。
畑隊長さんが目標に掲げた「畑にミミズを増やす」から始まって
増やすためにはミミズのことをもっと知って研究せねば、ということで
クラスみんなでミミズを飼って生態を調べることに。
1人2、3匹ずつ、1匹1匹に名前をつけてみると、さっきまでは苦手だったミミズも
なんだか可愛く見えてきました。
手の上にものせてみると、あれ?かわいい!そして、不思議に思うことがたくさん出てきます。
ミミズは目や耳があるの?大人や子どものミミズはいるの?
どうやって生まれるんだろう、何を食べて、どんなところに住むんだろう?
不思議に思ったり、ん?となるところから学びは始まり広がっていきます。
そこから総合の時間では一つずつ学びを深めていきました。
ミミズは落ち葉が大好物であること。でも果物の皮を入れてみると・・・次の総合の時にはなんと小さくなっていたのです!
お弁当の時にバナナを食べていた子を見ていた子が、バナナの皮を入れてみたらどうなるんだろう?と新しい実験も思いついたようでした。
また、大人には首巻の目印があることや、ミミズはオスにもメスにもなることを知りました。
さらに、じっくりとミミズを見ていたその時、なんとミミズの卵から赤ちゃんミミズが出てきたのです!細くて、ピンクで、うねうねっと動いて、殻が半分ついた状態で
一つの卵から数匹の赤ちゃんミミズが元気よく飛び出してきました。
教室は大興奮。まさか孵化の瞬間がみられるなんて。すると他の子がかっているミミズも
土から出してみると、あれ?増えてる?小さなミミズがあっちもこっちも増えていたのです。
赤ちゃんミミズも元気いっぱい、卵もまだまだたくさんあります。
これからも、
ミミズの土はなぜふかふか?
ミミズのウンチは汚いの?
ミミズが食べないものはある?
ミミズがいる畑といない畑、植物の育ちは違うの?
様々な角度からミミズの謎に迫っていきます。
その先に、地球と一緒に生きていくヒントが隠れているかも!?
第1はミミズと仲良しになること、ですが、これからの1年生の研究が楽しみです。
私たちが使う「地球市民」「地球時代」ということば [Ⅱー409]
桐朋小学校は、「地球市民の時間」を創設し、実践をしています。今回は、「地球時代」「地球市民」ということばについて、教員間で学習している内容を述べてみます。
➀「全世界の国民」 ―日本国憲法、1947年教育基本法 前文から
教育について考える際に、立ち戻るのが日本国憲法、1947年教育基本法です。教育基本法の精神を桐朋の教育理念の基本に据え、今日まで受け継がれています。
日本国憲法 前文
…日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。… 下線は、中村。以下も同様
1947年 教育基本法 前文 *日本国憲法と両輪 *桐朋学園の教育理念
…われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。/われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。…
「日本国民」だけではなく、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有する」(同上)、「世界の平和と人類の福祉に貢献」(同上)と、世界中の人々、「地球市民」として実現させていくこと。実現のために保育、教育を「普及徹底」すること。不断の努力をすることを、私たちは大切にします。
➁「地球時代」という捉えについて、堀尾輝久さんより学びます
堀尾さんは、「地球時代」を「地球上に存在するすべてのものが一つの運命的な絆によって結ばれているという感覚・認識が、地球規模で広がり、共有されていく時代。第二次世界大戦が終結した1945年を起点とする現代認識」と定義をしています。
参考『地球時代の教養と学力―学ぶとは、わかるとは』『未来をつくる君たちへ 地球時代をどう生きるか』堀尾輝久著
堀尾さんは2つの著書において、「地球時代的感覚が成立するのは、第二次世界大戦が核爆弾をもって終結した1945年です。もう一度戦争が起きたら地球自体が消滅する。そういう危機意識が広がり、地球規模で本当の平和の時代を考えようという感覚や思想が芽生え共有されていく。その意味で、1945年を歴史の大きな結節点」と述べています。
堀尾さん以外にも、国際政治の坂本義和さんが『地球時代の国際政治』(1990年)で、1945年を「地球時代とグローバル・デモクラタイゼイションの一つの起点」として捉えています。
いつを結節点とするかは検討課題と考えますが、現在において、「深刻化する地球の環境問題」「戦争、紛争」など世界の課題に直面している私たちは、現在を「地球時代」と捉え、取り組んでいくことが必要だと考えます。
➂地球の課題に、私たちは「地球市民」として取り組む
「深刻化する地球の環境問題」「戦争、紛争」など、世界(地球)の課題に直面する私たちは、その解決に取り組んでいかなくてはなりません。ではどのように取り組むのか。たとえば理科専科Nさんの机には、気候変動、環境についての本がたくさん置かれています。理科では、こうした本にも学び、実物を通して「自分ごととして」、「深刻化する地球の環境問題」に向き合おうとしていることをPTA『わかぎり』座談会で学びました。
Nさんの机にあった『プラスチックのうみ』(ミシェル・ロード作、ジュリア・ブラットマン絵、川上拓土訳*小学5年生、小学館)を読みました。
「いま うみで なにが おこっているのか」
「ごみです。/ぼくたちがすてた ごみです。」
⇒「さかなです。/ぼくたちがすてた ごみのなかで およぐ、さかなです。」
⇒「アザラシです。/ぼくたちがすてた ごみのなかで およぐさかなを たべる、アザラシです。」
⇒「あみです。/ぼくたちがすてた ごみのなかで およぐさかなを たべるアザラシに からみつく、あみです。」
⇒「ぎょせんです。/ぼくたちがすてた ごみのなかで およぐさかなを たべるアザラシに からみつくあみをすてた、ぎょせんです。」
⇒「グルグルまわる うみのながれです。/…」
⇒「ウミガメです。/…」
⇒「プラスチックです。/ぼくたちがすてた ごみのなかで およぐさかなを たべるアザラシに からみつくあみをすてた ぎょせんをゆらす うみのながれにのって およぐウミガメに ひっかかる、プラスチックです。」 ⇒「まいにち まいにち おおきくなっていく ごみのうめたてちです。/…/ごみのうめたてちです。」
⇒「にんげんです。/…ごみのうめたてちに ごみをすてる、ぼくたち にんげんです。」…… と続いていきます。
たくさんの命が育つ海、私たちとつながる海、世界の海で起きているプラスチック問題に着目します。私たちが起こしている問題が、世界の海の問題として描かれていました。絵本そのものや絵本に描かれているものなどを教材として、実際に触れるなど、実体験を大切に取り組んでいます。
世界的な気候危機、深刻化する気候変動と対応など
2020年気候変動枠組条約26締約国際会議で、温室効果ガス「目標1・5℃」に抑え、地球の危機を減らすことを目指していますが、実現は大変難しい。(「日本国内のみならず、世界各国から気候変動に伴う甚大な気象災害が頻繁に報告されています。実際、多くの科学者が警告したように気候変動は激しさを増しており、2023年には既に産業革命時から1.48℃の上昇が報告されるなど、パリ協定が掲げる産業革命以降の温度上昇を1.5℃以内に抑えるという目標の達成が危機的な状況にあります」『今こそ、まっとうな日本の気候政策を創ろう(2024年)』)私たちと世界のたいへん深刻な問題です。
私たちは、経済(成長)を支えてきた大量生産・大量消費社会で生きてきました。「気候変動は、裕福な生活様式の過剰消費と密接に結びついている」と捉えています。
裕福な生活様式により、二酸化炭素を多く排出しているのは、先進国の富裕層や先進国の人々、私たち。
二酸化炭素の排出によって、多くを排出していない人たちが気候変動の影響を強く受けています。
私たちの身近にある<スマホ、ノートパソコン、デジカメ、車>。こうしたものを動かすには、リチウムイオン電池が不可欠です。リチウムイオン電池は、レアメタルを大量に使用します。レアメタルのリチウムを、チリが多く産出。先進国の気候変動対策のため、石油の代わりに別の資源が採掘、収奪されている現実があります。たとえば、車については、ガソリン車は二酸化炭素を排出するので、気候変動対策として、電気自動車の普及などが言われました。
コバルトもリチウムイオン電池に不可欠です。コバルトをコンゴ民主共和国で多く採掘。採掘には、奴隷労働、児童労働が蔓延しています。賃金は1日あたり1ドルということも。また、トンネルで採掘作業をすることで、有害物質を吸い込みながらの作業となり、からだを壊し、精神疾患も。子どもの死傷者も出ている現実があります。
堀尾さんは前掲書において、「先進国の富がその裏側に貧困を蓄積しているという国際経済の構造把握を媒介にしながら、日本の子ども、世界の子どもが重なってくる、そういうとらえ方が重要」と述べています。そして、「憲法の『日本国民』の含意と表現が問い直さねばなりません。民族的自覚とともに、国際市民さらには地球市民としての自覚も求められています。」(前掲書)と課題を指摘しています。
私たちの生活と環境危機への取り組みがどのようにつながっているのか、環境危機への取り組みによって、他国ではどのようなことがあるのかを捉えることが問われています。地球の課題を自分ごととして向き合っていく必要があると考えます。 写真1枚目は、11月20日に見学をさせていただいた長野大日向小学校。写真2枚目は、大日向小学校の裏山。写真3枚目は、大日向小学校校舎から前にある山を撮りました。写真4枚目は、朝4時半過ぎに自宅を出て大日向小に向かう時に駅前で撮りました。
「えんそくでいろいろなどうぶつをみてたのしかった。」
2年生の遠足は多摩動物公園に行きます。国語で学習している、動物に関連した教材の内容と照らし合わせながら動物を見て回ります。
今年度はクラス混合でグループを作り、動物園を回りました。クラスを飛び越えた班編成に、はじめはドキドキしていました。頑張りたい気持ちや恥ずかしい気持ちと葛藤していたようです。そんな様々な気持ちが混ざり合いながら、少しずつ新しい自分や友だちと出会うきっかけになりました。
そんな学年合同班では、事前にグループでどの動物を見るか、どんなルートを回るかを考え合いました。一人ひとりが見たい動物が異なり、時間内に全てを回るのか、どのようなルートなら全員の思いを遂げられるか?と考えることが大切です。
ほぼ全ての動物を見て回ることを選択したグループは「1匹1匹の動物を見る時間をなるべく短くする。」「早く歩く。」「励まし合う。」という作戦にしたそうです。
子どもたちなりに考えをまとめて、全員が納得していればそれでいいのです。
実際の遠足はどうだったのでしょう。自分たちの考えた作戦通りに進められた班もあるなかで、迷子になったり、見たかった動物が見れなくて落ち込んでいる友だちを励ましたり、時にははぐれた仲間と再会したりと、普段の学校ではできない経験をたくさんしたようです。まさしく冒険です。
子どもたちだけで問題にぶつかり、どうするかを考え助けあう遠足になったようですね。
これらのことは子どもたちのふりかえりの感想から感じ取ることができます。
子どもたちの感想を共有して終わります。
えんそくでいろいろなどうぶつをみてたのしかった。いろいろなどうぶつがいて おおかみがかわいかったけど コアラもかわいかった。
『えん足!』たのしかったけど・・・ちょっとまいご・・・。まっ、まぁうまくついたからいいやってなっちゃったけど、はやくしゅっぱつしてよかったな、と思っています。中ぐみのこがまえに、きたことがあったから、さいわいでした。
えんそくでおべんとうを食べて そのあと どうぶつをまわるのに マップがかりのKにちがうほうこうにされて、みんな「さっき見つけたぞうのうんこをさわらせるぞ」ともんくをいって ぎゃくにわらってしまったけど、マップがかりじゃない人があんないしててむかついた。
今日えん足でした。どうぶつをみてオラウータンがすごかったです。あとオオカミに〇〇(感想を書いた子と同じ名前なので省略します)というオオカミがいました。そしてまいごになって、もうちょっとどうぶつを、みれるはずだったけどこん虫えんに行くことになっていやだった。
えんそくで 6人で下っていくときに マップがかりさんがみちをまちがえたんだけど でもそれみんなもわるかった なぜかというと みんなではなしあって これはこうしたらいんじゃないとかいってたからです。でもコアラかんにいくときにコアラがくさをたべてたからうれしかったです。
えんそくとって~~~~~~も~~~~~~~~~~楽しかった。レッサーパンダがかわいかった☻🌸でも、こん虫かんがみられなかった。(:_;)でも、びっくりしたことがシフゾウをみたけど ゾウじゃなくてトナカイかシカににていた😲~~~~~
今日遠足に行った。遠足は多ま動物公園に行ったんだけどそこでかなしいことがあった。それはハクビシンは死んじゃってた・・・。私はそれがかなしくてなきそうになったんだけどがまんした。でもいっぱいどうぶつがみれてたのしかった。一番みれてよかったのは、ノウサギとモルモットだったよ。☆♡🎀🍬🌹♡🎀🌟
たまどうぶつえんにいった。そして まずはみんなですこしだけどうぶつをみて、つぎははんで。いろんなどうぶつをみた。いちばんおもしろかったのは、インドサイだった。なぜならふつうのサイはりくのうえだけど、インドサイは水の中にいたからおもしろかった。
このまええんそくで はんぶんまでは すすんでたんだけど とちゅうにつぎのどうぶつの いきかたが わかんないし どうやってかえるかが わかんなくなってまいごになった。でもさいしょのみちを かえれば もどれるってわかったから もどった。でもいっぱいどうぶつをみれてたのしかった。みちをかえったから レッサーパンダを1かいめにみた。2かいめはかみをもってたから でもいっかいめはかみをもってなかったからよかった。
学園の連携について [Ⅱー408]
桐朋学園は、教育への情熱と学究の気風を持ち、自由と自治の精神を高揚させ、教育の特色をつくり出そうと、日々の実践を創造しています。
桐朋学園は、幼児期、児童期、青年期、それぞれの時期に相応しい育ちが必要と考え、その発達の時期に相応しい課題を追求した教育を展開しています。それぞれの時期に相応しい育ちを保障するため、推薦制度を大切にしています。この制度によって、初~高にかけて、じっくりと自分づくりや他者との関わりを育み、自分の人生の主人公へ、社会のつくり手として育つことができます。
この制度を大切にしていくために、初等・中高・短大部でお互いを知り合い、連携を深めていくことをすすめています。桐朋学園は、「一人ひとりの人格を尊重し、自主性を養い、個性を伸長するヒューマニズムに立つ『人間教育』」を行い、一人の子どもの成長を励まし、夢を育む場であり続けたいと考えます。そのために、毎年行っている小中連絡会、初中高合同研修会、四校懇談会の充実、『桐朋教育』などでお互いの取り組みを交流することなどをすすめています。
今回、取り組みの中から、1学期に行った初中高合同研修会を紹介します。各教科や課題別に分かれ、実践をもとに意見交流をしました。先生方の感想には、前向きな内容が多く、お互いに「つながり」を求めていることを感じました。その時の感想を紹介します。
【国語】◇中3(I先生)の俳句の授業報告は、とてもおもしろかった。俳句に対する鑑賞文を生徒が書きまた自作していくそのサイクルのプロセスが、とてもおもしろい。自由に想像を膨らませるところと集約していくこと。その両方ともが大切であること。集約していくことで抜け落ちてしまうことと集約することで学べること。そのどちらもがあることに、まずは自覚的でありたいと思えた。(初等部)◇Y先生(初等部)の物語の読み取り実践を伺い、行間を読み取ること、穴に落ちた犬の気持ちになるための指導に興味をもった。(中高部)
【理科】◇中高の先生方の教科に対する思い、方向性に共感できた。(初等部)◇小学校の理科のカリキュラムを詳しく知ることができた。ガスバーナーの使い方など、基本的な実験器具の扱いを取り上げながら、本質を理解させるような展開で工夫されていると感じました。ガスバーナーは小学校段階から是非使っていただきたいです。危険な物を遠ざけるだけの姿勢ではなく、しっかりと安全を確保させる指導をしていきたいと思います。(中高部)
【総合】◇幼小中高の総合について、情報共有できた。特に、中高のTプロジェクトのことを聞け、小学校で行っていることとのつながりを知ることができた。(初等部)
【外国語】◇昨年度、6年生担当として中高の説明会で伺えたこと、印象、率直な疑問等を伺えました。また、初等部の卒業生たちのことが名前を出して聞けたり、話せたりしたこと。(初等部)◇地球市民教育は、本当に桐朋の教育的財産であると思います。中高外国語科も教授方法論に加え教育論的支柱が形成されればと刺激になりました。(中高部)
【保健体育】◇中高のハードルの授業での取り組み。指導のポイントを共有できたこと。中2の学習カードが見られた点、一人ひとりにコメントをつけて返却しているところが知れてよかった!(初等部)◇実際の取り組みの様子を、映像を見ながら確認し、実践内容の理解を深められて良かったです。また走力の個性に応じて、一人ひとりに“自分の目標・課題”の設定を促し、学習意欲を引き出せている取り組みが、大変勉強になりました。(中高部)
【芸術】◇普段は知ることのできない小学校の授業や中学校の授業について知ることができて良かったです。色々な目的をもって授業を考えられていると知り、日々の保育でもねらいなど大切にしたいと思いました。年齢が大きくなっても興味・関心、やってみたいと思う気持ちを大切にしていることが、印象的でした。(初等部)◇初等部の教育、中高の他教科の指導内容を知り、学ぶ機会になったこと。どう評価するかも、気になりました。(中高部)
今後に向けて、□お互いの実践を大切にしながら、初等部と、中学の教科の授業実践のすり合わせを。□授業を直接見る、見てもらう。□小学校のK先生からはリレーの実践が報告され、中高のY先生、S先生からはハードルを中心に(生徒の記録も見ながら)伺いましたが、それぞれの種目について、各部の実践も語られたので、次回は種目を統一して報告、意見交流をしましょう。□教科内でテーマを設定することで、より一層有意義な時間になるのではないか。国語でいえば「文学教材を読む」をテーマに、それぞれの実践を語り合う。そして発達段階に応じて大事にしたいこと。着眼点や身につけたい力などを共有する。他教科も同様に、一つテーマを設定して話し合ってもいいのではないだろうか。自主編成テキストや社会科フィールドワークに関心を寄せている人もいた。いずれにせよ、研修の内容を早めに共有していくことが大切である。密に連絡をとりあい、進捗状況などを確認することが必要だと感じた。などが出されました。
このような取り組みが、子どもたち、教員、学園を大切にしていくことにつながると考えます。これからもお互いを知り合い、良さをとらえ、子どもたちがじっくり育つ環境づくりをすすめていきたいと思います。
写真について。1枚目ー昨日の3年生の黒板。創立記念日「おめでとう!」。2、3枚目ー先週金曜日に、5・6年生が学園大学のホールにお邪魔して、オーケストラをききました。ホール入口、ホールの写真。4、5枚目ー先週、しぜんひろば委員の5・6年生と柿とりをしておいしくいただきました。
秋のお土産いっぱい抱えて
1年生の秋の遠足は、秋のお土産がいっぱい落ちている大きな公園へおでかけ。
学校から出発して歩く様子を見ても、春の遠足の時と比べてとても頼もしく、
心身の成長をとても感じました。
公園についたら、グループミッション/スタンプラリーに挑戦。
4人で協力して、相談しながら複数のミッションをクリアして、各スポットに隠れた先生達からスタンプをもらいます。
顔より大きい葉っぱ、見つけられるかな?上を見ると見たこともないくらい大きい葉っぱが。
芝生でゴロゴロ回ってみよう!地球が回る〜綺麗な芝生でたくさん回りました。
帽子付きどんぐり、細長いどんぐり、見つけられるかな?
同じ帽子だけど、トゲトゲ帽子、シマシマ帽子、ウロコ帽子、おしゃれな帽子がたっくさん。どんぐりってこんなに種類があるんだ〜とさまざまな木から落ちるどんぐりと出会いました。
先生たちより背の高い草を見つけるのはなかなか難しかった。でも4人で知恵を出し合って、公園を迷路のように探索しながら全グループ全ミッションクリアしました。
自由時間では、思いっきり走ったり遊びを生み出したり。
ワークショップも開催され、
秋の落ち葉で世界で一つのかんむりを作るコーナーでは
赤色、黄色、綺麗なグラデーションの葉っぱを集め、木の枝やどんぐりも含めて
お気に入りのかんむりを作成。
その日は遊んでいる最中も、帰る時も 冠👑をつけて嬉しそうに過ごしていました。
振り返り日記には、お家に帰った時、制帽の代わりに冠でただいまって言ったら
お母さんがびっくりしてたよ、と教えてくれました☻
秋の葉っぱでスタンプを作ろうコーナーでは
思い思いに葉っぱを集めて、スタンプに。できた葉っぱの形に
鉛筆で目や鼻、足を書き足していくと・・・お魚や動物、乗り物に葉っぱの跡が大変身。
こんな形が出るかな?想像を膨らませながらスタンプを楽しむ姿がありました。
1年生秋の遠足は、グループチャレンジも入れた遠足だったけど
どのグループもよく話して協力し、遠足をみんなで豊かな時間に変えることができました。
この先の1年生の活躍が、とっても楽しみになった1日でした。
保護中: 25年度 入学考査における連絡事項やお知らせ
「最高の一日!」
6年生は広島への修学旅行、1~3年生は遠足へ出かけた本日、
初等部は幼稚園生と4年生と5年生のみです。
職員室も廊下も静かで、少しさみしいなぁと大人は思うのですが、
残っている子ども達曰く「めっちゃ最高」「神の一日」なのだそうです。
なぜかって?
それは、校庭も体育館も使いたい放題だから!
休み時間は「貸し切り」で野球やサッカーに興じていました。
心なしか、ボールの勢いが良く見えます。
4年生は、両クラス合同で体を動かすことにしたようです。
いろいろな組み合わせでドッチボールに興じていました。
5年生は、音楽室いっぱいに様々な楽器をひろげていました。
桐朋学園大学のホールにオーケストラの演奏を聴くチャンスがあるかもしれないので、
様々な楽器を手に取って確かめているのだとか。
いつもの場所でのちょっと特別な時間を、お留守番チームも目いっぱいエンジョイしました。
週明けに、遠足チームのお土産話を聴くのが楽しみです。
(幼稚園の子ども達は、昨日掘ったお芋をならべて、どんどん筆を走らせていました!
おいしそうな絵がいっぱいです。)
修学旅行3 広島平和記念資料館、原爆ドーム [Ⅱー407]
2日目、朝8時30分より、広島平和記念資料館の見学を始めました。10時過ぎまで見学時間を設定しましたが、イヤホンガイドを聞きながらじっくり展示物に向き合うと、時間が足りなくなりました。写真、展示物と解説、イヤホンガイドの吉永小百合さんの詳しい説明やご遺族のことばが心に響き、当時のことを思い出して描いた絵とことばに立ち止まり、何度も涙がこぼれました。
資料館入口にある地球平和監視時計は、10月24日、広島への原爆投下から28934日、最後の核実験からの日数 163日を示していました。
-原爆をうけた三輪車(広島平和資料館 学習ハンドブック表紙写真)。当時3歳11カ月の銕谷伸一(てつたにしんいち)ちゃんは、この三輪車に乗るのが大好きな子。8月6日の朝、伸一ちゃんは、家の前でこの三輪車に乗って遊んでいる時に被爆しました。体中に大けが、大やけどを負った伸一ちゃんは「水、水……」とうめきながら、その夜、亡くなりました。伸一ちゃんのお父さんは、たった3歳の子がひとりぼっちでお墓に入るのはさびしいだろうと思い、亡くなった伸一ちゃんと三輪車を一緒に庭にうめました。
-それから40年たって、お父さんは伸一ちゃんの骨を掘り出してお墓に入れ、三輪車を広島平和資料館にあずけることにしました。(広島平和記念資料館学習ハンドブックより引用)
*掘り起こした時、鉄かぶとの中には伸一ちゃんの丸い頭の骨が残っていました。/伸一ちゃんのほか、倒れた家の下敷きとなった長女の路子さん(当時7歳)と次女の洋子ちゃん(当時1歳)も亡くしました。
イヤホンガイドから流れる、泣きながら語っている父親のことばに涙がこぼれました。
私は、展示物を見て、解説を読み、イヤホンガイドのことばを聞いています。そして、展示物からの声を感じました。伸一ちゃんの三輪車ならば …(三輪車から、)ぼくを 好きで たくさん乗ってくれたね。ぼくに乗ってくれた 伸一ちゃんが また乗ってくれるのを ずっとずっと待っている。一緒に あそびたい …などと。
何回も、アーサー・ビナードさんの「声なき『ものたち』の声」の本『さがしています』(アーサー・ビナード・作 岡倉禎志・写真)を読んできました。私も「声なき『ものたち』の声」を聞きたいと思います。
『さがしています』には、広島平和記念資料館所蔵の「カタリベ」たちの「声なき『ものたち』の声」が表現されています。アーサー・ビナードさん曰く「『もの』がカタリベとなり、読者にはっきりきこえる言葉を発するためには、さまざまな力添えが必要」で、それがされていて、「それぞれの息づかいと、豊かな表情がつたわる写真」が迫ってきます。本書の中身を少し紹介させていただきます。
<岡原政太郎さん> 当日、爆心地から300mの歯科医師会館で仕事をされていたそうです。文と政太郎さんの義歯の写真があります。
アーサー・ビナードさんは、「おもいのと あついのと くやしいのと みんな いっぺんに くずれおちてきて ぐっぐっぐーーっと マサタロウさんの 口が まるごと きえちゃった。(1行あき)ぼくらはさがしているんだ。」と表現しています。
<平柿保さん> 爆心地から500mで被爆されたそうです。文と保さんのメガネの写真があります。
「ぼくが いつも とまっていた おじさんの 鼻が きえてしまった。」
「ウランの 核分裂を はじめたら どうやって おわりに できるか……さがしているけど 見えないんだ。」
アーサー・ビナードさんは、「声なき『ものたち』の声」をたくさん聞いて表現されています。私も、もっともっと聞きたい。
原爆ドームについて
1日目の碑めぐりやスケッチで、2日目は平和資料館2階から、何回も原爆ドームを見ました。帰ってから、国語教科書の「平和のとりでを築く」(大牟田 稔)を読みました。原爆ドーム保存について書いてあったことを思い出しました。教科書には、
-原爆ドームを保存するか、それとも取りこわしてしまうか、戦後まもないころの広島では議論が続いた。保存反対論の中には、「原爆ドームを見ていると、原爆がもたらしたむごたらしいありさまを思い出すので、一刻も早く取りこわしてほしい。」という意見もあった。
-市民の意見が原爆ドーム保存へと固まったのは、一九六〇年(昭和三十五年)の春、急性白血病でなくなった一少女の日記がきっかけであった。赤ちゃんだったころに原爆の放射線を浴びたその少女は、十数年たって、突然、被爆が原因とみられる病にたおれたのだった。残された日記には、あの痛々しい産業奨励館だけが、いつまでも、おそるべき原爆のことを後世にうったえかけてくれるだろう--、と書かれていた。この日記に後おしされて、市民も役所も「原爆ドーム永久保存」に立ち上がったのである。
-痛ましい姿の原爆ドームは、原子爆弾が人間や都市にどんな惨害をもたらすかを私たちに無言で告げている。未来の世界で核兵器を二度と使ってはいけない。いや、核兵器はむしろ不必要だと、世界の人々に警告する記念碑なのである。
*楮山さんは当時1歳で、1・3キロほどはなれた平塚町(現、中区)の自宅で被爆しました。日記には、「あの痛々しい産業奨励館(原爆ドームのこと)だけが、いつまでも、恐るべき原爆を世に訴えてくれるだろう」と書かれていました。楮山さんが16歳に白血病で亡くなる前の年につづった日記の一部だそうです。保存か壊すかの結論が出ない中、地元の子どもたちの団体「広島折鶴の会」はこの言葉に大きな刺激を受け、原爆ドームの保存運動のための活動を始めました。保存への機運は高まり、広島市議会は66年に永久保存を決定しました。(中国新聞 広島メディアセンター参照)
見るたびに惨状を思い出し、辛いおもいをする人がいると思います。見るたびに、2度とこうしたことを起こさないと誓う人がいます。
修学旅行2 本川小学校平和資料館見学 [Ⅱー406]
本川小学校は、爆心地から410メートルの場所にあります。当時、児童218人が即死(「広島原爆戦災誌」)するなどたくさんの方が犠牲になりました。奇跡的に助かったのが、居森清子さんと和子さんでした。
「本川国民学校でたった一人生き残った」居森さんについて、パネル展示(上の写真)されていました。「私たち(居森さんたちー中村)は火の粉が飛んできてどんどん熱さがせまってくるので、頭から水をかぶりながら(本川でー中村)長い時間じっと水につかっていました。」「私たちはいかだにつかまり、『友達の分までがんばろう』と言い聞かせました。死体がすぐそばを次々と流れていきましたが、必死だったので怖さは感じませんでした。午後3時すぎ、火の手が少しおさまったころ、和子さんと2人で校庭にあがりました。そこに黒い雨がふってきました。」「一週間ほどそこにいた(避難所ー中村)のですが、何も食べることができず、吐いてばかりいました。熱も高かったように思います。後から考えると、原爆の影響だったと思います。和子さんはお父様が連れて帰られましたが、まもなく亡くなったということを大人になってから知りました。和子さんは生きていると思っていたので、それを知ったとき、とてもショックでした。」などと書かれていました。*中国新聞ヒロシマ平和メディアセンター「連載被爆70年」に、「居森清子さん(80) 本川国民学校で被爆」の記事があります。
ガイドのお一人が、『いわたくんちのおばあちゃん』の作者である天野夏美さんでした。資料室やパノラマ(平和資料館に展示していた被爆直後の広島市街地を再現した2代目のパノラマ(69年製作)ー上の写真左)の前で、当時の様子、居森さんの話をたいへんていねいにしてくださり、心に響きました。
資料館で天野さんが書いた『いわたくんちのおばあちゃん』(天野夏美/作、はまのゆか/絵、主婦の友社)を購入し、帰りの新幹線で読みました。
いわたくんのおばあちゃんは、絶対に家族と一緒に写真を撮らない。なんで撮らないのか「ぼく」は知っている。
1945年8月初め、いわたくんのおばあちゃん(ちづこさん)の家族は疎開する前に、家族全員の写真を撮った。
8月6日午前8時15分、「世界で初めて人の上に原子爆弾が投下された」。いわたくんのおばあちゃん(ちづこさん)は、「ひとりぼっち」になった。大切な家族を失った。
戦争が終わって何カ月かたった頃、写真館のおじさんがちづこさんに家族で撮った写真をくれた。「家族みんなで 写真をとった あの日。/でも、写真を 見ることが できたのは/ちづこさん ただひとり だったのです」
いわたくんちのおばあちゃんは、「いっしょに写った家族が/みーんな 死んでしまった/あの八月が 忘られへんで、」「ずーっと 家族と いっしょに いたくて、/ずーっと 家族の笑顔を 見ていたくて、」「だから いっしょに写真を とらんのよ。」
「ぼく、戦争/せんけえね。」「ぼく、おとなになっても 戦争せんよ。/ほんとよ。」
あとがきで、天野さんは、「いわたくんのお母さんは、/子どもたちに原爆の話を伝えるとき、/こんなふうに結びます。」「『戦争なんてずっとむかしの話』、なんて思わんでね。/ひょっとしたら、『未来の話』になるかもしれんのよ。/『未来』、それは、君たちみんながつくっていくものだからね。」と書いています。