子どもは風の子!!

「寒いさむい!!」と背中を縮めて低学年校舎に向かっていると、とても楽しそうな気配が!

グリーンテラスに張った薄い氷の上で1年生が遊んでいます。

転ばないよう、足を上げずに前後にするする動かしたり、柵をにぎったり。

朝日がしっかりと当たる前のスペシャルイベント、とても楽しそうでした!

かつては、理科園の池なども12月中から凍ったものですが、温暖化の影響か最近はなかなかお目にかかりません。

今年の冬、あと何回楽しめるでしょうか?

中休みは、校庭に凧がいっぱい!

おもいきり駆け回って、ずいぶん高くまで揚げている人もいました。

子どもは風の子!!

転編入試験を行います。

2022年4月入学の転編入試験は、以下の学年で行います。

新3年生 男子1名

試験日は2月19日(土)です。詳細は、募集要項でご確認ください。

募集要項・入学願書(無料・学園から送付)

請求期間 1月21日(金)~2月5日(土)

請求方法 代表電話03-3300-2111 内線552 学務課へお電話ください。

平日9時~16時 土曜9時~12時

 

尚、すでに次期(2022年9月入学)への転編入学希望カードをご提出いただいている方には、6月上旬~6月中旬に募集の有無などについてご連絡申し上げます。

〔参考〕

次の入学希望カードを学園から送付します。

請求期間 1月20日(木)~5月31日(火)

請求方法 代表電話03-3300-2111 内線552 学務課へお電話下さい

平日9時16時  土曜9時~12時

○2022年9月入学・・・2021年度の第1学年~第4学年

○2023年4月入学・・・2022年度の第2学年~第5学年

真っ白のカーテンと金色の絨毯

3学期がはじまって1週間。

窓を開けて換気していても、教室は子どもたちの活気があふれています。

大人だけの冬休みは、とてもとても寒かったです。

新年初めての雪の日、校庭はあっという間に煙るような白いカーテンで覆われました。

♪人かげ あとなく 霧は静かにこめ まっしろな 真冬は 森にも野原にも

(ブルガリアの歌 「森の冬」 より 中山知子 作詞)

冷気が押し寄せる窓辺に立つと、思わずこの歌が口をついて出てきました。

3年生が音楽会のアンコールで歌った曲です。

晩秋の校庭とは大違いですね。自然の移ろいには本当に驚かされます。

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雨上がりの校庭に、金色のじゅうたんが敷き詰められました。

桐朋女子中学・高等学校のグラウンドとの境にある大きな2本の銀杏から一気に葉っぱが落ちてきたのです。

油分を含んだ葉っぱは、独特な手触りです。

かき集めてぱーっと放つと、太陽の光をさらに反射して本当にきれい。

昼休み、こどもたちは何度もなんども繰り返していました。

 

銀杏のとなりには、メタセコイアが2本。こちらは焦げ茶色の細い葉っぱのカーペットです。

湿り気があるせいか、踏み締めると森の香りがスーッと立ち上ります。

秋晴れ、鮮やかな色彩、そして鼻に抜ける香気。3拍子そろって全身がリフレッシュされ、午後の活動へのエネルギーが湧きました。

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寒い日はまだ続きますが、すこしずつ日暮れまでの時間が伸びてきました。

短い3学期、春に向かって毎日を元気に、豊かに過ごしていきましょう。

1月29日(土)説明会について

1月29日(土)に予定しておりました小学校の説明会は、感染拡大状況を鑑み

少人数のミニ見学会に変更いたします。

〇1月29日(土)ミニ見学会 

女子枠 9:45/10:45

男子枠 10:15 / 11:15

男女枠 11:45 / 12:15 

・お申込み1家庭につき2名まで。(お子さんをお連れの場合、保護者は1名です。)

・お子さんの性別に沿った枠でお申込みください。年齢は不問です。

・しぜんひろばなど、屋外を中心に30分程度小グループでご案内します。

・暖かな服装、歩きやすいお足元でお出かけください。

(気候の良い時期にも計画する予定です。どうかご無理をなさいませんように。)

・ご家族も含めて風邪症状などがある場合は、ご来校をお控えください。

(受付票を印刷していただき、そこに必要事項をご記入の上ご持参いただきます。)

★東京都に緊急事態宣言が出されるなどの場合は、残念ですが中止といたします。

最終判断は、前日(1月28日金曜)正午です。本HPを必ずご確認ください。

★上記をご確認いただいた方のみ、1月16日(日)10時より、「説明会・体験会予約画面」にてお申込みを受け付けます。

時節柄、直前のキャンセルもご遠慮なくお申し出ください。

★同日、桐朋幼稚園はオンライン交流会を行います。1月16日(日)12時からお申込みいただけます。詳しくは→こちら

 

寒さ厳しい折、皆様どうぞご自愛ください。

 

桐朋小学校 

 

 

 

 

 

3学期、2022年をどうぞよろしくお願いします [Ⅱー285]

願いを持ち、夢中になる

昨日、幼稚園でお誕生月の人たちのお祝いの写真を撮りました。撮っている間、すぐ傍にいて、何回も「見てほしいものがあるんだ!」と言う人がいました。撮影後、雲梯の技ができるようになったことを見せてくれました。以前はできなかったことを何度も取り組む中でできた喜びが伝わりました。他の人に、自分もできなかったよと思いを寄せる、もっとこうすればできるよと励ますなどの姿もあり、すごいと思いました。

いただいた年賀状には、たくさんの願いが書かれていました。願いを持ち、その気になって取り組むことで成長していくと思います。応援しています。子どもの願いを大切に、子ども自身の自己発達力を促す教育実践をすすめていきたいと考えます。

心でつながる園、学校へ

始業式では、6年生4人が話をしてくれました。どの人も心のこもったことばを伝えてくれました。ありがとうございました。

…私はシンクロを習っていますが、もちろん嬉しい事、楽しい事だけではなく、辛いこと、悲しい事も沢山あります。例えば、私の場合だと同級生の中で一人だけ選手に選ばれなかったり、注意されたことを本番で直そうと失敗してしまったときには、真面目に練習していないからだ。と言われてしまったりしました。そんなことが続いていると、夜眠れなくなってしまったり、食欲がなくなってしまったりしました。

心配したお母さんが先生に相談してみたら?と言ってくれたので、日記に書いて先生に提出してみました。/すると次の日の総合の時間に日記をコピーして皆に配って、みんなからの応援メッセージを束にまとめて私にくれました。/ずっと一人で抱えこんでいたので皆からの応援メッセージはとてもうれしかったです。/そのメッセージのおかげで前に進むことができました。…

 年賀状には、いろいろな思い出も書かれていました。

2学期は色々な事が起きました。遠足では2回延期になってしまったことは、実行委員のぼくを悲しませました。でも、それでもぼくたちを信用してくれたみんなのおかげで楽しい遠足をすごすことが出来ました。

特に忘れられない思い出は、顔を知らないパートナーに、慣れない電話をして緊張したことです。

学校に行くと、友達と笑い合えたりして毎日楽しいです!イライラしてしまうこともありますが、面白いクラスです! 

園、学校は、自分の存在を無条件に肯定される場所、失敗しても励まされる場所、自分の心とからだが落ち着ける場所、喜びやどきどきわくわく、悲しみを表現し合い、自分とは違う人と心でつながれる場所でありたいと願っています。

 

やきいも大会〜パートナーさんとの思い出〜

12月。

1学期に植えたさつまいもも、収穫の季節となりました。

1年生は草が生えきった畑を耕し、畝をつくり、農園からもらってきた苗を大切に植えました。

 

本当に育つかな?と心配だったお芋。

本当に土の中にあるの?と掘るまでドキドキしていたお芋。

掘り出すと、草抜きのかいあってか 大きなサツマイモがごろごろ。

これは これまでお世話になっているパートナーさんとのやきいも大会で食べるお芋です。

土をおとしながら、パートナーさんが喜ぶ顔を思い浮かべて、そわそわワクワクしていました。

 

当日は、少しほこらしげな1年生と、焼き芋のやり方を調べてきてくれてリードしてくれる5年生、安全に思いっきり楽しめるように見守ってくれるお家の方によって創られました。

焼き芋がやけるのを待っている間も、パートナーさんと思いっきり遊ぶ1年生。

火をひたすらにみつめる子たちの姿も。

それぞれが、違う楽しみ方で過ごした時間でした。

いざ焼けたお芋を一口食べると、、、、

「うそみたいに おいしい!」

「あまいー!!こんなに おいしいんだ」

「そだてた かい が あったね!」なんていう子もいたし

「食べ終わりたくないから」と言って ほんの少しずつかじって食べている子もいました。

パートナーさんと会えただけで嬉しかったのに

自分たちで育てたお芋を、パートナーさんにも”おいしいね”と言ってもらえたこと

しぜんひろばで ピクニックおべんとうをできたこと

育てた命の大切さを いっぱいに感じながらいただいたこと

素敵であふれた時間でした。

3学期始業について

在校生、保護者のみなさん

2022年が始まりました。今年もどうぞよろしくおねがいします。

始業にかかわって、いくつかの連絡を在校生保護者専用バナー「全ての保護者の方へ」に記載しました。

(クラスごとのページではありません。)

確認してください。

 

桐朋小学校 教務

 

 

 

プレイルームに響く歌声

冬休み直前、1年生から4年生は、プレイルームで音楽会の発表曲を録音しました。

歌ったり吹いたりすることがとても少なかったのこの一年半、

クラスごとにそれぞれ一生懸命練習してきた曲を、ようやく学年のみんなで歌えるのです!

(2年生クラス授業の風景)

張り切る気持ちと楽しむ気持ち満々で、みんながプレイルームの舞台に並びました。

どの学年も、それぞれの曲を気持ちを込めて、とっても素敵に演奏しました。

一人一人の声が合わさって、学年全体の表現としてプレイルーム響いていましたね。みんなが「この歌、好き!」「この部分が素敵だな」と思っていることが、たくさん伝わってきましたよ。

全部の学年の演奏を一緒に聴かせてもらった校長先生と音楽の先生たちは「学校中のみんなが、この演奏を生で聴き合えたら、どんなに素敵だっただろう。」と心から思いました。次の音楽会ではそれが叶いますように。

今日の演奏は先日の高学年音楽会の演奏と合わせて、CDに収録されます。完成にはすこし時間が必要ですが、たのしみに待っていてくださいね。

(録音のマイクについて質問する人)

プレイルームの各クラスの音楽会も、それぞれ工夫しながら進めました。

飾り付けをしたり、司会の言葉を考えたり、「みんなで創る」音楽会。

奏でる喜び、集い、ともに味わう幸せを感じた12月でした。

(3年生クラス音楽会。久しぶりにお家の方の前で発表することができました。)

広島修学旅行 ー大久野島にかかわって‐[Ⅱー284]

 

広島修学旅行では、3日目に大久野島に行きました。戦争の〈被害〉〈加害〉の事実を学びました。

修学旅行前の授業では、2003年、2004年、中国の小・中学生の人たち、大人の人たちに起きた〈被害〉を取り上げました。約60年前にあった戦争の〈被害〉を、河原や庭などで遊んでいた中国の子どもたちが受けました。現在、歴史を学んでいる子どもたちと、ほぼ同年齢の子どもたちでした。その〈被害〉をもたらしたのが、日本です。戦争中、大久野島での毒ガス製造、毒ガス遺棄などにかかわることです。

〇2003年、中国黒龍江省でのこと。工事現場から出た黒っぽい土で、蓋尊旭さん(当時12歳)、馮佳縁さん(当時10歳)がどろんこ遊びをしていました。その土は湿り気があって、粘土のようにいろいろな形を作りやすかったそうです。家に帰ってから、2人は手足に痛みを感じました。痛みはしだいに酷くなり、やがて大きな水ぶくれができてきました。

工事現場の土を家の庭に運んだ人もいます。子どもたちは、土の山で遊びました。高明(当時9歳)の足は、水疱ができ、数か月もの間、歩けなくなってしまいました。(『ぼくは毒ガスの村で生まれた。あなたが戦争の落とし物に出あったら』化学兵器CAREみらい基金編著、吉見義明監修、合同出版より学ぶ)

〇2004年、中国吉林省でのこと。周桐さん(当時13歳)、劉浩さん(当時9歳)が小川でどろんこ遊びをしていたところ、鉄の固まりを見つけました。河原まで運び、周りの泥を小枝でこそげ落とし、穴につまっていた泥をかき出しました。すると中から黒い液体が飛び出し、劉さんの足にかかりました。足にかかった黒い液体を手でこすってふきとった際、手にも液体がつきました。周さんは、鉄の固まりを抱き抱えたとき、鉄の固まりから真っ黒な液体がこぼれ出て、太腿にかかりました。その後、2人は激しい痛みに襲われました。皮膚は腫れあがり、大きな水ぶくれができました。(同上)

◇子どもたちと、「黒っぽい土は、何だろうか?」「鉄の固まりは、何だろうか?」「鉄の固まりの中から出た真っ黒な液体は、何だろうか?」と考え合いました。

◆この学習の前までに、日本の中国での戦争についての学んできた子どもたちからは、「鉄の固まりは『不発弾』ではないか?」「(夏休みの研究で)大久野島の毒ガス製造を調べた。中国での使用を知った。鉄の固まりは砲弾で、中身は毒ガスではないか?」「中国で見つかったドラム缶の中身は、毒ガスだったと思う」など、いろいろな考えが出されました。

子どもたちが触った土は、毒ガス液の入ったものでした。鉄の固まりは、戦争に使われた大砲の弾でした。戦争に使われた大砲の弾の中に、毒ガス液がつまっていました。

 

〇2006年、劉さん、馮さんたちが日本にやってきました。

「少し歩いただけでも呼吸が苦しくなって、疲れてしまいます。3年たった今も、足の痛みはなくなりません。大好きな歌も、すぐに喉が痛くなって歌えなくなりました。声も変わってしまったみたいです。それに大きな水膨れが気持ち悪いといって、友だちが遊んでくれなくなりました。伝染なんかしないのに、大人の人も近づいてきません。とてもさみしい…。長距離選手になりたかったのに…。」(馮さん)

「最初に水疱ができたときには、これが重大な障害になるなど考えてもなくて、ちょっとした炎症か蕁麻疹だと思っていました。ところが、いつまでたっても治らないし、どんどん酷くなっていきました。2カ月間入院して、退院してからも風邪をひきやすくなり、また、一度風邪をひくとなかなか治りません。風邪は誰でもひくものですが、月に2回も3回もひくのです。それに持久力がなくなって走ることが苦手になったばかりでなく、集中力がなくなってしまったために、学校の成績が下がってしまいました」(劉さんのお父さん)(同上書より引用させていただきました) 

その後の学習では、「なぜ約60年後に毒ガスの入ったドラム缶や砲弾が出てきたのだろうか?」「毒ガスの入ったドラム缶や砲弾をなぜ中国に捨てたのか?」「現在はどうなっているのか?」「日本国内で製造されていた毒ガスについて」「毒ガス製造の秘密。その苦しみや製造時における被害など」「日本の中での毒ガス遺棄と毒ガス〈被害〉についてー新聞記事から」などを考え合いました。

戦争中、毒ガス兵器が広島の大久野島で秘密に製造されており、その毒ガス兵器が、中国との戦争で使われていたこと、戦後60年以上たってから戦争の〈被害〉を受けている人がいるなどを知り、大久野島に行ってきました。

修学旅行ではたくさんの人にお世話になりました。ありがとうございました。1日目の碑めぐりでは、山口さん、松田さん、山岡さん、峯岡さん、青木さん、森河さんにお世話になりました。2日目の被曝証言を笠岡貞江さんにしていただきました。平和記念資料館や本川小学校平和資料館、毒ガス資料館など、いろいろな人にお世話になりました。