新しい風 [Ⅱ-160]

 子どもたちから、異年齢のまじわりが自己教育力を伸ばすことを学んでいます。ブランコを立ち乗りできる、アスレチックの棒を滑りおりることができる、雲梯の棒の上にのぼることができる、木にのぼることができる、速く走ることができる、缶ぽっくりにのって歩くことができる、そうした子の姿をみて、自分もやりたい(願い、欲求、自発性、自主性)、やりたいけれどうまくできない、でもやりたい(失敗や試行錯誤、工夫や手立て、粘り強さなど)、できた瞬間の喜びなど、命を活き活きと輝かす瞬間に出あわせてくれます。

 雲梯では、5歳の子たちが2段とばしや逆さまになってぶら下がる、足をひっかけて手をはなす、横にすすむなど、どんどん技を編み出しています。それを4歳、3歳の子が見ています。4歳の子が挑戦したものの、2歩目で落ちてしまうことがありました。そのまましゃがんで手に砂をつけました。その様子をみていた3歳の子が、しゃがんで手に砂をつけたのです。自分もやりたい、4歳、5歳の子のようになりたいと、願いや憧れを育てているのだと思いました。

 最近読んだ本に『遊びが学びに欠かせないわけ』(ピーター・グレイ著、築地書館)があります。異年齢のかかわりが、「子どもが主体的に自分を教育するのに欠かせない鍵」と書かれていました。それは「人類の歴史の99%の期間で異年齢混合の遊び方をしていた」歴史や、「直接的にやりとりをしていなくても、年少者は年長者がしていることを見たり、話していることを聴いたりすることで学びます。年長者がしている活動を観察することで、年少者は、その活動がどのように行われるのかの感触を得ることができ、それを試してみたくなります。年長者のより洗練された言葉や考えを聞くことで、年少者は自分の語彙を増やし、自分の考えを向上させることができます」という実践や記録から述べていました。このことは、ぼくが学んでいる子どもの姿に重なりました。  

「子どもが新しいスキルや理解をもてるようになるのは、自分の「誰かの助けでできるようになる領域」で他者の協力を得ることが多いこと」(レフ・ヴィゴツキー)という提起もあり、今後の保育、教育の課題と受けとめました。また、年長者にとっての異年齢のかかわりの意味や幼小で異年齢のかかわりの実践とその意味についても考えてみたいです。

 子どもたちは大事なものに気づかせてくれて、未来をこんなふうにしていきたいという希望をもたらせてくれます。

 掲載した写真は、異年齢のまじわりに出あった瞬間です。その子がどのような気持ちでいたのかをいろいろいと想像しています。(PTA機関誌『わかぎり1号』7月2日発行より)

第3回学校説明会受付時間について

第3回学校説明会の受付時間について 

Aコース受付時間 9:15~9:30

B、Cコース受付時間 9:55~10:15 です。

ご来校の際は、受付時間内でよろしくお願いします。恐れ入りますが、あまり早く到着することのないようにご配慮いただけますと幸いです。

B,Cコースの受付時に混雑が予想されます。あらかじめご了承願います。

尚、当日受付にて、受付表をご提出いただきます。スマホなどの端末から予約画面をご提示いただいても構いません。どちらかが必要ですので、あらかじめご準備下さい。

また施設見学コースをご予約の方は、上履きと靴袋をご持参下さい。

明日も大変暑い1日になりそうです。どうぞ軽装でお越し下さい。

よろしければ、学校説明会のページもご覧下さい。よろしくお願いします。

土曜参観~2年生竹馬づくり~

先日の土曜日、2年生は竹馬づくりをしました。本物の竹に触れ、おうちの人の力を借りながら自分たちの手で竹馬を作り、その竹馬を操作し、乗れるようになることを目指します。

3m近い竹を自分のちょうどよい高さに合わせたり、のこぎりで竹を切る補助をしたり、やすりで木のザラザラをなめらかにしたり、金槌で釘を打ったり、子どもたちは自分のできることを探して、完成することを楽しみにしていました。

おうちの方も力仕事ばかりでなく、特に針金を竹と足場の木が外れないように5周巻いて固定するところを丁寧に、隙間ができないように、がんばって作ってくれました。

 

おうちの方にとっても、普段なかなか体験することのない作業ばかりでしたが、こちらも大人同士が声を掛け合って作業してくれていました。こうした姿を子どもたちが見て、学んでいくことは、とても大事な育ちだと考えます。

完成した竹馬を嬉しそうに抱え、早速少し練習しました。ここでもおうちの人が支えてくれていました。

今週早速、授業で竹馬に両足で乗ってみるところから始めて、一歩、また一歩と、だんだん歩けるように、子どもたちは教え合いながら練習しています。

 

おそらく近いうちに竹馬ブーム到来がすることでしょう。

5年生の音大訪問

音楽の授業の一環で、5年生の子どもたちと桐朋学園音楽大学を訪問しました。

毎年土曜参観の保護者会の時間にお世話になっており、今年で6回目です。

いつも目にする音大の校舎ですが、中に入るのは初めてという人がほとんど。

みんな、わくわくしています。

玄関の大きな庇の下で、高校部長の合田先生が迎えてくださいました。

地下の教室には、打楽器を専攻する学生さんが待っていてくれました。

オーケストラではいっぱい楽器を使いますが、

ヴァイオリンなどの「弦楽器」、トランペットなどの「管楽器」、

それ以外たくさんあるものを「打楽器」の奏者が担当するんだよ、との説明を受けて

みなビックリ。

見慣れたタンブリンやカスタネットの特別な奏法も見せていただきました。

単に「たたく」と言っても、様々な音がします。

「大きな音がするから、覚悟してね」と言われていたのに、タンブリンの予想をはるかに上回る激しい響きに一同「わあっ!」とあとずさりするほどでした。

叩く・打つ、という音の出し方のほかに、指で擦って回りの鈴を響かせる奏法も見せてくださいました。

それらの組み合わせを子どもたちがリクエストしたところ、お兄さんがすぐにやって見せてくれて、かっこよかったですね。

このあと音楽室にある打楽器でいろいろ挑戦する子どもたちの姿が目に浮かびます。

 

コントラバスのお兄さんは、5本も弦のある楽器を持ってきてくれました。

深い豊かな響きが部屋に広がりました。

低い音を代表する楽器ですが、子どもたちは「一番高い音はどこまで出ますか?」と質問していたのが印象的でした。

 

最後に、金ぴかの大きな楽器が台車に乗ってやってきました。

「人魚姫のやつだ!」「かっこいい!!」と子どもたちは大興奮。

そう、ハープです。「美女と野獣」のテーマ曲を弾いてくださいました。

とても優雅な形と音色の楽器ですが、足元では忙しくペダルの操作をするそうです。

最後に、数名が実際にハープに触らせていただくことになりました。

「しっかりしたいい音だね」と褒めていただいた人もいましたね。

こんなに目の前で、生の音に触れて、演奏者と対話ができる。

桐朋学園ならではの光景です。学生のみなさん、合田先生、ありがとうございました。

  

 

学園のつながり ~小学生の「音大」見学~ [Ⅱ-159]

 6月23日(土)、今年も桐朋学園大学音楽学部(以下、音楽大学)の合田先生、学生さんにお世話になり、小学5年生の「音大」見学ができました。本物に触れ、音をいっぱいたのしんだ子どもたちは、たくさんの刺激を受けたようです。このあとの文章は、初等部の音楽科 飯田彩子さんが『桐朋教育』の原稿として「学園のつながり・「音大」見学」をまとめたものです。ぜひみなさんにも読んでいただきたいと思いました。

 

 仙川キャンパスの隅々まで我が物顔に闊歩する小学生だが、毎日目にしながらも唯一未知のエリアがある。それが音楽大学だ。旧館があった二年前までは、ガラス越しの通路でホルンやトロンボーンの練習に励む学生さんの姿が見えてはいたのだが、新しい校舎になりそれもなくなった。

 よく聞かれるのが「音楽大学があるから、桐朋小の音楽の授業でも専門的なことをやっているのでしょう?」というものである。それは全くの勘違いで、子ども達はとてもたくさんの歌を楽しみ、リコーダーをシンプルに演奏している。だからこそ、ぜひすぐお隣の校舎に満ち溢れている、普段は馴染みのない「音楽」「楽器」と触れ合う機会を持ちたいものだと長年考えていた。

 近くて遠い「音大」への道が拓けたのは6年ほど前のこと。高校部長を務めておられる合田先生から「ぜひ来てくださいよ!」との言葉をいただいた。とはいえ小学生の生活と大学の授業時間を合わせるのはなかなか難しい。そこで、土曜参観後の放課後を利用することになった。

 最初は希望者の数名の六年生と伺った。古い校舎の各階の廊下に楽器を鳴らす学生さんがいた。合田先生に連れられて小学生がぞろぞろと歩いていく。クラリネットのお姉さんに出会うと、「練習中ごめんね、小学生に楽器見せてあげて」「リードはどんな風になってるの?」と至近距離で子ども達に覗くように促してくださる。ハープの部屋をノックすると運よく学生さんがいて、ここでも突撃インタビューが開始。「ハープはどのくらいの低い音、高い音を出せるの?」「足元のペダルは、どういう役割?」。子ども達は初めて近くで見る大きな楽器に圧倒された。最後は、少し照れながらも、タラララランと弦を撫でて、うっとりしていたのが印象的だった。

 以降、希望者との訪問が数回続いたのだが、貴重な経験をその後の音楽室での授業にも活用したいという願いから、3年前より授業の一環と位置付けて学年単位で訪問している。

 『全員で』というのは実は少しプレッシャーがあった。というのも、「そんなの興味ないよ」と反発する小学生もいるのではないか? 集中が続かないのではないか? という不安があったからだ。その上、土曜参観の緊張感から解放された子ども達である。高学年玄関で整列して出発する前に、口を酸っぱくして言い聞かせた。これは、音楽の授業である。すぐそこだけれど、大学という別の場所にお邪魔するのである。大学生の貴重な勉強の間をみんなのために割いてくださるのだ・・・等々。しかし、たった二分歩くだけだが、『毎日見ているけれどよく知らない場所に行く』というのは、思いのほか良い緊張感があったようで、普段やんちゃな子ども達も集中して参加することが出来ていた。

 2016年度は、工事の関係で校舎内をめぐることは難しく、管・打楽器のグループ発表会にお邪魔させていただいた。学生さんの他、それぞれをご指導される先生方も一同に会して、少し緊張感のあるステージ。子ども達も「なにがはじまるのだろう?」身構えていたところ、最初にトライアングルなど身近な楽器が登場し、意表をつかれた様子。とはいえ、子ども達が普段鳴らすのと同じと楽器とは思えぬ、様々な技法や音の重ね方を目の当たりにして、一気に高揚した表情になった。その後に続く正統的(?)な五重奏の発表も、なにかを発見しよう、感じよう、という姿勢が感じられた。子ども達の感想からは、楽器そのものの構造や奏法にとどまらず、実際に演奏する姿から「息をあわせる」「ちょうどよく音をまぜる」「チームワーク」などの、音楽を作る大切な場面・要素を感じ取った人も多くいたようだ。

 ○トライアングルだけでいろいろな音が出せてすごいなと思った。

 ○印象にのこったのは、みんなが一緒に吹くところ。すごく息がそろっていました。生で、迫力があった。

 ○ぼくが一番興味をもったのは、トランペットです。楽器すべてがキレイだったけれど、すごく通るような音だったから。

 ○はじめて管楽器の合奏を聞いたけれど、予想した音よりも全体的にとても大きかったことが印象にのこった。

 ○知りたくなったことは、なぜ指揮者がいないのか、ということ。ぼくたちがやっている音楽会では必ず指揮者がいるのに、とても気になった。

 ○ファゴットは、すごく長くて空気を吹くのにすごく肺活量が大変そうだった。吹き込み部分の形が他の楽器とちがっていた。

 ○ホルンは、吹くところ以外に長い管がたくさんあっておどろいた。あと、指のパーツが外せることにも驚いた。重さや構造が知りたい。

 ○みんなと目を合わせて、タイミングを測っていたところが印象にのこった。ちょうどよく音が交ざっていた。

 ○サプライズで、カウボーイの格好でトロンボーンを吹いてくれて、かっこよかった。のばしたり、ちぢめたり、すごく音の場所を覚えるのがむずかしそうだけど、一回吹いてみたい。

○きいたことないような楽器があって、びっくりしたので、もっといろいろ知りたいとおもった。今度は、練習風景も見たい。  

合田先生、学生のみなさん、ありがとうございました

 そして、2017年度はいよいよ新しい校舎のお披露目でもあった。長期間工事の柵に覆われていた分、興味も高まる。五年生の子ども達と校舎に一歩中に足を踏み入れると、木の香りがいっぱいにひろがり、皆思わず「いいにおいだねえ!」「なんか、落ち着く!」。注意事項を守ってのひそひそ声が微笑ましい。ピカピカの校舎を3階までのぼると、管・打楽器のアンサンブルクラスの学生さんたちが、子ども達が楽しみながら聞けるプログラムを用意して待っていてくださった。軽快な曲の合間、楽器の特徴を、時にはクイズ形式にして、興味を引き付けながら話してくれる。

「チューバの管はのばすと何メートルあるでしょう?」(答えは、5~6m)「ホルンは昔、何かの時に必要でした。な~んだ?」(答えは、狩り)

 5年生は直前の授業で、小学校の倉庫にあった古い楽器をいくつか手に取ってはいたが、さすがにファゴットやオーボエとなると初めて目にする人も多く、椅子から身を乗り出すようにして眺めていた。

 ○カスタネット、ただ叩くだけでつまらないじゃん、と思ってたけど、ああやってみんなで合わせてやると、楽しいなあ。

 ○タンバリンもたたき方しだいで音がかわっていておもしろい。

 ○マリンバは、叩く棒の種類によって音が違うことがわかりました。

 ○コントラバスは想像以上に低い音だった。

 ○生で音楽をきいて、おとの響きがいつもとちがってすごかった。こんなにちかくでラッキーだった。

 小学校に学生さんを招くことも考えたのだが、お邪魔することで、より受け身にならずに参加できているように感じている。家庭で演奏会に出かけたり、音楽教室に通っている子どもも少なからずいるが、皆で同じ生の演奏にふれる経験は代えがたい。トライアングル一つをとっても、見学の後の授業で「にやり」と笑って意味ありげにビーターを振ったり、音楽室の椅子をパーカッションに見立ててリズムをとったり、日常の生活が彩られていく実感がある。また、あの校舎の中で学生さんたちが日々音楽と真剣に向き合っているということがわかると、通学路の景色も少し変わって見えるのではないだろうか?

 最後に一番嬉しい感想を紹介する。

○土曜参観の後、いつもは映画を見ながら保護者会が終わるのを待つけど、映画より全然楽しかった!また行きたい! (本稿は、2018年7月教育研究所発行の『桐朋教育』に掲載)

梅雨の晴れ間に

蒸し暑かったり、急に涼しかったり。

とても落ち着かないお天気ですが、子ども達は素敵な遊びを見つけます。

低学年のグリーンテラスに色とりどりの傘のお花が咲きました。

このあと、教室中の置き傘を全部広げて、満開になったそうです。

5年生は明日、隣接する桐朋学園音楽大学を訪問します。

今日は音楽の授業で、楽器の種類を学びました。

管楽器、打楽器、弦楽器、鍵盤楽器、和楽器、などなど

見知っている楽器を分類してみた後、

倉庫にあった古い管楽器をいくつか触ってみました。

「どうやって持つの?」「なんで音が出ないの?」「唇が痛い!」「お腹が疲れる!」と

にぎやかな声が聞こえてきました。

今日、先生が必死の思いで鳴らしたトランペットからは、

まるでゾウの鳴き声みたいな「へなちょこ」の音しか出てきませんでしたが、

音楽を学ぶ学生さんたちは、これらの難しい楽器からどんな素敵な音を聞かせてくださるでしょう。

みんなの楽しみな気持ちが増しています。

土曜参観の明日も、どうか晴れますように!

 

1998年にできたしぜんひろば[Ⅱ-158]

 昨日、元校園長の宮原洋一先生より、「しぜんひろば」にかかわる資料一式をいただきました。資料の中に、「しぜんひろばクラブ」の通信がたくさんありました。当時、宮原先生がしぜんひろばの川から草原に投げられた小石を拾っていると、「いっしょにやっていい?」という子がいて、楽しそうに小石を拾いはじめたことがクラブのはじまりだそうです。それから自然発生的に子どもも参加して管理の仕事ができるようになり、ボランティア活動を呼び掛けると25名ほどの子どもたちが集まって「しぜんひろばクラブ」が発足しました。

  1999年

 いただいた「しぜんひろば」通信からいくつかを紹介します。

 これは困った困った石のしまつ?

 池の中にある石で遊ぶのはいいのですが、石を投げたり、人に迷惑になることはしないでください。大きな石をコンクリートなどにたたきつけないでください。そうすると、コンクリートにひびが入ってしまいます。

 元気に泳ぐ金魚ちゃん

 しぜんひろばクラブでは、金魚を4匹池にはなしました。さっそくすくって教室に持って帰った人がいます。その人は返しましたが、とったりしないでください。元気に泳いでる金魚ちゃんを見てください。

 え? そうじしてたら とんぼがとびだした

 五月二八日(月)のしぜんひろばの活動では、ポンプしつの掃除をしました。鉄のふたをあけたところ、むぎわらとんぼが飛び出しました。ポンプ室の中でやごがとんぼになったようです。暗いポンプ室に閉じこめられていたとんぼは、しばらくそばにとまっていましたが、空高く飛んでいきました。急にとんぼが出てきたので、しぜんひろばクラブの人たちは、びっくりました。

 ざくろの花が満開です

 今しぜんひろばでは、ざくろの花が、今、満開です。だいだいいろの花が咲いている木がざくろです。

などでした。他には、「ざりがに逃げ出す」「たなごなどの魚を池にはなす」「とんぼたすかる」「おおばこ増える」などが書かれていました。はじめの方はいろいろな「訴え」もありますが、だんだんとその子その子の発見が豊かに表現され出して、嬉しい気持ちが伝ってきました。

 「しぜんひろば」の誕生は、1998年秋。「子どもをめぐって殺伐とした出来事が日常化してしまった現代において、そのことを憂えたり、評論したりしてもはじまらないので、少しでも子どもたちの成長にとってよい働きをする環境を整えたいという強い想い」(初等部ブックレット『子どもを原点とする教育』宮原洋一)が込められていました。

 「それから一年後、この広場は小さな池と川、小山のある広場へと変身しました。子どもたちは、この新しい広場を「しぜんひろば」と名付けました。九月に全校の子どもたちが集まって広場開きが行われました。川や池を造るのに同窓会のご協力がありました。(中略)広場には卒業記念の樹木、調布市や東京都から頂いた樹木が次々と植えられていきました。それらは、コナラ、クヌギ、トチ、シイ、ヤマモモ、クルミ、ミカン、ヤマボウシ、ケヤキなどの木々があり、めずらしい、楓の一種であるハナノキも植えることが出来ました。」(同上)

 宮原先生は、「休み時間や放課後、広場で遊ぶことをとても楽しみにしている子どもたちの姿を見ると、希望がわいてきます。このような場所と時間さえあれば子どもたちは実に生きいきと活動します。目の輝きが違ってきます。」(同上)と言います。このことは、現在まで続いています。

 

 子ども時代にこそ、直接経験を通しての感受性、感性を育みたいです。「本当にわかる」とは、「そのものになる」ことです。知識、情報が溢れるなかで、理屈抜きに感じとる経験をしてほしいと思います。子どもたち、ものの世界に対する「不思議」「おもしろい」「近づきたい」「触りたい」「もっと知りたい」などの気持ちと行動をたくさん育んでください。

願いと実践をつなげていけるように [Ⅱ-157]

 私たちは、子どもと授業、子どもと実践をたくさん語り、学び合いたいと思います。時には、どんな園や学校にしていきたいか話し合います。それは次のようなことです。●私たちの保育、教育目標について、子どもをどう見て、励ましているかなどを語り合う。●私たちの保育、教育の社会的意味を考える。内容が社会的に認められるものをつくり出していけるようにしたい。●私たちの未来、こんな社会、世界をつくりたいという大きな夢も語り合う。

 

 初等部では、「一人ひとりの、幸せな子ども時代のために」ということばを使います。その意味は、「一人ひとりが授かった命を大切に育み、自分らしく命を輝かせる、なかまや大人とかかわり、ちがいを認め合い、ゆたかな世界をつくり出していくことです。別のことばでいえば、「個の尊厳」「基本的人権」を大切にし、その子その子の人間性を豊かに育むこと」を願っています。

 別のことばでいうと、あせらず、ゆっくり、たっぷり自分らしく子ども時代を過ごすことができる。一人ひとりが感情や意思をもった人間として尊重され、なりたい自分に向かってその子の可能性が最大限伸ばされるよう応援してもらえる。自分に関係あることについては意見を言える、その意見は考慮されなければならない(意見表明権)。大人になったとき自由な社会の中で自分の発言や行動に責任がとれるように子ども時代から経験し、学んで準備をしていく。その子にとって何が一番いいかが最優先して考えられる(子どもの最善の利益)などを大切にしていくことです。

 

 私たちが大切にしている「自治」では、大きな夢として、すべての市民が、政治主体として政治に参加、参画するようになるということへの願いを込めています。環境、平和、子育てなど、市民が当事者である問題が普遍化する現代を一人ひとりが主人公となって創っていきたい。一人ひとりが思考、判断し、行動に参加する主体になりたい。そのためには、「子どもの権利条約」にあるように、意見表明権やその思想から子どもたちに保障していくことが大切で、幼小期よりそうした力を身につけるような保育、教育をすることが大切だと考えています。

 はじめに述べた3つのことがつながるように、試行錯誤しながら、日々の取り組みを大切にしていきたいと思います。

 

 図書室には、「かこさとしさん、ありがとう」の紙とたくさんの飾りが貼られています。かこさんの本が好きな子たちがたくさんいます。「これからの未来をおしすすめ、/もっとよい世界にするため/科学や学問を身につけ/ちがった意見をよくきき、/考えをふかめて実行する/かしこい人にみんななってほしいと/願っています そして 自分のくせや体力に合った/やり方や練習法をみつけて、/自分できたえて、たくましくて/しなやかな能力と すこやかな心を/そなえた人になるよう努力してください」というかこさんのメッセージを大切にしていきます。