投稿者: tohoblog
平和をつくる[Ⅱー358]
6年生夏休み課題レポート集を読ませていただきました。レポートには、戦争体験の聞き取り、地域の戦跡をめぐって、各地の記念館へ行く、戦争について調べたことなど書かれていました。保護者、ご家族の皆様にもいろいろと助けていただき、ありがとうございました。
今回、戦争体験の聞き取りを行った人のレポートより、その内容を紹介させていただきます。読ませていただいて、私自身がたくさんのことを教えられました。もし皆様に読んでいただけたら、一緒に〈戦争〉について考え、〈平和〉をつくることをひろげていけるのではないかと考えました。
広島より山岡さん(被爆2世)が来てくださいました。〈戦争と平和〉について学びました。ありがとうございます。
■おばあちゃんから話を聞いた
私の祖母(81歳)に戦争の話を聞きました。/おばあちゃんが生まれた日は、日本にはじめて飛行機が飛んできて空襲があったそうです。
おばあちゃんのお母さんは、おばあちゃんを生んだばかりで、空襲警報が鳴っていても逃げることもできず病院にいたそうです。八王子空襲があったのは、昭和20年8月3日の夜中で、終戦の日の12日前だったそうです。夜中にB29がたくさん飛んできて、八王子中を焼夷弾が落とされたそうです。この時、八王子は町中火の海になったそうです。
おばあちゃんのお母さんは、おばあちゃんをおんぶして、火事になっていない京王線の線路の上を北野の方へ走って逃げたそうです。その時おばあちゃんのお母さんは、おばあちゃんに「八王子が燃えているのをよく見ておきなさい」と言って、おばあちゃんの頭からかぶせてある水でぬらした小さなお布団をめくったそうです。おばあちゃんは布団の隙間からこわごわ空を見たそうです。その時、八王子の街が真っ赤に盛り上がっていたそうです。
今でもおばあちゃんは、その時の光景は頭の中に残っているそうです。おばあちゃんのお母さんは70歳をすぎてから本をつくり、全国の大学、図書館に送り、「戦争は絶対してはいけない」という気持ちを込めて書いたそうです。
■祖父母から聞いた話
戦争が激しくなり、勉強もできる状態ではなかった。日本軍の24部隊が成東に来たことで、学校が部隊の生活拠点となり、学校の教室が軍に取られてしまった。
祖父母達は、学校の外の寺子屋で勉強することとなった。/ある日、B29が隊列を組んで成東上空にやってきた。成東駅には大きな弾薬庫があり、その弾薬庫が狙われたのです。町では、弾薬庫が大爆発すると、町周辺が爆風に襲われ大破することから、防空壕に避難するよう警戒警報が鳴らされた。祖父母は自宅の防空壕に逃げ込もうと兄と一緒に避難したが、多くの患者が防空壕に避難していたため入れず、兄が祖父母の手を引き、家の押し入れの布団の間に押し込んでくれました。
その直後に家は爆風に襲われ、壁や窓が破壊され、粉々になりましたが、兄の機転で兄と祖父母はなんとか一命を取り留めました。
爆発後、町には多くの亡くなられた方々だけではなく、怪我人が大勢いました。手や足を失った人々が大勢担ぎ込まれ、父、母、姉の家族総出で手当に当たったそうです。(この時、上の兄たちは出征していました。)この時、祖父母は毎日が本当につらい生活で、なんでこんな戦争をしたのかしみじみ思ったそうです。
■アルバムから考える戦争
ぼくのひいおじいちゃんは、今から20年前に亡くなりました。なので直接話を聞いていません。おじいちゃんやおばあちゃん、お母さんや、おばあちゃんのお兄さんから話を聞いたり、ひいおじいちゃんが残してくれたアルバムと日記で、ぼくはたくさんのことを知りました。
1度目の召集の時と、2度目の時では様子が全くかわったことが分かりました。1度目の時は、現地の人と運動会を開いている様子の写真があったけれど、2度目の時は食糧も武器も弾薬もつきて、マラリアの治療薬も消毒もなく、精神力だけで戦って生きていたことが書いてありました。読んでいると、苦しくなるくらい悲惨な日々だったと想像できました。また、マラリアになった仲間や負傷した仲間の遺書を受けとり、その内容を日記に記していました。
ひいおじいちゃんも負傷しました。西部ニューギニア島で、右大腿部に弾丸が貫通したそうです。傷がなかなか治らず、気がついたら船で日本に向かっていて、記憶がなかったとのことです。日本に帰ってきてから終戦後もずっと仲間たちと連絡をとり続け、名簿を毎年更新していました。とても几帳面で、まじめな性格なのが分かりました。同時に、共に戦い、日本に帰れなかった仲間たちへの思いも苦しみも書いてありました。今を生きているぼくたちには、分からない苦しみで、戦争をすることで、失う心や命があることを強く感じました。
戦争は領土を拡げるために行っていたのだと思うけれど、失う物が多すぎるので、話し合いで日本の技術や作物と物々交換するwin-winの関係を築くことができたら良かったと思います。
■祖父に聞いた戦争の話
戦争当時、祖父は10歳だったそうです。/三鷹に住んでいたころは、周りにお家が少なく、畑に囲まれていたそうです。
防空壕は庭を井戸の水が出るくらいほって、竹でかべを作り、石で床を作った物だったそうです。階段も作り、厚い板を防空壕の入り口にかぶせ、30㎝ほど土をのせていたらしいです。防空壕の中には、かんづめやいつもは食べられないお菓子が置いてあり、時々食べる事が出来たので嬉しかったそうです。
ラジオから警戒警報や空襲警報が鳴ると、急いで防空壕に入り、警報が解除されるのを息を殺して(時々お菓子を食べながら)待っていたそうです。その時代は、防空壕の中でラジオを聞く事が出来なかったため、サイレンで警報が解除されたらしいです。警報を知らせてくれるラジオが命のつなだったそうです。/防空壕の中にあるのは、懐中電灯やロウソク、かんづめとお菓子だけでした。
「1t爆弾」という爆弾が、祖父の家の目の前の家に落ち、音を聞きつけ、助けに行ったそうです。その時は、その一家のご主人を抜いた5人が、祖父と家族が土を掘り起こしたりしましたが、助かりませんでした。ご主人は、忘れ物を取りに行っていたので、骨折はしましたが助かりました。
また、玉川上水の土手に爆弾が落ち、土手と道路がえぐられたそうです。消防車が助けに来た途中、穴に落ちて一人が亡くなったそうです。
当時は、窓ガラスの内側と外側の両方に厚いテープをはっていたらしいです。*図版あり。なぜなら、爆風が来てもこのようにしてはると、ガラスが割れない可能性が高くなるからです。なので祖父の家はガラスさえ割れなかったそうです。
敵が時限爆弾を落として行ったので、井之頭公園に2日間野宿をしたらしいです。時限爆弾は、落ちると土にもぐり、10~20時間後に爆発するそうです。なので、野宿している間に、家の庭にもぐった時限爆弾を取り除いてもらいました。ちなみに3つほど落ちていたようです。
その後、お父さんが平塚の基地に勤務したので、寒川に移り、小学校も移りました。その小学校は海添いで、敵が近所までよく来ていたそうです。艦載機が朝の10時ごろ、しょっちゅうやって来ていました。その時は危ないので、学校はお休みになり、はだしで走って家に帰っていました。家までの1.5㎞をはだしで帰るのですが、家にたどりつくまでに艦載機がやって来るそうです。そのころは5月で、父は畦道を走っています。田んぼには水がはっていました。艦載機が面白半分で、低空飛行をして、近づいておいかけてきたらしいです。パイロットの青い目が見えるくらい近くまで来ていたそうです。艦載機が機関銃の弾を連続で発射してきたので、田んぼの水面に弾があたり、はじけた水のあとが自分に追ってくる感覚だったそうです。(まだまだ続きます)
ここには紹介できなかった方のお話もたくさんあります。お話をしてくださった皆様、ありがとうございます。
木管の調べ〜五つの楽器、五つの性格〜
今日のプレイルームは、いつもとちょっと違う雰囲気です。
フルート、オーボエ、ホルン、ファゴット、クラリネット。
木管五重奏のミニコンサートが始まるのです。
桐朋学園大学音楽学部のみなさんが楽器を抱えて登場すると、3年生の目が輝きました!
最初はフランスの作曲家、イベールの作品。キラキラと5つの音が重なります。
続いて、それぞれの楽器の紹介がありました。
3年生にとっては、はじめて見聞きする楽器もたくさん。
小鳥の声のようなフルート。
演奏するのがとても難しいオーボエ。
くるくるとカタツムリのような渦巻きのホルン。
長いくだを、半分に折り曲げたファゴット。
そして、オーボエとよく似ているけれど、リードの形が違うクラリネット!
それぞれの音色を知ったところで、きらきら星の変奏曲を聴きました。
いくつ「変奏」があるか、指を折って数えながら聴きました。
最後は、木管楽器による♪クラリネットをこわしちゃった です。
3年生がいつも歌っている楽譜から、木管五重奏用に編曲してくださったのです!(なんという贅沢!)
5つの楽器それぞれがメロディーを受け渡しながらの、かっこいいアレンジ。
「こわれて、どうしよう!」と悩む場面のヘンテコな音も見事なアクセントになっていて、3年生も先生たちも大感激。
一緒に歌う場面では、みんなの嬉しそうな声が響きました。
夏休み中にもかかわらず(大学生の夏休みは、小学生よりも長いのです!)
さまざま準備してくださった学生のみなさん、ありがとうございました!
この出会いは、子どもたちの世界をまた少し広げてくれることでしょう。
後半では、幼稚園の子どもたちも楽しませていただきました。
同じキャンパスで学ぶ音楽家のみなさんの演奏を、いつもの授業で味わう。
桐朋学園ならではの、贅沢なひとときでした。
【子どもたちの感想から】
◯音楽会、きれいな音色だったよねー!とくに、最初の自己紹介より前の曲が、ぼくは一番好きだった。
◯ひとつひとつの楽器の音が出ていて、すごく聞こえやすかった。こういうコンサートは初めてだけれど、とても楽しめた。ぼくもふけたらいいな〜と思った。
◯フルートは小鳥のようなかろやかな音色、ホルンはくまのようなひくい音でした。ホルンはむかし、狩につかわれて、えものが来た時にならすので、音が出るところが後ろになったなど、楽器のちしきもえられたのがとてもおもしろかったです。私は木管五重奏の五つの楽器にもせいかくがあると思いました。
防災の日
9月1日は防災の日。
この日は、今からちょうど100年前に関東大震災が起きた日です。
桐朋小学校でも、先日、災害時に保護者の方に児童を迎えに来ていただく、引き取り訓練が実施されました。
防災の日、そして引き取り訓練という機会に各教室では関東大震災の新聞記事や、動画などを見ながら災害が起きたらどうするのか、みんなで考えます。
「もし、登下校中に地震が起きたらどうしたらいいかな・・・。」
「火事が起きていつもの階段が使えないときは?」
「教室にいないときはどうする?」
「もし学校に泊まるときはどうなるんだろう。」
これは実際の話し合いで出された、子どもたちの声です。
「もしものとき」を現実のものとして、真剣にとらえたからこそ生まれてきた疑問だと感じます。
自分の命を自分で守る。
そのために、「もしものとき」のことをこれからも、考え続けます。
本日(9月8日)の登校について
本日(9月8日金曜日)は、台風13号が関東地方に接近の予報が出されています。
そのため、本日は休校とします。
各家庭で安全確保に努めて過ごしてください。
予定されていたPTA活動なども延期とします。
パン・おにぎりの申し込みをされていた方には、後日返金いたします。
桐朋小学校
暑い夏休みを経て、2学期がスタートしました
夏休みが終わり、2学期がスタートしました。
今年の夏は7月8月ともに、記録的な猛暑日が続き、過去126年間で最も暑かった事が報告されています。
(園長・校長コラム『風』現在を「地球危機」「気候非常事態」と考えて、地球市民としてどう生きるか [Ⅱー357])
そんな暑い夏休みをどう過ごしたか、クラスのみんなに話したり、日記を見せ合ったり、挑戦した事や研究した事を発表したり…それぞれの学年クラスで共有しました。
友だちや先生と久々の再開。みんなの笑顔があふれていましたね。
始業式では、4年生が初めての「八ヶ岳合宿」について、全校の子どもたちに向けて報告してくれました。
八ヶ岳で見た星空がとても美しくて感動したこと、流れ星を見ることができたこと、自然の中でたくさん遊んだこと、野外料理で作ったカレーがおいしかったこと…など話していると、
「はやく4ねんせいになりたーい!」と、低学年の子たちから大きな声がたくさん聞こえてきました。
さあ、2学期はいろんな行事や活動が待っています。
桐朋っ子らしく、自分のやってみたい事を見つけて、前向きにチャレンジしていきましょう!
引き取り訓練を行います
本日、予定通り引き取り訓練を実施します。
〇お便りをよくご確認の上、引き渡しカードに記載のある方がご来校ください。
〇引き取り開始の放送があるまで、玄関前でお待ちください。(私語は慎んでください。)
桐朋小学校 教務
現在を「地球危機」「気候非常事態」と考えて、地球市民としてどう生きるか [Ⅱー357]
(1)「地球沸騰の時代」といわれて
「7月、学校では熱中症予防指数「WBGT31℃より下」の基準を下回らず、野外活動、遊びが出来ないことがたくさんあった」、「今夏はとても暑い」、「この暑さはいつまで続くのだろう」…。
9月2日朝日新聞には、「観測史上最も暑かった今年7月に続き、8月もここ126年で最も暑かった」「地球温暖化に加え、太平洋高気圧の勢力が強かったことなど、気温を上げる多数の現象が6~8月に切れ間なく続き、記録的な暑さになった」などと書かれていた。
8月2日朝日新聞には、「2023年7月、日本の観測史上、最も平均気温が高い。1898年からのデータでは、これまで1978年が最も暑く25.58℃だったのを更新した」とあり、約120年間で、7月の平均気温は1.5℃あがったという。同記事によれば、世界も同じで、世界気象機関WMOと欧州連合EUの気象情報機関「コペルニクス気候変動サービスC3S」は、「7月の世界の平均気温が観測史上最も高くなる見込みと発表した」。世界の平均海面水温も通常より大幅に高く、海洋生物への影響などが懸念される。国連のグテーレスさんは「地球温暖化の時代は終わり、地球沸騰の時代が来た」という。
この現象は、今年に限ったことではなく、今後も続く可能性が高い。なぜなら、温暖化の原因は、「化石燃料を燃やすことで出る温室効果ガス」であり、1992年「気候変動枠組条約」では「大気中の温室効果ガスの濃度を安定化させる」となったが、「2022年にはエネルギー関連の二酸化炭素排出量は世界全体で過去最多の年間約338億㌧になった」など、排出量は増え続けているからである。排出量の8割を占めるのが日本、中国、アメリカなどである。3月国連気候変動に関する政府間パネルIPCCの報告書では、排出を2035年までに60%減らす必要があると報告された。ところが具体的な提案、取り組みは示されず、私たちの大きな課題である。
9月、しぜんひろばより
(2)なぜ現在を問題とするのか。そして2030年度までを問うのか
2009年、気候科学者のケビン・ノーンらが「地球の限界(プラネタリー・バウンダリー)」を発表した。2018年、「気候変動に関する政府間パネルIPCC」は、「2℃の地球温暖化に近づくと、世界中の何億人もの人々に耐えがたい苦痛と経済的困難がもたらされるという強力な証拠を提供」した。
2019年、二酸化炭素排出許容量は大きく、10年以内に「予測不可能で不可逆的な変化の起きる」可能性が高い。現時点で「地球の安定性を保つプロセスは限界に来ている」「地球はすでに危険ゾーンにある」と捉える。(*『地球の限界』オーウェン・ガフニ―/ヨハン・ロックストローム著、河出書房新社、2022年。*『グリーン経済学』ウィリアム・ノードハウス著、みすず書房、2023年を参照)
「地球の平均気温は、過去一万年のあいだで上下にわずか1℃しか変動していないことがわかっている。この安定性が、完新世の特徴である。」「現在、地球の平均気温は1.1℃上昇しており、その影響が見えはじめている。」過去二〇年間に起きた記録的な高温、驚異的な氷の融解、サンゴ礁の死滅などが起きている。
限界値を超え、転換点を超えると、「予測不可能で不可逆的な変化の起きるリスクが高ま」るという。そうなっては遅いのだ。
以下は、『地球の限界』に記述されていた事例。他にも、永久凍土の融解、山火事、干ばつ、大洪水など、いくつも事例があげられている。
・氷に閉じ込められている温室効果ガス。北極圏の永久凍土層には、1.7兆㌧の炭素が含まれている。地球上でもっとも速く温暖化が進んでいる地域。
・グリーンランドは1992年以来、ほぼ4兆㌧の氷を失っている。海面が上昇している。
・アマゾンの炭素貯蔵量は減っている。2030年には、アマゾンの熱帯雨林は炭素の貯蔵源から大きな排出源に変わる可能性がある。
右 広島より被爆アオギリをいただいて、大きく育ちました
(3)私たちは地球市民としてどう生きるか。教育は何ができるのか(ここからは、別の機会に書きます。今年も、実践をしていきます)
①私たちは地球市民としてどう生きるか
危機の解決主体は今社会を担っている大人自身。私たちが本気でこの課題に取り組む。
➁教育は何ができるのか
今年の実践を取り上げたい。
国連子どもの権利委員会は、8月28日、気候変動によって子どもの権利条約で定められた権利が脅威にさらされているとして、各国に、「気候変動がもたらす現在および将来の危害から子どもの権利を保護する措置をとるよう求める指針を発表」した。「子どもが清潔で、健康で、持続可能な環境に暮らす権利がある」のです。
6年生との授業で、この絵本に学びます。この絵本の作者より、学ぶ機会をもつ予定です
9月2日(土)体験会・説明会について
お申込みくださったみなさま
9月2日(土)は酷暑が予想されております。
ご体調を最優先に、涼しい服装で熱中症対策をしてお越しください。
お子さんは帽子、水筒など適宜ご準備ください。
(保護者のジャケット、ネクタイは不要です)
・しぜんひろばの体験・見学は、熱中症予防指数の基準に従って、中止・短縮とする場合があります。
・はやすぎる来校はご遠慮ください。
・本学園正門よりお進みいただき、各受付に受付票をご提出ください。
【体験会⇒小学校高学年玄関:上履きが必要です】【説明会⇒ポロニアホール】
・ご家庭での検温をおねがいします。風邪症状がある場合は、参加をお控えください。
(前日正午までは、ミライコンパスよりキャンセル手続き可能です。)
桐朋小学校 教務
地区14・15・16班の保護者の皆さんへ
〔在校生・保護者専用ページ〕の【全ての保護者の方へ】にて、第2回地区懇談会についてのお知らせをご確認ください。
初等部の『インクルーシブ教育』をつくるための学び合い[Ⅱー356]
8月28日(月)より、教職員全員で2学期の準備をすすめています。2学期、皆さんに会えることを楽しみにしています。
高学年玄関の壁画「…この学校の先生・子どもたちが、きっとたいせつに思っているであろうことは、なんとなくわかります。おたがいの愛情や、豊かな思いやりの心は、なにものにもかえがたい宝物です。そんな宝物がいっぱいつまった、花車のような学校のイメージが、みんなにとどくといいなあと思っています」(奥山雄輔先生)
30日(水)は、東京慈恵会医科大学副学長(解剖学講座 教授)、NPO法人カラーユニバーサルデザイン機構副理事長の岡部正隆先生をお招きし、『色覚の多様性とカラーユニバーサルデザイン~色覚が異なる人たちへの配慮と工夫』を学びました。岡部先生は、桐朋小学校出身、1-2年5-6年担任は遠藤精一先生、3-4年担任は森孝一先生、美術の浅井直江先生、保健室の藤尾真由美先生、理科の渡辺泰夫先生、渡辺幸広先生にお世話になったそうです。小学校時代のお話を聞きながら、岡部先生は、好きなことに没頭して、自分は大切にされるかけがえのない存在であると感じてこられたんだと思いました。
岡部先生のご講演内容は、〇「異常と言わない」色覚の呼称について、〇色が見える仕組み、〇色弱の人の色の見え方、〇色弱の人の頻度、〇色弱の人の色覚は劣っているのか、〇色弱の人は何に困るのか、〇カラーユニバーサルデザイン(CUD)、〇学校における配慮と指導、〇家庭での工夫 などでした。
学び、心に残ったことがたくさんあります。「「色覚異常」という言葉は医学用語です。一般社会において使用する必要はありません。」、「「色弱」は感覚の多様性の一つです。」、「色弱者とは、色に配慮されていない社会における情報弱者という意味です。」、「色の見える仕組みーP型・D型色覚の人にはどう見えているの?」では、どのように見えているのかわかりました。
「P型・D型色覚の頻度」は、「男性・日本⇒20人に1人(5%)、6111万人のうち305万人」「女性・日本⇒500人に1人、6359万人のうち13万人」、「P型・D型色覚は40人学級に1人いる」と理解することができます。そして「P型・D型色覚の人の方が見分けるのが得意な色がある」、「社会がP型・D型色覚の人に適応していない」ため、困ることも具体的に理解できました。
そして、「鉛筆の文字に赤字で訂正した場合、「赤」と「黒」は見分けにくいため強調されていることに気がつかないので、赤ではなく朱色に変えよう。採点の赤ペンは朱色に近い太いペンを学校として用意しよう。」カラーユニバーサルデザインとして、「できるだけ多くの人に見分けやすい配色を選ぶ。選ぶためにアブリの活用をする。」「チョークは、駄ストレスeyeチョークがよい」、「色を見分けにくい人にも情報が伝わるようにする。」「グラフ・図表は「色+形の違い」を併用する」、「色の名前を用いたコミュニケーションを可能にする」など、具体的な対応も理解しました。
学校における配慮と指導では、幼稚園、学校は「異なる感覚を持つ人々が協働する社会の実現」を目指すためと言われ、「P型・D型色覚の児童は1クラスに1人いる」と捉えて、「色の見え方が違うことでP型・D型色覚の児童が困ることのないように学習環境・指導方法を配慮する。」ようにしていきます。
岡部先生(上 写真)より学んで、初等部の『インクルーシブ教育』を考えていきます。
『インクルーシブ教育』とは、「多様な子どもたちがいることを前提とし、その多様な子どもたち(排除されやすい子どもたちを含む)の教育を受ける権利を地域の学校で保障するために、教育システムそのものを改革していくプロセス」(2005年、ユネスコ)と考えます。
私たちの保育、教育は、「すべての子どもは多様である」、「多様な子どもたちのニーズに合わせて、教育システムそのものを変えていく必要」(があるが、すぐに変えていくのは難しいこともあります)、「理想に向けて歩むプロセスそのものが『インクルーシブ教育』(教育の枠組み自体をインクルーシブにしていくための議論が欠かせない)」と考え、取り組みます。
ところが、私たちの社会や保育、教育の実際は、「多数者」「多数派」に合わせてつくられていることもたくさんあります。私たちは、「多数者」「多数派」側の集団に属していることで、「労なくして得る優位性」=「特権」を持っていると考えられます。今回の岡部先生の講演からも気づかされました。「配慮を欠いた色使いで不便を強いられる人は多いが、外見上分からないから社会の理解も低い」(東京新聞2002年1月7日「色覚障害者に配慮欠く図解…発表者も損ですよ」)と。
では、『インクルーシブ教育』を考え、話し合い、つくっていくうえで、初等部、桐朋学園の保育、教育では何ができるのか。4点あげます。
●自らが持っている「特権」に気づく学びをすすめる。「マイノリティ属性の当事者」の声をたくさん聴いて知っていくことをすすめます。
先ほどご紹介した新聞記事で、岡部先生は、「これまで学会の席上などで分かりにくい図解を見ては不満を覚えていた」、「学会参加者の何人かは特定の色の区別ができない。論文を審査する人が図解を理解できないことだってある」、「配慮を欠いた色使いで不便を強いられる人は多いが、外見上分からないから社会の理解も低い」(同上、東京新聞2002年1月7日記事)と述べられています。具体的に知ること、学ぶことをすすめていきます。
●「隠れたカリキュラム」を自覚して見直すことを。
私たちの日々の言動や教育活動そのものが無自覚のうちに差別や偏見をつくり出していないかを考えていきます。
●一人ひとりが異なることを前提にした学級づくり・授業づくりをすすめよう。
今回のご講演では、「色覚は感覚の多様性の一つであり、血液型と同様、様々なタイプがあります。けれども、正常色覚とされる多数派の子どもと、色の見え方が異なるため、色覚の差異を超えて、子どもが同じように学べるようにするには、学校でも工夫や配慮が必要と言えます」ということなどを学びました。
●「構造的な差別」について、子どもたちと共に考えていくことを。
なぜ差別は起こり続けるのか、構造的な差別を断ち切るためにどんなことができるのかを子どもと考えていきます。
私たちは、初等部、桐朋学園における『インクルーシブ教育』を考え、話し合い、つくることを目指したいと思います。
夏休み、しぜんひろばを専門家にみてもらいました。