命を活き活きと輝かせて[Ⅱ‐435]

2学期、創立70年記念日に向けて、全職員が協力してさまざまな準備をすすめています。記念誌には、卒業生、PTA会長、旧職員、学園関係の皆様より、期待も含めあたたかな文をいただいています。たいへんありがとうございました。

皆様より励ましをいただいて、これからも一人ひとりを大切にした保育、教育をすすめられるよう、初等部をつくっていく努力をしていきたいと思いました。

 写真は1学期の様子から

卒業生の方の文を紹介させていただきます。

言い尽くせないほどの思い出がありますが、私にとって桐朋小学校での 6 年間は、目一杯のびのびと遊んだ記憶で埋め尽くされています。私はとてもおてんばで、とにかく外遊びや走りまわるのが大好きな子どもでした。

 鬼ごっこ、ドロケイ、隠れ鬼、ポコペン、氷鬼、手打ち、キックベース、ドッジボール、一輪車、竹馬、泥団子づくり…。たった20分の中休みであっても、1分でも1秒でも長く友達と遊びたいという気持ちで、授業終わりのチャイムが鳴るなりみんなで一斉にグラウンドに駆けて行き遊んでいました。放課後も、日暮れの最終下校時刻ギリギリまで、クタクタになるまで走りまわっていました。

 その生活は丸6年間、高学年になっても続きました。それくらいの年齢になると鬼ごっこなんて子どもじみていると感じてもおかしくないのですが、私のいた5、6 年の西組は、男女一緒になって本気で鬼ごっこをする、とても仲の良いクラスだったのです。それが私はとても嬉しく、大好きなクラスでした。このような日々がずっと続けば良いのにと当時も思っていましたし、今でも夢に出てくるほど、本当に楽しかったです。

私にとっての夢中になれることは外遊びでしたが、周りを見渡すと絵が上手な子、自然広場で昆虫採集をしている子、泥団子を黒光りするまで磨いている子、本の虫の子、走るのが速い子、何やら段ボールで大作に取り組んでいる子、けん玉を極めている子、ずっと野球やサッカーをしている子、教室でピアノを楽しそうに弾いている子、木登りが好きでずっと木の上にいる子、自作のお笑いを朝の会で披露している子…と、いろいろな子がいました。

 先生方も好きなことや個性を尊重し伸ばしてくださる方ばかりで、子ども同士もお互いの良いところを見つけて認め合える環境でした。だからこそ、今でも桐朋小出身の友人達は特別各々の個性が光っていて、自由で面白いのだと思います。

コロナが蔓延して職場と自宅を往復するだけの閉ざされた生活を経験したり、戦争が世界の様々な場所で始まったり、AI技術が急速に発展して自分で考えなくとも簡単に答えをくれるツールができたり、そんな昨今、“幸せとはなにか”ということをより一層考えずにはいられませんが、自分にとっての幸せとは、“夢中になれる好きなことがあること”と、“友人や家族など大切な存在がいること”だと強く感じます。

 そう断言できるのは、自分にとっての小学校時代がまさに幸せそのものであったからです。思いっきり遊べた経験や好きなことに夢中になれた経験は人生の糧になっていますし、桐朋で出会えた個性豊かな友人達は、ずっと根っこの部分や関係性の変わらない特別な存在です。これからの桐朋っ子たちも、幸せで満たされた子ども時代を過ごせるよう心より願っています。

皆様の文を読ませていただいて、たいへん励まされます。今回紹介させていただいた方が書かれた「思いっきり遊べた経験や好きなことに夢中になれた経験」「個性豊かな友人達」「友人や家族など大切な存在がいる」などを大切にして、「幸せで満たされた子ども時代」となるようにしていきたいと思います。

引き取り訓練を行います

保護者の皆様

すでにお配りしているお便りの通り、本日引き取り訓練を行います。
高学年玄関にて、各クラスの引き取り場所をご確認ください。
暑くなる時刻ですので引き取り時刻を見計らってご参集ください。
引き取り開始までは静かにお待ちください。またIDカード、上履きをお忘れなく。

幼稚園にきょうだいが居る方は、先に幼稚園の引き取りをしてください。

桐朋小学校

心に火をつけることを [Ⅱー434]

2学期が始まり、子どもたちと会えてうれしいです。

第4体育室に全員が集まり、始業式を行いました。はじめに、4年生4名が夏の八ヶ岳合宿について、たくさんの心がふるえたことを伝えてくれました。その話を聞いた後に、4年生八ヶ岳合宿の写真を写しました。

5年生夏の八ヶ岳合宿については、5年生からいただいた暑中お見舞いを紹介しました。

「5年生の八ヶ岳合宿は、ハイキングがとても楽しく、大変で、そしてソフトクリームがすごく美味しかったです。2学期も頑張るよ。」

一人ひとりにとって、八ヶ岳合宿に行って良かったなあと思えたならうれしいです。これから行く1~3年生が、4年生の話を聞いて、八ヶ岳に行ってみたいと思えたらうれしいです。

続いて、夏の便りを紹介しました。時間の都合で、始業式では短く話しました。

「虫とりに行って、虫をたくさんかんさつしています。おりがみや切りがみもたくさんしているので、『こてん』をしたらまたみにきてください。」(『こてん』というのは、昨年度のクラスで行ったたのしい、すてきな作品展。絵は、「ナタール ノコギリ クワガタ」だそうで、なかむらのナとはじまりが同じと教えてくれました。)

「エイサーでは、5かしょでえんぶしました。『新宿』ではおきなわにいる園田青年会の5人が来てくれて大はく力でした。中略 2学きはうんどう会でえんぶするみかぐらが楽しみです。」(夏にエイサーをたくさん踊り、5カ所で披露したそうです。毎年運動会前に来ていただいている沖縄園田青年会の皆さんと練習し、ともに「えんぶ」したことは宝物になったのでしょう。)

いただいた手紙を読みながら、やってみたい! 心に火をつけることを、園、学校でたくさんつくりたいと思います。

 

最後は、11月の創立記念日に向けてのことを話しました。

「桐朋幼稚園、桐朋小学校は、11月、70歳の誕生日を迎えます。」

「みんなでお祝いして、心がわくわくするたのしい日にしたいです。」

約50年前の子どものあそび(宮原洋一先生が撮影した<めんこ、蝋石、こま、ベーゴマ、落とし穴など>で遊ぶ子どもたち)の写真、40年前の桐朋小学校の児童(丸山隆先生の学級)が書いた文を紹介しました。

めんこ 1年 一郎さん

せんせい / めんこ とりあげないでね。

ぼくたち / めんこ できないから。

おねがい。 

 

めんこ 2年 昭司さん

一じかんめが おわって / ポケットから めんこを だした。

ふくはらくんが きて / いっしょに やった。

いづつくんも きた。

三人で やった。

ぱちん ぱちん / めんこの 音、いい 音。

ぼくの めんこの とくちょう、音だけ。

ぜんぜん、うらに ならない。

 

おとしあな 2年 泰一さん

おとしあなを つくった。

三十センチくらい ほった。

ビニールを ひいた。/ そして 水を いれた。

かみを ひいた。/ 土を かけた。

あとは だれが おちるか

ぼくは たのしみだ。

 

「めんこ」を知っている人がいました。ベーゴマをやってみたいと言った人がいました。桐朋小の人たちが新たな遊びと出あい、やりたいと思う、やってみる、味わう、さらにおもしろい世界に出あうとうれしいです。

遊びをとおして豊かな力を育み、平和な社会で遊ぶことのできる権利、子どもたちの遊ぶ力と自由な時間、遊び場(環境)を、過去から現在、そして未来に引き継いでいきます。

2学期が始まりました

9月1日、2学期が始まりました。

久しぶりに子どもたちの元気な声が響き、学校に活気があふれました。

始業式では、7月に初めての八ヶ岳合宿に行った4年生から、思い出が語られました。生き物を触れるようになったこと、ごはんがおいしかったこと、焼いたマシュマロが焦げてしまったこと…

夏休み中に合宿についての作文を書いてきているので、クラスでの読み合いも楽しみです。

 

2学期は運動会に音楽会があります。運動会は、5、6年生の子どもたちが係の仕事を担い、運営していきます。2年に一度の音楽会もとても楽しみです。

そして11月20日の創立記念日には桐朋幼稚園・小学校70歳のお誕生日を迎えます。校長先生からは、50年前や40年前の、桐朋小学校の子どもたちが遊んでいる様子を写した写真を見せてもらいました。今も桐朋小学校が大事にしている昔遊び、写真を見た子どもたちは「こまだ!」「めんこだ!」と口々に言いながら写真を見ていました。

 

創立記念日の当日は桐朋小学校のお誕生日をお祝いしながら、思い切り楽しむ1日をみんなでつくっていく予定です。

まだまだ暑い日が続きますが、楽しく元気に過ごしていきましょう!

学校体験会、説明会にお越しの皆様

学校体験会、説明会にお越しの皆様

 

明日は大変な猛暑の予報が出ております。

参加のご判断もどうか安全第一にお考えいただき、ご無理のないようにして下さい。

服装もお子さんは半袖短パン、大人も軽装で、どうか身軽にお越し頂けたらと思います。

暑さ状況によっては、開放エリアを制限しつつとはなりますが、皆様のお越しをお待ちしております。

受付票、室内履き(体験会のみ)などお忘れなくお越しください。

教務

 

育てて食べる

   1年生1学期の生活を紹介します。

 入学してから、子どもたちと相談をして夏野菜を栽培しています。クラスで育てたい野菜アンケートを取り、苗を購入し畑に植えたのです。

実際に畑に行き、雑草を抜いて土を耕していると、竹の根っこがかなり遠くまで生えていることを知ったり、ダンゴムシや何かの幼虫に出会ったり、土の匂いに包まれたりと、実際に土と触れ合わないとわからなかったことがたくさん経験できます。

野菜は植えて終わりではなく、水をあげたり雑草を抜いたりと、手間をかけることでよく育ちます。日ごろから畑に足を運ぶことが大切です。  

 

 1学期に収穫できたのはナス、ピーマン、きゅうりの3つです。きゅうりは収穫可能な大きさになり次第、有志の子どもたちで収穫し下処理をしてぬか漬けにしていました。

平仮名の学習は学校生活に慣れるまで1日1文字のペースで進んでいきます。その日学習する文字のつく物と結び付けるために、子どもたちが、時に教員側がものを用意します。平仮名の「ぬ」を学習する際にぬか漬けを紹介しました。これが意外と好評で子どもたちは畑にキュウリができるのを楽しみにしていました。

 

 ナスとピーマンは同じタイミングで収穫できたので、クラスの保護者の方々に力を借りながら味噌汁や漬物として楽しみました。普段はあまり好んで食べない野菜でも自分たちで手をかけたものだからこそ、食べてみる気になります。ここに本物に触れることの意味があると思うのです。

  

 以下で自分たちで育てた野菜を食べた子どもたちの感想を共有します。

「みそしるがすきだった。なすが、おいしかった。」

「みそしるにごまがはいってておいしかった。あとナスピーマンもめちゃおいしかった つけものも すっぱくておいしかった」

「ピーマンがあまくて あじつけされてて おいしかった。あとなすのスープのだしがやさしいあじで おいしかった。」

「ぴいまんの にがみと なすとあじが おいしい。なすの つけものが こりこりしておいしい。なすの みそしるが あたたかくて おいしいなすのあじがするから とってもおいしかったよ。 なすぴいまんでなすの あまみが おいしいよ。」

「ピーマンとなすやさいあえが こうばしくて おいしかった。みそしるのなすが やわらかくておいしかった。つけものがすっぱかった。」

「おみそしるは だいにんきでした だから わたしは 1ぱいで うりきれでした ピーマンもナスもにんきで さいごのごこは じゃんけんでおわりました。おいしくて おみそしるもピーマンもナスもすきです またたべたいです。 わたしはわすれません また にがっき また たべたいです」「なすが、ちょっとあまかったよ。とてもおいしかったよ。ぴーまんがちょっとあまかったよ。」

「まずはみそしるは ちゃいろのところが めちゃくちゃすごかった ちゃいろのところが めちゃくちゃうまかった しろいとこ めちゃくちゃうまかった。」

「いちばんは なすとぴいまんつけものが おいしかっなすは すきじゃなかったけど おみそしるは おいしかったよ なんでなすは すきじゃないんかって それはね ぶにぶにしてるのが すきじゃないからた。2ばんは みそしるです。さんばんは なすのつけもの さっきひとつぶだから」

 

 

 

 

 2学期はどんな野菜を育てようか?と私自身も楽しみにしています。 

 

泥にまみれる

 1年生1学期の生活を紹介します。

 子どもたちは日々、畑や自然広場で遊んでいます。 自然広場は休み時間になると学年問わず笑い声が響く素敵な遊び場です。

 

陸地と島の間に配置されている石、通称飛び石。この飛び石を巡っても子どもたちは様々な葛藤があります。自分一人では飛べなくても周りに友だちがいて応援してくれたり、飛んでいく友だちを見て自分もやってみたいという気持ちになって、一歩踏み出せるのです。成功して友だちと一緒に喜んだり、それを見ていた他の子どもたちからも感嘆の声が上がることもあります。もちろん無事に成功することばかりではありません。失敗して落ち込んだり、励まされたり、そんなやり取りを繰り返しながら少しずつ挑戦していきます。 

 

自然広場だけでなく畑にも子どもたちは向かいます。自分たちの育てている野菜のお世話をしにいくのです。草取りや開梱をする中で土に触れ、たくさんの生き物に触れています。畑で草取りをしたあとは植物に水をあげます。その中で水のかけあいが始まることもあります。

 草船を作って自然広場に流して遊ぶこともあります。流れていく船の後を追いながら気づいたら池の中にいることも。雨が降った後の自然広場や畑に行って水たまりに飛び込んで泥だらけになることもあります。

 子どもたちは日々、自然と触れ合いながら気が付くとびしょ濡れ、泥だらけになっています。服が濡れたら乾かせばいいし、汚れたら洗えばいいのです。

 今しかできない時間と経験があります。子どもたちの“やりたい”を真ん中に学校生活を作り続けていきたいです。

 

    

物語とつながる葉っぱのお手がみ

夏休みの間に、子どもたちから暑中見舞いや残暑見舞いが届いています。元気に過ごしている様子や夏の思い出が書かれていて、読んでいるととてもあたたかな気持ちになります。

そんな残暑見舞いを読んでいるうちに、夏休み前に行った授業のことが思い出されました。

あるお友達が「文字が書ける葉っぱ」を見つけてきてくれたのです。その葉は「タラヨウ(多羅葉)」といい、裏面に傷をつけると黒く変わり、文字が浮かび上がる不思議な葉っぱ。昔は紙の代わりに手紙として使われていたことから「ハガキノキ」と呼ばれ、今でも切手を貼れば葉っぱのまま郵送できるそうです。

ちょうどその頃、国語の学習で『はるねこ』という物語を読んでいました。主人公のあやが、はるねこから葉っぱの手紙をもらう場面があったことに気づいた子どもたちは、「自分たちもやってみたい!」とわくわく。実際にタラヨウの葉におうちの方への手紙を書き、昔の人のやりとりに触れるような体験となりました。

『いつもおべんとうつくってくれてありがとう』

『パパいつもありがと♡』

『ママへ 大好き‼ママといっしょにいるだけでうれしいよ。本もよんでくれてありがとう♡』

『いつもごはんつくってくれてありがとう。♡☆△◇』

『かぞくみんなへ いつもありがとう’▿’ これからもみんないっしょにあそんでね。またいっしょにこうえんいこうね』

5年生八ヶ岳合宿その②

5年生合宿2日目。この日の名の活動は、ハイキングとキャンプファイヤーです。

去年、ハイキングは近くの滝までのミニハイクでしたが、今回はかなり距離を伸ばし、さらには団のメンバーだけで歩くグループチャレンジにも挑戦することに。

当日、とてもいいお天気の中出発しました。

前日までの雨で川が増水していたため、予定していた沢沿いを歩くことは断念。グループチャレンジも少し短い距離になってしまいましたが、高原の涼しい風を味わいながら、みんなで楽しく歩くことができました。

ゴールではおいしいソフトクリームをいただきました。

 

 

キャンプファイヤーは、係の人たちが点火の劇やダンス、ゲームを企画します。今年は完全オリジナルの劇を作りました。やぐらはキャンプファイヤー係以外の人たちで力を合わせて作りました。

本番では劇、ダンス、ゲーム、どれも大いに盛り上がりました。ダンスでは担任の先生にサプライズで踊ってもらい、こちらも盛り上がりました。

 

キャンプファイヤーの最後には、去年見ることができなかった満天の星が。夏の大三角はもちろん、北斗七星やさそり座など、夏の星座をたくさん見ることができました。管理人の方が「こんなにきれいな星空をは1ヶ月以上見ていない」と言っていたほど、見渡す限りの星空でした。

最終日。お世話になった寮に感謝の気持ちをこめて、きれいに掃除します。みんな時間いっぱい一生懸命掃除し、とてもきれいになりました。出発前には大きなヘビの抜け殻を発見!最後の最後まで自然を味わい尽くしました。

 

今年の合宿は去年と比べてどうだったでしょうか。4年生の時にはできなかったことも、今年はたくさん経験することができました。夏休み明け、みんなの思い出作文を読むのが楽しみです。

 

長崎平和宣言 [Ⅱ-433]

 雨風が続いています。大雨による大きな被害が伝わり、被害にあわれた方がたくさんいます。九州に住む友人から、「大雨で自宅缶詰。土砂崩れや道路、崖崩壊が心配」とありました。とても心配です。

 戦争が続いています。戦争で亡くなる子ども、飢えて亡くなった子どもの映像を見ます。この事実を知ろうとしなくてはいけないと思うのです。

 桐朋小6年生 広島修学旅行

 8月9日、長崎市長の平和宣言を聞きました。その後、平和宣言を写して読みました。毎年、しっかり読むようになったのは、2009年、長崎で土山秀夫さん(被爆者、医者)とお会いしてからです。土山さんは、平和への強い思いを伝えてくださいました。土山さんと出会って、土山さんが平和宣言の起草委員を務められていることを知り、平和宣言を学び考えていこうと思いました。

 2025年平和宣言は、「対立と分断の悪循環で、各地で紛争が激化」し、「人類存亡の危機が、地球で暮らす私たち一人ひとりに、差し迫っている」と書かれています。

 桐朋学園初等部で大切に使っている「地球市民」ということばも出てきます。宣言には、地球市民として、「人種や国境などの垣根を越え、地球という大きな一つのまちの住民として、ともに平和な未来を築いていこうという思い」が込められていました。

 NHKのニュースでは、今回の平和宣言の特徴として、「紛争をしている人たちに対して武力による争いを今すぐやめるように求め、核兵器が存在するかぎり、誰もが核兵器の脅威にさらされる「当事者」であることを強調」、「長崎の被爆者が大切にしている人種や国などの違いを超えた「地球市民」という視点を新たに盛り込み、「地球市民」として対話を重ねることで分断を乗り越えていく」ことが書かれていました。

 以下、原文を写しました。

 1945年8月9日、このまちに原子爆弾が投下されました。あの日から80年を迎える今、こんな世界になってしまうと、誰が想像したでしょうか。

 「武力には武力を」の争いを今すぐやめてください。対立と分断の悪循環で、各地で紛争が激化しています。

 このままでは、核戦争に突き進んでしまうー。そんな人類存亡の危機が、地球で暮らす私たち一人ひとりに、差し迫っているのです。

 1982年、国連本部で被爆者として初めて演説した故・山口仙二さんは、当時の惨状をこう語っています。

「私の周りには目の玉が飛び出したり 木ギレやガラスがつきささった人、首が半分切れた赤ん坊を抱きしめ泣き狂っている若いお母さん 右にも 左にも 石ころのように死体がころがっていました」

 そして、演説の最後に、自らの傷をさらけ出しながら、世界に向けて力強く訴えました。

 「私の顔や手をよく見てください。世界の人々 そしてこれから生まれてくる子どもたちに私たち被爆者のような 核兵器による死と苦しみを たとえ一人たりさも許してはならないのであります」

 「ノー・モア・ヒロシマ ノー・モア・ナガサキ ノー・モア・ウォー ノー・モア・ヒバクシャ」

 この心の底からの叫びは、被爆者の思いの結晶そのものです。

 証言の力で世界を動かしてきた、被爆者たちの揺るがぬ信念、そして、その行動が評価され、昨年、日本被団協がノーベル平和賞を受賞しました。日本被団協が結成されたのは、1956年。心と体に深い傷を負い、差別や困窮にもがき苦しむ中、「自らを救うとともに、私たちの体験をとおして人類の危機を救おう」という結成宣言をもって、長崎で立ち上がりました。

 「人類は核兵器をなくすことができる」。強い希望を胸に、声を上げ続けた被爆者の姿に、多くの市民が共感し、やがて長崎に「地球市民」という言葉が根付きました。この言葉には、人種や国境などの垣根を越え、地球という大きな一つのまちの住民として、ともに平和な未来を築いていこうという思いが込められています。

 この「地球市民」の視点こそ、分断された世界をつなぎ直す原動力となるのではないでしょうか。

 地球市民である、世界中の皆さん。

 たとえ一人ひとりの力は小さくとも、それが結集すれば、未来を切り拓く大きな力になります。被爆者は、行動でそう示してきました。

 はじめの一歩は、相手を知ることです。対話や交流を重ね、互いに理解し、小さな信頼を重ねていく。これは、私たち市民社会の大きな役割です。

 私たちには、世界共通の言語ともいえるスポーツや芸術を通じて、また、発達した通信手段を使って、地球規模で交流する機会が広がっています。

 今、長崎で、世界約8500都市からなる平和主張会議の総会を開いています。市民に最も身近な政府である自治体も絆を深め、連帯の輪を広げています。

 地球市民として、共感と信頼を積み重ね、平和をつくる力に変えていきましょう。

 地球市民の一員である、すべての国の指導者の皆さん。

 今年は、「戦争の惨禍を繰り返さない」という決意のもと、国連が創設されてから80年の節目でもあります。今こそ、その礎である国連憲章の理念に立ち返り、多国間主義や法の支配を取り戻してください。

 来年開催される核不拡散条約(NPT)再検討会議は、人類の命運を左右する正念場を迎えます。長崎を最後の被爆地とするためには、核兵器廃絶を実現する具体的な道筋を示すことが不可欠です。先延ばしは、もはや許されません。

 唯一の戦争被爆国である日本政府に訴えます。

 憲法の平和の理念と非核三原則を堅持し、一日も早く核兵器禁止条約へ署名・批准してください。そのためにも、北東アジア非核兵器地帯構想などを通じて、核抑止に頼らない安全保障政策への転換に向け、リーダーシップを発揮してください。

 平均年齢が86歳を超えた被爆者に、寝越された時間は多くありません。被爆者の援護のさらなる充実と、いまだ被爆者として認められていない被爆体験者の一刻も早い救済を強く要請します。

 原子爆弾で亡くなられた方々とすべての戦争犠牲者に、心から哀悼の誠を捧げます。

 被爆80年にあたり、長崎の使命として、世界中で受け継ぐべき人類共通の遺産である被爆の記憶を国内外に伝え続ける決意です。永遠に「長崎を最後の被爆地に」するために、地球市民の皆さんと手を携え、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に力を尽くしていくことをここに宣言します。

 8月5日『東京新聞』(上記)に、広島市の被爆者 笠岡貞江さん(92)の記事が掲載されていました。笠岡さんには、数年前から、桐朋小学校6年生の広島修学旅行で証言を聞いています。

 以下、新聞記事を写しました。

 

 原爆投下で両親を亡くした広島市の被爆者笠岡貞江さん(92)は、20年前から「被爆体験証言者」として国内外で核兵器の恐ろしさを語り続けてきた。「核兵器を使えば世界が滅亡する」。笠岡さんの体験や、平和への思いを引き継ぐ「被爆体験伝承者」は27人になった。

 1945年8月6日、両親は早朝から空襲に備えて家屋を壊す建物疎開の作業に出かけていた。笠岡さんは爆心地から約3.5キロ離れた自宅にいた。洗濯物を干して部屋に入ると、光が見え、風圧で飛ばされた。気が付くと頭から血が出ていた。

 爆心地から約2キロの場所から帰ってきた近所の人は、皮膚が垂れ下がり「広島は大ごとじゃ。ピカッと光ってみんなやられた」と言った。

 父は親戚の家にいることが分かり、翌朝、兄が連れて帰った。やけどで全身が真っ黒になった父は本人なのかどうかも分からない。「キュウリやジャガイモを擦りおろしたものを塗るぐらいしかできなかった」。好きだったビールを飲ませても、口からこぼれ落ちるだけだった。

 逃げる途中ではぐれた母や、学童疎開中の弟を心配し「頼む、頼む」と言って8日に息を引き取った。

 母は、多くの負傷者が搬送された広島湾の似島にいた。兄が名簿を確認すると、父と同じ日に亡くなる火葬されていた。残ったのは、遺髪と遺骨が入った袋だけ。「学童疎開から帰ってきた弟は、仏壇を見てぼうぜんと立ち尽くしていた」

 翌年になって笠岡さんの体には吹き出物ができ、膿が出た。治るまで約半年かかった。高校卒業後は広島県庁に勤務。結婚し2人の子どもに恵まれたが、被爆者の夫はがんを患って35歳で亡くなり、幼い子どもを抱えながら働いた。

 被爆体験を初めて話したのは孫の小学校。文章や絵で自分の思いを上手に伝える児童の姿に感銘を受け、2005年に広島市の被爆体験証言者になった。「戦争や核兵器はいけん、という力が市民から上がってほしい」と国内外で話している。

 今は30~80代の27人が笠岡さんの伝承者として活動する。「皆さん熱心。私がいなくなっても伝えてくれる人がいて幸せ」。笠岡さん自身も今月11日から米ハワイ州を訪れ、現地の学校などで証言する予定だ。「原爆を知らない人に知ってもらいたい。二度とあってはいけないことだから」

 笠岡さんの証言をお聞きして(広島修学旅行)