学校の裏に竪穴式住居!?縄文土器!?

現在歴史を学んでいる6年生のもとに、ラッキーなニュースが飛び込んできました。

なんと、学校のすぐ裏で郷土資料館の方々による発掘調査が行われていて、そこで縄文時代の竪穴式住居跡や縄文土器のかけらが見つかったというのです。

早速、クラスごとに見学に行くことに。

畑の門から出て1分も歩かないうちに発掘調査現場へ到着。数名の方がシャベルを使って発掘を行っていました。

 

現場に着くと、資料館の方が様々なお話をしてくださいました。

写真の真ん中あたりに写っているものは「炉」で、ここで火を焚いて煮炊きをしたりしていたそうです。

その周りにある穴は柱が立っていたと思われる穴で、1つの家には4本~8本の柱が立てられていたと考えられるそうです。この大きさの家だと3人家族くらいだったのではないかというお話もありました。

お話の後には、発掘された縄文土器を実際に触らせていただきました。

縄文土器特有の、きれいな縄目模様がはっきりとわかるもので、子どもたちは

「どんな気持ちで作っていたのかなあ」

などと話しながら、夢中で眺め、触っていました。

 

触った後には、

「手、洗いたくない!!」

という人が続出。

遥か5000年前を生きていた縄文人たちが暮らした姿を想像し、とてもワクワクした時間になりました。

ウクライナに関連する報道と心のケア [Ⅱ‐295]

連日のウクライナに関連する報道に心を痛めます。悲惨な場面や衝撃的な場面も報じられ、子どもも大人も報道を目にすることにより、不安や恐怖などが出てしまうことがあります。新学期、子どもが心配したり、不安になったりしていないか、一人ひとりの様子をよくみていこうと、私たちは話し合ってきました。

1、メディアによる影響

・戦争、戦闘などの報道は、どの年齢の子においても動揺させ、恐怖や不安を増大させる可能性があります。衝撃的な映像の視聴は避けましょう。

・戦争報道をみる時間が長ければ長いほど、子どもは否定的な反応を示す可能性が高くなります。

・子どもの年齢と発達に応じて、大人が戦争報道の視聴を管理し、衝撃的な内容については注意していきましょう。(園児や低学年の子には特に注意を)

2、「戦争報道」に関して、子どもの話を聴くときに

・子どもが知っていること、感じていることを話したり、質問したりする時間をつくるよう心がけましょう。子どもは、大人とまったく異なるイメージを抱いているかもしれません。子どもが何を考え、何を見聞きしたのかに耳を傾ける時間を持とう。

・子どもが動揺していることについて、率直に話す機会を持つことは、安心感や安全感を生み出します。

・子どもの年齢を意識してコミュニケーションをとりましょう。幼い子は、戦争の意味を理解していない場合もあり、年齢に応じた説明が必要です。

3、世界の大人が、この問題を解決するために努力していきましょう

・子どもたちには、これは大人が解決すべき問題なんだよ、と伝えたい。子どもたちは、今まで通りに遊び、学び、やりたい、たのしいと思うことをするといいんだよ、と伝えたい。子どもと話すときは、大人が落ち着くことが大切です。

4、大人同士の会話に注意しましょう

・子どもたちの前で戦争について話すときは、注意が必要です。大人が気づかないうちに子どもがきいていて、その内容を誤解することがあります。

・攻撃的な表現で大人が意見を述べると、子どもたちが怖がることがあります。

参考 セーブ・ザ・チルドレン「専門家がすすめる、子どもと戦争について話すときの5つのポイント」

つつじが丘消防署のみなさん、お世話になり、ありがとうございました。(2、4年生写生会)

参考 桜美林大学のHP→LA学群池田美樹准教授「ウクライナ紛争の報道による子供の心のケア」。複数のメディアで掲載。「災害のときも同じですけど、同じ映像を繰り返し見過ぎないというのが大事。入ってくる刺激そのものを親として管理することが大切だと思います。普段の約束事として、スマホやメディアを見る時間は決めておく。見聞きしたことに対して、子どもがどういうふうに受け止めているのか、感じてるのかというのは実際に話をして聞いてもらいたいなと思います。泣いちゃったというときに、悲しいのか、怖いのか、あるいはただ怖いなのか、『泣く』にともなう気持ち、例えばウクライナのどういう場面を見て何を感じてるのかは聞いてみないと分からないです。まず聞いて、その上で『今あなたは、安全だし、安心していいんだよ』というメッセージを伝えてもらいます」など。

郷土資料館、発掘作業をされていたみなさん、お世話になり、ありがとうごさいました。(6年生遺跡見学)

チョキン、チョキン!

今日は散髪のお話です。

といっても、髪の毛のカットではありません。

一つ目は、大きな大きな木の散髪です。

何年かに一度、学園にたくさんある背の高い木の大掛かりな剪定(せんてい)を行います。

「え〜っ、こんなに切っちゃって大丈夫?」と心配になりますが、実はとても大事な作業なのですって。

気ままに伸びた枝を整えて、密になりすぎた葉っぱをすいてお日様を浴びやすくする。

そして栄養が十分に行き渡るようにすることで、活き活き、元気になれるのです。

小学校のシンボル、通称「ブロッコリーの木」もご覧の通りすっきり!

見る見るうちにカットされてゆく姿をみて、子どもたちは「パセリの木になっちゃった!」とびっくりしていましたね。

さすがは防虫剤(樟脳)にもなるクスノキ、落とされた枝からスッキリする強い香りが立ちのぼっていました。

 

二つ目は、体育館への通路で聞こえた「チョキン チョキン」。

中学生のお姉さんたちが、白いものをいっぱい広げて作業をしています。

なんだ?なんだ?と取り囲む子どもたち。

その正体は、バドミントンのシャトルでした!

小学生はプラスチック製に馴染みがありますが、部活では水鳥の羽のシャトルを使います。たくさん打ち込みをすると痛んでしまうので、割れたりささくれてしまった部分をカットしてまた練習に使えるように整えていたのです。

お姉さんたちがやさしく教えてくれて、うれしかったね!

初等部説明会のお知らせ

桐朋小学校にご興味をお持ちくださる皆さま

本年度はじめての説明会をご案内いたします。

◯5月14日(土) 本学園 ポロニアホールにて

・午前 2回 / 午後 1回

・今回は初等部(桐朋小学校・桐朋幼稚園)の説明会です。1時間程度を予定しています。

園長•校長 中村博のご挨拶と、図書室からのお話なども予定しております。(大人の方向きの説明会です。)

・5月2日(月)正午よりご予約を受け付けます。本ホームページ「説明会 体験会予約画面」(紫色のバナー)よりお進みください。詳しい時間などもそちらでご確認ください。また、事前に「ミライコンパス」システムにご登録いただくとお申し込みのお手続きがスムーズです。(入園をご検討の方は、本園ホームページからご予約ください。)

・ご入場は1家庭2名までといたします。(お子様も1名といたします。)

・感染状況などにより、やむなく中止になる場合もございます。ご承知おきください。

 

桐朋小学校

賑やかで、楽しい朝 

快晴の入学式から一転、この日、外はあいにくの霧雨でしたが1年生の教室は明るい雰囲気が満ちています!

お家の方と玄関でバイバイしたあとは、2年生がつきっきりで朝の準備を教えてくれるのです。

ロッカーにランドセルをしまい、名札をつけて、健康観察カードを出して・・・

「準備、全部終わった人?!」「はーい!!」

支度を一通り終えた人から、朝の楽しいひと時を過ごします。

各教室にたくさん準備されている本を手に取ったり、

けん玉を振ってみたり、

コマに挑戦してみたり。(上手に紐を巻いている人がいて、びっくりしました!)

どの場面にも、優しく見守る2年生の姿があります。

入園式、入学式をふりかえってみました [Ⅱ‐294]

八重桜が満開のなか、たんぽぽ組の人たちが入園を、新1年の人たちが入学をしました。ご家族のみなさん、お子さんのご入園、ご入学をおめでとうございます。

新5年の人たちが新1年の人たちと「パートナー」としてかかわりをはじめて、新5年生として意識をもち、試行錯誤をする。新2年の人たちが、新1年の人たちに入学式で学校のことを表現することにより、新2年生としての喜び、自覚をする。など、新1年の人たちのおかげでそれぞれの学年の人たちが大切な節目を過ごしています。新1年の人たち、ありがとうございます。

式をふりかえります。(式では用意した原稿を読みあげるのではなく、伝えたいことを考えたうえで、その時、入園、入学した人たちの顔をみて、以下のような話をしたと思います。)

それぞれの式では、一人ひとりの名前を呼び、顔をみて、園章、校章を渡して「おめでとう」の気持ち、嬉しい気持ちを伝えました。

その後、園章、校章にかかわる話をしました。園章、校章には、桐朋の「桐」がえがかれています。桐朋は、1947年に「第2の出発」をしました。東京文理科大学、東京高等師範学校(のちの東京教育大学)との協力の関係をもち、「桐」は東京教育大学の校章「桐」に由来します。東京文理科大学の務台理作学長が国立、調布の校長を兼務し、「一人ひとりの人格を尊重し、自主性を養い、個性を伸長するというヒューマニズムに立つ教育、人間教育」を桐朋の教育理念に据えました。式では、「一人ひとりを大切にするよ、自分を伸ばしていこうね。応援するよ! という意味を込めて」いるとお話しました。

桐朋の「朋」は、仲間という意味です。一人ひとりの持ち味を大切にして、お互いにかかわりあって成長していこうという意味をお話しました。

 
しぜんひろばの桐。左は、広島修学旅行の際いただいてきて移植した被曝アオギリ二世。 

保護者のみなさんには、子ども時代に、発展途上の子どもの権利である「安心」「自信」「自由」などを一緒に大切にしたいということをお話させていただきました。子ども時代に、安心して生きることができる、自分を信じて肯定できる自信、自分の考えで行動できる(自分なりのやり方が大切にされる)自由をだいじにしていきたいと思います。また現在という時代に、平和のうちに生きる権利を大切に守り、ひろげることをすすめていきたいです。私たち大人も成長していきましょう、という気持ちでした。

子どもたち、保護者のみなさんに、職員室前に咲くチューリップの花にかかわる話もしました。2年生が1年生の入学をたのしみに育てました。

2年生の人が「花のつぼみは どんな音をしてさくか/しらべたくて見に行った。」こと。「チューリップの花は/ヒラーッと音がしたと思った。」「つくしは/グニュとめを出したと思った。」「たんぽぽは/ピローッと音がしたと思った。」「あさがおの花の音は/プワーかな。」と発見、感動しています。(笠原紀久恵『先生が好き 学校が好き 子どもの数だけ豊かさがある』国土社より)

「じいっと耳つけて聞いたんだぞ」。知りたいという気持ちで、いろいろな世界を感じているすばらしさ、その尊さ。先生たちも、保護者のみなさんにも、「聞いてもらえるから次々と発見が続き、感覚が磨かれていく。ゆったりと耳を傾けてもらえる体験の中で育つ」という願いとかかわりを共有したいと思いました。「安心の土壌」をいっぱい耕していこうというメッセージを込めました。


1年生の教室。2年生がいっしょに過ごしてくれます。

桐朋にも、きらっきらの春がやってきました。

別れの春。

出会いの春。

ドキドキの春。

ワクワクの春。

 

いろんな思いが生まれる季節だよね。

昨日は楽しかったのに、今日は嫌なことがあったり、明日には忘れていたり。

春は忙しい、でも素敵な季節です。

去年綴った桐朋小だよりが、はじめの気持ちだったので、再掲しておきます。→こちら

太陽も強くなってきて、ギラギラ照りつけ

カモ達も 急な暑さで水浴びを開始。

いつもは、子どもたちがいない朝の時間の水浴びですが、

今日はお昼の遊び時間に、いつものカモ達が遊びに来ていたのです。

 

ずっと日本カナヘビとりに夢中だった2人の2年生。

カモの存在に気づくと、びっくりしないように そろりそろりと近づきながら

木のうしろからカモを見守っていました。

走ってかけよることもなく、脅かすこともなく、少しずつ、邪魔しないように、一緒に共存する空間は、

しみじみと素敵だなぁという気持ちにさせられました。

 

日陰で泥団子をつくって、

虫眼鏡を見ながら、葉っぱやどんぐりなどを観察。

「ここは虫がおしっこをした跡ですかね〜」

「うーん。今度はこのどんぐりを観察してみよう。」

2人で何やら話しながら、いろんな世界を見つめていました。

 

穏やかな時間が過ぎたかと思えば、

元気な子どもたちの声が遠くから寄ってきて、

カモのいるしぜんひろばで、思いっきり鬼ごっこや飛び石スタート。

満開の八重桜を一輪持って、

今日は それがお土産です。

 

また明日、元気に学校においでね。

 

入学おめでとう!

今日は入学式。

4月13日、今日という日を、学校中のみんなが待ち望んでいました。

2年生は、1年生だった時から、チューリップを植えたり、1年生のためにお祝いの表現を練習したりしていたよ。

3月、1年生が終わってまっさらな教室になった時、先生が教室の点検をしていたら

机の中に1枚の手紙が入っていました。

「がんばれ!すっっっごくたのしいよ!」

サプライズで、1年生にメッセージを書いていたんだね。

今日の表現でも、2年生のその気持ち、しっかり伝わったと思います。

 

↑2年生と1年生でペアをつくって退場。

↑やり遂げた後、少し誇らしげな2年生。

 

3年生は、1年生のために椅子を運んだよ。

今日座っていた椅子、3年生の椅子だったんだね。

そして、「1年生にメッセージを書きたい!」ということで、看板も作っていたんだよ☻

4年生は、体育館の壁飾りをこだわって作ったよ。

みんなが繋がれる願いを込めていたんだね。

 

5年生は、パートナーさんの電話かけからはじまって

教室を飾り付け、はじめての登校を共にしました。

「ここはね、こうやって つかうんだよ。」

「おてあらい、だいじょうぶ?」

1年生のことをよく見て、自分に何ができるか考えながら、緊張しながらも

「がんばりたい!」

気持ちで溢れていました。今日から、パートナーさんとの思い出がはじまるね。

6年生は、1年生の教室の大掃除、資料や教科書の準備、会場の設営、

まさに縁の下の力持ちでした。ありがとう。

 

校長先生が言っていました。

「桐朋の桐は、ひとりひとりを大切にするということ。朋は、仲間ということ。

安心・自信・自由を大切に。思いっきりやりたいことをやっていこう。」

今日生まれたいろいろな気持ちを 抱きしめて。

どんな1年にもできます。

最後は、2年生が1年生に伝えた言葉を引用して。

「いっしょに、たのしい がっこうを つくろう!」

 

 

 

 

みんな、張り切っています!

新年度がはじまりました。

校庭で行う始業式(コロナ禍以前は体育館でした)にもみんなすっかり慣れました。

代表委員は6年生になって最初の大仕事をテキパキと進めてくれました。

5年生のクラス代表の人たちは、今年楽しみなこと、頑張りたいことをそれぞれの言葉で伝えてくれました。

 

「いつの間にか、僕は5年生になった。

5年生になると、委員会活動やパートナー活動が始まり沢山の仕事があるようになる。

僕はパートナー活動で1年生を迎えにいくのには少し自信がある。

委員会活動をやるのには、責任をもってやらなくてはならない。

ぼくがやりたい委員会は 図書委員や理科園しぜんひろば委員会で、どちらも冷静にやっていきたい。

だから僕は、親切に落ち着いて

パートナー活動や委員会活動をしっかりできる5年生になりたい。」

 

パートナーさんとの出会いや、児童会活動に胸を躍らせていることが伝わってきて、きいているみんなもワクワクしました。

2年生が昨年植えてくれたチューリップも満開。新入生がやってくるのが待ちきれない様子です。

始業式の後は、2年生みんなで入学式の練習に取り組みました。

久しぶりなのに、しっかり元気な歌声が体育館に広がって驚きました。

ひとつづつ進級した桐朋っ子たち。

みんな、張り切って新年度をスタートさせています。

(代表委員のみなさん、準備・片付けおつかれさま!)

その子その子の「意味」を大切に [Ⅱ‐293]

私たちの園、学校では、「子どもを原点にした保育、教育」の実現をめざしています。それは、「一人ひとりが独自に持っている好奇心や感性によって、周囲の世界や他者に対して価値づけをしていくことで見出される」(汐見稔幸さん『教えから学びへ』河出新書)その子その子の「意味」を大切にすることです。

 園庭、畑より

桐朋幼稚園の園庭にあるアスレチックの棒と子どもを例に考えてみましょう。この棒は、その子その子にとっていろいろな「意味」をもちます。

〔いまは滑り降りることはできないけれども、いつか降りたい〕とおもう人、〔友だちの降りるのをみていて、やりたいと思ったけれども、棒を握るのにも怖さがあってなかなかできない〕人、〔何度もやっているうちに、足をからませないで手だけで滑り降りることができた〕人などいます。

〔誰もいないとき、下からのぼる人がいました。はじめはできませんでした。だけど、裸足になってやってみたり、足に砂をつけてみたり、足の使い方を曲げて挟んでやってみたらのぼれるようになりました。とってもうれしかった!〕

実は、この人ができるまでには、もっとたくさんのことがありました。〔棒を使っておもしろそうなあそびはあるかなと、いろいろな人がやることをみていました。たくさんのあそびがあり、下からのぼっていくのが特におもしろそうと感じました。ところがやってみると、なかなかできません。他の人のをみて、裸足でやる、足に白砂をつけると少しのぼれた、足の巻きつけ方が大事などとわかり、だんだんのぼれるようになった…。「面白そう」「やってみたい」「できてとてもうれしい!」「みてみて(と感動を共有する。そして「すごいねって先生に言われた」)」など心をはたらかせ、達成感や満足感を味わいました。〕

私たちは、子どもの育ちで、このようなその子その子の「意味」を大切にしていきたいです。そこには、その子の生活経験(失敗や試行錯誤も)や感情、感覚、思考などが込められています。

園、学校案内の「考査について」では、「幼児期において、自分の興味関心にたっぷりと浸れる時間が保障され、心ゆくまで遊ぶ経験はとても大切です。」と書きました。そのなかで、その子その子の「意味」の世界が豊かに育まれることを願っています。

 
 同窓会のみなさんからいただいたシダレザクラがとてもきれいに咲いています。同窓会のみなさん、ありがとうございます。

参考 ことばには、「語義」と「意味」の2つがあります。ヴィゴツキーの発達論によれば、「語義」とは「歴史的に形づくられた客観的意義を持」つものです。「意味」とは「意義の客観的結合体系から抽り出された語の個人的な意味」です(ヴィゴツキー『思考と言語』新読書社、中村和夫『ヴィゴツキーの発達論』東京大学出版会を参照)。学校では「意義」=客観的意義を持つ=正しいというようにとらえがちです。