ご卒業おめでとうございます [Ⅱー291]

第63回卒業式でみなさんにお伝えしたいと考えたこと(当日は、卒業生一人ひとりのことばを聴いて、その時に思ったこと、感じたこと、考えたことを、限られた時間で述べているので、この文とは違うことばで語っています。)です。

昨晩(3月16日)、宮城県、福島県を中心に大きな地震がありました。まだわからないことも多いのですが、たいへん多くの被害がありました。心よりお見舞いを申し上げます。地震のあと、停電が続く中、明日の式は大丈夫だろうか、お世話になっている福島(つながりのある福島の保育園)、宮城の先生ら、離れた家族のことなど、いろいろと心配になり、眠れませんでした。11年前、東日本大震災の際に、目の前の子どもを守ろうと、必死に声をあげて励まし続けたことも思い出しました。(子どもたちを励ましながら、自分を励ましていたのだと思います。)

私たちは、いま、かけがえのないこの時間を大切に過ごしていきたいと思います。

皆さん、ご卒業、おめでとうございます。

卒業証書をもらう前の一人ひとりの卒業のことばを聴きました。たのしかったこと、心に残ったこと、自分の意見を述べること、人とかかわることなど、どれもが大切なことです。たのしかったこと、夢中になったことを持つと、またやりたい、違う形で実現したいと思います。それは「希望」に繋がると考えました。それから、実現するためには、気持ちや意見を述べる、話し合う、どうしたら実現できるのか考え合う、自治や参加を大切にするなどを学びます。こうした経験を根っこにもつ卒業生のみなさん、これからも命を活き活きと輝かせて生きていってください。

2つ目は、意見を表明する、自分たちでつくることの大切さです。これからも必要な知識を覚えたり、問題を解いたりすることは大切です。一方、社会は、正解がない問題をどう判断し、解決するか課題です。原発やエネルギーの問題、さまざまな人やものとの共生(中嶋涼子さんとの学びなど)、地球環境危機(奥野華子さんとの学びなど)などがあります。日常、社会の問題について「もっとこうしたらいいんじゃかいか」(授業でよく話し、聴き合いましたね)と考え、よい社会、コミュニティーをつくるために、一人ひとりが考えてつくり出していきましょう。

最後は、学園の歴史や理念と現在に触れます。今年度、桐朋学園は創立80周年を迎えました。桐朋学園としての出発は1947年です。戦争を反省し、日本国憲法といっしょに教育基本法を制定し、その基本法を学園の教育理念としました。それは、「一人ひとりの人格を尊重し、自主性を養い、個性を伸長するヒューマニズムに立つ教育、人間教育」です。教育をとおして、日本国憲法の掲げる世界の平和の実現を願い、実現を目指しています。卒業生のみなさんは、そうした理念をもつ学園で育ってきたことを誇りに思ってください。

連日、ウクライナの子ども、人々が苦しみ、悲しむ姿をみて、聴いています。改めて、世界の平和を築く、そのために、知る、考え声をあげる、話し合う、できる行動をするなどすすめていきましょう。

 ポスターは、6年生の作品

保護者の皆様、これまで桐朋小学校の教育へのご理解、ご参加に、ありがとうございました。一人ひとりの「自分史」を読ませていただき、お子さんの命の誕生の喜び、かけがえなさ、ありのままのあなたでいてくれる幸せを強く感じました。そして、今日の一人ひとりのすばらしい成長を喜びます。

お子さんのご卒業、おめでとうございます。

進級、修了という「節目」に [Ⅱー290]

幼稚園の人たちは、たんぽぽからばらへ、ばらからゆりへ進級します。ゆりを修了した人たちは、小学生になります。おめでとうございます。保護者のみなさま、たいへんおめでとうございます。

進級、修了という「節目」に、楽しかったこと、夢中になったこと、挑戦したこと、できるようになったこと、できなくてもがんばってみたこと、心や身体の成長などを、お子さんと話してみませんか。

2月に、修了証書を書きました。その人の顔を思い浮かべ、これまでの出来事を思い浮かべて、心をこめて書きました。Uさん、Rさん、Kさん、Uさん、Sさん、Oさん、Hさん、Kさん、Yさん、Hさん、Sさん、Yさん、Sさん、Tさん、Aさん、Kさん、Aさん、Yさん、Uさん、Tさん、Uさん、Uさん、Sさん、Sさん、Oさん

同時期に、6年生一人ひとりの「自分史」を読ませてもらい、名前の由来を知りました。

●私の名前は、妊娠中ずっと相談していて、案が百個も出たそうです。名前を決めている時は、音、漢字の意味、画数、響きなどを意識していたそうです。そして悩みに悩んだ末、Kに決まりました。Kの名前の由来は、「世界中に美しい音色をひびかせてほしいから」だそうです。

●HのHは、[元気で勇もうな]で、Tは[純粋で透き通った清い心]の意味を込めて命名したらしいです。Hは、漢字一文字でも使われますが、単に強いだけでなく、清らかな心を芯に持って欲しいとの思いがあるから、[H]にしたそうです。(初めて、僕の名前の由来を知れて良かったです。)

●私の名前の由来は、Aはかわいい花が咲いて、夏に実ることから、(私が夏生まれなので)実りある人生を送ってほしいという考えと、Aのタネ杏仁がぜんそくを治すことから、人の役にたってほしいという二つの考えで、このAという名前にしたと言っていました。私は、名前の由来を聞いて、母がとても考えて付けてくれたんだなと思い、うれしかったです。

●「AK」の「A」には、「夜明け前の」という意味があり、「K」には「美しいたま」という意味があるそうですが、「どんな夜にも朝がくる、どんな大変なことがあっても必ず乗り越えられる子」という意味や、「暗い夜こそ星がきれいに見えるときだ。周囲が困難な時こそ、自分がそれを照らす光となるよう、自分の心に聞いて正しいことを、いつでもできるように」という意味が込められているそうです。(中略)私は、今、名前通りそんな子になれているかというと、まだわからないけど、そんな子になりたいかと考えると、なりたいと思いました。

名前に込められた思いや考えを知ると、その人への思いが深まります。修了証書の一人ひとりの名前にも込められた思いや考えがあることを意識して、その大切な名前をていねいに何枚も書きました。

自分史には名前の由来の他にもたくさんのことがらが書かれています。保護者の方がお子さんに話をされ、お子さんは、大事に育てられ、成長を喜ばれていることを感じるのだと思いました。

●ぼくは、妊娠5ヶ月で早めに生まれてきてしまうと、お医者さんに言われたそうです。お母さんがお医者さんに今生まれてきたら助けられる確率が低いと言われ、すごくショックだったと言っていました。自分が早く産まれてこないため薬を飲んで4カ月間食べる時以外は動かず、安静にする生活がすごく大変だと言っていました。自分が生まれるまでの間が、すごく大変だったという事を聞いて、ぼくは驚きました。

●私は母乳をなかなか飲まなかったそうで、母はとてもつらかったと言っていました。母も初めてのことでとまどっていて、私もうまく飲めなくて、夜中でも2人で何度もがんばっていたそうです。その後、家に帰って母乳を上手に飲めるようになってからは、泣くとすぐに母乳を飲んでいたと聞きました。母乳を飲んで寝たと思って母が布団に私を置くとすぐに泣いたそうです。それは、お昼の間だけだったそうですが、寝たとしてもすぐに起きるので、大変だったと言っていました。母はつきっきりでその度に母乳を飲ませてくれたそうです。

●私は、とにかく動く赤ちゃんだったそうです。寝返りも早くしたくてたまらない感じで、早いうちから何度も挑戦していたそうです。できるようになってからは、うれしくてすぐに寝返りをするけれど、苦しいからすぐに「仰向けにしてー」と泣いて訴えていたそうです。この時期は、仰向けにするために母が部屋を行ったり来たりして、とてもしんどかったと言っていました。もしかしたら子育てで一番しんどかった時期かもしれないと笑っていました。

●初めてしゃっくりが出た時、治らないからか不機嫌になったそうです。泣きそうになりながらしゃっくりを出していたそう。そして初めておもちゃを持った時、手から外す事かまだわからなかったので、泣きそうになっていたそう。そして、初めてつかまり立ちした時、ママは「おー!!すごいすごい」と手を叩いて喜んだそうです。ママにほめてもらうと、私はとても嬉しそうに得意気な顔でご機嫌な笑顔だったそう。

●僕は生後6か月頃、湿疹ができたりしていたのでアレルギー検査をしたら、小麦アレルギーであることがわかりました。母乳にも小麦の成分が入ったらいけないので、母も小麦を食べられなくなりました。それからは小麦は米粉にかえて食事にはとても気を配りました。(中略)健診の時に足の力が弱く、「歩きはじめるのは遅そうだよ」と言われたそうです。先生には、「他の子と一緒に走ったりできるようになるのは3歳くらいになりそうだよ」と言われたそうです。実際その通りで、母はとても心配したそうです。(中略)今まで健康でいられるのは母のおかげだとつくづく思いました。僕は家族にとても大事にされていると改めて感じました。

まとめ、感想には、家族(や周囲の人)と自分に向けて書かれていました。

●ぼくは自分史を調べてみて、両親に大切に育てられたことがわかりました。ぼくがいたずらっこでやんちゃだったことを聞いて大変だったことがわかりました。周りの人にも大切にされているのがわかって嬉しかったです。

●自分史を書いてみて思ったこと。両親や祖父母に自分の赤ちゃんの頃や僕が生まれる前のことが詳しく知れてよかったです。皆僕のことを話してくれる時、なんだか楽しそうでした。改めて命の尊さがよくわかりました。

書きながら自己を成長させていました。保護者の方の愛(情)は、その子に伝わっています。

4年生の委員会見学

4年生は今年の4月から、高学年として委員会活動に取り組み始めます。

そこで、先日行われた「後期子ども集会」で、各委員会の活動について話を聞き、見学に行ってみたい委員会を選びました。

後日、4年生は選んだ委員会を訪問し、6年生からさらに詳しい話を聞いたり、実際に活動に参加したりなどして、委員会活動の様子を実感しました。

 

6年生からも、「ぜひこの委員会に入って、この活動を頑張ってほしい」という熱い思いが語られました。

4年生、自分が頑張りたい活動が少し見えてきたでしょうか。4月からが楽しみです。

 

↑体育委員の見学で、実際に放課後のグラウンド見回りを体験している様子

6年生を送る会〜繋がれたバトン〜

3月になりました。

まだまだ寒さが残る毎日ですが、所々に桜の蕾が膨らみ始めましたね。

 

そんな春の日を祝うかのように、桐朋小学校では6年生を送る会が開かれました。

はじめの集まりでは、2年生がパートナーの6年生に向けてお手紙を渡したことををはじめ、各学年から6年生に向けて表現を。

 

中でも、6年生が作詞した「ぼくらの たび」

 

”〜さぁ 立ちあがろう みんなと一緒に

耳をすまし 世界を眺めてみよう

太陽浴びて 未来へ羽ばたく

ほら夢はきっと 叶うはず

恐れず叫ぼう 勇気を出して

変わり求める 人々の声 

立ちあがろう 明るい未来へ〜”

を全学年で歌い、その空間を今、共有できたことは、込み上げてくるものがありました。

 

その後も、各委員会の5年生が企画・準備・運営したブースを

6年生とともに全学年で楽しみました。

 

体育委員会の「抜け出せ!巨大迷路!」は第4体育室全部が巨大迷路に早替わり。

遊び企画委員会は「昔遊び」。屋上を使って全学年が楽しめるものを企画してくれました。

 

放送委員会は「蜘蛛の巣潜って 記憶をたどれ!」。鈴がならないように蜘蛛の巣を潜りながら、隠された文字を6年生と集めて、一つの曲を当てるというものです。

理科園しぜんひろば委員会の「落ち葉でクイズ・キーホルダー」では、しぜんひろばの草木で作った素敵すぎる”しおり”のプレゼントがありました。

 

代表委員会は「探し出せ!暗号カード」。学校全部を使った秘密の暗号クイズです。

保健委員会は「キャップでコロナをぶっ飛ばせ!」。キャップ飛ばしマシーンは、段ボールで作られているとは思えない出来。工夫が凝らしてありました。

 

プレイルーム委員会は「ボールを探せ!トレジャーハンター!」。スリル満点、5年生のおにから逃げながら6年生と協力してボールを探します。

図書委員会の「消えた宝を探し出せ!(脱出ゲーム)」では、6年生と会って問題用紙をもらわないと参加できないという工夫された仕組みが。

 

どの委員会の企画も、運営も、5年生だけで0から100までやったとは思えないくらい

工夫がされていて、1年生までも「ずっとやっていたかった!」と大満足。

みんなが楽しめた裏で、5年生が今日まで一生懸命準備していたこと、見ていたよ。

そして、6年生がこれまで学校を運営する背中を5年生に見せてくれていたからこそ、素敵な会が実現したのだと思います。

 

立派に、6年生から委員会のバトンを引き継ぐことができた1日となりました。

 

 

地球環境、気候危機を学び、考え合う [Ⅱー289]

25日(金)のトピックス授業では、大学生の奥野華子さんをお招きして、「6年生と一緒に、地球環境、気候危機について学び、考え合おう」(奥野さんのスライドタイトル)を行いました。

奥野さんは写真、資料を提示し、「全ての人が幸せにくらせる平和な社会のために」「核兵器が無い世界が平和な世界」「核兵器だけではなく全ての社会問題がない世界」「投票に⾏けなくても声は上げられる」「私たちに残された時間」「気候危機の影響」「本当に必要なのはシステムチェンジ」「気候危機を止めるためにできること」「気候変動は人間が作り出した問題。解決できるのも私たち人間。」について話してくれました。6年生の人たちは、奥野さんの話を受けとめ、感想、意見を述べました。それから「気候危機を止めるために」を話し合いました。

6年生の人たちは、年が近い人がどんなことを真剣に考え、学び、行動しているかを直にきくことができて、とても刺激を受けたと思いました。私は、これまで奥野さんら大学生や高校生から学んできて、ぜひ桐朋小学校で話をしてほしいと願ってきました。

 右 授業後の子どもたちと奥野さん

●6年生の感想より

「(奥野さんの-中村)気候変動を解決したいという気持ちが、すごく強く伝わってきました。動機も素晴らしかった。『気候変動は人間がつくりだしたから、人間が解決しなくてはいけない』ということを改めて感じました。」

「未成年の自分でもできることがないかと考え行動したことがすごいと思う。自分たちが気候変動をつくりだしたのに、解決は後世に任せるのはおかしいと思うから、私たちがちゃんと解決しないといけないと思う。」

「『少しやってみようではだめ』という言葉は、今の社会にもっと投げかけた方がいいと思った。政府の話には少しでいいからやってみてとしか出てこないし、それを見た自分たちも少しでいいと思っているからだ。奥野さんのように、自分も社会問題を客観的にみることができる心がほしいと思った。」

■奥野さんは授業後、「6年生の人たちからたくさんのことを学ばせていただき、感謝の気持ちでいっぱいです。」「これからの社会をみなさんと一緒につくれると思うと、未来は明るいなあと勇気づけられました。」と感想を伝えてくれました。

■奥野さんは、広島で育ち、被爆者の方から体験を聴いて、平和を考え取り組んでいます。また、フィリピンに行って、貧困の問題やその問題と地球環境を結びつけて考えていることなども話してくださいました。「毎日、食べるものを買うだけでも大変な人たちが、被災した時どうなるでしょうか。」「家をすぐに再建することが難しかったり、怪我をしても治療費を用意することが難しかったりすると思います。」気候危機によって、住む場所を追われる人がいたり、その日に食べるものを手に入れることすら難しい人がいたりします。

感想より

「フィリピンの人がかわいそう。フィリピンは先進国に比べて、全然ガスを出していないのに、先進国のしっぺ返しがきて。日本も先進国に入るから、私も家で何かしらの問題に取り組もうと思った。『楽だから車しよー』とか『夜暗いから電気つけっぱなしにしよー』などを変えようと思う。他にも『寒い・暑いからエアコンつけよ』『あっ、袋別れた。ポリ袋にしよー』も変えようと思った。」

■奥野さんは、「大人たちはどうしてこれまで気候変動をここまで放っておいたの?」と大人たちを責めた時期があったそうです。大人としての責任が生まれる今、私は自分の子どもや孫世代に「どうしてまだ気候危機が止められるうちに気候危機を止めてくれなかったの?」と言われたくありませんと述べています。また、「気候変動は人間がつくりだしたから、人間が解決しなくてはいけない」という奥野さんのことばが心に響いたと感想を述べた人がたくさんいました。

感想より

「核兵器だけではなく、全ての社会問題がない世界という目標はいいなと思った。先進国によって、発展途上国の人が困るような社会から変えていく。小さな一人ひとりのアクションが大きなアクションになっていく。電力会社を変える、買い物に気をつけるなど、できることはまだまだあるなと思った。まだまだ先のある僕たちが問題を解決すべきだと思った。」

 6年生の劇から。みんなで協力してつくりあげました。

□世界が協力して強力な温暖化対策をとるならば、気温上昇を2度未満に抑えることが可能と示されています。現在の取り組みが未来を決めます。フランス・パリでの地球温暖化の国連会議COP21で、21世紀後半には温室効果ガスの排出を実質0にすることを目標とする協定が合意されました。各国は5年ごとに削減目標案を出し、目標達成の施策を実施、達成状況を国連に報告。国際検証を受けます。2025年、2030年に向け、大幅な削減を実現させましょう。

□3月1日、東京新聞に「気候変動 30億人に悪影響」という記事が掲載されました。記事には、「国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)は、世界の約33億~36億人が気候変動に対応できず、水害や高温などの悪影響を受けやすい状況にある」「地球温暖化は短期のうちに1.5度に達しつつあり、気候関連の災害増加を引き起こし、生態系や人間に複数のリスクをもたらす」「人為起源の気候変動は、極端な現象の頻度と強度を増やし、自然と人間に広範囲な悪影響と損失、損害を与えている」「アフリカやアジアで確認された暑さや栄養不良や、北米や島しょ国の沿岸域での洪水や暴風雨の損害は気候変動に起因する可能性が高い」などと書かれています。

●■授業後に、ロシアがウクライナに武力で攻撃していることについて、戦争こそ環境破壊、地球破壊だと話した人がいました。その通りだと思いました。すぐやめてほしい。

本当に平和な世界は?〜環境問題を考える〜

校長先生が担当する6年生のトピックスの授業。

今回は奥野華子さんをゲストにお招きし、気候変動の危機についてお話しを伺いました。

奥野さんは広島のご出身。被爆者との交流などから、幼い頃から平和や戦争について考える機会が多かったそうです。

フィリピンへの留学などで、貧困の問題にも直面した奥野さん。これまでは「平和=核の廃絶」と考えてきたけれど、核の廃絶だけでは今世界にある様々な課題を解決することはできない、という問題意識が芽生えたそうです。

貧困の問題も、気候変動に大きく関係しています。

「このままでは台風でフィリピンにも大きな被害が出てしまう」という危惧が昨年末に現実のものになってしまった、と教えてくださいました。家も家財も失われ、生活の再建が大変困難な状況だというのです。

「なんであの時行動してくれなかったの?」と後の人に言われて後悔しないように、今、行動しよう!とエネルギッシュに語ってくださいました。

子どもたちが特に衝撃をうけていたのは、「あと7年と145日後にタイムリミットがやってくる」という言葉。

「平均気温の上昇を1.5度以下に抑えよう」という世界共通の考えがあるものの、このままではもうすぐリミットになってしまうというのです。

・ぼくが思っていたより、気候変動が進んでいた。正直7年なんてすぐそこだから本当に怖いけれど、その恐怖を現実にさせないためには怖い怖いと言っているだけでなく、行動に移さなければならない。発展途上国にくらべて日本などの先進国は贅沢な生活をしているから、もっとエコな生活にだってできるはずだから、アクションをおこす良いきっかけになった。

・核兵器がなくなるだけではなく、貧困やジャンダーなどの問題も解決しないと平和が訪れないと気づいた。タイムリミットが迫っていて、一番温暖化を進めているのが電力だとしたら、一人が頑張っても無駄で、いろんな人がやることで温暖化を止めることができる。

・気候変動の問題を解決したいという気持ちがすごく強く伝わってきました。動機も素晴らしかった。この問題は人間が作り出したから、人間が解決しなくてはいけない、ということを改めて感じました。どんな小さなことでもやっていかなくてはならないと思いました。

環境活動家のグレタ・トゥーンベリさんと同じ世代の奥野さんの力強いお話に子どもたちは引き込まれ、大変刺激を受けた様子でした。「今できることを、ここにいる人みんなですぐにはじめよう。」グループでの話し合いの姿に、未来を担うのは自分だ、という気合を感じました。

「遊ぶ、学ぶ、笑う。そんなあたりまえを、世界の子どもたちに。」 [Ⅱー288]

ACE代表/創設者の岩附由香さんに授業をしていただきました。岩附さんは、桐朋学園小(国立)、桐朋女子中高(仙川)ご出身です。

桐朋小学校は、2020年度より「地球市民の時間」(多文化共生教育、国際理解教育、外国語)の実践と研究をすすめています。子どもたちが、現在と未来を地球市民として、世界の平和や持続可能な未来のために考え、行動できるよう根っこを育てたいと考えて取り組んでいます。外部の講師より学び、考え合うことを大切にしています。

岩附さんは、「遊ぶ、学ぶ、笑う。そんなあたりまえを、世界の子どもたちに。」を大切に、西アフリカ(ガーナ、コートジボワール)の子どもの様子、児童労働の実態、児童の学習支援などを伝えてくれました。児童がカカオを鉈で切った時に大怪我をすることや重い荷物を運ぶ仕事(体への影響)などたくさんのことを知りました。

私たちはチョコレートを買う際に、「カカオ農園で働いている子どもを想像してみる」「フェアトレードという公正な価格で取引がされているか考える」「パッケージに注目して企業を知る(企業を応援する)」などをしていくことができると学びました。これから実践してみようと思います。

岩附さんがACEを立ち上げて実践されるまでには、桐朋学園でご自身を成長させていたことが根っこにあると考えました。2021年4月13日の東京新聞「紙つぶて」掲載された文章を取り上げます。その文章の中に、「今の私の羽ばたきは、この学校の個性をつぶさないおおらかさの延長にある。」と書かれていました。以下引用します。

翼を折らない学校 

私は東京の桐朋学園で小、中、高校時代を過ごした。指揮者の小澤征爾さんの出身校として音楽大学が有名だが、普通科もある。女子高の卒業生は日本初の女性旅客機機長、写真家やオリンピック選手など、多方面で活躍している。

いま振り返って、ありがたかったなと思うのは学校のおおらかさ。小学生のとき、三年生の担任の先生がみんな大好きで、年度末になると、職員室に行き、担任を代えないようにお願いし、結局、卒業まで四年間、受け持ってもらった。学校の慣習を超え、子どもの声を聞いてくれた。

中学二年生のとき、当時、流行った漫画に感化され、私の髪の色が茶色になった。昭和六十年代、まだ大人も髪を染めるのが普通じゃない時代、どう考えても目立った。しかし、担任の先生は「岩附、やっぱり髪は黒い方がいいな」と一言いっただけ。校内で問題になっていたはずなのに、学年の先生方に守られていた気がする。その夏に米国へ転居したので、私の茶髪問題は解消した。

帰国した高校時代は体育祭や文化祭に情熱を燃やした。エネルギーを持て余し、枠から外れがちな私でも受け入れられていた感覚がある。ノーベル平和賞を受賞したマララさんのお父さんの言葉を借りれば「翼を折らない」ということか。今の私の羽ばたきは、この学校の個性をつぶさないおおらかさの延長にある。(NPO「ACE」代表)

学園案内には、「桐朋学園の教育は、健康な心身を育て豊かな感性を養い、十分な基礎学力を育むことを基本としていますが、さらに、一人ひとりが人間性を全面的に発達させ、自分の考えを持ち、社会に有為な人間に成長していくよう、様々な経験の場を系統的に準備しています。」と書かれています。その願いと取り組みをあらためて大切にしていきたいと思いました。

6年生から引き継いで(後期子ども集会)

自治の時間は5,6年生が各委員会に分かれて活動してきました。

後期子ども集会ではもうすぐ卒業する6年生が中心となり、4,5年生に委員会活動を伝え、引継ぎをします。今年はオンライン開催でしたが、どの委員会もまとめ方や伝え方を工夫し、活動内容や「この委員会に入って活動を引き継いで!」とのアピールをしていました。

 各教室で聞いていた4,5,6年生も画面に見入り、耳を澄ませ、ところどころで拍手をしながら参加しました。

代表委員会の進行役の人が「活動報告に質問ありますか?」と聞くと、4年生から質問がたくさん出ました。

「いつ委員会をしているのですか?」「各クラスから何人ずつ入れるのですか?」「放送委員会の放送はいつも同じ人がやっているのですか?」「会議はどこでやっているのですか?」「自然広場の掃除はいつやっているのですか?」「保健委員会のハンドソープの詰め替えは定期ですか?不定期ですか?」「読書郵便は誰がどこのクラスに配るのか決まっているのですか?」などなど、具体的なことや委員会活動全般に関わることまで多岐にわたり、「5年生になったらやってみたい!」という気持ちが伝わってきました。また、質問された6年生もわかりやすく丁寧に答え、「だから○○委員会に入って下さい!」というアピールも忘れず…。

 最後に「体育委員会の『体育サンバ』をもう一回見たいです!」のリクエストに応え、体育委員会が再演する場面も。

 3月17日の卒業式に向けてまた一つ大きな仕事を終えた6年生たちが頼もしく見えました。

朝のしぜんひろばは、笑顔がいっぱい

寒い日の朝。

1年生と桐朋幼稚園のたんぽぽ組さんたち(3歳児さん)が

しぜんひろばで 遊んでいます。

氷が張った池をみて、大興奮。この日の遊びは氷集めに決定です。

どうやったら大きな氷がゲットできるのか、役割分担をして作戦実行。

飛び石から波をたてて、向こう岸に 大きな氷の塊を送ります。

冷たい〜って言いながら、大きな氷には満足そう。

 

しぜんひろばのターザンブランコは、

朝でも夕方でも大人気。

 

3歳のたんぽぽ組さんには少し高いブランコも、

この日は1年生がいるから安心です。

つい数ヶ月前には、5年生のパートナーさんに

名札をつけるところから、しぜんひろばの遊び方まで

ぜ〜んぶお世話してもらっていた1年生ですが、

今ではすっかり”お世話する方”になっていました。

たんぽぽ組さんを誘導するときに、自然と背中に優しく手を添える様子を見て、

この子たちが入学式の日に パートナーさんにそうやって連れてきてもらったことを思い出しました。

 

お別れの時間になると、1年生がたんぽぽ組さんを幼稚園まで送っていきます。

遊びでは関われなかった子も、自由なたんぽぽ組さんに「待って〜」と振り回されながらも

話しかけて仲良くなりながら、しっかりと送り届ける姿がありました。

 

お兄さん、お姉さんとして、少し背伸びして頑張った1年生。

教室に戻ってくると糸が切れたように「抱っこ〜」と甘えながらも、

「あのね、幼稚園のお友達ができたんだよ!すっごく楽しかった!」と

疲れた顔の奥にも、キラキラとした頼もしさが。

来年の1年生。

安心して、桐朋小学校にきてくださいね。

素敵で元気な2年生たちが 首を長くして待っています。